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24、自分への呪い

「覚えている? 君は、幼かったのに?」


 思わず、といった様子でアクワーリオ侯爵がこぼした言葉に、イグナルスは諦めのような気持ちが広がった。


 アクワーリオ侯爵は、否定しなかった。むしろ、それは肯定と同義。


 イグナルスの記憶違いでも、夢でも、妄想でも、思い込みでもなく。


 本当に、イグナルスはアクワーリオ侯爵家の人間ではない。


 その事実は。覚悟をしていたし、ずっと考えていたことではある。それでも、イグナルスは下を向いた。泣きたいのか、笑いたいのか分からない。


「父上。だから言ったじゃねえか」


 静まり返った部屋に、呆れたようなグラキエスの声がした。のろのろと顔を上げたイグナルスっはそちらを向いた。


 グラキエスの表情には、イグナルスへの不快や蔑みはなかった。ただ、アクワーリオ侯爵に向けて呆れた顔をしていた。


 視線に気がついたグラキエスが、イグナルスの方に近づいてくる。彼がイグナルスに手を伸ばした。彼のその動作は見たことがあるため、イグナルスは驚かずに受け入れた。


 イグナルスの金の髪に触れる手はやはり優しい。ゆっくりと撫でながら、グラキエスが言う。


「大人が思っているほど、子どもじゃねえんだ。そうだろう? イグナルス」


 グラキエスの言葉にイグナルスはこくりと頷いた。イグナルスが幼かったから何も覚えていないと思っていたのかもしれないが、そんなことはない。鮮明ではなくとも、途切れながらの記憶に、いろいろと残っている。


 アクワーリオ侯爵はグラキエスに視線を向け、その後イグナルスを見つめた。少しして、彼は軽く息を吐く。


「確かに、そうみたいだな」


 そう言ったアクワーリオ侯爵がちらりと、イグナルスの隣に座るラウローリエへと視線を移した。


「ジェーミオス公爵令嬢。あなたも知りたいのですか?」

「はい」

「この話を聞けば、絶対に後戻りはできなくなります。イグナルスと婚約するしかなくなる。それだとしても?」


 そのアクワーリオ侯爵の言葉に、イグナルスは引っかかりをおぼえた。なぜ、婚約するしかなくなるなのか。逆ではないのか。


 そんなイグナルスの困惑を気にすることなく、ラウローリエが微笑んだ。


「逆に質問させていただきます。その事実は、私のお父様を――ジェーミオス公爵を婚約に同意させるために切り札に、なりますか?」


 はっとしてラウローリエの方を見る。彼女は余裕めいた笑みを浮かべ、アクワーリオ侯爵を見ていた。

 アクワーリオ侯爵は、迷う素振りも見せずに頷いた。

 

「確実になります」

「それでは、教えてくださいませんか? お父様に反対される余地をなくせるのでしょう? そちらの方が都合が良いですから」


 イグナルスは息を呑む。ラウローリエの言っていることは。後戻りをできない状態に、先にしてしまうということだ。


 目を見張ったアクワーリオ侯爵が、声を上げて笑い出した。


「はは。随分と豪胆ですね。ジェーミオス公爵に事後承諾を求める、と?」

「そう考えていただいて、構いませんわ」


 あくまでラウローリエの表情はにこやかだ。しかし、彼女はどれだけの決意を持ってここに来たのだろう。イグナルスについていくと言った時点から、想定していたのだろうか。

 ぎゅうっと心が締め付けられる心地がした。


「へえ、悪くねえな」


 イグナルスの近くに立っているグラキエスが、ぼそりと呟いた声がした。イグナルスがそちらを見上げえるが、彼は楽しげに笑いながら首を振った。その言葉の意味を教えるつもりはないらしい。


 アクワーリオ侯爵に向き直ったイグナルスは思い切って尋ねた。


「アクワーリオ侯爵様。僕は、あなたの愛人の子ですよね?」

「は……?」


 呆然としたアクワーリオ侯爵を見て、イグナルスは首を傾げる。


 予想外の反応だ。違うのだろうか。


「へえ、知らなかったな。父上。いつから外に女を囲ってたんだ?」

「おい、グラキエス。ふざけている場合か。イグナルスに勘違いされているというのに」


 面白がっているグラキエスと、焦るアクワーリオ侯爵を見ながら、イグナルスは目をぱちぱちさせた。


 おかしい。ほぼ当たっていると思ったのに。なぜこんな反応なのだろう。


「イグナルス。違う。違うんだ」

「えっと、どこが違います?」

「そもそも私に愛人はいない」

「あ……」


 確かに、イグナルスが知る限りでは、アクワーリオ侯爵は外で女の人と会う時間があるほど暇そうには見えない。


 家でも忙しそうで、それなのに家族と話す時間を大切にしている、優しい人だ。


 勝手に決めつけてしまっていたが、すごく失礼なことだった気がする。申し訳なくなったイグナルスは目を伏せた。


「ごめんなさい」

「いや、謝らなくていいんだ。こっちが説明をしていなかったのだから」


 なぜ自分が愛人の子だと思ったのかを少しずつ思い出す。そうだ。アクワーリオ侯爵夫妻が喧嘩をしていたからだ。


「それなら、僕がこの家に来てから少ししてアクワーリオ侯爵夫人と喧嘩していたのはなぜですか? 僕の名前、言っていた気がします」

「喧嘩……?」


 しばらく考え込んだアクワーリオ侯爵は、思い当たることがあったのか、顔を引きつらせた。


「あー、あったかも、しれないな。それで愛人がいると思ったのか。それにしても、本当に君はよく覚えているな」


 イグナルスはこくりと頷いた。自分の名前が出ていたら、それは鮮明に記憶に焼き付いてしまった。


「心配しなくて良い。多分、君に出自を伝えた方が良いとレインリリーは言っていて、私はまだ言わなくて良いという話が大分揉めただけだから」


 レインリリー――アクワーリオ侯爵夫人は、教えようと考えていたのか、それでも結局アクワーリオ侯爵の意見となったのだろう。


 イグナルスはまた俯いた。結果的に、イグナルスが喧嘩の原因となってしまったのは事実だ。

 そんなイグナルスに、アクワーリオ侯爵の困ったような声が届いた。


「それに、喧嘩というほど大仰なものではないよ。ただの、話し合いだ」


 ラウローリエの言葉を思い出す。


『私は全ての喧嘩が不幸、とは思わないわ』

『意見が食い違ったとき、ちゃんと対話をしようとしている、ということだもの』


 イグナルスは静かに息を吐いた。彼女の言う通りだったようだ。


 自分は、難しく考えすぎていた。出自のことも、喧嘩のことも。たいしたことのない状況を、勝手に思い込んでいた。


 自分で自分に呪いをかけていた。

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