表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

派閥争いに疲れた私は屋上で王子に出会う。しかしその先で婚約破棄が待ち受けていた。

作者: みき

 煌びやかなシャンデリアが照らす豪華なパーティー会場に、タキシードやドレスコードに身を包んだ貴族子女達が彩を添える。

 食事やワイングラスを手に、楽器たちの奏でる心地よい音色に酔いしれ、婚約者や想いを寄せる異性の声に聞き惚れる。


「エミリア・オルウェイズ! 君との婚約を破棄する!」

 

 しかし、会場を覆っていた和やかな空気に亀裂が入り、その亀裂は一瞬で会場全体へと波及した。

 演奏していた者は、その手を止め、会話をしていた者は、その口を閉じた。

 そして、会場中の視線が、声のした方へと注がれた。




◇◇◇




「はぁ……今日も酷い争いだったわ……」


 午前の授業が終わり、今はお昼休み。

 皆、使用人を連れて、校内にあるレストランや、教室で豪華なフルコースを、和やかに頂いています。

 一見したら、本当に仲の良いご関係に見えるのですが、実の所は違います。

 この学園には、"派閥"と呼ばれるものが存在しています。

 大人数が所属するものから、少人数のものまで……数えればキリがありません。

 中には、その存在自体が知られていないものまであります。

 

「はぁ……」


 私ーーエミリア・オルウェイズも、この派閥に属しています。

 私が所属する派閥は、私の婚約者である"ラムダ・タールズ"を頂点とする"筆頭公爵家派閥"です。

 今所属する派閥が、将来家督をお継ぎになった時の出世に繋がるとあって、それはそれは熾烈な争いが繰り広げられています。

 貴族である以上、仕方のないことと割り切ってはいるのですが……


「もう少し一人で過ごせる時間が欲しいですわ……」


 私は、ため息をつきながら、誰も寄りつく事のない学園屋上へ向かい、扉を開いた。


「なんだ。今日も来たのか、お前。クラスに友達いねえの?」


 梅雨独特の湿った風が、頬を撫で、髪を揺らした。

 

「あなたこそ、こんな所で一人で過ごしてるなんて人の事が言えないのではなくて?」


 乱れた髪を耳へかける。


「ははは!違いない。お互い様って事だな」


 そして、挨拶もなく突然、失礼な事を聞いてくる男の笑顔に、


「……」


 何も言い返せず、ただ魅了された。


 この男との出会いは二ヶ月前に遡る……


「エミリア様!私と一緒にご飯を食べましょう!」

「何を言っているの!エミリア様は私と一緒にご飯を食べるのです!」

「あなたこそ!横から出てきたくせに!」


 入学早々、学園でも第一王子派閥に次ぐ、大きな勢力となった筆頭公爵家派閥は、日に日に人が増えていた。

 それは男女問わず。

 特に派閥の中心人物へと祭り上げられた私とラムダ様の元には、連日のように人が押し寄せた。

 授業が終わると人に囲まれ、お昼になると人に囲まれ……

 派閥内での立場を確固たるものにしたいのもわかるのだけど、そんな日々に疲れ切ってしまった。

 人がいない場所を求めて彷徨い、たどり着いた場所が屋上だった。


「ん? 俺以外に屋上に来る奴がいるなんて珍しいな」


 彼は今と変わらず、おでこにアイマスクをつけたまま、分厚い本を読んでいた。


「クラスで居場所がなくて、ここに逃げてきたのか?」


 彼は、本に栞を挟みながら、私に聞いてきた。

 そのタイミングで、空を覆っていた雲が消え始め、お日様の光が彼だけを照らした。

 神々しい光に輝く銀色の髪、スタイルの良い身体。そして何よりもその造形美の顔。

 見た目が重要視される貴族社会では、皆、顔が整ったものが多い。

 それに侯爵令嬢である私は、パーティーに出席する事が多いので、そう言った顔に見慣れているはずなのに……目が離せない。


「ん?」


 彼の顔を凝視していたら、私の方へ向き直った彼と目があった。


"何かついているのか?"


