2021年:少子化問題
「あおい、帰りに商店街に寄って、お茶して帰ろー?」
私は親友の葵に近づく。放課後の教室には我が家の米櫃に残された白米ぐらいの少なさだった。彼女は珍しく情報端末で今年の漢字か何か検索していて、豪快な筆さばきで何かが書かれていく。墨汁は垂れていて説明なしでは分からない。暇な私はカニ歩きで葵の後ろに回り華奢な肩をモミモミして、彼女はくすぐったそうにしていた。麻雀パイを気にしてか豆乳ばかり飲んでいて、若干、張りが出てきたのかもしれない。服で擦れたのか息が弾んでいて私は更に意地悪したくなっていた。
「ああ、もう、いくわよ……でも、わたくしたちの気に入った店はことごとく閉店しますの」
一言で固まってしまいモミモミは止まってしまった。
「き、きっと計画倒産の店だよ。それに賃料も高いし」
私たちは人とは少し好みが異なっても決して味覚障害ではない、と思いたい。今日は何もかも忘れてJKとして街に行くのだ。最近は駅ナカの台頭で押されてしまっても独特の雰囲気は人を惹きつけている。葵は商店街の大仏が好きだけど私は不気味で苦手だった。
「今年の漢字は×だわ。清水寺から商店街に人が流れてきて疲れてしまうかしら?」
南座近くのレストラ×菊水に行く段取りにしていたが思惑が外れてしまった。石造りでレトロな建物。昔、家族で一緒に行ったことがあって懐かしい。葵とも何度かそこで食事をした。
「中華料理店の東華×館(とうか×かん)も菊×も無理かも、困ったよ」
「レスト×ンスターのオムライスも人気だから行けないわ」
この会話を大輝に聞かれたら「許可取るのは大変だから」と怒れたに違いない。マクド×ルドも候補にあがったけど「65円から値上げしたし」と却下した。京都らしい店舗は諦めた。
「もう、ガ×トでいっか。ハンバーグ倍盛りでお腹いっぱいになりたいし」
葵からの賛同も得たのでファミレスに決めて教室を出る。大輝君とその他友人たちは部室なのか、廊下で知り合いとすれ違うことはなかった。下駄箱で外靴にして校舎から出れば舞い散った雪が頭に降り積もっていく。葵は白い封筒にピンクの便箋、真っ赤なハートのシールで封された手紙を注視していた。しばらく無言で眺めていたけど、恋文はあろうことか短刀で切り裂かれ紙吹雪となって空に舞い上がっていく。
「さようなら……」
地面に張り付いた元恋文に告げた別れは、彼に届くことはなかった。私たちは踏み潰し商店街に向かっていく。地下鉄やバスは観光客に占領されていて疲れてしまう。市内であれば自転車が有効な移動方法ではあった。錦市場には人が多く抜かせないので自由はない。はぐれてしまわないようになのか親友は私の腕に抱きつく。小さな乳房に心が揺れて頭を振る。鮮魚の店や土産物屋が永遠と並んでいて突き当たりには神社があった。おみくじは獅子舞のカラクリが私たちに運んでくる。お互いに大吉。四条河原町は人々で賑わい誰かの背中しか見えない。三条駅に向かい信号待ちでかっぱ寿司が視界に入る。店内には人も少ない。最近の回転寿司は一皿100円ではなく150円代になっていて、高嶺の花。説得の必要もなく私たちは以心伝心で寿司に決まった。店内は人件費削減か情報端末が席に設置していて、液晶は安物のTNパネルで斜めからだと暗い。お茶の用意は彼女に任せて端末に指で触れて注文の確定をしていく。原価は気にしない人間なので、好きなネタにした。たまごの海苔が無くなったのは悲しい。代用魚で美味しく安く。お腹いっぱいになった。ラーメンやパスタまであって、ファミレスかな。来店して最初に受けた説明は知的障害に限りなく近い人が働いて了解を求められた。IQが境界域の70から65程度らしい。無自覚でないなら特に気にはしなかった。
「無能な働きものだったかしら?」
記憶は走馬灯の様に駆け巡った。一生懸命なのは分かっていても、障害者枠とは違い、自覚もないから、周囲は可愛そうでジッとしていて欲しい。あ、今は差別なのかな、これは。
