2、それで僕の死因は?
ラウローリエには、別の世界で生きた記憶があるという。だからさっき「この世界は」とか主語の大きい言葉を使ったようだ。
ラウローリエはこの会場に向かっている途中で、そのときの、彼女曰く「ぜんせ」の記憶を思い出した。
そして、この世界の名前と自分の記憶を照らし合わせた結果、この世界が『マンガ』の世界だと気がついたそうだ。マンガは小説に絵がついたものらしい。絵本みたいなものだろうか。熱心に説明してくれたが、イグナルスには分からなかった。
そのマンガにイグナルスも登場したそうだ。この会場でイグナルスを見て、そのマンガにでてきたイグナルス・アクワーリオと同じだ、と気がついていて声をかけたようだ。
ラウローリエの話を一通りきいたあと、イグナルスは口を開いた。
「それで、僕の死因は?」
「え、いきなりそれを知りたいの? そもそも私の話を信じるの?」
ラウローリエはぎょっとした目でイグナルスを見てきた。今日だけで何度変なものを見るような目で見られたか分からない。
「別に僕にしてみれば嘘でも構わないから」
ラウローリエは紫の瞳を瞬かせてイグナルスを見つめた。
「あなたって、本当に変な人ね」
「君には言われたくないんだけど」
ラウローリエは軽く息を吐いてから話し始めた。
「あなたは物語の中の舞台装置的な役割でしかないわ。物語を進めるための道具のような」
「どういうこと?」
「あなたは物語のヒロインを庇って死ぬの」
「ヒロイン?」
聞き馴染みのない言葉に首を捻っていると、ラウローリエがちょっと考えてから教えてくれた。
「物語の中心となる女の子よ」
「主人公ってこと?」
「そうね」
その子を庇って死ぬ、とラウローリエは言う。イグナルスは口元に笑みが浮かんだ。
「それはいいかもね。誰かの役に立って死ねるのなら、本望じゃないか」
イグナルスの言葉にラウローリエは理解できない、という顔をする。
「いいわけないじゃない! 私は、あなたに長生きしてほしいわ!」
「君は、どうしてそこまで」
苦しそうな顔をするラウローリエを見て、イグナルスは首をかしげる。
確かにイグナルスはラウローリエと友人になったが。そんなにラウローリエが心を砕く必要もないはずだ。友人が死ぬのが嫌、というのなら今からでも距離を取ればいい。10年あるのなら、関わらないようにしていれば他人となるには十分な時間だ。
「自分を犠牲にするのがいいかも、なんて。悲しすぎるじゃない」
「……」
ラウローリエの真剣な表情を見ていると、イグナルスはどうしたらいいか分からず、曖昧な笑みを浮かべた。ラウローリエは強い意思のこもった紫の瞳をイグナルスへと向けた。
「この世界の全てを変えるなんて仰々しいことはできないけれど。あなたを犠牲にしないことならできるかも。いえ、『できるかも』じゃない。そうする」
イグナルスがラウローリエを見つめていると、彼女はイグナルスへと微笑みかけた。イグナルスはラウローリエから目を逸らした。正直、自分としては後10年生きることができ、しかも人の役に立つという最期は本望だが。
その一方でイグナルスにラウローリエの行動を制限する権利などどこにもないのだ。
「……君がそうしたいのなら、僕は何も言わないよ」
「……あなたは本当に他人事のように言うのね」
ラウローリエの声が暗くなったため、イグナルスはまた言葉を間違えたのか、と思う。ラウローリエが目を伏せたのをみて、どうしていいか考えているとラウローリエが顔を真っ直ぐに上げた。
「私、決めたわ」
「何を?」
イグナルスの目を覗き込んできたラウローリエを見て、イグナルスは息を呑んだ。彼女の紫の瞳は、どんな宝石よりも輝いて見えた。
「あなたに、生きたいと言わせてみせる! そして、10年後にあなたを死なせない!」
眩しい。あまりにも眩しすぎる。イグナルスは目を再び逸らしたくなったが、ラウローリエがそれを許さない。彼女が放つ空気は、あまりにも強力で身動きすら取れない。こんな目映さを、今まで見たことがあるだろうか。
「……ありがとう」
