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卅と一夜の短篇 

本丸御殿の屋根(三十と一夜の短篇第75回)

作者: 惠美子

 三郎太は数え十二歳で出来田(できた)家に養子に入った。祖母が出来田家から糯搗(もちづき)家に嫁入りしたのが縁だった。三郎太は幼少時より気性が真っ直ぐで聡明であった。三男坊が部屋住みで過すよりは、継嗣けいしに恵まれない出来田家の養嗣子(ようしし)となった方がよいだろうと糯搗家側で考え、出来田家側もより優れた世子(せいし)を迎えたいと望んだ。


「出来田家は室町以来の格式がございます」


 江戸屋敷で三郎太を迎えた出来田家譜代の家臣は誇らしげに告げた。糯搗家より出来田家の石高が高いのは確かだか、糯搗家も家柄は古く、出来田家よりも家系が遡れる。格式に差があるとは言えないのだが、三郎太は年長の家臣に対して(わきま)えていた。

 出来田家は糯搗家同様、外様大名だ。戦国期で活躍した先祖がいて、百年を経ても語り草であるのが誇りらしく、出来田家は武張(ぶば)った気風が抜けない。三代前の藩主が将軍家のお狩場で目立とうとしての無礼があり、罰で石高を減らされているが、黒歴史ではなく勇ましさで語り継がれている。出来田藩はその所為か政治の面で立ち回るのが苦手のようで、何かにつけて幕府から土木工事や勅使饗応(ちょくしきょうおう)などの金も人手も掛かる用件を言い付けられる。恰好が悪いが、江戸時代の倫理観は現代と違う。幕閣の譜代大名たちや大奥の女性たちへの賄賂(わいろ)を嫌ってそれ以上の出費を負っては、馬鹿正直と品行方正も考え物である。

 こんなことを書くのは、出来田家が糯搗家に比べてはなはだ貧乏だからである。徳川幕府の成立から百年ばかりして、大抵の武家は台所事情が厳しかった。中でも出来田藩は幕府からの命じられての度々のお役目の持ち出しもあるし、格式に相応しい立ち居振る舞いが大切であると吝嗇(りんしょく)を見苦しいと鼻で笑う気質の者が多く、倹約を呼び掛けても実行しようとしない。藩主自身が暮らしを改められないので効果がない。藩内の商人や豪農から度々用立ててもらったり、江戸や各地の商人に先々の年貢を担保に借金をしたりが積み重なった。

 三郎太は自分一人が質素に暮らそうと、今後幕府より何のお役目を負わされなかろうと、解消するアテのない多額の借金を抱えた出来田家の将来の当主になると運命づけられた。賢く生まれるのも大変である。

 三郎太は十六歳で元服し、景越(かげこし)と名を改めた。翌年、養父が隠居して藩主の座に就いた。それまで江戸屋敷で生活していた景越は生まれて初めて己が領地に赴いた。領地は内陸部にあり、駕籠に乗り、馬に乗りして、ようよう辿り着いた。

 影越は出来田の城を目の当たりにして、失望を顔に出さないように苦労した。

 ボロだった。

 門構えは大きく、かつて二十万石だった頃の威容が窺えた。しかし門に連なる垣や櫓は傷んでいた。門だけが瓦葺きで、あとは板葺きなのだろうかと一瞬思ったが、違う。ところどころに瓦がある。つまりは瓦が落ちたまま修繕していないのだ。今の出来田藩は十二万石、減封された時に藩士の数も減らさざるを得なかった。既に予算も人手も足りないのだ。糯搗家の実父と実兄に聞かせたら、どこの家でも同じだと言うだろうか疑問だった。


 ――歯抜けのままでは傷みが進むぞ。いっそのこと板葺きか茅葺きにした方がよくないか。いや、それも手入れをこまめにせねばなるまいか。


 君主は陣屋で雨露をしのげればよいのだと、若い景越は何度も自分に言い聞かせた。


「これが出来田の城でございます」


 国家老の声に、あるじらしく景越はうなずいてみせた。

 家臣は藩主が言葉少ななのを自分の城を目にした喜びゆえだと単純に取った。

 おんぼろな本丸屋敷だが、藩主の居室の畳と襖は新品に取り換えられていた。新しいあるじを歓迎してくれていると、景越は感じ入り、家臣や民百姓の為にもこのままではいけないと決意した。領内では言うまでもなく慎ましい生活を余儀なくされている藩士が大勢だ。ただケチケチとしていてもこの先が楽になるとは言えない。


「藩の収入を上げるにはもはや年貢のみに頼れぬ。

 開墾できる土地があればそうしたいし、やはり商品作物に力を入れたい」


 養育係であり、勘定方にも任じられた潔部(けちべ)に景越は言った。


「商品作物になる品、麻は戦国の頃もこの地の名産であったから、その生産を増やせぬのか」

「まずはこの藩のご領主として相応しくお振る舞いになるのに慣れるのが先でございます。些末(さまつ)事にお気を患わせる必要はございません」

「江戸の三津居(みつい)に借金を返さねば、年ごとに利息が増えるのではなかったか? それが果たして些末であるのか?」

「は、申し訳ございませぬ。他藩で品質の良い物が出て押されて以来、麻の生産は衰えております」

「麻だけでなく養蚕もできればと思ったのだが」

「盛んにするにはまた元手が掛かりまする。その為に重ねて三津居や本馬に用立ててもらうことになると、ご隠居様もその前の殿様も二の足を踏んでいらっしゃったのです」

「そうか……。今しばらくは倹約しながら、手立てを考えねばなるまいなあ」


 景越は率先して木綿を身に着け、食事は一汁一菜、茶も贅沢と白湯を飲んだ。はっきり言って中堅どころの藩士の姿のようで、現職の藩主より隠居の養父の方がお殿様らしい見た目と暮らしである。