「足引っ張って問題ばっかりでイライラしそう」
知識なのか理性の問題なのか性関係も緩く、病気での休学や産休制度の整った会社で半年間程度の休業は望まない妊娠出産が多い。適応力から特に女性の軽度知的障害は見逃されている。一般的なIQは100程度で、お互いに合わせられない。更に適正なく居座れば周囲の人々が離れていくので定着率にも影響が出て悩みのタネだ。貧困の結び付きは闇社会に迷い込んでしまい戻れない現実もあった。
「理解は一方的で一緒にさせても辛いだけ、見つかるのが遅れた分、苦しいだけだよ」
幼稚園児であれば泣き叫び根負けさせれば欲しい玩具は奪い取れる。でも、能力や立場は違って嫉妬しても、引き下ろしても、舞台には立てない。
「わたくしは……」
親友は勧から海外に出てしまい、今年戻った帰国子女の葵はIQが高く合わなかった。高過ぎても低過ぎても生きにくい。
「弱者に寄り添い、世界を正しく導くのが与えられた役割ですわ」
模範的な葵に対して私の人としての器はお猪口以下に小さい。非情だ。才能の伸び代は有限で、私は切り捨てもした。人員整理ではなく他に移ってもらいそこで活躍していて安心もした。
「私は何度も社会に裏切られたから早く舞台から降りたいよ」
「彩は違約金もなく、もう年季明けじゃないかしら?」
確かに誰からも強制されてはいない。企業はたった2人の才能に出資して世界で優位に戦った。私たちは豊かな世の中になって欲しい、その願いだけが支えだった。
「契約は慎重にして次は騙されないし」
戒めとして呟く。親友も頷く。私は葵の頬についた米粒が気になっていて無言で取って口にした。彼女は耳まで赤くなって、恥ずかしそうに俯く。その仕草は可愛かった。
***
エスカレーターで木箱が登って来た。金属のピンか何か抜かれたのか地面に落ちて地下空間に響く。地下二階から一階に向けて一直線に球体が飛んできた。私の頭のなかでは手榴弾は投げ返していた。でも実際は棒立ちしていて葵の咄嗟の判断で目の前の本屋に連れられていく。緑の公衆電話は懐かしい。靴磨き屋は無人。京都駅が忠実に再現されていて土地勘は十分にあっても戦闘は難しいな。のんびりしていても痛いほど引っ張られて行く。防災扉で跳ね返り波に遊ばれ不発弾なのかもしれない。新しい本の匂いがして棚に隠れた。私は悠長にオートマチックハンドガンのマガジンに炸裂弾だったかを装填していく。魔法か何かの呪文は恥ずかしい。箱に油でも塗ってあったのか中に引火して弾丸が四方八方に発射され壁は穴だらけになった。内心、組み合わせた飛び道具は卑怯だと抗議しても敵には通じない。幸い分厚い棚のお陰で難は逃れられた。私の記憶ではここは京銘菓×があって本屋は百貨店側だったと思うけど移動したのかな。葵は高価な書籍が蜂の巣にされて苛立っていた。敵の位置は不明。登って来たのか爆音で耳の聞こえが悪く位置の推測も出ない。私たちに残された針路は敵と交戦しながら百貨店、地上へ向かうか、避けてトイレ方面から地上に帰還するかの二択だった。待ち伏せの危険もあって、敵は地下二階に閉じ込めていたい。参加者は非戦闘員だけだと説明を受けたけど大間違い。組織的な狩に巻き込まれて、困った。食後の運動にしては激しい。
「こんなゲームだたけ?」
ここについて特別詳しくはない。自称天才ハッカーから噂は聞いていた。
「ほのぼのとした空間再現ゲームだったのだけれど、対テロ訓練用か何かかしら?」
問題は誰がテロリストなのか。私たちでなければいいけどね。超冷めた。護身用で渡された銃器の意味が今明らかになっても嬉しくもない。
「多分この武器は正規のプログラムではないし、棄権しよっか? 葵はどう思う?」
男の人って怒ると黙るけど葵からの返答はなかった。この時代にしかない本もあって新本がずらりと並ぶ様は、今はもうない。蜂の巣にされてご立腹なのは理解できた。頭に血が上がれば行動も単純になってしまう。もう詰みじゃないかな。
