6話:勇者は……
「リナ?」
「どうしました?」
魔王の部屋にいたその存在を見て、リナの足は震え、呼吸が乱れ、心臓が締めつけられる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
これ以上ないほどに、恐ろしいものを見てしまったかのように、リナは震え上がっていた。
それもそうだろう。
自分自身の首を切り落とした存在。否、それ以前に。
何故、こんなところに、彼が。
思い起こされる、前世の記憶が。
リナの精神を揺さぶる。
「どうしたの? リナ!」
「何が、あったんですか?」
様子のおかしなリナに、ロレッタとシルヴィアの2人が駆け寄る。
リナはうまく呼吸ができず、蹲ってしまった。
「リナに、何をしたんですか!?」
シルヴィアが、男に問い詰める。
処刑人の男が……魔王の椅子に座っていたその男が、問いかけに答える。
「そうだな……」
斧を担ぎ上げ、男は何かを思案している。
シルヴィアは小声で、ロレッタに囁く。
「時間を稼ぐ、リナを落ちつかせて」
「わ、わかった」
ロレッタはそう言うと、少し迷ってから、震えるリナをぎゅっと抱きしめた。
そうしている間にも、男は考えがまとまったのか、口を開いた。
「俺はやはりフェアな戦いが好きだ。故に教えてやろう」
そう言って、処刑人の姿をしたそいつは、語り始めた。
「まず俺こそが、魔王ギルデヴィランに間違いない。この姿は、とある古代呪術を使った、まやかしだ」
「まやかし……?」
問いかけるシルヴィアに、男、魔王ギルデヴィランが答える。
「この古代呪術は、相手の最も深い心の傷、トラウマを読み取り、その姿の幻を作り出す。今見えているのは、勇者の最も深いトラウマの幻覚だ」
つまり。処刑人の姿は、リナのトラウマが見せたまぼろしであって、魔王とは関係がない。
そこにいるのは魔王ギルデヴィラン、ただそれだけのようだ。
しかし、リナを震え上がらせるには十分だった。
恐らくリナが最も苦しんだのは、仲間との別離。仲間を追い出し、泣かせ、怒らせ、孤独になったこと。
しかしその苦しみからは、仲間との和解によって解放されている。
今のリナの最も深いトラウマは、自分を殺したこの処刑人……。だけではなく。
前世の記憶自身。
魔王を倒し、仲間が死に、内乱が起き、そしてリナが処刑人によって首を刎ねられることになった、過去そのもの。
それを表す分かりやすいシンボルである処刑人の存在に、震え上がっているのだ。
息がうまく吸えない。
膝が震えて、手も感覚があまりない。
「リナ……!」
そんなリナを、ロレッタが力一杯抱きしめている。
抱きしめすぎて痛い。しかし、リナの震えは少しだけ収まった。
「そんな術を使って、よくフェアがどうこう言えますね」
シルヴィアの最もな言い分に、魔王もまた小さく頷いた。
「ふむ、この術を使った理由について説明しておこうか」
魔王はそう言って、これまでの事を語り始めた。
「まず、お前たち勇者一行は、最初に四天王が1人、獣王ガムルを倒した。接戦だったと聞いた」
魔王はつかつかと同じところを往復しながら、なおも語る。
「しかしその後、四天王の2人……妖術師ボロンバと蟲王バールベルク相手に圧勝したという。それもバールベルク相手には、勇者1人で勝ったというのだから驚きだ」
びくり。リナは身体を震わせた。
2度目の戦いだから、楽勝なのは当然だ。魔王はその様子を、よく見ていたらしい。
「俺の部下が報告するには、勇者一行は、獣王ガムルを倒したのち、ハルトリの街の方へ撤退、回復に当てたらしいと聞いた。俺はそれを思い出して、閃いたんだ」
魔王が、指を立てて語る。
「ハルトリは信仰の厚い街だ。聖剣の信託を受けた勇者は、そこで何か別の加護を授かったのではないか、とな」
リナの顔がいよいよ青ざめる。
