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理不尽

作者: 山木 拓


 この世にはどう足掻いても断れない申し出があるのだと、私は改めて理解した。


 それを皆には伝えたいと思う。





   ・・・・・





 私の勤める会社には年下の先輩が何人かいる。


 大学浪人して大学院まで通い就職浪人して、さらに一社目を2年足らずで退社。1年程度のフリーターの後に三〇歳目前でこの会社に入ってきた私からすれば、そんな状況はやむを得ない。かなり足元のおぼつかない人生を歩んできたと思っているのだが、面接でも入社してからも、こんな私を「勉強熱心な人」と評価してくれた。おそらくだが大学院に通った過去とフリーターの間に取得した資格によってそんなイメージを抱いたのだろう。今の会社に入るまで他に色々な会社の面接を受けてきたのだが、それぞれのお偉方には「芯がないやつ」と判を押された。今の会社ではそんなふうには言われないし、上司も先輩も人の一面を良い方向に捉えてくれる、そんな優しくて柔軟な人が集まっているのだろう。この会社に拾ってもらえて本当によかったと思う。かてて加えて、転職して入ってきた人が多く、何社も渡り歩いた上でそこから長く勤めて根を下ろしている。そのような背景だらかなのか、余所者にかなり寛容的だ。




 しかしだからこそ、とある問題が発生している。年齢と入社歴の上下関係がメチャクチャなのだ。年上の後輩、年下の先輩、年下の上司、年上の部下、これが入り乱れている。そうなると今度は、本来下の立場の人間がやる仕事を誰がやるのか、これがややこしくなってくる。会議室のセッティング、打ち合わせの書記、飲み会の店の予約…。基本的に一番後輩の私が全部やっておこうという心構えなのだが、他の若手社員は全員なんでも自分の役目だと思っている。そのため後輩の誰かがセットしていたプロジェクターを、先輩の誰かが片付け忘れたと勘違いした年下が片づけてしまい、そのあと私が準備して。そんな一連の流れが起きたこともある。




 つまりはそれぐらいみんながみんな謙虚な立ち振る舞いをしているのだ。誰も口にはしていないが、周りを見ていると「先輩に気を遣っておこう」という考えと「年下だからそこまで気を遣わなくてもなぁ」という考えが見え隠れする瞬間がある。まぁ大きなトラブルは一切起こっていないし、とてつもなく些細な問題で、もしかすると微笑ましいようにも見える。





 この会社はそういう会社なので、当然ながら年上の上司が年下の部下に話しかける以外は、全員が全員に敬語を使っている。たった一人を除いては。


 これまで、私の勤める会社がどういう雰囲気で、どういう人が集まっているのかの説明に費やしていた。ややこしい上下関係を抜きにしてお互いがお互いにリスペクトし合い、礼節を持って接し合う、そんな場所なのだ。しかし、だからこそ、この人タメ口を使っているのがものすごく気になってしまうのだ。


 この人は若手社員の役職無しの者の中で一番社歴が長い。一番長いのに、年齢は下から二番目。年上の後輩が何人もいるのだ。別に敬語を使わないことがおかしいとか、怒っているとかそんな話ではない。ただ単に、気になってしまうのだ。私が同じ立場であれば私は全員に敬語を使うし、「年下なのに生意気だ」なんて思われかねないので、とりあえず丁寧に接してしまう。しかも若手で唯一主任に昇進している先輩は、他の年上の後輩全員に敬語を使っている。その人はあの人に敬語なのに、この人はあの人にタメ口、そしてこの人はその人に敬語。このようにややこしい構図が出来上がっている。私はそんな変な状況に混ざりたくない。そう、私はこの人を見ていると、要するに、ヒヤヒヤするのだ。





 そして今日、会議が終わり上司が退室した後、この人は私にこう申し出てきた。


「そういえばさ、もうタメ口使っていい?」


 …別の先輩と食事に行った際、話を聞いたことがある。私は先輩社員の入社順なんてほとんど把握していたなかったので、全員の年齢と全員の社歴を確認してみた。意外と歳をとっている人や意外と若い人、意外と入社歴が短い人や意外と入社歴が長い人、色々いた。そこでさらに気になったので尋ねた、「この人ってこの人にタメ口ですよね?」と。先輩は答えた、「ああ、タメ口でいいかって聞いてOKもらったみたいよ」と。つまりこの人は年上の後輩全員にタメ口の許可を取っているのだ。そして立場を利用してタメ口の使用権を無理矢理勝ち取ってきた。私はその行為に怒りと憤り、腹立たしさを感じ、先人達の仇を取らねばと思っただが、具体的に何をするべきかは見当たらなかった。しかし今日のこの瞬間、そのチャンスが巡ってきた。それともう一つ、私の心の中には、もっと別の興味が生まれていた。当然の如く受け入れるであろう申し出を断られると人間はどんな反応をするのか無性に確かめたくなっていたのだ。だから私は、言ってしまった。


「いや、ダメです」




 私が思うに、この世で最も受け入れざるを得ず、理不尽で、なおかつ傲慢な申し出は、「タメ口使っていい?」ではないだろうか。私はその理不尽、傲慢に逆らうと決めた。この世の中の理に抗うのはどれほど苦難困難苦痛苦辛難題難問があるか想像もつかないが、この身が朽ち果ててもこの心が枯れ切っても、屈しないと心に誓った。心に誓って、「いや、ダメです」と言い放ったのだ。





 そして先輩は笑いながら言った。


「なんだよそれ。変なボケかましてくんなよ」


 文字に起こすと(笑)とかwwとかが書かれていそうな、そんな応え方だった。





   ・・・・・





 その先輩は翌日、普通にタメ口を使ってきた。まぁ別にいいんだけど。ちゃんと断ったんだけどな。まぁ別にいいんだけど。怒ったり腹が立ってる訳でもない。まぁ、別に、いいんだけど…。


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