「正面突破しますの」
「ちょっと無理じゃないかな?」
天才は脳筋になってしまい日本の伝統的な突撃は自殺行為でしかない。短刀、ハンドガンで切り抜けられるとは思えなかった。腰構えの短刀は体重が乗って小柄でも致命傷になりうるけど、近寄れないことには威力は発揮されない。
「だったら刺し違えてでも、敵に一泡吹かせてやりますわ」
「う、うん。そだね」
私は最後まで付き合うけど、神風特攻隊と違いのない人命軽視の言葉だった。あれから特に攻撃は受けていない。公衆電話のモデム端子に接続できれば敵情報の更新が可能だった。正確な情報が欲しい。誰が実装したのか撃たれたら出血する。痛くはないけど不快で嫌だった。
「弾からして敵はマシンガンだよ。近づけないと思う」
「そうかしら、きっと銃器は持っていなくて弾だけなのよ。何百発も無駄使いしないわ」
確かに丸腰に近い可能性も高い。ただ、待ち伏せしたナイフ使いのプロかもしれない。私は安全装置の解除をして引き金に指をかける。葵の開けた分厚い本は真っ白い。心の中で「3、2、1」カウントダウンして物陰から勢いよく飛び出た。敵からの攻撃はない。
「どっちでもいいじゃん。エクスぷローション!」
後退したスライドから空薬莢が飛び出て地面に落ちた。弾速は遅く次第に大きな火の玉になって熱く、弾道はコントロールでない。ふわふわ漂い、エスカレーターを逆走して地下二階に降りて行く。「うわぁ」複数の断末魔か何か悲鳴が聞こえて次に焼肉の匂いがした。恐る恐る下の階を覗くと何もない。黒い何かはあったけど影だと思う。情報端末にはWINと出ていて、もっと絶望的な状況でドキドキしたかった。葵は停止した登りエスカレーターで降りていく。私も慌てて追いかけ地下二階には婦人服売り場が多い。彼女の一歩後ろに私はいた。火の玉は焼却しながら右に折れた。改札や八条口に向かうのだろうか。過ぎ去った後には、マネキンの服は焼けただれ素肌は溶けて頭が落ちていた。私たちを睨みながら、炎に包まれ跡形もなく燃え尽きていく。熱くて匂いも酷く気分が悪い。足元には黒い何か残骸が落ちていて背筋が凍った。彼女は気づいていない。足で蹴散らしながら観察すれば、それは木製の弓だった。通路にはボウガンの矢が刺さった炭もあって私ではない誰かに襲われたらしい。別の敵は近くにいるのか、狙われていても不思議ではなかった。熱で喉が乾く。炎は延焼していて消火は不可能に近い。
「クソゲーじゃん。帰ろー」
非常ベルはけたたましく鳴っていて逃げ遅れたくない。私たちは強制ログアウトで脱出した。それから、メンテナンスが3ヶ月ぐらい続いて、サーバーのデータ全削除してしまいの告知が出て急に終了してしまった。某掲示板には潰せない致命的なバグが原因だと書かれていて、開発元は債務超過で解散した。別の筋からは要人狙いのクーデターだったのではないかと囁かれていて、×の会でも暗躍していたのかな。これが事実なら三島×件の焼き直しで、葵は自ら潰してしまったことになる。暴漢を鎮圧できる力を持ちながらも、天才の彼女は高校生で社会的に自立していない。どこまでいっても学生身分だった。大型書店からゲームセンターになってから早何年、店外の空気は新鮮で血なまぐさくもない。命の危機から脱して本能的な刺激なのかムラムラしていた。表札屋横の華嶽山東北寺誠心院は和泉式部、所縁の寺で人が少なく椅子が用意されていて密会に適している。花瓶も飾られていて細やかながら美しい花だった。欲情の波に耐えながらゲーセンの思い出話になってプ×クラは登場してから20年以上経っても健在で今では情報端末に画像を送れるらしい。コンピューターの機能は急速に伸びて今ではリアルな質感の再現が可能になっている。それでも人々の足が向かうのは対面での交流が生命線らしく力を入れていた。
「昔は金魚すくいのゲームが好きでよく遊んだー、種類でもらえるメダルの数が変わるんだよ」