まさに、ハルトリでの出来事だった。リナが未来の記憶を持ったまま、5年前に戻ってきたのは。
「勇者は何か強力な加護を授かり、ボロンバとバールベルクを圧倒した。となれば、次の四天王であるアロガナにも、勇者の危険性を伝え、本気で戦うようにと通達を出したよ。結果、言われるまでも無いと返事が来たがね」
ふ、と笑って、魔王がなお続ける。
「しかし勇者は、アロガナ相手にはあっさり負けてしまった……」
歩いていた魔王は足を止めて、勇者一行の方を向く。そして考えるように、手を顎に当て、語り続けた。
「我々は困惑したよ。ボロンバとバールベルク相手に圧勝できて、アロガナには惨敗する……いったいどんな能力なのだ? とな」
魔王もまた、勇者の快進撃を怪しみ、警戒した。
同じく勇者の強さを知って、楽しそうに準備していたアロガナと違い。
冷静に、勇者の能力を測ろうとした。
「アロガナに負けた際から察するに、おそらく授かった加護は、戦闘向けではない。相手の手口を読む、サポート型の能力だと踏んだ」
ぐいぐいと、リナの真相に踏み込んでくる、魔王の思考。
リナの呼吸が、さらに荒くなっていく。
一方で、ロレッタはリナをさらに強く抱きしめた。
震えは収まるが、流石に息が苦しい。リナはポンポンとロレッタの腕を叩いた。
魔王は、なおも語る。
「心を読む能力、未来を見通す能力、あたりが候補に上がった。しかし、俺はもっとシンプルな考えが浮かんできた」
魔王は勇者リナを指差し、こう言った。
「こいつ、一回死んでやり直したんじゃ無ぇの? とな」
「っ……!」
図星。大当たり。見事な推察と言う他無かった。
魔王は、リナが、未来から過去にやってきたのだと、おおよそ見抜いていたのだ。
指摘されたリナは、魔王の恐ろしさを味わうことになった。
「もし、そうだとしたら、俺の戦い方……苦手な戦法、弱点、もろもろ、知られたまま戦うことになっちまう……」
そう言うと魔王は、高く手を上げて、指を鳴らした。
パチィン!! と。
魔法かなにかだろうか、やたら大きな音が指から鳴り、城中に響き渡る。
その直後、城中から、何かが蠢く音が聞こえた。
「そのまま戦うのは、アンフェアだよなぁ……?」
真っ先に、魔王のすぐ横の扉から、2.3匹ほどの魔物が部屋になだれ込んでくる。
音はまだまだ続いている。どうやら、数十はいる魔物の大群が、魔王のいる部屋目指して押しかけているようだった。
「リナ、行けますか!?」
「リナ!」
「だい、じょうぶ……」
顔を青くし、未だ少し震えているが、リナは辛うじて剣を構えた。
仲間がいてくれて本当によかった。もし自分1人だったら、とっくに心が折れていただろう。
「徹底して普段と違う戦法で戦うぜ。さあ、構えな、卑劣な勇者!」
魔王が斧を構え、臨戦体制に入る。
(甘すぎた)
リナはそう考えた。
1対3で戦ってくれる魔王を、まだどこかで期待していたのかもしれない。
ここまでリナの真相を読んで、しっかりと対策までされているとは。
リナは心を折られかけ、用意していた戦術は大半が無駄になった。
震えと動揺が完全に収まらないまま。
魔王とその大量の配下との激戦が、始まった。
ロレッタとシルヴィアが補助魔法を掛ける。リナが前線に出た。
斧を構えた魔王も、積極的に前線に出てきた。
「『短時間強化』!」
「『短時間強化』!」
勇者が自己強化の魔法を唱えると、魔王も自己強化の魔法を自分に使った。
初めて戦った時は、圧倒的なマナ量による攻撃魔法の連続が基本戦術だった。
勇者一行はそれを警戒して対策を取っていたのだが、今回は接近戦で戦うつもりのようだった。
「はぁっ!!」
「うくっ……!」
魔王の切り下ろしを、辛うじてリナが受け流す。
四天王が1人、アロガナほどの怪力では無い。
だが今のリナにとっては、あまりにも重い一撃だった。
手が痺れて、剣を落としそうになる。
(このままじゃ、いけない……!)