「生活費を削ってみても、開墾や新しい事業へ乗り出す見積もりの額には手が届かぬなあ」


 白湯をすすりつつ、景越は嘆息した。

 国元で初めての冬は思った以上に寒かった。地元で暮らす者たちも今年は一段と冷え込みがきついと言っていたので、自分一人が弱音を吐けぬと、景越は耐えた。でもやっぱり寒くて、誰もいない時にこっそりと股火鉢で温まった。

 雪の量が多く、雪掃きどころか、屋根に登って雪下ろしをしなければならない。ガチャガチャと屋根の音を聞き、これでは瓦が傷む訳だと景越は得心した。

 藩士たちは自分たちの家の雪を始末し、登城しては城屋敷の雪下ろしや雪掃きをした。だが城の中で使わない場所まで行き届かない。

 景越と下仕えの者たちで、雪掻きに励んだ者たちをねぎらう為に、白湯や握り飯を用意して待っていると、轟音と共に何かが崩れ落ちる地響きがした。

 近侍がすかさず景越を守るように立ちはだかるが、景越はそれを退けて、音のした方角へと向かった。

 城内の一角が雪の重みで崩れていた。

 さいわいにして使っていない場所だったので誰もその場におらず、巻き込まれた者はいなかった。


「殿、この辺りも傷んでおります。危のうございますゆえ近付かぬ方がよろしいかと」

「相判った。皆大事無ければよい。

 ここは何に使っておった?」


 家臣たちは顔を見合わせた。


「何に使っておったか、誰も知らぬか?」


 実に言いにくそうに国家老が口を開いた。


「その、ご藩祖のご令室を始め、代々のご令閨(れいけい)ご遺愛の品を収めておりました」

「そのような大切な品を、私の代で潰してしまったのか」

「面目次第もございません」


 景越は空を睨んだ。我を玉にする為、天は艱難辛苦を与えたもう。景越は臍下丹田(せいかたんでん)に力を込めた。


「皆の者!」


 突然の大音声に家臣たちは震え上がった。


「藩祖より伝わってきた遺愛の品々を保てぬ私は藩主として恥じ入るしかない。この恥を雪ぐ為に如何にしたらよい!

 私は質素倹約を旨として日々努めてきたがどうやら足りぬ。

 切り詰めていただけではこれまで積み上がった借財を増やさぬだけで、減らすことはできぬ。

 借財を減らすには大きな働きが肝要だ。

 (すた)れかけた麻の織物を再び江戸や京で高値で取引できるようにする。また別の商品作物、桑や煙草の栽培を増やせるか本馬や三津居を呼んで算段をせよ」

「しかし、三津居がこれ以上の金策を吞みますかどうか……」

「普請や見栄の為ではない! 取引のできる作物を作る為なら用立ててくれる」

「そのようなソロバンを弾くような真似を藩主自らせぬとも……」

「黙れ! 本丸の屋根が雪で崩れて、何の藩主の面目か!

 借りを返せず、民百姓に苦労ばかりを掛けて、何も益せぬあるじの面目とは何か!

 やると言ったやる! 成せぬと思い込むから成せぬのだ。

 質実剛健、常在戦場こそ武士のまこと!」

「殿!」


 潔部あたりは感極まって泣き出した。


「この意志を失わぬよう戒めじゃ。本丸の屋根は落ちたままとする」


 この後、出来田景越(できたかげこし)は更なる借金を重ねつつ、麻と桑の栽培を進めて繊維業を盛んにし、煙草や蝋燭の生産に努めた。暑さの年もあれば、寒さの年、洪水の年もあった。それでも不屈の意志で景越は努力を続けた。

 苦節二十年、やっと借金が無くなった。

 景越の子の代でやっと本丸の修理ができるほどの蓄えができた。幕府は隠密からの報告で出来田城の崩れ具合を知っていたので、修繕の届け出にすんなり許可を出した。

 景越は隠居所から出来田城の姿を眺めつつ、やっと自らに許した贅沢の茶を口にした。

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― 新着の感想 ―
[一言] ボロだった。……うっとりするほど容赦ない。しかしお金持ち描写と貧乏の苦難、見てて楽しい(あら楽しいだなんて)のはどっちって品性丸出しみたいですが、いやいやそーじゃない高貴な貧乏なのですわ。楽…
[一言] 役目でかかる経費は自弁、ブラック会社の淵源を見るようです。 どうして城の区割りを「丸」というのか、考えてみれば不思議ですよね。
[良い点] 一万石くらいの大名なら城じゃなくて陣屋も許されますが、十二万石は微妙なラインですよね。 借金に苦しむ藩はたいてい札差への払いのために狂ったように年貢上げて、米を全部江戸に送って、飢饉でどえ…
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