「わたくしは、ワ×ワ×パニックだったかしら。あれ、よく故障していたわ」
「わかる。ワニが出てこなくて、最高得点取れなかったよ」
製造会社は倒産してしまい絶滅危惧種だった。モグラ叩きに近いのかな。備え付けのハンマーで間に合わない時は手で叩いていた。何もかもが懐かしい。厳格な校則はなくスカートの丈は気温調整していて、今はハイソックスで丈も少し長くしていた。ヘムライン指数に対しての抵抗でもなく単純に寒い。クラスメイトの丈は個人差があって、困ってはいなかった。
「VRの行き着く先は何だろうね」
私は家から一歩も出ない社会を想像していた。私的な空間は電子にあって勉強部屋はいらない。自宅の概念すら変化してしまうかもしれない。布団一枚が世界の全てで、夢のない話になって悲しくなった。
「人間の想像力、観察力の限界ではないかしら」
再現は人間の作業なのだから一理あった。でも、それでは遊びの創造を放棄している。箱庭を与えて遊び方はプレイヤーに委ねていいのかな。究極に自由なゲームって本当につまらない。私は嫌いだけど自分の世界に浸れるから葵は好きかもしれない。あれ、でも、ゲーム機、プラットフォームの否定になってしまった。中心的な思想はフィクションのゲームに止まっていて世界への応用はいつになるのかな。体調は回復してゲームセンターに戻ってもいい。
「次は何しよう? クレーンゲームや音感遊戯もあるみたいだよ」
脱衣麻雀には触れないことにして、UFOキャッチャーでもいい気がした。狙いは決まっていて、大きなお菓子が欲しい。
「目的のゲームは遊びましたし帰りましょう」
銃撃戦に巻き込まれなければ葵は何時間も仮想世界にいたかもしれない。依存って怖い。私は親友の申し出に同意した。20時になれば通りの店々は閉店の時刻で、少し早いけれど私たちは帰路につく。河童とか出たら嫌だし。
「アルバイトの初日はいつなのかしら?」
制服の支給も受けて、履歴書も提出して給料の振込口座も伝えた。試着してみたけど胸の辺が少し苦しく変更したい。
「来年からだよ。塩炒め専属は楽でうれしぃー」
親友は不可思議な顔をしていた。驚き不快感、とにかく眉を寄せていた。塩アレルギーは初めてだったけど、お米でも発症してしまうのだから深く考えない。蕎麦屋が蕎麦アレルギーになったぐらいの認識にしておく。思考は惰性があって急に止まれなかった。
「彩の本当の両親が常連になって引き取りたいって言い出したらどうされますの?」
パン屋から実家は近い。私は無意識に選んでいたのかもしれない。それとは別に失くした夢の次を探していて誰にも話していないけどカフェ開業もいいかと今は考えていた。
「私は、もう苦しませたくないし、戻らないよ」
心配の種は十分理解していて、私は××彩の代用ではない。古典作品では母子の題材も多く、蒸発した両親を探し求めては感動的だった。でも、私の両親は深い懺悔や供養に心を砕いていて、今更、迷惑でしかないと思う。私は野良猫ぐらいでいい。苦しみたくない。同級生も知人も私のことが嫌いだったのか、葬式には誰も参席しなかったらしい。その代わり、業界関係者は多く参列して生き抜いた世界が違っていた。世界の中心は穏やかでも空洞だった。私は凡人だから、辛く悲しい。私の性別が男であれば親友ではなく恋人として小さくて強固な世界が築けたかもしれない。でも、性別がコロコロ変化していく動物もこの世にはいて、私は気持ちがついていけないと思う。やっぱり女の子でいいや。
「……ごめんあそばせ。失言でしたわ」
私の居場所は何処にあるのか。常に自問している。血の繋がりも戸籍も無意味だった。
「葵は本当の両親に挨拶しに行ったことあるの?」
「何度か、遠目で確認したぐらいですわ。でも、新しい命も授かっていて……」
地蔵は綺麗にされているのだから忘れてはいないと思った。でも慰めにはならない。
「あ、ごめん。今のは忘れて欲しい」