 とでも言いたげな顔の彼は首を傾げる。

 しかし、すぐに得心がいったのか。


「さては、俺に見惚れていたな?」

 

 悪戯な笑みを浮かべた。

 核心をつかれた恥ずかしさから、体が熱くなっていくのを感じたけど、そこは私も貴族令嬢。

 相手に感情を悟られないように振る舞うくらいは……

 

「そ、そそ、そんな訳……ない」

「いや、動揺し過ぎでしょ」

 

 彼は笑いを堪えようとお腹を抑えていたが、


「ぷっ! あははは!!」


 堪えきれずに吹き出した。


「もう!失礼な人ね!そんなに笑う事ないじゃない!」

「だって、何回『そ』を連呼……あははは!」

「もう!!」


 私は怒りのあまり、家族の前以外では、絶対に見せた事のない"頬風船"を、彼に向けてしてしまった。


「その歳で頬を膨らませるって何歳児だよ! あははは!」


 それが彼との出会いだった。


 それから押し寄せる人を避け、一人静かに過ごすために屋上へ行くと、


「お!今日も来たか、頬膨らませ令嬢」


 必ず彼がいた。

 屋上へは、一学年の教室が近いというのに。


「変な呼び名をつけないで!」


 変わった知り合いが出来た。

 初めは、変な呼び名をつけられたり、屋上のドアを開けた瞬間、すぐそこに彼がいて脅かされたり……

 子供と変わらない彼に腹を立てた。

 だけど、接する内に悪い人では無いという事がわかり、そこからは普通に話すようになった。

 他人と話すのが苦手な私なのに、彼とは自然となんでも話せた。

 他の貴族の方々とは違い、常に自然体の彼だからなのかもしれない。

 それに会話が続かないと、いつもなら気を遣ってなんとか話を続けようとするのだけど、彼と過ごす静かな時間は心地よく、ついつい眠ってしまう。


「ふふっ。今日はどんなお話が聞けるのかしら」


 いつの間にか彼と話す時間が何よりも楽しくなっていた。

 派閥争いは、正直辛いのだけど、それ以外は家族仲も良く、使用人たちもみんな優しくて幸せな日々を送っていました。

 が、しかしーー


「いけない。課題を置いてきちゃったわ」


 その日は、いつもより学校が早く終わった事もあり、家に帰ってから本の続きを読む事で頭の中はいっぱいでした。

 そのため、授業で出された課題を教室に忘れてしまい、慌てて教室へ駆けました。


「はぁはぁ……なんで一年生の教室が三階にあるのかしら」


 肩で息をしながら、教室に向かって一直線に伸びた廊下を進む。

 するとーー


「……誰かいるのかしら?」


 教室の方から誰かの声が聞こえた。

 

 もしかしたら、私の取り巻きを名乗るクラスメイト達が残っているのかもしれないと思い、そっと入り口近くまで移動した。

 それからドアを少しだけ開き、中の様子を伺う。


「……ラムダ様? と、あの方は……」


 教室にいたのは、私の婚約者であるラムダ様と、パーティーで何度か見かけた、確か、アルナ公爵家ご令嬢のルミナ様、が二人で何やら話していた。


「ねえ、いつになったらあの女と別れるの」

「俺が愛しているのはお前だけだよ」


 ルミナ様はラムダ様に寄りかかる。すると、ラムダ様は嫌がる様子を全く見せず、ルミナ様を後ろから抱きしめた。


「もう、いつもそればっかり……でも、好き」

「俺もだ」


 そのまま二人は、顔を近づけーー


「なぜ二人が……?」


 最後まで見ている事ができず、気がついたら教室から離れていた。


「っ! エミリア様! 何かあったのですか?!」


 馬車へ戻ると、侍女のアンに心配された。


「え……うん。大丈夫よ」


 自分がどんな顔色をしていたのかわからない。

 だけど、要らぬ心配をかけてしまうと、公務で忙しいお父様とお母様に迷惑をかけてしまうと思い、無理にでも笑った。


「そ、そうですか……」


 訝しげなアンの様子から、上手く誤魔化せた訳ではなさそうだった。

 でも、とりあえずは納得してくれたようで、私が馬車に乗り込むと、業者席に座り、馬車を走らせた。

 揺れる馬車の中、赤く染まった街並みを眺める。

 街の人々は、一日の労働が終わり、帰路へと着く者、同僚と飲みにいく者など様々だった。


「……どうして」


 しかし、それら町民が織りなす営みは、私の瞳に映っていない。


「愛してるって……言ってくれるのは私だけじゃなかったの……」


 私は、何故か重苦しい胸を抑え、馬車の天井を見つめた。

 その後、家に戻っても胸は苦しいままでーー


「今日のエミリア変じゃないか? 何かあったのか?」

「わからないわ。聞いても上の空で……」


 両親の心配の声も今の私には届かず、その日は夕食を残し、部屋に戻った。

 部屋に戻ると課題に手を伸ばして……夕方のことを思い出し、ベッドに身を投げた。

 マットレスが私の体を優しく受け止め、ちょうど良い沈み加減で止まる。


「……」


 目を閉じると、思い出されるのはラムダ様との日々。

 筆頭公爵家の次期当主という身分にも関わらず、どんな相手にも優しく、身分差など気にしない紳士そのもの。

 いつも必ずお出かけの最後には、


「誰よりも愛してるよ、エミリア」


 頬が触れそうな距離で言ってくれた。

 情熱的な声で、優しげな微笑みで……


「ラムダ様……」


 止まったはずの涙が流れ始めた。

 とめどなく流れ、枕元にちょっとした水溜りができた。


………

……



「っ……ん」


 カーテンの隙間から差し込む朝日に目を覚ました。

 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。


(学校へ行く支度をしなくちゃ……)


