11、出自
静まり返ったとある夜。グラキエスは父――アクワーリオ侯爵の元を訪れていた。
「どうした? グラキエス」
自分と似た色の青髪。焦げ茶色の瞳の父を見ながら、グラキエスは口を開いた。
「父上。イグナルスに言わないのか? あいつの出自」
イグナルス・アクワーリオは、アクワーリオ侯爵の子どもではない。それをグラキエスは知っている。その事実をイグナルス自身に伝えた方がいいのではないか。そう思って提案したが、父は首を振った。
「あの子は、きっと覚えていない。驚かせてしまうだろう?」
父のその言葉で、グラキエスは顔をしかめた。忙しい父が、ちゃんとイグナルスのことを見えているかは怪しい。
「本気でそう思ってんのか?」
「何が言いたい?」
本当に心当たりのなさそうな父を見ていると、自分の勘違いじゃないかという気持ちも湧いてくる。それでも、グラキエスは言った。
「イグナルス、昔のことを覚えているんじゃねえのか?」
「なんでそう思うんだ?」
グラキエスは、真っ赤な瞳を頑なに自分に向けようとしないイグナルスのことを考える。どこか怯えていて、苦しそうで。
「覚えているからこそ、あいつは俺らに遠慮している。違うか?」
「あの子の元々、控えめな性格ではないのか?」
イグナルスが控えめであることは否定できない。それでも、グラキエスはこみ上げてくる強い感情を堪えることができなかった。
「そうやって、放っておいたら! 手遅れに……。え? 俺は今、なにを……」
グラキエスは、何度も瞬きをした。
今、何を口走った? 手遅れ? 一体何が? 自分でも、分からない。
黙り込んだグラキエスを、父が不思議そうに見つめる。
「グラキエス。どうした?」
何か、大切なことを忘れているような気がする。グラキエスは自身の髪をぐしゃりとかき混ぜた。もう少しで掴めそうだった何かの感覚はするりと逃げ出してしまった。
「いや、何でもねえ」
何かを逃したという不吉な感覚に舌打ちしたくなりながらも、父の前でそんなことをするわけにはいかない。
大きく息を吐いたあとに、父へと訴えかける。
「とにかく、俺は言うべきだと思う」
「お前がそこまで言うのは珍しいな」
グラキエス自身も、なぜこんな気持ちになるのか分からない。それでも、妙な焦燥感と苦しさが心の中で暴れ回る。
「あー。イグナルスの気持ちは分からねえ。分からねえけど。あいつは。助けを求めたがっているような気がする」
ただ、怖がっているだけではないように感じる。彼の真っ赤な瞳から、助けてほしいというような悲鳴が聞こえるような気がして。
グラキエスの勘違いなら構わない。それでも、勘違いではなかった場合。
ぐっと右手を握りしめた後、グラキエスは父へと言い募る。
「父上。言わねえか? イグナルスが本当は先王陛下の隠し子だということを」
そのグラキエスの言葉に、しばらく父は黙り込んだあと、緩やかに首を振った。
「まだ、早くないか?」
「あいつがいくつだと思ってんだよ。もう8歳だろう?」
グラキエスが8歳のとき、何でも知りたい年頃だった。隠されることは気に食わず、教えてとねだった。8歳より前からそんな感じだった。
だからこそ、イグナルスに隠し続けることが良いと思えない。
「イグナルスは繊細な子だろう? だから……」
躊躇いを隠さない父に、グラキエスはため息をついた。
「父上の決定には逆らわねえ。けど、考えておいてほしい」
◆
グラキエスにとって、イグナルスはかわいいかわいい弟だ。血のつながりだの何だのはどうでも良いくらいには。
元々、グラキエスは弟がほしかった。だから、両親から弟ができると言われたときは嬉しかった。
イグナルスが家に来たのは、4年前。真っ赤な瞳にきらきらと輝く金の髪の少年だった。父に手を引かれてきたイグナルスを見た瞬間、グラキエスは決意した。
この子を守るんだ。
怯えた目をしたイグナルスと親しくなりたかった。
しかし。グラキエスがそんな決意をしたところで、イグナルスには響かなかった。彼はずっと怯えていて、自分から目を合わせることも少なく。口を開くことは少ないし、出てくる言葉は敬語で遠慮がち。
いつまで経っても余所余所しさはなくならず、次第にグラキエスはイグナルスは話しかけられるのが迷惑なのでは、と少しずつ距離をとるようになった。
イグナルスに心を開いてほしいけれど、手段がない。そんな日々を送っていると、グラキエスは母から思わぬ情報を手にすることとなった。
「イグナルスにお友達ができたみたいよ」
「え? あいつに友達?」
母の発言を、グラキエスはすぐには信じられなかった。母はグラキエスを見て苦笑する。
「グラキエス。家の中でも、もう少し上品な言葉を使いなさい」
「そんなことを気にしている場合かよ。誰だ?」
全く改善をする気のないグラキエスにため息をついた母だが、イグナルスの友達のことは教えてくれた。
「ラウローリエ・ジェーミオス嬢よ」
「ラウローリエ・ジェーミオス……」
「グラキエス、呼び捨てしない」
「ジェーミオス公爵令嬢だな?」
まだ厳しい目で見てくる母の視線から逃れるように、グラキエスは部屋を逃げ出した。
「グラキエス!」
「……別に良いだろう」
グラキエスの口調より重要なことがある。その子が本当にイグナルスと仲良くなったのかは分からないのだから。
グラキエスはイグナルスの部屋へと駆け出した。
◆
「やっぱ駄目か」
イグナルスはやはりまともに会話をしてくれなかった。自分が何を言っても響いてはいなかった。申し訳なさそうで、苦しそうだ。
「でも……」
それでも、ラウローリエの話をするときは少し違った。赤の瞳はキラキラとしており、表情もあまり暗くなかった。
「その嬢ちゃん、何をしたんだか」
どうすればイグナルスと仲良くなれるのか。聞いてみたい思いと、兄としての意地で教えを乞いたくないという思いがぶつかる。
「どうすっかなー」