19、かっさらえ
イグナルスは一晩ずっと考えていたが、やはり答えはでない。
そこで1つ思い当たる。イグナルスが選んで良いとグラキエスは言ったが、そもそもイグナルスの意思だけで決めて良い話なのだろうか。
ラウローリエはどう思っているのか。ジェーミオス公爵家はどう思っているのか。それを何も確認していない。
そもそも状況があまり把握できていない。婚約の話は噂になっているとアデルバートに教えてもらったわけだし、先ほどグラキエスが否定することもなかった。つまり貴族の中で噂になっているというのは事実。
それが真実かは分からない。それでも噂になっているということは、真実に近しいものか、あるいはその噂をあえて誰かが流しているか。
何も分からないけれど、速く動くに越したことはない。
探られるのは不快だろうから、彼女に聞くのは申し訳ない。それでも、時間があるのかどうかすら分からない状況で、形振構っていられない。
イグナルスは机の方へと向かい、紙を取り出した。自分からラウローリエに手紙を書くのは初めてだということに気がつきながら、羽ペンを真っ白な紙へと滑らせる。
できる限り早く会いたい。都合の良い日を教えてほしい。
そんな内容を手紙にしたため、イグナルスは手紙をジェーミオス公爵家に届けるように手配を始めた。
◆
「いきなりごめんね、ラウローリエ」
「いいえ、構わないけど……。何かあった?」
ラウローリエから了承の返事と、日程はすぐに決まり、イグナルスはラウローリエのもとに来ていた。
ラウローリエが、イグナルスの赤い瞳を見て、目を見開いた。
「イグナルス……」
「なに?」
「あなた、何か変わった?」
そう聞かれてもイグナルスは首を傾げることしかできない。
変わった。そうなのだろうか。少し考えてから、イグナルスは口を開いた。
「変わったかは分からない、けど……」
その後の言葉が出てこなくて、イグナルスは黙り込んだ。自分の中で全ての言葉を決めてくれば良かった。上手く、言葉を選べない。
「……」
それでも、ラウローリエは黙ってイグナルスの言葉を待っている。尊重しようとしてくれている。それに勇気づけられ、イグナルスは大きく呼吸をした。
「ラウローリエ」
「うん」
優しげな濃紫の瞳を見て、イグナルスはしっかり声を出した。
「ラウローリエ。僕に攫われてくれない?」
「え……?」
呆然とした彼女を見て、イグナルスは自分の言葉を完全に間違ったことを悟った。
グラキエスの「かっさらえ」という単語が頭に残っていたというのは言い訳にしかならない。呆気にとられている彼女を見て、イグナルスは必死で続ける。
「僕が君に与えられるものは何もない。君に僕はもったいなさ過ぎる。それでも、君と会うのが好きなんだ。これから、その日々がなくなるのが、嫌で……。えっと……」
ごちゃごちゃとした思考で必死に伝えようとするが、きちんと彼女に分かるように言えているのだろうか。
「待って。ごめんね、イグナルス。話を遮って」
「うん」
明らかに混乱を隠すことができていないラウローリエに制止され、イグナルスも大人しく黙った。彼女を混乱させている自覚はあるし、イグナルス自身も何を言っているのか分からなくなってきた。
しばらく頭に手を当てていたラウローリエが、手を放してこちらを見る。その目には真剣な色が宿っていた。
「イグナルス。えっと、違ったら申し訳ないのだけど。もしかして、婚約したいと言ってる?」
「……? うん」
「あ、なるほど。うん」
やっと納得したラウローリエを見て、言っていなかっただろうかと自身の記憶を辿る。
……確かに先走り過ぎて、言っていなかった。自分のしどろもどろさに恥ずかしくて一気に体温が上昇する。
「ごめんなさい、ちゃんと言っていなかった」
「それは構わないわ。それで、どうして急に?」
イグナルスがラウローリエを見ると、彼女はきょとんとした顔をしていた。そんなラウローリエの感情を見逃さないようにじっと見つめながら言う。
「君が、王太子殿下と婚約するかもって、聞いたから」
それを聞いたラウローリエの表情が一気に変わった。そこで、噂は完全な虚構でないことを悟る。しかし、彼女の話題についての認識速度の遅さからはっきりと決定はしていなさそうだ。
それなら。「かっさらう」余地はある。