 と思うのだが、意思に反して体が動かない。

 手足に力が入らず、頭もろくに働かず、胸も重い……学校休もうかな……

 そう思ったとき、


「クラスに友達いねえのか?」


 彼の笑顔が浮かんだ。

 何故かはわからない。

 だけど、その顔が浮かんだら、学校へ行くのが辛いはずなのに、ベッドから立ち上がり、身支度を済ませ、馬車へ乗り込んでいた。


「はぁはぁ……」


 息がたえだえながらも階段を駆け上がった。

 その姿は、侯爵令嬢としてあるまじきものだったのかもしれない。

 すれ違う人々が目を丸くしていた。

 しかし、今の私には、そんなことどうでも良かった。

 

「はーっ、はー」


 勢いよく扉を開け放ち、屋上へと躍り出た。


「……いない」


 しかし、そこに彼の姿はなかった。

 私が屋上に姿を現すと向けられる笑顔はなかった。

 

「はぁ……」


 肩を大きく落とし、ため息をつく。

 よくよく考えてみれば、今はホームルーム中だった。

 いなくて当然で、当たり前……

 

「なんだ。辛気臭い奴が来たと思ったらお前か」


 その声は頭上から聞こえた。

 ぶっきらぼうだけど聞きづらくない心地よい低音ボイス……彼だ!

 私は振り返り、見上げた。


「勢いよく振り返りすぎだろ。なんだ?幽霊だとでも思ったか?」


 私に向かって彼は、いつものように悪戯な笑みを浮かべる。

 

「っ!」


 その笑顔を見たら、居ても立っても居られず、入り口横にある梯子を登って、彼の元へ移動した。


「聞いて下さい!」


 彼の近くまで行き、両膝を折り、顔を近づけた。

 

「お、おお。どした」


 その勢いに押され、いつもなら軽口を叩いてから眠りにつく彼だが、この時ばかりは私の話に耳を傾けてくれた。


「実はーー」


 私は昨日あったことを全て話した。

 彼は揶揄ったりせずに最後まで聞いてくれた。


「なんとも言えないな。婚約者が別の異性を愛してしまう事は貴族社会ではよくある事だが、婚約者に愛してると言って、別の女性にも愛してると言う……」


 彼は腕を組むと、難しい顔となった。


「両方を愛しているのか。或いはーー」


 それ以上は続けず、言葉を噤んだ。

 おそらくそれ以上は言わなくてもわかっているだろうという事で言わなかったのだと思う。


「私はどうしたら良いのですか……ラムダ様」


 ラムダ様の名前を伏せて話していたのに、心の動揺からつい名前を口にしてしまった。


「ラムダ……」


 ラムダ様の名を耳にした途端、彼は険しい顔となった。


「あ……ごめんなさい!今の名前は聞かなかった事に」

「ん……ああ、誰にも言わない」


 慌てる私に彼は頷き、


「……じゃあな」


 立ち上がり、梯子に手をかける。


「え! もう行っちゃうの!」

「悪いな。サボり過ぎて数学の授業に出ないと単位がやばいんだ」


 彼は苦笑いを浮かべ、北の空を指さした。


「その代わり良いこと教えてやるよ。空を眺めてろ。良い発見があるぞ」


 それだけ言うと彼は梯子を降りて、屋上から出ていった。


「……空」


 私は彼のようにその場へと寝転がり、空を眺めた。

 侯爵令嬢として"はしたない"という嫌悪感に苛まれたが、横になってみると心の声は消え去り、目の前には鮮やかな青い世界が広がっていた。

 どこまでも広くて、上空を飛ぶ鳥たちが小さな点となって微かに見えた。


「あの鳥たちからしたら、私なんてちっぽけなんだろうな……」


 そう思ったら、いま悩んでいることさえもなんだか小さい事に思えて、悩みが解決したわけではないけど、少しだけ心が軽くなった気がした。

 その日初めて、1時間目を欠席した。


「わ、私はなんて事を……これが世に言う『不良』というものなのね。すごいわ。とてもじゃないけど先生方に申し訳なくて心が痛むわ」


 一日中、空を眺めていたかったのだけど、一時間目の終わりを告げる鐘が鳴り響いた事で、一気に現実へと呼び戻された。


「……戻りましょう」


 屋上に居続けたいという思いと、授業に出ないとという思いが衝突した。

 話し合いの結果、戻る事となった。

 私は、重い腰を上げ、梯子に手をかけた。


「……うん!大丈夫よ!私の悩みなんてちっぽけなんだから!」


 もう一度空を眺めてから、屋上を後にした。


 その後、教室の前へ行き、扉を開けようとして躊躇い、開けようとして、躊躇いを一時間ほど繰り返し、なんとか三時間目から授業を受けた。

 授業中ーー


"どうしたの?何かあった?"