私たちはこの世界の何なのだろ。感情のない銃器だったらよかった。
「わたくしも、妹の凛と同じく記憶を消して転生してしまえばよかったのかしら?」
「私もさっさとあの世に行けば楽だったのかな?」
お互いに神は呪っていない。凛ちゃんの生き方は葵とは違い奔放で掌握で世渡りしていた。学級崩壊、いじめ、時は流れて今は自傷行為に変化したらしい。絶対に痛そう。根暗ってセロトニン不足らしい。幸福度は脳が判断するのだから、私たちは、もっと日光浴しなくてはならない。ガングロは当時から避けていた。でも、散歩は日課にしようかな。
「……親から受けた愛情は忘れてないし、辛いことも多かったけど幸せな家庭だったよ」
喧嘩しても仲直りして、反抗期には酷い言葉だって口にした。涙流しながら受け止めてくれて、私は愛されていていた。今だって同じ。児童施設では3歳までに親からの愛情が注がれていれば更生の可能性が高いらしい。幼少に親から虐待があっても、身体が大きくなれば立場が逆転してしまう。あの夏、私はこの世に復讐したかった。破滅に導いてしまいたかった。でも、私たちが残した功績でこの国は豊かになっていた。幸せにあふれていた。罪に苛まれても大輝は私に寄り添い支えてくれている。神は悲しい管理職で私は真に自由意志で決定は下していないのかもしれない。それでも勝ち取った幸せは本物だと信じていた。
「わたくしも同じ、どの家庭で育っても親は大切にしてくれて理解者でしたわ」
「そだね。家に帰ろ、待ってる人がいるから」
雪の舞い散るなか私たちはもう一度、女子高生として生きていた。
師走になっても平地に雪は積もらない。窓は曇っていて締め切った冬の教室は独特でコンビニのおでんの匂いに近かった。半日授業で神頼みの担任は電子黒板に冬休みの過ごし方について人ごとのように説明している。一言で表せば「来年も元気で登校しろ」だった。今日は冬至で帰りに柚や南瓜でも買って帰ろうか。年末年始の予定は埋まっていて買い物は多い。
「起立!」
いつの間にか話は終わっていて、クラス委員の紗夜が真面目に号令していた。我が校は数種類の制服から選択できてブレザーにパーカーは冬の日常になっている。不可解なのは当時の流行か彩はカバンの片方を垂らして肩に掛けることだ。ポケベルとか使ってそう。クラスメイトは次々、狭い扉から出て行く。
「大輝君、10(いま)、724106(なにしてる)?」
思考でも共有してしまったのか、彩はスタスタ近づきながら、何か暗号めいたメッセージを送ってきた。前田に解読してもらうために読み上げ、反応したのは神頼みの担任、葵だけで、俺含めて大多数は理解不能だった。
「ポケベル語か! よー知っとるな。ワシも49106は頻繁に届いたのお」
翻訳しなくても、また人ごとのような言葉だと思った。彩曰く「至急電話」らしい。出会った時、彩はすでにカラー液晶の二つ折り携帯電話を所持していて、市販品に同型はなく試作機だと思った。担任の世間話しは非常に長いので適当に切り上げたい。俺の友人たちは散っていく。
「先生、さようなら」
会話もひと段落して彩は丁寧に挨拶した。下校時間に鳴り響くのは、かごめかごめで好きではない。凛、紗夜は担任に呼び止められ、余った俺たちは教室から抜け出し下駄箱に向かう。床はワックスでコーティングして滑って転びそうになってしまった。冬休みは想像以上に短い。
「冬休みに部活動はしないのかしら?」
「予定はないな。地下書庫に読みたい本があるなら、自由に借りていいぞ」
残念ながら幽霊部員の多い文芸部は休み期間中に集まらない。クリスマスパーティーの会場にしてもいいが暖房が故障していて不可だった。元図書館なので飲食の許可も取れない。
「大掃除して年神を迎える準備しなきゃいけないよ」