リナはなんとか心を奮い立たせ、魔王と向き合う。
勢いに任せて戦いを再開しようとした。
『裏切り者に死を!』
『内乱の首謀者に制裁を!』
「ひっ……!」
何者かの、叫び声。
勇者リナの処刑を望む、民衆の声が聞こえる。
どうやら、これもまた、魔王の見せるまやかしの古代呪術のようだ。
その効果は、絶大で。
リナは思いきり怯んでしまい。
大きな隙を作ってしまった。
魔王の斧が、振り下ろされた。
リナはそれを避けようとしたが、少し遅く。右腕に斧の一撃が入った。
斧は綺麗にリナの腕に切り込まれ、リナは腕ごと切り落とされる、そう直感した……のだが。
「っ!?」
「ちいっ!」
斬られたのは、薄皮一枚。かすり傷で済んだようだ。
「『治癒』!」
すかさずシルヴィアが、リナの腕につけられた傷を癒す。
(見た目より武器の射程が短い……? まぼろしだから?)
どうやら、大斧の長さよりは短い武器を使っているらしい。
これも幻覚の一端といったところだろう。
(なら、もっとギリギリで避けても問題ない)
リナは少し開き直ることができた。
普段の腕さえ振るうことができれば、決して勝てない相手ではないと、自身に言い聞かせる。
ドォン! と乱暴に魔王の部屋のドアがひとつ開けられ、追加の魔物が飛び出してきた。
数は10体ほど、かなり、多い。
「ロレッタ!」
「おっけー!」
多数相手は、魔法使いロレッタが請け負う予定だ。
ロレッタが魔法を唱え、巨大な火球を作り出す。
「『爆裂火球』!」
あらゆる魔物を吹き飛ばす、ロレッタの強力な爆発魔法。
しかし爆風が晴れた後には、無傷の魔物たちと、防護の魔法の痕跡が見れた。
「相手にも神官がいる……!」
ロレッタの魔法も、きちんと対策されていた。
防護の魔法の使える神官の魔物を混ぜて、まとめて倒されないようにしてある。
非常に、厄介な相手だった。
「ふ、2人とも……!」
「リナはこっちよりも、魔王を!」
狼狽えるリナに、シルヴィアが叱責を飛ばす。
魔王は再び斧を振り上げた。
処刑人の姿での、大ぶりの振り上げは、想像以上にリナの恐怖心を煽る。
しかししっかりと見据えて、構える。
(ギリギリで避けて、カウンター……)
『勇者の首をはねろー!!』
『死ね! 大罪人!!』
また幻聴の怒鳴り声が聞こえ、リナの身体はこわばってしまった。
それでも、回避だけはしようと身を捻ろうとする。
魔王はその斧を。
振り下ろさずに、ロレッタとシルヴィアの方に向かって、走り出した。
「え!?」
リナは大きく飛んで避けてしまい、咄嗟には駆け寄れない。
突然の、魔王の後衛狙い。
不意を突かれ、ロレッタとシルヴィアの元に、敵の全戦力が向かってしまう。
(だめ!!)
