12、婚約の噂
イグナルスは、ラウローリエからの手紙を黙って見つめていた。
そこには、次に遊ぶときはアデルバートとマグダレーネを誘う、と書いてあった。
きっと、ラウローリエはすでに連絡済みなのだろう。手紙を前にして、イグナルスは困り果てる。
その場にイグナルスは必要だろうか。自分がいない方が楽しく遊べそうだ。
しかし、そんなイグナルスの気持ちを見越しているかのように、『絶対に来てね』と手紙に書いてある。
自分なんかが断っていいはずもない。イグナルスは了承の返事を書いた。
◆
マグダレーネとアデルバートは一緒に来たようだ。ラウローリエとイグナルスを見つけたマグダレーネの表情は一気に輝いた。
「こんにちは! お招きありがとう! ラウローリエ!」
「レーネ! アデル様! こんにちは」
先に来ていたイグナルスも立ち上がってお辞儀をした。
「こんにちは」
「イグナルス様、こんにちは!」
「……こんにちは」
元気の良いマグダレーネの声と、恐る恐るといった雰囲気のアデルバートの声に、顔をあげた。
前に会ったときと同じ、眩しいくらいの笑みを浮かべたマグダレーネと、表情があまり動いていないアデルバートが立っていた。
2人とも優れた美貌であり、ラウローリエも含めて美形ばかりだ。やはり自分は場違いな気がして、イグナルスは目を伏せた。
「イグナルス?」
「……なんでもない」
不思議そうに自分を見つめるラウローリエの目から逃れたいが、彼女はじっと見つめ続けていた。それを気づかないふりをしていると、ラウローリエはそれ以上何も言わなかった。
◆
しばらくは4人で話していたが、会話はラウローリエとマグダレーネが多かった。イグナルスやアデルバートは聞き手ばかりしている。
「レーネ。外の花を見に行かない?」
「行く!」
ラウローリエのその言葉は、全く口を開かないイグナルスやアデルバートに気をつかったものであることは明白だった。2人にすることで、会話を促そうとしてくれたのだろう。
イグナルスは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分が上手く人と話せたら、ラウローリエがイグナルスのことを考えなくてすんだのに。
2人が出て行った後、イグナルスは恐る恐る口を開いた。
「ごめんなさい、アデル様」
「何が?」
「レーネ様と、一緒にいたかったでしょう?」
イグナルスがしっかりと話せていれば。今この瞬間もアデルバートは、マグダレーネと一緒にいることができたのに。
ぱちぱちと銀の瞳を何度も瞬かせたアデルバートが、不思議そうな声を出す。
「イグナルス。なんで君が謝るの?」
「え?」
「別に君のせいじゃないでしょう?」
アデルバートに言われて考える。イグナルスのせいではないのだろうか。よく分からない。黙ったイグナルスを見て、アデルバートが困ったような顔をする。
「……そうかな?」
「うん。レーネやラウローリエ様も、女の子だけのお話がしたいだろうし」
そう言ってカップを持ち上げるアデルバートの仕草は上品で洗練されている。さすが侯爵令息。「偽物」の侯爵令息であるイグナルスとは全く違う。
アデルバートが紅茶を口にしたところで、イグナルスは尋ねた。
「でも、アデル様はレーネ様のことが好きでしょう?」
イグナルスの言葉に目を見開いたアデルバートがごほごほとむせた。それを見たイグナルスが慌てるが、彼はそれを手で制す。
「……大丈夫」
「ごめん、変なこと言った?」
少し顔を赤らめていたアデルバートは、しばらくしてイグナルスに探るような目を向ける。
「そんなに分かりやすい?」
「うん」
「そっか……」
両手で顔を覆ったアデルバートは、マグダレーネの言うようにかわいらしい。しかし、それをイグナルスが言うのは、マグダレーネが言うのと違う気がして。イグナルスは黙ったままだった。
アデルバートが、自分の唇に人差し指を当てた。
「ないしょで、お願い」
「う……、はい」
イグナルスは、目の前のアデルバート・ユスティティアの仕草に、言葉を失いかけた。顔だけじゃない。動作もかわいい。
「レーネ様は知らないの?」
「……多分」
苦笑したアデルバートが頷く。
ぽわぽわとした空気を持つマグダレーネを思い出す。アデルバートのことをかわいいとは言っているものの、それ以上の感情を持っているかは分からない。
「イグナルスは?」
「僕?」
「うん。婚約者とか、いないの?」
言われてすぐに首を振る。イグナルスに婚約者など、いるはずもない。そんな話が持ち上がれば、イグナルスは断れるものなら、断りたい。しかし、両親から話があれば断れないのも事実。
それでも、アクワーリオ侯爵夫妻の喧嘩の元となった厄病神であり、偽物の侯爵令息であるイグナルスに、誰かと結婚する権利はあるのだろうか。そんな偽りに満ちたこと、しても良いのか。
「イグナルス?」
「あ、婚約者はいない」
「そうなんだ」
イグナルスの返事に、しばらく考え込んでいたアデルバートが、口を開いた。
「そういえば、ラウローリエ様のことだけど」
「ん?」
急にラウローリエの話。イグナルスが首を傾げると、彼は少し視線を彷徨わせた後に言った。
「王太子殿下との婚約の話があるって噂を聞いた」
「え……?」
その言葉で、はっきりと気づかされた。こうやってラウローリエと会うのも、永遠じゃない。