14、2通の手紙
イグナルスは、ラウローリエやアデルバートとも少しずつ話せるようになってきた。アデルバートが友達と断言してくれたおかげだ。
そんなイグナルスを、ラウローリエが何度も窺っているのに気がついた。
「どうしたの、ラウローリエ」
「ごめんなさい。やっぱりさっきのイグナルスの様子が気になって。何かあった?」
ラウローリエに礼を言った件だろう。その問いの答えを口にできず、イグナルスは黙り込んだ。
アデルバートは婚約の話を「噂」と言っていた。そのような噂を本人に確認するのは良いことなのだろうか。
少なくとも、イグナルスが「アクワーリオ家の本当の子どもではない」のが真実かを直接尋ねられたら困り果てる。自分でも明快な答えを持っていないのだから。
自分のことを不用意に探られるのは嫌だと思う。だからイグナルスは首を振った。
「なんにもないよ」
「そう?」
その後もラウローリエからの心配そうな視線は突き刺さっていたが、イグナルスは気づいていないふりを押し通した。
◆
3人が帰ったあと、ラウローリエは不安を拭いきれていなかった。
「イグナルス、どうしたのかしら」
彼が何かを憂いているように見えた。しかし、ラウローリエが聞いても、何も教えてくれなかった。
「アデル様と2人のときに何かあった……?」
しかし、イグナルスは「アデル」と呼んでいたし、楽しそうに会話しているように見えた。
それに、マグダレーネと2人のとき、いかにアデルバートがかわいくて良い子かというのをたくさん教えてもらったから、アデルバートのことも疑うつもりはない。
「なぜかしら……」
ラウローリエが何かをしただろうか。全く心当たりはない。
考え込んでいると、ドアを叩く音がした。ラウローリエが返事をすると、使用人が入ってくる。
「ラウローリエ様。旦那様がお呼びです」
「分かったわ」
呼ばれるようなことをしただろうか。用件の心当たりのなさに首をかしげながらも、ラウローリエは父のジェーミオス公爵のもとへと向かう。
ラウローリエが部屋に入ると、父は難しい顔をしていた。
「お呼びでしょうか?」
ラウローリエのことを一瞥した父は、悩ましい顔のまま口を開いた。
「ラウローリエ」
「はい」
「お前に2通手紙が来ている」
「……2通、ですか? どなたからか伺っても?」
手紙がそんなに来ることは考えにくい。訝しむラウローリエを見て、父は苦々しい顔をした。
「1つは、王家だ」
「……え?」
ラウローリエは濃い紫の瞳をぱちりと瞬かせた。父の表情も相まって、嫌な予感しかしない。
「まさか、婚約なんてことはありませんよね……?」
「今のところは明言されていない。お会いしたい、程度だな」
ラウローリエは頭を抱えたくなった。『今のところは』という言葉に、含みがある。少なくとも、候補としては名が上がっていそうだ。
「お父様は、私と王太子殿下に婚約してほしいのですか?」
「いや……」
曖昧な顔で彼は首を振った。その真意がわからずにラウローリエが黙っていると、少しして彼は口を開く。
「先王陛下のことを知っているか?」
「……確か、若くして亡くなったのでしたか?」
前世で読んだ漫画の記憶と、この世界のラウローリエとしての記憶。そのどちらからも知っている話だ。
今の王は前の王の弟。先王に子どもがいない状態で亡くなられたため、弟が王となった。それが今の王様。
思い出しながら答えたラウローリエに、父は頷いた。
「そうだ。子どもはいないことに『なっていた』」
「……なんですか? その引っかかる言葉は」
まるで。まるで子どもがいるようではないか。
「隠し子がいる可能性が示唆されている」
「ええ……?」
「それは先王陛下が隠したのか、あるいは現在の国王陛下が命を狙ったせいで隠さざるを得なくなったのか。別の事情があるのか分からない」
「込み入っているのですね……」
面倒な話だ。この家、ジェーミオス家にはそのような事情がないことを切に祈る。
「それでは、お父様としては王家と距離を取りたいのですか?」
「ああ。もしその情報が本当だった場合、王位継承が荒れる」
「なるほど……」
婚約者になれば、そのゴタゴタに巻き込まれる。下手を打てば、ジェーミオス公爵家の打撃になりかねない。
「それでだ。ラウローリエ。イグナルス・アクワーリオ侯爵令息とは仲が良いんだよな?」
「……はい」
なぜ、この流れでこの話に? ラウローリエが眉をひそめると、父は手紙を見せてきた。
「もう1つの手紙。イグナルス・アクワーリオ侯爵令息の兄君、グラキエス・アクワーリオ侯爵令息からだ」
「イグナルスの、お兄様から……?」
イグナルスからではなく。彼の兄から。一体なぜ。ラウローリエの疑問は顔に出ていたのだろうか。父が手紙を渡してきた。
「一度、会いたいそうだ。イグナルス・アクワーリオ侯爵令息には内密で」
「え?」
それもよく分からない。「イグナルスには内密」という条件をつけてくるとは。何のためだろうか。
「アクワーリオ侯爵家。お前の婚約相手には悪くない家だと思うが」
「……」
それはイグナルスかグラキエスとの婚約を仄めかしているのだとすぐに分かった。前世の記憶があるラウローリエにしてみれば、この年で婚約の話をするのは早い気がするが、この世界では普通なのだろう。
「……しかし、分からない。アクワーリオ侯爵家に次男がいるという話は最近まで聞かなかったが」
「イグナルスが秘匿にされていた、と?」
「ああ。いろんな可能性が考えられる。アクワーリオ侯爵と他の女性との子である可能性とかな。ラウローリエ、何か知っていることは?」
父から探るような目を向けられたが、ラウローリエは首を振った。
「存じ上げませんわ。イグナルスは優しくて、人に気を遣っており、とても良い方ということしか知りません」
「そう、か」
考え込む父に、ラウローリエは受け取った手紙を大事に持ち、軽く頭を下げた。
「それではお父様。失礼します。手紙は拝読させていただきます」
「ああ」
◆
部屋に戻ったラウローリエは、王家からの手紙を脇に置いておき、アクワーリオ侯爵家からの手紙を封筒から取り出した。
「まさか……。グラキエス・アクワーリオから」
グラキエス・アクワーリオ。未来のアクワーリオ侯爵。
そしてラウローリエの前世の知識からすると、漫画の「悪役侯爵」であり、漫画外伝の主人公。
「外伝を読んでおくのだったわ……」
本編すら途中までしか読んでいないラウローリエだ。外伝まで見ているはずはなく。グラキエス・アクワーリオが何を考えていて、どのような人かなど、全く知らない。
「しかもイグナルスには内密……? この人は、何がしたいの?」
前世の記憶があるとしても、目の前の人間に向き合うしかない。それは分かっていても「悪役」となっていた人物を相手するとなると、さすがに不安だ。
「どのような用事かしら」