「……そのお礼も、いつか本気で言うのをききたいわね」
ラウローリエの言葉に圧倒して口から礼の言葉が出たが、あまり心がこもっていなかったのだろうか。彼女は寂しそうに笑った。気まずくなったイグナルスは目を伏せる。そのまま話を逸らそうと、先ほどの話を持ち出した。
「それで結局なんで僕に10年後に死ぬって言ったの?」
「あー……。さっきはごめんね、忘れて。ちょっと正気じゃなかった」
「さっきも『現実と向き合えず自棄になった』って言っていたけれど」
イグナルスが先ほどの彼女を思い出しながらそう言うと、少し気まずそうにラウローリエは言った。
「ここが現実ではなく、私の夢や妄想かもしれない。そうだとしたら、奇跡みたいなことが起きないかなって。例えば、私が偶々声をかけたイグナルス・アクワーリオが、偶々同じ記憶を持っているとか」
現実と虚構の違いは何だろうか。イグナルスは考えかけたが、すぐに首を振った。自分に答えが出るとは思わない。
奇跡や偶然にかけようとしたラウローリエは、彼女の言う通り確かに「自棄になっていた」のだろう。
「それか、仮にここが現実だとして。自分では抱えきれないほどの秘密を信じるくらいの人間は、ヒロインを庇って死んだイグナルス・アクワーリオくらいだろうなって思ったから、あなたに声をかけたの」
初対面の人間に無条件で信じてもらえたら、それは救われた気になるだろう。イグナルスが優しさに溢れた人間なら、そうしたのかもしれない。でも、実際は違う。恐らく彼女の読んだというマンガのイグナルスも、優しさではなく自分のために動いただけだ。
「期待に添えなくてごめんね」
信じたわけではないのにあっさりと受け入れたイグナルスにさぞ戸惑ったことだろう。イグナルスが謝罪をすると、ラウローリエが首を振った。
「いいの。その代わりに、生きる目標ができたから」
そう言って微笑むラウローリエを見て、イグナルスは黙って彼女を見つめた。生きる目標、自分を助けることが? そんな。自分を助ける、だなんて。それに意味はあるのか。
そう考えたイグナルスは、即座に自分の考えを捨て去った。自分が人の考えを否定なんてしてはいけない。
黙り込んだイグナルスを不思議そうに見ているラウローリエをみて、イグナルスは口を開いた。
「頭がおかしい人って噂になる可能性もあっただろう?」
ラウローリエが先ほど言っていたのは、運が良かった場合だろう。大抵の場合、人は期待通りの行動をしない。ラウローリエの期待とは裏腹なことをイグナルスがしたように。
ラウローリエはふわりと微笑んだ。
「それはそれで良かった。もしかしたら同じ境遇の人を見つけられるかもしれなかったし、あるいは頭がおかしいとはっきり言われていれば、この記憶は私の妄想だったかもって否定できるもの」
ラウローリエがあっさりと口にした内容にイグナルスは唖然とした。彼女の方がよっぽど変だ。ラウローリエは多少の混乱はあったのだろうが、ここまで色々考えているほどには冷静だった。正気じゃなかった、とラウローリエは先ほど言ったがそれにしては思考は回っている。
これほど冷静にもなれるはずの人間が初対面の人間に死を宣告した。その事実にイグナルスは慄いた。
「……君は大変だったんだね」
イグナルスの口からこぼれ落ちたのは、あまりにも普通な慰めだった。しかし、それしか言葉が見つからなかった。
「そうね。大変なこともあったのは事実よ。それでも、私は不幸ではない。今も、昔も」
そう言ったラウローリエは口元に笑みを浮かべた。その笑みを見ながら、イグナルスは自身の言葉を反芻する。
慰めたかったのに、まるで自分よりも下に見ているような言葉だ。言葉選びを間違えた気がして、イグナルスは自分の髪を軽くかき混ぜた。
「ごめん。違う、憐れんだわけではないんだ」
イグナルスの言葉にきょとんとしたラウローリエだったが、すぐに目を細めて笑った。
「分かっているわ。大丈夫よ」
そう答えたラウローリエは本当に気にしている様子はない。それでも、彼女を傷つけたかもしれない、とイグナルスは下を向いた。