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20、敗北

 黙り込んだラウローリエを見ながら、イグナルスは頬を緩めた。


「ラウローリエ。僕は、嬉しいんだ。君が僕のことを考えてくれるのが」


 ラウローリエはいきなりイグナルスに「10年後死ぬ」と言ってきたが、それだけだったら何も思っていないだろう。


 その後、ラウローリエは言った。


『あなたに、生きたいと言わせてみせる! そして、10年後にあなたを死なせない!』


 それを言っただけではなく、彼女はずっとイグナルスのことを考えてくれていた。一緒に話をしてくれて、ラウローリエの好きな物を惜しむことなく教えてくれた。友達を作るのも手伝ってくれた。


 そんなラウローリエに申し訳なさはあった。それでも、それ以上に。イグナルスは、嬉しかった。


 だから。もう、認めるしかない。


 自分が生きていることが何の役に立つか。それは未だに分かっていない。それでも、彼女の宣言の前半部分はとっくに実現しているのだ。


「ラウローリエ。僕の負けだよ」


 だって。イグナルスは既に思ってしまっている。「ラウローリエとの日々がずっと続いてほしい」と願ってしまっている。


 それは、「生きたい」と何が違うのだろうか。当然のように「未来がある」と信じる。それは、「生きたい」と同義であろう。


「君となら、生きたい」


 ラウローリエの目が大きく見開かれた。それを見ながら、イグナルスは微笑む。


 ゆっくりと立ち上がったイグナルスは、ラウローリエの近くに片膝をついた。


「ラウローリエ・ジェーミオス嬢。私と、婚約してください」


 これが、イグナルスの出した答えだ。望みだ。

 

 イグナルス自身よりも、イグナルスのことを考えてくれたラウローリエの1番近くにいたいという想いを告げる。


「えっと……」

「うん」


 いつもならイグナルスが言葉を探し、ラウローリエが返事を待つということが多い。しかし、今は逆だ。


 そのことを珍しく感じながらも、イグナルスは待ち続けた。


 しばらく視線が定まらなかったラウローリエは、イグナルスの方を真っ直ぐ向いた。しかし、その瞳から迷いは消えていない。


「私は、あなたのことを人間としては好きよ。それでも、それが恋かは、分からない」

「……うん」


 そう言われるのは何となく分かっていた。彼女は、イグナルスのことをまるで年下のように見ている感覚があった。

 それはイグナルスが不甲斐ないせいであり、それに加え、彼女の「前世の記憶」の影響だろうと勝手に思っている。


 断られるかな、と思ったイグナルスだが、ラウローリエから視線を外すことはしなかった。


 言葉を選ぶように黙っていたラウローリエが、イグナルスに向かって微笑みかける。

 

「それでも、あなたがとっても優しくて、思いやりのある人だって知っているから」


 優しくて、思いやりのある。全く心当たりのない評価に、イグナルスは首をかしげた。


「それ、誰のこと?」

「イグナルスのことよ」


 当然のように言い切ったラウローリエにイグナルスが困惑していると、彼女はくすくすと笑ってから言葉を続ける。


「だから。今すぐに愛しているとは言えなくても、それでも。結婚をするなら、あなたのような人が良い」


 すぐにその言葉に意味が分からなかった。ぱちり、と瞬きしたイグナルスは恐る恐る尋ねた。


「……それは、僕でいいということ?」

「違うわ、イグナルス。あなたが良い、ということよ」


 そう言って、ラウローリエはイグナルスの手を握った。呆然としているイグナルスに向かって、ラウローリエは満面の笑みを浮かべる。


「それに、あなたとの日々が終わってほしくないのは、私も同じだから」

「ありがとう、ラウローリエ」


 安堵したイグナルスは視界が少し広くなったように思えた。世界が以前よりも少しだけ明るくなったようにも感じたのは、イグナルスの気のせいかもしれない。


 ◆


 元の椅子へと戻ったイグナルスに向かって、ラウローリエが質問をする。


「そういえば、王太子殿下と私の婚約の話は確証があったの?」

「ない、けれど。今回がただの噂だったとしても、次は真実かもしれないから」


 イグナルスは、この話を真実と確証していたわけではない。それでも、婚約は家や本人の都合でいつ決まるか分からない。イグナルスがラウローリエと一緒にいれるとは限らないのだ。だから、王太子との婚約の噂が本物である可能性を視野に入れながら動き出すしかなかった。


「それでその噂は本当なの?」

「……」

「そっか」


 ラウローリエが無言だったことから、確定はせずとも可能性はあったことを悟り、胸をなで下ろした。やっぱり噂だと放置しなくて良かった。


「そんなに噂になっているのかしら」

「ごめん、分からない」


 友達が数えるほどしかいないイグナルスには、噂になっているかどうか判断はできない。


 それでも、情報をいろいろ知っていそうなグラキエスはともかく、マグダレーネのことしか興味のなさそうだったアデルバートが知っていたことで、噂は広がっていそうだと思う。それでもイグナルス自身が知っているわけではないから、ラウローリエに告げることはしなかった。


「……」


 何かを考え込んでいるラウローリエに、イグナルスは尋ねた。


「ラウローリエ。君のご両親は僕のことを認めてくれると思う?」

「そう、ね。問題ないと思うけれど……」


 再び何かを考え込んだラウローリエだったが、思いついたように言った。


「今、お父様は家にいると思うわ。聞いてみる?」


 いきなりの状況に、思わず息を呑んだ。それでも、いつかは必要なことだ。その日程がたまたま今日だっただけ。そう自分に言い聞かせながら頷いた。


「う、ん。お願いします」


 イグナルスは震えそうになる手をぎゅうっと握りしめた。

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