出会った当時は神の存在に否定的だった彩は、何か言葉をかけられたらしい。超舞い上がって嬉しそうにしていた。彼女の祈りは通じ現生に強い結びが生まれ魂が肉体に定着したらしい。興奮気味に伝えて周って神の言葉は禁則事項だと紗夜に叱られていた。あれから友人ぐらいの認識になったのか賽銭箱の上に一升瓶の酒を放置したりしている。未成年ながら三重県の清水清三郎×店(株)の×(ザク)を死の商人からの請求に計上されていて焦った。
「そーぅ言えば、有田君が見当たらないけど、保健室? どうしたのかな?」
「有田は、自席に置かれた鏡餅の上の……」
俺は言葉に詰まってしまう。彼は呪われた自作小説に世界に閉じられ、数ヶ月後地下書庫で蜜柑になって見つかった。向こうの世界でめでたく結ばれた魔女の力で現生に戻って来たらしい。この姿であれば帰ってこない方が幸せだったのではないか。俺は疑問に思う。紗夜曰く、「黒魔術に長けたミレヤって性悪の魔女の封印が解かれて大騒ぎだったね。まだ捕まってないから注意して」と軽く流された。
「有田君はどうして、みかんになっちゃったの? 可愛そーぅ」
「それは……分からない。ただ、魔法らしい」
彼の身には赤々とした口紅の跡が付いていて俺は目を背けた。かけられたのは制約魔法の一種で有田は使い魔になったぐらいの認識が近い。
「そっか、どうでもいいから、帰ろー」
魔法はいつしか解明されて科学になったのだから彼女らは信じない。世間的な判断なら牧歌的な校風で蜜柑でも許容されていた。魔女を両親に紹介した時の有田は人間だったらしく、気まぐれで元に戻ると思う。空飛ぶ箒に串刺しにされていた目撃証言もあって俺は知らない。
「今日は奮発して焼肉にしよう。かぼちゃも一緒に取れて一石二鳥だ。葵も行くよな?」
「ええ、もちろん、一緒しますわ」
凛とは違い表情の変化は読み取りにくい。引きつっていて居心地悪く感じたのかもしれない。
「大豆肉はやだよ? 量より質だから!」
世界的な畜産業の抑制で植物由来の代替肉が脚光を浴びている。家畜の排出する二酸化炭素や飼育に必要な土地を確保するための森林伐採が問題となっていた。食感や味は過渡期で改良の余地はあって試作品の域を出ない。焼肉ラ×クで提供していたが彩には不評だった。大豆の匂いが強く残っていて肉ではないそうだ。レビューは嘘だと騒いでいて困った。
「フライパンで良質な肉を焼いても美味しく頂けないわ」
このままではステーキ専門店になってしまう。いきなり、やっぱり、レア肉は好みではないので避けたい。
「な、なあ、焼肉よりハンバーグにしないか?」
俺はいつまでも転校前の葵でしか考えられない。当人の好みは変わっていないのか、不満はない様で安心した。昔は競争が嫌いで常に新天地を探している、そんな子だった。「略奪も困るし焼き払いながら撤退、戦の基本だよって彩は恐ろしいことを言っていて、次第にわたくしも同感になったわ」最近驚いた言葉で彼女らは××年前に何をしたのか。競争放棄は資本主義の否定。役割を終えた銀行と同じ様に彼女らも……、俺は被りを振った。
「私は大豆肉じゃなかったら、いいよ」
彩の号令で目的地は変更になった。明日からの休みに思いを馳せて俺たちは歩いていく。
***
彩とは四六時中、一緒でイブも特別な意味合いは薄くなってしまっていた。異性としての認識はしていてもキスだって夏以来していない。朝からパーティの準備で会話も少なく、落ち着けたのは日が暮れてからだった。俺は出×館で届いたKFCのフライドチキンは若干冷めていてノンフライヤーでポテトも一緒に温め直している。輪飾りも壁に掲げて、クリスマスツリーも出した。キャンドルを立てれば雰囲気も悪くない。彩は細かな作業で肩が凝ったのかお灸していて、露わになった肩やブラ紐に心穏やかではいられない。大皿に骨付フライドチキンを盛っていく。香ばしい匂いに腹の虫が騒ぎ出し彩も釣られて近寄ってきた。
「美味しそうだね……、大輝は私と2人だけで過ごしてもいいの?」
「姉妹や友人はクリスマスのパーティだけだからな。俺で不満か?」
「嬉しい。……ねえ、食べさせて?」