 と、紙に書かれたメッセージをラムダ様から受け取ったけど、その顔をまともに見る事はできず、


"ちょっと体調が悪かったのですが、医務室で休んだら良くなりましたので心配ありません"


 と、書いたメッセージをラムダ様に渡してもらい、授業に没頭した。

 そして、ラムダ様の顔を見てあの日のことを思い出してしまった時は、空を見るようにした。

 そうすると不思議と気持ちが軽くなった。

 でも、ラムダ様の顔を見てしまうと再び落ち込み、また空を見る。

 そんな事を繰り返し、なんとかお昼休みを迎えた。 私はラムダ様に話しかけられる前に、さっさと屋上へ向かった。


「よく頑張りました!私は、かの勇者にも引けを取らない勇気ある者です!」


 私を心配してくれるラムダ様にそっけない態度をとってしまった事にもやもやしたものを感じた。

 だけど、私にも余裕がなかった。

 そんな状況にも関わらず自分はよくやったと褒め称えた。

 心の中で言葉にしても悶々と悩んでしまいそうだったので、主に声に出しながら、階段を登った。


「先程はありがとうございました!」


 屋上のドアを勢いよく開け、居るはずの彼へと頭を下げた。のだがーー


「あら?」


 いつもなら本を読んでいる彼が居なかった。

 もしかしたら朝居たところにいるかもしれないと、梯子を登ってみたけど、


「居ない」


 彼は居なかった。

 私は仕方なくランチボックスを手に、梯子を降り、ベンチに腰掛けた。


「明日はきっと会えるよね」


 空を見上げてから、アンが作ってくれたサンドイッチを口へ運んだ。

 しかし、その日から彼が屋上に現れる事はなく、私は一人、屋上のベンチに腰掛けてお昼を食べる日々が続いた。


 あれから、ラムダ様と会うとあの日のことを思い出してしまって、心がざわついたりもして、いっそのこと真相を確かめようと思って、


「ラムダ様、あの……」

「何だい?」

「……今日は天気がいいですね!」


 と、結局言い出せず、情けない自分を責めた。

 その度に、


「友達いねえのか?」


 悪戯な笑みを浮かべる彼の顔が浮かんだ。

 

 (何か気に入らないことをしてしまったのだろうか、傷つけてしまったのだろうか……)


