アラフォー女子のささやかなお茶会 ~百年前のティーカップ~
「みーさん、ティーカップが好きってこういうレベルの話だったの!?」
私は思わず大きな声を出してしまった。
今日初めてうかがった、みーさんのお宅。
そのリビングには明らかに「ティーカップを大量に収納できるよう特注で作った」巨大な棚があり、そこにはズラリと大量のティーカップが並べられていた。
それぞれに違った個性を持つティーカップたちが「ねえ私を見て!」と言わんばかりに美しく陳列されている。どれもピカピカ光っていて、まるでそれぞれが宝石みたいに輝いて見える。
「そうよ、だってどれも素敵でしょう? だからついつい欲しくなって、気づいたらこんなことに」
笑いながらみーさんはそう言って、今度は別の戸棚を開いた。そこにはたくさんのかわいらしい紅茶缶、おびただしい数の袋入りの茶葉、箱入りのティーバッグなどがぎっしり詰め込まれており、みーさんが戸棚を開くのと同時に一つの紅茶缶がカラーンカンカンと音を立てながら床に落ちた。
「あらやだ、落っこちちゃった」
少し照れたような顔でみーさんは紅茶缶を拾う。
その穏やかな横顔に、私はほんのりと狂気を感じ始めていた。
みーさんと私はひと月前に、駅前の商店街にある「ギャラリー猫田」という風変わりな店の中で出会った。そこは主にハンドメイド作家の作品を販売している店で、私は自分で描いた絵をプリントしたポストカードを置かせてもらっている。
私は猫が宇宙を旅する絵を描き続けている。猫は様々な星で様々な宇宙人に出会う。全身がラーメンの麺みたいな毛で覆われた宇宙人とか、ブヨブヨのゼリーみたいな体の宇宙人とか、全身氷でできている宇宙人とか。
まあ、ほとんど売れてないんだけど。
「こんな感じでいいかな」
並べたポストカードを眺めていたら、ふと隣の作品に目が行った。へえ、ミニチュアのティーカップをアクセサリーにしてるんだ。ティーカップのぶらさがってるイヤリング、かわいいなあ。あ、名刺が置いてある。
名刺を一枚手に取り眺める。水谷未華子さんかあ……。とその時、後ろから声をかけられた。
「こんにちは……。あの、もしかしてYossiさんですか?」
「あ、はい……」
そう、私、吉川ヨシ子はYossiという名前でイラストを販売している。
「初めまして、水谷未華子です」
「あ、こちらのティーカップアクセサリーの、作家さんで……?」
「はい、そうです。今日は私も商品の補充に来たんですよ」
「そうだったんですね。初めてお会いしましたねー」
私たちの会話は弾み、その日のうちに連絡先を交換した。
私にはそれまでハンドメイド作家のお友達がいなかったから、未華子さんと仲良くなれてよかったと思った。
未華子さんは四十二歳。三十八歳の私とは同年代だし、独身ということも共通していた。
ふんわりかかったパーマと真っ白いブラウス、ウィリアムモリスの生地を使用したスカートが素敵だなという印象だった。私はいつもTシャツにジーンズとかなので、未華子さんは品のいい女性だナア、と思った。
その後私たちは互いを「みーさん」「よしちゃん」と呼び合うようになった。
そしてある日、みーさんから私にお誘いが来た。
「今度うちでお茶でもしていって。飲んでほしいお茶があるのよ」
みーさんの家は私の住むアパートから徒歩十分くらいの場所にあった。閑静な住宅街に佇む築五十年の一軒家。そこにみーさんは一人で暮らしていた。
「へーーーーーーー。すごいですねティーカップ」
舐め回すようにカップ棚を眺めていると、背後でみーさんがお茶の用意を始めた。
「お友達が遊びに来てくれるなんて久しぶりよ! ねえ、よしちゃんはどんなお茶が好きかしら。紅茶はストレートが好き? ミルクティーが好き? フレーバーティーのほうが好き? もしそうなら、どんなフレーバーがお好み?」
「ええっと……」
なんだかたくさん質問されてしまったけれど、私は自分がどんな紅茶を好きなのかさえもよくわからない。
「ストレート、かも」
なんとなく今の気分でそう答えてみたら、みーさんは瞳を輝かせて言った。
「そうなのね! よしちゃんはストレートが好きなのね! ええっとそしたらストレート向きの茶葉でも色々あるけど、よしちゃんはダージリンがお好きかしら、それともニルギリ? それとも中国の……」
「あの、みーさん。私紅茶の種類とか言われてもわからなくて……」
苦笑いした私を見て、みーさんはムンクの叫びみたいな顔になった。
「ごめんなさーい! こんなオタクみたいなことを早口で言われてもわけわかんないわよねえっ!」
「あ、いや。全然気にしないでくださ……。そうだ、私、サンドイッチ買ってきたんですよ」
私は急に思い出して、持っていた紙袋をみーさんに手渡す。
「サンドイッチを買ってきてくれたの!? あらおいしそう」
みーさんは袋を開けて中身を確認し始めた。
「駅前のパン屋さんのやつですよ。ちょうどお昼時だしと思って」
「そうだったのね、ありがとう。サンドイッチ。そうしたらサンドイッチの風味を邪魔しないような、それでいてサンドイッチにマッチするお茶を……」
みーさんはブツブツいいながら紅茶のパッケージを漁り始めた。
「お待たせしました」
「わーありがとうございます!」
目の前には私が買ってきたサンドイッチとみーさんの手作りスコーン、そしてみーさんがカップボードの中からセレクトした素敵なティーカップが置かれている。
「ふちどりが金色で、お花も描かれていて綺麗ですね……。というかなんか」
私は目の前のティーカップを凝視する。
なんだろうこれ、私が普段使っている食器とは、全然違う。
一目見ただけで、それが価値ある品だとわかる。
「このティーカップ、どうしてこんなにオーラがあるんですかね」
ふとそう尋ねると、みーさんは言った。
「よしちゃん、そのカップは約百年前に製造されたティーカップなのよ」
「ひゃ、百年前!?」
百年くらい前って言ったら、大正時代とか第一次世界大戦とかそのあたり?
