1、あなたは10年後に死にますよ
「あなたはイグナルス・アクワーリオ侯爵令息ですよね?」
「……そうですが」
イグナルスに向かって唐突に声をかけてきたのは、美しいピンクブラウンの髪をもつ可愛らしい女の子であった。彼女はイグナルスの目を真っ直ぐ見つめながら、キッパリと言った。
「あなた、10年後に死にますよ」
「……はあ?」
ここは現在8歳の貴族の子どもとの交流を目的として開催されていたお茶会だ。その会場の端っこでイグナルスは静かにしていたのだが、いきなり少女が目の前に来て、いきなり変なことを言い出した。
「あなたは、10年後に死ぬんです」
2回言わなくてもきこえている。内容が衝撃的すぎて思わず変な声が出ただけだ。イグナルスは目の前の少女を見つめた。
「あなたのお名前は?」
「ラウローリエ・ジェーミオスと申します」
「それで、あなたは僕に何を求めているのですか?」
イグナルスがラウローリエに尋ねると、彼女は不思議そうな顔をした。
「そこは『なんて馬鹿げたことを言うんだ』って激高するところじゃないのですか?」
「激高してほしくって言ったのですか?」
「そういうわけじゃないですが……」
彼女は目を伏せた。それを見ながら、イグナルスは口を開く。
「あなたが何を知っているかは知りません。それでも、僕の気を引きたいなんてことはないと思うので」
「……なんで分かるのですか? もしかしたら、気を引きたいだけかもしれませんよ」
ちらりと目線をイグナルスに向けてきたラウローリエは、不思議そうだ。それでもイグナルスは首を振った。
「だって、僕なんかの気を引いたところで、何の意味もないですから」
ラウローリエは納得いかなさそうな顔をしているが、イグナルスはそんなことをしてくる人はいないと確信をしている。
イグナルス・アクワーリオという人間を必要とする人なんて、いないのだ。
「なんの意味もないって……」
「そんなことより、あなたは僕にどうしてほしくて、死ぬとを伝えたんですか?」
ラウローリエが困った表情をしたため、こういうことはあまり人に言わない方がいいのか、とイグナルスは気づく。話を逸らそうとして先ほどの質問をもう一度すると、ラウローリエは首をかしげた。
「あんまりそこまで考えていませんでしたが……。あなたは将来の夢とかあるのですか?」
じっと紫色の瞳で見つめられるが、イグナルスは首を振った。
「……分かりません。僕は何になれるでしょう」
「何にでもなれますよ」
励ますように言ったラウローリエに、イグナルスは苦笑した。イグナルスをじっと見ながら考え込んだラウローリエだったが、急に顔を輝かせた。
「それではお願いがあります」
「……何でしょう」
「私と友達になってください」
笑顔で手を伸ばしてくるラウローリエを黙って見つめていたイグナルスは、彼女の手に自身の手を重ねた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
どうして死を予告した人間と友達になりたいのかは分からないが、イグナルスは別に彼女と友達になることに何の問題もない。
「あなた、変な人ね」
「なにが?」
友達、ということで急に砕けた口調になったラウローリエにイグナルスもあわせる。ラウローリエは可笑しそうに笑った。
「初対面で変なことを言ってくる人間と友達になるのを了承するなんて」
「あ、変なことを言っている自覚はあったんだ」
「当たり前でしょう。私がそんなことを言われたら正気を疑うわ」
まるで他人事のように平然とそんなことを言い放つラウローリエに、イグナルスは苦笑した。
「自覚をしながら変なことをする方がよっぽど変だよ」
「確かにそうね。ちょっと現実と向き合えなくて自棄になっていたのよ。忘れて」
そう言って笑う彼女は、どこか遠くを見ているようで。イグナルスは何と声をかけていいか分からなかった。励ましの声1つも浮かばない自分に苛立ちを覚えながら口を開いた。
「今は現実と向き合えたの?」
「いいえ。全く向き合えないわ」
はっきりと否定するのはもはや清々しい。イグナルスがなんて返せばいいかを考えていると、ラウローリエはイグナルスの隣の椅子に座った。そして彼女はイグナルスの顔を覗き込んでくる。
「なんて呼べばいい? イグナルス様でいいの?」
「うん。なんて呼んでもいいよ。君は? ラウローリエ嬢でいい?」
「うん」
ラウローリエが嬉しそうに笑う。それを見ながら、イグナルスは先程の彼女の言葉を思い出した。
「10年後に死ぬって言った?」
「……ええ」
「あと10年かー」
「え……?」
イグナルスの言葉に、ラウローリエが驚いた表情をする。イグナルスは首をかしげる。
「なんでそんな積極的に受け入れているの!?」
「人っていつか死ぬだろう? 10年後と言わず明日死ぬかもしれないし」
「そうだけど! 恐怖とかなにかあるでしょう!」
「生きていても怖いことあるし……」
ラウローリエが顔を引つらせる。なにか変なことを言っただろうか、とイグナルスは首をかしげた。
「ねえ、イグナルス様。この世界の人間ってみんなそんな考え方なの?」
「この世界? 主語大きいな……。他の人がどう思っているか、僕は知らない。家族とはそんなに話さないし、友達もいないから」
そう言ったあとで、イグナルスはラウローリエの方を見てぎょっとした。ラウローリエが泣きそうな顔をしていたからだ。
「え、僕なんか変なことを言った?」
「変なことしか言ってないわよ!」
ラウローリエの方が変なことを言ったのに、という言葉は飲み込んだ。
「あなたは、なんでまだ8歳なのにそんな達観してるの?」
「もう8年生きてるからじゃないかな? 君だってなんか妙に俯瞰的に見ているようなこと言うね」
「……俯瞰的。確かにそうかもね」
ラウローリエは、イグナルスの言葉に頷いてから、口を開く。
「私の話をきいてくれる? あなたが10年後に死ぬ、という話をちゃんと説明するから」