 と悩み、謝ろうと思っても、彼が屋上に現れる事はなかった。


「彼がどんな人なのか、私って全く知らなかったのね……」


 思えば、名前も知らない相手とあそこまでよく仲良くなれたものだ。

 と、人見知りの自分にはあり得ない事に驚きつつ、縁がなかったのだろうと諦める事にした。


「あんなに欲していた一人の時間ができたんだから堪能しなくちゃ損だわ!」


 読みかけの本を手に取り、文字の世界へ溺れ……


「られるわけないじゃない……」


 そこからは彼のことはあまり考えないようにして、日々を過ごした。

 しかし、生徒数二千人を誇るミルリス王立学園といえど、学園内で一度はすれ違うこともあるかもと言う考えがよぎり、探してみたが会うことはなかった。

 そして、私の日常から彼が消えて三週間が経った。


「来週から夏季休暇ですね。入学して三ヶ月、あっという間でしたね」

「ええ、時間の流れとは早いものですね」


 私を取り囲む女生徒達が、二ヶ月という長期休暇をどのように過ごすかで盛り上がっていた。


「その前に来週は一学期を締めくくるパーティーです」

「ええ、まだ婚約者を得ていない殿方と沢山交流できる場です」

「そして同じく婚約者が決まっていない私達にとっては……」

「はい。戦場に他なりません! みなさん頑張りましょう!」

「「「はい!」」」


 気合いを見せる女生徒達と、


「おい。良い夏季休暇を送れるかどうかは……」

「ああ、ここが勝負だ!」

「わかってるな?」


 クラスの隅っこに集まって頷きあう男子達は、


「とにかく婚約者を連れて海に出かけるぞー!」

「「「おおお!!!」」」


 鼻息荒くスクランブルしていた。

 婚約者のいない者達にとっては、数少ない出会いの場となっていた。

 卒業と同時に結婚できなければ、行き遅れと揶揄されるために、皆必死だ。


「パーティー……か」


 燃え上がる周りの方達と違い、私の心は沈んでいた。

 ラムダ様をチラリと見る。

 いつもと変わらず、ご学友と笑っていた。


「全く。楽しそうで良いわね……そんな事よりも」


 窓の外を見上げる。

 今日は朝から雨が降っていて屋上では過ごせない。

 その事に肩を落とした。


「エミリア様はどんなドレスを着て行きますか!」


 そんな私に周りの女生徒達が輝く目を向けてきた。

 私は内心では落ち込みながらも、悟られないように侯爵令嬢エミリア・オルウェイズとして、


「そうですね。私はーー」


 気丈に振る舞った。

 そして、何も解決しないまま時は流れパーティーの日がやって来た。


「準備はいいかい、エミリア」

「ええ。もちろんです」


 私はラムダ様に手を引かれて、数千人は入ることが出来る大きな会場へと足を踏み入れた。

 周囲から注がれる視線。

 パーティー会場への入場は、男爵、子爵、伯爵ーーと位が低い順に入るようになっている。

 これも身分の高さを示すための仕組みの一つなのだけど、一つだけ例外がある。それはーー

 

「ラムダ様!!」

「エミリア様!!」


 婚約している男性が自身よりも身分が高いと、その分だけ遅く入場する事になる、と言うこと。

 ラムダ様と婚約して5年になるけど、私の本来の身分は侯爵になる。本来ならとっくに入場している。

 その為、王族の方々がいらっしゃらなければ、トリを務める事がほとんどで……今だに慣れない。


「ご機嫌よう」


 お会いした事ない人からもなぜか手を振られる。

 おそらく"筆頭公爵家婚約者"という肩書きが一人歩きしているからかもしれない。

 それを証明するように、手を振る方々の瞳からは尊敬とかの念は込められておらず、どう取り入ろうかといった類の念が感じられた。

 私たちが入場し終わると、司会の方がパーティーを進める。


「皆様!一学期お疲れ様でした!どうぞパーティーを最後までお楽しみください!」


 司会の言葉を無視して、婚約者達と音楽に酔いしれ、美味しい食べ物や飲み物に舌を打ち、皆それぞれでパーティーを楽しんでいた。


「良いですね!私の声を無視するくらいパーティーが楽しいと言う事ですね!……少しくらい聞いてくれても良いじゃない……」


 司会は仕事を放棄してその場で項垂れる。

 しかし、そこはプロというもので慣れているのだろう。


「しかし!私の声に耳を傾けなくてもこれからの挨拶には耳を傾けて下さいね!それでは、ラムダ様!よろしくお願いします!」


 立ち上がり、司会を続け、ラムダ様へとそのバトンを渡した。

 事前に知らされていたのか、ラムダ様は動揺を見せる事なく悠然と壇上へ向かって歩き出した。

 私の手を引いて……


「え、呼ばれたのはラムダ様だけ……」

「遠慮する事ないさ。一緒に行こう」


 笑うラムダ様に何も言えず、私は引かれるままに壇上へ。


「紹介に預かりました。ラムダ・タールズです。若輩者ではありますが、あいさつをさせていただきます」


 ラムダ様の声に何人かは反応し、壇上へと視線を向ける。


「と、その前に私からご報告がございます。私の隣におります。エミリア・オルウェイズとの婚約を破棄させていただきます」


 ラムダ様は微笑む。


「え……どう言う事ですか?ラムダさ」


 突然のことに動揺した私はラムダ様の袖を掴もうとしてーー


「私に触れるな。汚らわしい」


 ラムダ様は私を汚物を見るような顔で睨み、袖を掴もうとした手を思いきり叩き落とした。


「っ!何をなさ」

「何を? 君はこれよりも酷い事を日頃からしていると言うのにか? アルナ!」


 ラムダ様は声を張り上げ、1人の女性を呼んだ。

 その人物は、壇場前で艶やかなカーテシーを披露し、階段を登ってラムダ様の横へやってきた。


「お初にお目に……ではありませんね。毎日顔を合わせておりますものね。エミリアさま」


 アルナ様は、私に向かってにっこり微笑んだ。


(何を言っているのこの方は。アルナ様と会うのはこれで5回目なのに、毎日って……?)