「れ、歴史……」
百年前に作られたティーカップが、よくこんなに良い状態で保存されていたなあ。歴史の重みを感じる……。
「そのティーカップはね、英国の名窯コールポートの、バットウィングと呼ばれているカップなのよ。カップやお皿のコバルトブルーの彩色が施された部分が、まるでコウモリの翼みたいな形に見えるでしょう」
「い、言われてみれば」
そのカップは陶磁器にしては柔らかい質感をしていて、カップとソーサーの少し波打ったフチに施された金彩が華やかで、かわいらしさと豪華な印象を兼ね備えていた。みーさんが言ったようにコウモリの翼みたいなコバルトブルーの彩色が三つ等間隔に並び、その間に小さな花の絵が手書きで施されている。
「す、すごいカップ……」
「私の推しカップよ」
にっこりと、みーさんが微笑む。
ティーカップが好き、っていうことに対する印象がガラリと変わってしまった。
こうして実際にアンティークのティーカップを見るまでは正直、なんでみーさんはそんなにティーカップにこだわっているのか、わからなかった。かわいいと言えばかわいいけれど、所詮お茶を飲むための道具ではないか。数客あれば充分だと思っていた。
でもこれは違う。ただの道具じゃない。
だって今、こんなに私、気持ちが高まっているもの!
「さあ、さっそくお茶にしましょ!」
みーさんはバットウィングに紅茶を注ぐ。
「これはキームンという中国の紅茶よ」
「あざます」
バットウィングに紅茶が注がれると、カップの中に施された金彩がキラキラ揺らめきながら輝いた。
「あっ」
今この瞬間から、私のこれ以降の人生に、楽しさの種類が一個増えた気がする。
「よしちゃん、今度一緒に英国展に行きましょうよ」
サンドイッチをバクバク食べながらググッとお茶を飲み干すみーさんに、私は答える。
「はい、行ってみたいです」
「いいよいいよー。英国展はいいよー」
「はい」
ティーカップにそっと唇を近づけ、紅茶をすする。
「えっ、なにこれ……」
思わずカップの中を覗き込む。
「お、おいしい……」
「このキームンいいわよねぇ」
ニコニコしながらみーさんはスコーンに山盛りのクロテッドクリームを塗りたくる。
私は確実に、何かの沼に足を取られ始めていた。
「みーさん今日はありがとうございました。おいしい紅茶をたくさんも飲ませていただいて」
「いえむしろごめんなさいね。ついつい、紅茶がおいしいことを知ってほしいあまりに。ご迷惑じゃなかった?」
みーさんが困り顔で笑う。
「迷惑なわけないですよ! というか新しい世界が目の前に広がった感じがして、わくわくしてます」
自分の身近にある紅茶の文化が、こんなに面白そうなものだったなんて。
楽しいことはこの世界にたくさん転がっているのだ。
そういえば、そのなにか楽しいことに手を伸ばしたくて、ギャラリー猫田で自作のポストカードを売ってみることにしたのだった。
結果的には自分が全く予想しなかった方向からの全く予想もつかない形のわくわくを、私は手に入れたみたいだ。
「よかった。じゃあまだまだ見てほしいカップも飲んでほしいお茶もあるから、ぜひまた来てね」
「はい、またきますね」
帰り道、夕日に赤く染まる見慣れた町のいつもの道を、私はボーっとしながら歩く。
私の頭の中で猫がまた宇宙船に乗り、別の星に降り立った。そこはティーポット型の宇宙人が住む星だった。猫がティーカップを手に持って挨拶すると、ティーポット星人はおいしいお茶を、口からカップの中に注いでくれるのだった。
「うみゃい」
頭の中の猫が、にんまり笑ってそう言った。
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