13、友達と感謝
黙り込んだイグナルスに、アデルバートが慌てたように首を振った。
「噂だから。困らせたらごめん」
「……ぼくが、困ってる?」
「そう見えるけれど」
イグナルスは自分の気持ちが分からない。ラウローリエに婚約者ができることに困っているのだろうか。
安堵すればいいのに。これ以上、自分という厄介者とラウローリエが会わなくて良いことに。それなのに。なんで。なんでこんなに喉が塞がれたような感覚がするのだろう。
「イグナルス、大丈夫?」
「……大丈夫」
アデルバートが明らかに心配そうに自分を見ているから、イグナルスはすぐに首を振る。きっと、驚いただけだ。それ以上の感情などない。あってはならない。
「ラウローリエは公爵令嬢だから。王太子殿下の婚約者になるのもおかしくないよね」
そんなに難しい話ではない。むしろ身分的には釣り合っている。
結婚に互いの感情を尊重してくれる親もいる。アクワーリオ侯爵夫妻も多分そうだ。イグナルスよりも年上であるグラキエスがまだ婚約していないことからも伝わってくる。
「イグナルスは……」
「ん?」
「……いや、やっぱりなんでもない」
緩やかに首を振ったアデルバートが何を考えているかは分からない。考え込むように黙ったアデルバートを見て、イグナルスは尋ねる。
「アデル様は? 婚約の話は?」
「僕はないけれど……。なんで『アデル様』なの?」
「え……」
馴れ馴れしかっただろうか。イグナルスは顔を伏せた。
「ごめんなさい、アデルバート様」
「違う、そうじゃない……」
「あ、ユスティティア侯爵令息?」
「なんで遠ざかっていくの……」
アデルバートの口からこぼれる呆れ声に、イグナルスは首をかしげた。
「同じ侯爵令息なんだから。アデルでいいよ」
「……アデル様」
「結局そうなるの? 無理にとは言わないけれど」
アデルバートの声は、少し落胆したようにも聞こえる。
少し考え込んだイグナルスは、アデルバートの言いたいことが分かりぱっと顔をあげた。
「……アデル?」
「うん」
「良いの?」
「うん。だって友達でしょう?」
アデルバートの言葉を、イグナルスはすぐに飲み込めなかった。
友達。そうか。自分はアデルバートと友達なのか。
ふわふわとした感覚が広がりそうになったところで、自分の心を刺すようなどす黒い感覚が広がった。
『忘れては駄目だ。お前が不幸を撒き散らすことを』
そうだ。忘れては駄目だ。自分はアクワーリオ侯爵家に入った厄介者。
それをアデルバートが知れば、友達だと思い続けてくれるのだろうか。
それでも、アデルバートがあまりにも嬉しそうな顔をしたから。今さら『アデル様』に戻すことも憚られる。
ごめんなさい。僕なんかが愛称で呼んでしまって。
心の中の謝罪は聞こえないことだろう。それでも、謝らずにはいられなかった。
「イグナルス?」
「ううん、なんでもない」
黙り込んだイグナルスを、不思議そうにアデルバートが見つめるから、すぐに首を振った。
◆
イグナルスとアデルバートが、最近勉強したことについて話をしていると、ラウローリエとマグダレーネが戻ってきた。
「ただいま、アデル!」
「お帰り、レーネ」
「会話に夢中になっているアデルもかわいかったよー!」
マグダレーネがアデルバートに満面の笑みを向ける。その姿はとても微笑ましくて。イグナルスは口元を緩めた。
アデルバートとマグダレーネに視線を向けていると、ラウローリエがイグナルスだけに聞こえる大きさの声で話しかけてきた。
「イグナルス。アデル様との会話は楽しかった?」
そう問われて考える。自分は楽しかったのだろうか。そう考えて、すぐに気がつく。会話は難しいと感じることも多かったなか、アデルバートと話す時間はそこまで苦ではなかった。むしろ。気がつけば言葉が出てくることもあった。
これを言葉にするとしたら。
「多分、たのし、かった」
「それなら良かったわ」
そう言って微笑んだラウローリエを見ながら、つけ加える。
「ラウローリエと話すのも、楽しい」
「そう? ありがとう」
ラウローリエと話すときは、本当に自然と言葉が出てくることも多い。それはラウローリエが気を遣ってくれていることが大きな要因だろう。
「ラウローリエ。いつもありがとう」
「どうしたの? 急に」
「……言いたくなったから」
先ほど、アデルバートがラウローリエと王太子の婚約の可能性を教えてくれたのを思い出したからこその言葉だ。
ラウローリエと会うのに、次はないかもしれない。だからこそ、感謝を伝えられるときに伝えておかなくては。
イグナルスが劇的に変化をしたわけではない。しかし、ラウローリエと会い、彼女がイグナルスと積極的に会話をしてくれた時間は、イグナルスにとっては夢のような時間だったから。
仮にラウローリエと会うのが今日で最後だとしても。イグナルスはラウローリエと会ったこの時間を忘れない。彼女の言葉をしっかりと覚えておくつもりだ。
イグナルスは感謝の気持ちを込めて、ラウローリエに笑いかけた。