 状況についていけず、頭が混乱し、何を言えば良いのかわからない。

 そんな私の様子を見たラムダ様とアルナ様は、うっすらと口角を上げて頷き合った。


「皆も突然のことで驚いていることだろうから説明しよう!……アルナ、辛いとは思うけどみんなに何があったのか。エミリアに何をされたのか話せるかい?」

「はい……思い出すと辛いですが、このままにはできませんので、お話しします」


 下を向き、涙を流すアルナ様をラムダ様は両手で支え、優しい声で確認した。

 その様子を見た会場内の生徒達はーー


「おい、泣いてるぞ」

「アルナ様、かわいそう」


 痛ましい姿のアルナ様に向かって、同情が集まる。

 

「辛いですが、私がこのエミリア・オルウェイズに何をされたのか全てをお話しします!」


 ラムダ様に渡されたハンカチでアルナ様は涙を拭う。

 それから堂々した声で皆に聞こえるように話し始めた。


「私ーーアルナ・オルナは、このエミリア・オルウェイズに手酷いいじめを受けておりました!」


 アルナ様の告白に、会場がどよめきに包まれる。


「嘘だろ……エミリア様が?!」

「あり得ないわ!」


 エミリアの普段の様子を知るクラスメイト達があり得ないとアルナ様の主張を否定した。

 しかしーー


「本当です! これを見てください!」


 アルナ様は右手の長手袋を外し、その白く美しい手を皆に披露した。


「ここにある痣! これは一週間前のお昼休みにパーティーが近づいたことで出られないようにしてあげると言われて、彼女につけられたものです!」


 右前腕を指差して、アルナ様はそう主張した。

 その痣はとても大きく、白い肌という事も相まって余計に目立っていた。


「ひ、酷い……」

「でも、お昼休みならエミリア様は……!」


 アルナ様の主張に対して、反論しようとしたクラスメイト達は、そこであることに気がついた。


「そう言えばエミリア様ってお昼休みになるとクラスにいないわね」

「そうですわね。授業が終わると忽然と姿を消されるので皆、不思議がっておりましたね」


 お昼休みにエミリアがクラスにいない。

 その事に気がついたクラスメイト達は、アリバイを証明できるものが誰一人おらず、下を向く。

 その反応を見た会場の人々から鋭い視線が私に浴びせられた。


「ひでぇ」

「最低!」

「そんな事してラムダ様の顔に泥を塗ることになるってわからなかったのかしら」

「馬鹿な人ね」


 私を擁護してくれる者は1人もいなかった。

 

(え、え……ど、どうしよう、私そんな事してない。とにかく言わなくちゃ)


 呆気に取られていた私は、誤解を解こうと口を開きかけーー


「皆の者! 私が婚約破棄を宣言した理由がよくわかっただろう! この者ーーエミリア・オルウェイズは、わたしの婚約者である事をいい事に、裏では他者を貶めるような行為に手を染めていたのだ!」


 しかし、わたしが何かを喋ろうとした瞬間、それを見たラムダ様は、私の言葉を遮るように叫んだ。


「さらにそれだけではない! これを見よ!」


 ラムダ様は懐からボロボロになったドレスを取り出して、皆に見えるように掲げた。


「これはアルナがパーティーに出られないようにするため、エミリアがアルナの前で切り刻んだ物だ!」

「私の祖母が大切にしていたドレスなのに……」

「アルナ……大丈夫。エミリアが断罪されればおばあさまも喜んでくれるさ」

「ありがとう、ラムダ」


 アルナ様の涙に影響されて、周りの生徒達も心配そうに彼女を見つめる。

 そして私にはーー


「貴族として恥ずかしくないの!」

「人として最低よ!」

「今まで応援してあげたのに!この外道!」


 罵声が浴びせられた。


「これでよくわかっただろう!私はこの者の面倒を見るのに疲れた! その為、この場を持って……」


 ラムダ様は、泣き崩れるアルナ様に寄り添いながら、私を睨み、


「エミリア・オルウェイズ! 君との婚約を破棄する!」


 声高々に宣言した。

 それからーー


「異論のある者はいるか!」


 会場にいる皆に問いかけた。

 異論のある者はおらず、返事の代わりに拍手が送られた。


「ならばこの場を持って、君との婚約は無効だ」


 私に向かってラムダ様は笑みを浮かべた。

 その顔は厄介な令嬢から解放されたばかりというにはあまりにも、私を嘲笑っているような笑顔だった。


「この学園から去れ!」

「貴族自体やめてしまえ!」

「このひとでなし!」


 夢でも見ているのだろうか? 

