22、真実を知りたい
ジェーミオス公爵の部屋から出たあと、イグナルスは大きく息を吐いた。手が震えている。
「緊張、した。すっごく……」
「そうは見えなかったわよ」
ラウローリエが、イグナルスに優しげな笑みを向ける。
「堂々としていて、格好良かったわ」
「本当に?」
「ええ」
グラキエスのように、堂々と格好良く振る舞いたかった。望んだようにできていたなら良かった。
ラウローリエの言葉に、ふわふわとした気持ちになる。この感覚はきっと、緊張から緩んだせいだ。
先程のジェーミオス公爵とのやり取り。もっと上手くできたのでは、とぼんやり考える。そして、やはり引っかかる質問。
「僕が、何者か……」
イグナルスも分からない。
ラウローリエが心配そうな表情で、イグナルスの顔を覗き込む。
少し迷う素振りを見せたあと、ラウローリエが口を開いた。
「イグナルス、それを明らかにすることは、あなたにとって嫌じゃないの?」
迷いながらの問い、不安そうな表情を見て、イグナルスは目をぱちぱちとさせた。
「君は、僕が何者かを知っているかと思った」
「いいえ。知らないわ」
てっきり、「前世の記憶」で把握しているのだと思っていたが。ラウローリエは、イグナルスを気遣うような目をずっとしている。
「イグナルス。あなたは、知ることになってもいいの? 多分、お父様はそれを調べ上げると思うわ」
「……知ること自体は、問題ないよ。それでも、ラウローリエとの婚約は、断られるかも」
知ることは、かまわない。自分の中で予想はあるし、いつかは知ることだ。
問題はそこではない。
イグナルスは恐らくアクワーリオ侯爵家の本筋ではないだろうから、そのことを知ったジェーミオス公爵が婚約の許可を出すと思えない。圧倒的に、アクワーリオ侯爵家の長男、グラキエスの方が良いだろう。
きっと、イグナルスとラウローリエの婚約は実現しない。
ぎゅうっと胸が締め付けられる気がして、それでもイグナルスは笑った。しかし、ラウローリエは納得がいっていなさそうだ。
「そうなのかしら……?」
「だって。『何者か』という疑問が出ている時点で、良くないよ」
「それでも、ジェーミオス公爵家の私と婚約すれば、イグナルスのことを勘ぐる人間はいなくなるわ」
そのラウローリエの言葉で、やっぱり勘ぐっている人もいるのだな、と思いながらイグナルスは首を振る。
「それは、ジェーミオス公爵家にとっては、利点がないよ」
イグナルスやアクワーリオ侯爵家にとってはそうだ。しかし、ジェーミオス公爵家は利用されるだけになってしまう。そんな婚約、普通は成立しない。
ラウローリエが濃い紫の瞳でじっとイグナルスを見つめる。
「……イグナルスは、知らないのでしょう? 他の人の口から聞くのでいいの? アクワーリオ侯爵閣下から聞きたいとは、思わないの?」
「それでも、アクワーリオ侯爵様が僕に言ってないのは、そっちの方が良いと判断していると思うから……」
イグナルスは聞くつもりは一切なかった。大体は自分で予測が立てられていたし、アクワーリオ侯爵家で「イグナルスに伝えない」と判断されていたとすれば、それに異を唱えるつもりもなかったから。
力なく首を振ったイグナルスから、ラウローリエは一切視線を外さない。
「イグナルス。あなたの気持ちが知りたいの。あなたは、どう思うの?」
自分がどう思うのか。ラウローリエから問われて考える。
自分は、アクワーリオ侯爵家に入った邪魔者であり、不幸を運んでいると、ずっと思って生きてきた。
そのイグナルスの考えが、覆るような事実があるとは考えにくい。大体合っているだろうから。
知ったら、知らなかった頃には戻れない。忘れることなんて、できないのだから。
それでも。「事実」を知れば、この罪悪感や後ろめたさは和らぐのだろうか。
他者に聞くのと、アクワーリオ侯爵に聞くの、どちらが良いかも考える。
誰かから聞くのなら、今まで優しくしてくれたアクワーリオ侯爵に聞きたいなと思う。イグナルスを家に迎えられる決断をしたであろう、彼から聞きたい。
「知るのは怖い。けれど、アクワーリオ侯爵様から知りたい、かも」
イグナルスが自身の望みを告げると、ラウローリエが首を縦に振った。
「それなら、聞きましょう」
「え?」
「今から、聞きに行きましょう」
行動力に満ちあふれている。今すぐ、とは。それでも、ラウローリエの提案はイグナルスの心にすんなりと入ってきた。
「うん。知りたいから、聞きに行く」
知ってしまったら。明日からアクワーリオ侯爵家で、イグナルスに向けられる目は変わるかもしれない。家にはいられなくなるかもしれない。
その真実は、何かを変えるかもしれない。
それでも、イグナルスは知りたいと思った。自分の心が、そう言っている。
『お前は不幸を生んでいる。それを自覚するだけだというのに』
自分の中で、そんな声がする。
そうかもしれない。それでも、イグナルスは。それに向き合うと決めたから。