彩は少し口を開くと指で軽く髪を流し耳にかける。薄く化粧でもしたのか唇は色っぽく瞼を閉じた。「早く、して」甘えた声で誘う。俺は……。
「ふふっ、もぉ、ダメだよ。でも、……もう一回、して?」
[中略]
「お腹一杯で動けないよぉー」
居間の炬燵で横になった彩はサンタコスになっていた。聞かなくても凛から買ったのだと思う。俺は冷めたポテトの油でもたれ胃薬を探しに台所に行く。富士×品の常備薬が久々に役立った。ここ数年、全く、薬売りの姿は見えない。コップに水を汲み彼女の分も用意して戻る。
「ありがとー、ぐるじー」
俺たちは粉末で咳き込みそうになりながら水で流し込む。少し前まで新型コ×ナウイルスで混乱した世界も治療薬で沈静化している。当初はHIVを使用した人工的なウイルスとの見方もあったが否定された。それでも、免疫暴走の病リウマチ治療薬に効果があり、疑いは残っている。葵曰く「全くのデタラメ、非ステロ×ド系のロキソ×ンぐらい平均的効果の認められる新薬でも作ってから言ってくださいまし」と陰謀論の好きな俺は怒られた。同じくリウマチ治療に用いられるステロ×ドも初期には治療薬として活躍したらしいが、副作用は強く高血圧、細菌の感染、骨密度の低下、用法用量の調整が慎重な諸刃の剣で万能ではない。その他、今年は炎症免疫系の薬品にも注目が集まった。発生原因は未だに判明しないものの、コウモリ説が有力だ。
「……難しい顔して、大輝は賢者タイム?」
その言葉は誰から教わったのか、ある種、それに近いので間違いではない。
「今年は流行病で親が帰国出来なかったからな」
長引く不況で進路の決定は早くなっていた。どれだけ探しても昭和で時の止まった企業はどこにもなく、大人しく公務員を目指したい。
「本当は、ホッとしてるでしょ?」
「……戸籍上の妹について説明できる自信がないからな」
この関係は付き合っていても結婚できない。都合良く彩の本当の両親が引き取ってくれれば問題解決。戸籍も婚姻届の紙切れも一方的に破棄できない契約書だからこそ慎重でいたい。俺は彩のどこに惹かれているのか分からなくなっていた。これはもしかして倦怠期ってやつか。
「私の居場所は自分でつくるから、何の心配も必要ないし」
また目の前にいても遠い存在にしてしまい、まるで幽霊だ。俺は彩を抱きしめる。今は何時なのか柱時計は上の方を指していて血糖値スパイクか急な睡魔に襲われた。
***
意識が途切れた時間は短く、彼女の温もりは残っていて、見渡してもどこにもいない。俺は慌てて炬燵から這い出し、居間から廊下に出た。浴室に灯りが点いていて水が跳ねるような音がして、それでも心配で遠慮がちに扉を叩く。
「大輝? いい所に来たー、シャンプー切れたから扉の前に置いておいてー」
胸を撫で下ろした。棚から女性用の詰め替え用を取り出し指定の場所に置く。
「何かあったら、呼び出しボタンを押してくれ」
「わかったー」
俺は居間に戻って後片付けに取り掛かる。指定ごみ袋に詰めて結んでベランダに出した。炬燵に戻って付けた深夜のテレビ番組はつまらない。情報端末で掲示板にアクセスしても聖夜の揶揄ばかりで去年は参加していただけに恥ずかしくなってしまう。部屋に戻ろうか考えて待つことにした。時間の体感速度は極めて遅い。泡沫の記憶には黒いセーラー服の彩が引き出された。ハロウィンだったように思う。あれは何のコスプレだったのか。思い出したのは三途の川の船頭で可愛かった。今年も幽霊関係で散々だった。事実、推測・予想、妄想に別けなければ精神が正常に保てない。断片的な欠けらだけ残って、俺はもしかしたら何度か間違いを犯していたのかもしれない。今日も、あれは、失敗だったのだろうか。
「あれ? まだ、起きてたの?」
「もう少しだけイブだから、一緒にいたくて、な」
「そっか、そっか、おいで」