リナは悲鳴を上げそうになった。
2人が死んでしまう。
また、魔王に殺されてしまう。
勇者リナに取っては、最もされたくない状況。
最悪の展開。
唯一、幸いだったのが。
彼女たちは、あらかじめ『最悪の展開』に対する策を、練っていた事だ。
「ロレッタ、アレを!」
リナはそう叫んだ。
ロレッタは頷いて、杖を掲げた。
「うおおおおおりゃああああ!!!!」
ロレッタの、力の入った叫び声と共に。
凄まじいマナが、吹き荒れた。
「ぐおっ」
リナの出した指示。
ロレッタは膨大なマナの嵐を放つ。
攻撃でもなく、補助でもない。魔法とはとても呼べない、マナの垂れ流しによる、暴風。
詠唱こそいらないが、あまりにも勿体なさすぎるし、普通に魔法を使った方が効率の良い、馬鹿げた攻撃。
それは予想外すぎて、魔王と魔物たちを、一瞬怯ませるのには十分だった。
その一瞬で、シルヴィアが魔法を完成させた。
「『聖光』!!」
「ぐおおお!!」
突如、部屋が真っ白になるほどの、眩い光がシルヴィアの元で光る。
とても目を開けていられない、少しでも目を開ければ、視力を失ってしまいそうなほどの、閃光。
魔王と魔物たちは足を止めて、嵐と光が過ぎ去るのを待つ。
勇者リナは、その間に動いた。
片目を瞑り、片目だけ視力を失わないように。マナの放出に、押し流されないように。
最短距離で真っ直ぐに、魔王の元に辿り着き。
「しまっ……」
「はあああぁぁぁぁ!!!」
最悪の展開から、僅かなチャンスを掴み取り。
勇者は魔王の胸を貫いた。
「ガハッ……」
魔王が、膝を屈する。
眩い光とマナの嵐が収まる頃。
立っていたのは勇者一行の方だった。
◆◆◆ ◆◆◆
「はぁっ……はぁっ……」
「お、おつかれさまー……」
「私も、もう限界です……」
魔王が倒されてからしばし。
まだ残っていた魔物の群れは、百近くに及んだ。
半数が逃げたが、半数を倒し切る必要があった。
倒し切った時には、すでに3人は満身創痍だった。
周囲には、大量の魔物の残骸が残っている。
「流石に、疲れた……」
力が抜けたように、リナがそう呟く。
「えへへ、もうマナがからっぽだ」
ロレッタが、笑ってそう言う。
「でも……やりとげましたね」
シルヴィアが、少し微笑んで言う。
そう、3人とも無事だった。
ロレッタも、シルヴィアも、そしてリナも。
誰1人欠ける事なく、魔王を倒すことができた。
「みんな無事で……本当に良かった」
リナは自然と涙を流していた。
仲間を失う未来を、避けることができた。
「リナも無事で良かったよ」
「もうダメかと思いましたからね、十分に作戦を練っておいて本当によかったです」
「ね!」
仲間たちも、リナが無事なことに安堵していた。
一度は魔王と相打ちになろうとするまで追い込まれていたのだ。
何かの拍子に死んでしまわないかと、心配だったのだ。
「これからが大変ですよ。魔王の討伐を報告してから、すぐ内乱に備えないと」
「それはもう偉い人たちに任せようよ〜……」
「ダメです。まぁロレッタは寝ててもいいですよ。あとは私たち2人でやってもいいので」
「あ〜! ひどい! あたしも混ぜてって!」
そんな風に言い合う、シルヴィアとロレッタ。
リナは、涙を流しながらも、その様子を笑って見ていた。
「とりあえず、お疲れ様ー!!」
「帰りましょう、リナ」
「うん」
2人の仲間にそう声をかけられ、頷くリナ。
彼女は2人の方へ向かう。
こうして魔王討伐は、終わりを……。
リナの背中に、真っ黒な刃が突き刺さる。
見れば、魔王の死体のあった場所から、黒いもやのようなものが立ち込めており。
リナの背中に、剣のようなものを伸ばして、突き刺した。
「オマ、エモ、ミチ、ヅレ、ダ……」
辛うじてそれだけ言い残して、魔王だった残骸は、煙のように消えてしまった。
すとん、と。
リナが膝から崩れ落ちた。
「「リナ!!!」」
ロレッタとシルヴィアの悲鳴が響き渡る。
リナは魔王の最期の一撃を受け。
意識を、失った。
次で最終話になります