 何もしていない事で、なぜこんなにも責められなければならないのか。

 そして、なぜラムダ様とアルナ様はありもしない事をでっち上げたのか。


 目まぐるしく変わりゆく状況に、ついていけない中で浮かんできた感情はーー


(悔しい)


 それだけだった。

 涙で視界が滲み、叩かれた腕が痛みを増した。

 生まれて初めて感じた怒りの感情に、自然と手を握りしめていた。

 握りしめた手は、爪が食い込み、血が床に垂れた。


「っ!……あっ、ぐ!」


 しかし、感情が高まりすぎて言葉がうまく出てこなかった。


「どうした? 何か言いたげな様子だが、弁明でもあるのか?」

「あるわけないわ! 私にした事を思えば、何が弁明できる事があるっていうの!」


 2人が追い打ちをかけてくる。


(悔しい!私は何もしてないのに!)


 そんな2人をただ睨む事しかできない。


「弁明ならあるぞ!」


 その時、壇上に集まる群衆の中で手を上げる者がいた。

 その者は、皆の視線が集まる中でも堂々とした態度で歩み、壇上へ向かう。


「え……あの方って」

「ええ。あまり学園でも社交界でもお見かけする事が少ないから忘れていたけど」

「そうね。完全に忘れていたけど、あの方はーー」


 壇上へ歩む者を見て、皆、身分の違いから慌てて跪き、道を開けた。


「「「ユリウス・ミレイス第一王子殿下!!」」」


 彼ーーユリウスはそのどよめきに反応する事なく、真っ直ぐと壇上……ではなく、私の元へ向かって歩いて来た。


「こんの……」


 ユリウスは、私に近づくと手を振り上げ、


「馬鹿野郎!」


 思い切り振り下ろした。


「いっ!たっーい!」


 容赦のない一撃だった。

 ラムダ様に手を叩かれた時以上の痛みが、私の頭を襲った。

 私は耐えきれず、その場で飛び跳ねた。


「おっ、しっかりと声出せるじゃねえかよ」


 彼は、いつものように悪戯な笑みを浮かべる。

 あまりの痛みに我慢できなかった私は、


「痛いじゃない! 何するのよ!」


 彼につかみかかってしまった。


「ははは……そんだけ元気が有り余っていれば問題ないな」


 彼は笑い、私の頭を撫で回した。

 いつも通りの彼に私はなんだか力が抜けてしまい、


「もう……相変わらずね」


 と、釣られて笑顔を浮かべた。


「よし、ここから反撃開始だ、の前に……おい、ラムダ!」


 彼が登場してから、先程までの強気な態度はどこへ行ったのか。

 視線を落としていたラムダ様は、彼に名前を呼ばれた事でおどおどし始めた。


「ご、ご機嫌麗しゅうございますな。ユリウス様」

「御託はいい。お前こいつのこと捨てるって言ったよな?なら、俺がもらっても問題ねえな?」

「え、しかし、その者はアルナに酷い事をした者でありまして、断罪されるべき」

「あ?今はそんな事聞いてねぇよ。俺がもらっても良いんだよなって聞いてんだよ」

「……も、問題ありません」


 ユリウスの圧を強めた問いに、ラムダ様は消え入りそうな声で答えた。


「それからエミリア。お前は元婚約者がどうなっても気にしないか?」


 最後に私に尋ねてきた。

 私は一度ラムダ様を見た。


"助けてくれ、エミリア!"