彩は手招きして俺は釣られてしまった。パジャマの彼女から甘酸っぱい柑橘系の匂いがして頭がクラクラしてしまう。手を引かれて寝室に向かい、冷たいベッドに入っていく。お互いに背中合わせで、彩の個室は家具で溢れ殺風景な俺の部屋とは違った。
「大輝は何人、子ども欲しい?」
これは何かの心理テストなのだろうか。それとも額面通りの質問か迷い正直でいようと思った。
「それは……まだ考えられない。人数は別にしても1人ぐらいは欲しい」
「そっか。私、自分が嫌いだから、生き写しの子どもは欲しくなかった」
彩の言葉は過去形で、現在は多分欲しいのだと思うことにした。
「職業病かな、難しくてごめんなさい、私は、ちょっと疲れた……」
俺の反応がなくて不安になったのか言い訳の様な言葉だった。
彼女の心は常に世界の最先端あって凡人には理解できない。
「俺さ、自分の子が障害児だったら、って思うことが多い」
授かる可能性も比較的高く、生まれる前の判定も高精度になった。
「……私なら、産まない。そんな醜い子は愛せないし」
「そうか。……その時は、そうしよう」
中絶で子宮を痛めてしまうなら、出産して養子に出す人もいる。将来的に彩の言葉に変化があるのか分からない、それでも今の意見は尊重したかった。
「大輝、キスしてもいい? 好きとか、愛してるとか、永遠じゃないって聞いたから、確かめないと、……不安、だから」
寝返ったのかベッドはきしみ、彩は俺を求める様に背に抱きつく。
「罪悪感があるなら、しないほうがいいと思うぞ」
「駆け引きはしたくないの。これだけ誘っても大輝は冷静だし、私って魅力ない?」
困ったことに今向き合えば身体にあらわれた性的興奮が如実に分かってしまう。
「……わかった。いいもん」
彩は布団から抜け出し俺は見上げる様に仰向けになる。彼女はピンクのパジャマの半分を脱ぎ捨て、純白のショーツだけになった。
「これでも、ダメ、かな?」
仁王立ちした彼女のふくらはぎから太ももに視線が移動していく。古典的ながら鼻血が正解なのか。俺は苦肉の策で彩の甘い匂いがついた布団を抱きしめながら、上半身を起こす。逃亡の危険でも感じたのか彩は腰を落とし馬乗りで阻止してくる。
「どこ行くのかな?」
薄暗くてもお互いに顔が赤いのは理解できた。俺はこれまで、自分の意思で彩にキスしたことがない。誘うのはいつも彼女からだった。
「大輝、もしかして……」
俺は考える暇もなく彩の唇を奪い誤魔化し×は深い未経験の領域に達した。
[中略]
「また、していい?」
「ああ」
短いやり取り。
「……もう一回、今から、しよ?」
俺は断れなかった。来年になれば彩は勤労少女になって、彼女の両親と再会して戸籍の移動が提案されるだろう。俺たちは戸籍上の兄弟であって禁忌はまだ犯してはいない。神だけの知る大罪は闇夜に溶けていく。
***
「ぅ……バッドエンドかよ」
私は布団から抜け出し何に苦しめられている大輝君の髪を撫でた。神は優しくても甘くはない。肉体を得てからは彼から離れて戸籍を姉妹の家にすればよかった。大輝の友人が大好きな美少女ゲームでひと昔前に流行した義妹ものは、付き合いは描かれても結ばれる方法はない。突然、結婚式の場面に移ってしまう。どれも、これも、嘘で塗り固められた偽りだった。
「間違えたなら、もう一回、今から、しよ?」
意地悪な私は彼の耳元で囁く。
「裁判所の判断がなければ戸籍は動かせないし」
私の問いかけに彼は反応しない。
「契約のない事実婚でも愛してくれますか?」
「ぁ、ぁぁ」
これは了解と取っていいのかな。大輝はこの国最高峰の教育機関に通い、人生の選択肢は星の数ほどある。官僚にだって、地方公務員にだってなれると思う。勘違いして作家志望にでもならなければ、国の中枢で舵取りをするに違いない。私は独立のため近所のパン屋で修行し資金の支援を受けてカフェを開く。
――平凡な人生だと思う。私の人生もバブルで狂ってしまったのかもしれない。
「これからよろしくね」
一方的で法外な契約を取り付けた私は小躍りした。