 そう訴えるような顔で私へと助けを求めて来た。

 思えば、婚約発表から五年の付き合いとなるラムダ様だ。

 もっと同情しても良いはずなのに不思議とーー


「全く気にしません」


 何も湧き出てこなかった。

 もしかしたら、私も相当な人でなしである証拠なのかもしれないけれど、この時ばかりはそんな事どうでも良かった。

 私の答えにユリウスはにっこりと笑い、ラムダ様は絶望した顔となった。


「わかった」


 それだけ言い、ユリウスはラムダ様、アルナ様へと向かい合う。


「あの時からちっとも変わらねえな、お前は。俺の妹をたぶらかした挙句に捨てやがったあの時からよ」

「そ、それは口にしない約束では……」

「お前こそ『もうこんなことは二度としません』って約束はどうした?」

「そ、それは……」


 ラムダ様は、言葉に詰まり、狼狽える。


「まあ、全然守れてねえからこんな状況になってんだろうけどな……みなさん、入って来て下さい!」


 ユリウスは会場の入り口に向かって叫ぶ。

 すると、扉が開かれーー


「お、お前たち! なぜここに!」


 その入って来た人達を見て、ラムダ様は狼狽えるどころか、もはや情けない姿で驚愕した。


「ユリウス様の許しを得てここへ来ました」

「そうです。あなたが他に女を作っていると聞いたので」


 その人達は、豪華なドレスに身を包んだ八人の女性。

 それからその腕には産まれたばかりの子供や、一歳から二歳児と言った子供達が眠っていた。


「これはどういうことですか!」

「愛してるのは私だけではなかったのですか!」

「ラムダ様!説明してください!」


 ラムダ様は女性達に詰め寄られ、私に助けを求めてきた。


「ち、違うんだ……エミリア!頼む!助け」

「知りません」


 身から出たサビとはよく言ったものですね。

 まさにこれまでの行いの結果が出てしまった。

 としか言いようがない状況に、さすがの私も呆れて物も言えませんでした。


「学園の会議室を取ってあるので、あとは十七人でゆっくりと話し合ってください。心ゆくまで」


 ユリウスがパチンと指を鳴らすと、数人の黒服が会場内にやってきて、ラムダと女性達を連れて出て行った。


「さて、騒々しい奴はこれで終わり。後はお前だけだな。今回の黒幕ーーアルナ」


 ユリウスに名前を呼ばれてアルナ様は舌打ちをする。


「私は何一つ嘘なんてついてないわよ!その子からいじめを受けていたのは本当の事だから!」


 ユリウスにではなく、アルナ様は私に向かって吠える。

 恨めしそうに、睨みながら。


「ほう……なら、お前達の主張した昼休みだが、エミリアは、俺と一緒に屋上で過ごしていたぞ? それなのに、どうやってお前をいじめに行くんだ? こいつは昼休みの間は、派閥争いの疲れを取るために、ずっと眠っていたというのに」


 ユリウスは、アルナ様だけではなく、会場にいる貴族子女達も、同時に睨みつけた。

 皆、ユリウスの視線から逃げるように、隣の者と話し始めたり、床を見つめたりと、


「どいつもこいつも……やはり出世しか考えていないか」


 視線を合わせる者など誰一人としておらず、その様子に彼は呆れるばかりだった。


「……と、本題がずれてしまった。それで屋上で眠っているはずのエミリアが、どうやってお前をいじめに行くんだ?」


 俯くアルナ様へと問いただす。


「な、なぜそんな女……何で、私に振り向いてくださらないのですか!なぜその女なのですか!私は殿下をこんなにも慕っていると言うのに……」


 アルナ様は、刃物のように鋭い視線を私に向けてくる。

 その切れ味の鋭さにゾッとし、息を呑んだ。


「ほう……なら、今回の黒幕が自分だと認めるんだな?」

「ええ!認めますよ!そうですよ!この女が不幸になれば普段は相手にしてくれない殿下も出てくると思ったので、ラムダをたぶらかし、その女との関係をめちゃくちゃにしてやりました!」

「言質は取ったぞ」

「ええ!お好きなように取ってください!もう目的は果たしましたから!それで殿下はもちろん私を選んでくれますよね?こんなにも私は綺麗で、殿下を思っているのですから」


 ユリウスを恍惚とした目で見つめ、アルナ様は歩き出した。


「いや、選ぶわけねえだろ。誰が好き好んで自分をストーキングするやばい地雷女を選ぶんだよ。そんな奴がいたら親の顔が見てみてえわ」


 しかし、ユリウスは容赦なく切り捨てた。


「え……え?」

「それにお前、化粧が濃いし、香水臭くて……正直に言うとタイプじゃない!!どっちかと言うと嫌いです!!」


 なおも攻め手を緩めずに、彼は追撃した。

 嫌い、という言葉がショックだったのか、アルナ様はその場にへたり込んだ。


「さて、エミリア」


 ユリウスは私に向き直ると、肩を両手でがっちりと掴み、


「俺、数学の補習を途中で抜け出して来たから」


 と耳元で囁く。

 そして、そのタイミングでーー


「ユリウス様!今日という今日は逃しませんよ!」

「者ども!ユリウス様を捕えろ!」

「第一王子が留年とあっては、この国の護憲に関わる!何としても捉えて、テストを受けさせろー!」


 パーティー会場に教師陣が雪崩れ込んできた。


「ええ!どういう状況!」

「こういう状況……そんな訳だから逃げるぞ!」

「キャッ!」


 ユリウスに、ムードもへったくれもないお姫様抱っこを私はされてしまった。

 やるならもっと雰囲気とか考えて欲しかった……


「待てーー!!」

「誰が待つか!」


 ため息を吐きつつ、私はユリウスにーー


「さっき私を貰うとか言ってたけど、あれってどういうこと?」

「今はそんな状況じゃね……ギャハハ!や、やめろ!」

「真面目に答えてくれないとコチョコチョ続けるよ?」

「うっ……それはその……俺はお前に惚れてるって……そういうことだ!」


 走りながらも照れた様子でユリウスは答えてくれた。


「ふふふ、よろしくね」

「お、おう」


 その後、私とユリウスは教師陣の包囲網を突破すべく、夜の王都を駆け回った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