第一話:二人の旅人
「ただいま。今帰ったよ、テンじいさま」
アイクは村の外れの大きな石作りの家に扉がない入り口から入ると、中にいた老人にそう言った。
家の中は床も石が敷き詰められていて、天井も石造りで大きなガラス製のランプの中に火がたった一つ灯っているのがいくつか吊るされていた。意外と明るい。
玄関から入ると長テーブルがあるだけ。そして家の中には老人のほかにはいなかった。どうやら二人だけしか住んでいないようだ。
「おう、帰ったかアイク。どうじゃ?パートナーのファンちゃんとはお互いの志を確かめ合えることができたかの?」
テンじいさまと呼ばれた老人は、腕の裾が長い布服を着ており、それにはアイクたちの服と同じように三角模様がついていた。長く、先端が渦のように湾曲した木の杖をもっており、頭には大きな羽が数本刺さった帽をかぶっていた。
長テーブルの一番奥にある玉座のような木のイスに腰をかけていたテンは、あごから膝まで長く伸びた白ヒゲをなでながら帰宅したアイクにそうたずねた。
「いやあ、二言三言 ‘明日からよろしく!‘みたいな言葉を交わして、ファンが先に帰ったから帰ってきたよ」
アイクは長テーブルの前に並べられたいくらかのイスの中で長老の斜め前のイスに座ってそう答えた。そしてテンは木のパイプのようなものを取り出すと、無言で人差し指をパイプに入れられた葉っぱに向けた。するとボッ!っという音がして火がつき、パイプから煙を吹かした。部屋はとても静かだった。
テンはパイプを一吹きすると、アイクに言った。
「まあそれでよい。巡礼の旅はとても長いぞアイクよ・・。今晩はもう残りの旅仕度を済ませておくんじゃぞ。そして早めに寝なさい」
そして再びパイプを吹かし始めた・・ただ前を向いて。白いわっかが一つずつゆっくりと天井に昇っていく。
そしてアイクがイスを引いて立ち上がって
「分かった・・。あ、じいさま・・。」
「なんじゃ・・・?」
テンが不思議そうに聞く。
「いままでありがとう・・じゃ、おやすみ」
アイクは静かに微笑んで、歩いて木の扉を開けると中の部屋に入っていった。
「フン・・・」テンはパイプを置いて、ただじっと窓の外を見ていた。森、そして山の頂上の更に上に真っ白な月が止まっているかのように浮かんでいた。
アイクが自分の家に帰ってすこし経った頃、村にある他の数軒の家。それらはほとんど明かりが消され、暗くなっていた。しかし、ただ一軒だけ明かりが点いている。
「ただいまーお父さん、お母さん」
ファンは自宅に入った。アイクの家よりは少し小さいが石造りで、造りも大体同じだった。
長テーブルの奥とその斜め前に座るのはファンの父と母であった。
「おかえり。どうだった?アイク君とは志を確かめ合えたか?」
「まあ二言三言明日からよろしくっていうような言葉を言っただけだよ」
ファンはイスに腰をかけながら、父の質問にアイクと同じような答えを返していた。
「巡礼の旅ねえ・・懐かしいわあ。お父さんとお母さんも二十年くらい前にほかの数人と一緒にこの小さな村から旅に出たのよ。それでお互い結婚して・・生まれた自分の娘がこうして同じように旅に出る。時が経つのは早いわねえ・・」
「まったくだな」
父と母はきれいに片付いたテーブルの上で木のカップに入れられたお茶を飲みながらこんなやりとりをした。
「アイク君も幼い頃両親を、あの‘巨大な石の竜‘に殺されてしまって以来、村長のテンじいさんに育てられ・・・今では武術やごく基本の‘魔法‘も人並みに使えるようになった。旅にはもう出られる力のつき具合だ。勿論ファン、おまえもだぞ」
母がお茶を片付け、台所に行って父が娘に話し始める。
ファンはただ黙ってそれを聞く。父は続けた、
「しかし、旅には危険がつき物だ。俺や、母さんが旅をした頃は世界は‘あらゆる人があらゆる物に感謝できる時代‘に入っていた。魔物もほとんどいなかったし、人は皆優しかった。もちろん悪い人も少なからずいたがな・・・。だが、昨今は風のたよりでは世界中で魔物が増え始め、巨大な大陸の中枢国家では内乱が起きたり、魔法を悪用した犯罪人がひしめいているような危険な時代になっている。アスラ村の外ではアイク君と互いに協力して、困難を乗り切ることが大切だ。本当は俺もついていきたいぐらいだが、村の掟でそれはできん。くれぐれも気をつけていくんだぞ」
「うん・・分かった」ファンは父の言葉にただ、頷くと
「ありがとう、お父さんお母さん。また三年後に立派な大人になって帰ってくるから・・。じゃあ、明日早いしおやすみなさい・・」
そう言い残して、扉を開けて自分の部屋に入った。
「ふううー旅支度もめんどくさいけど・・よし!やっと終わった。ランプに周辺国家の地図、それに携帯食料を少し、後は上下数枚にブーツ・・あとは歯ブラシ。全部オッケーかな」
アイクは自分のベッドに腰をかけ、していた旅支度が済むと寝巻きに着替えてベッドに仰向けに寝転がった。荷物を詰め込まれたほんのちょっとだけ大きなリュックが、床のじゅうたんに置いてある。それを天井の小さなランプがほんのりと照らしていた。
「ついに俺も大人になるための旅に出発か・・・長いようで短いようで長いようで・・・切りないから寝よ」
アイクは眠くなった目をこすりながら立ち上がり、ランプのカバーを外して火を消すと、月明かりが音もなく照らすベッドに潜り込んだ。そして目をゆっくりと閉じた。
ここ、アスラ村では世界に例がおそらくないであろう通過儀礼がある。それは、村人は皆十七歳になると成人になるために世界を大体三年くらいかけて旅すること。これは巡礼の旅と呼ばれており、アイクとファンはアスラ村では百回目になる巡礼の旅人だった。
巡礼の旅とは、巡礼者が村の外に出て、神に成人になるための独特な村の祈りをささげて廻ること。この世界はすごく巨大なひとつの大陸があり、その内陸部に湖や海が転々と、そして大陸のまわりはすべて広大な蒼の海が広がる。
そして大陸は七つの地方に分かれており、その各地方ごとの中枢国家にそれぞれ奉られている、‘世界七神‘すべてにある特殊な祈りを奉げる。それは自分が大人になるための儀式で、また村の外の世界を旅して廻ることによって肉体的にも精神的にも成長することができるのだ。
巡礼の旅を終えるとアスラ村に帰り着く。そして、ここで最後の祈りをささげるのだ。しかしそれが終わって、のんびりとしたアスラ村に住み着くものは少なく、たいていが再び旅に出る。今度は自由気ままにである。その旅に出てある国に安住する者もいれば、どこかでのたれ死ぬ者もいた。
だから村の人数は全部で四十人ほどなのだ。アイクとファンはその中でも数少ない子供の部類に入る。前回の巡礼者は十年前だったので、かなり久しぶりの旅だ。
「うう・・父さん、母さん・・・」
村人皆が寝静まった丑三つ時。アイクはベッドの舟の上でうなされていた。
アイクの両親は大我が幼い頃、村に突如襲ってきた‘巨大な石の竜‘に襲われて死んだ。
息を吹きかけられ固まった。石のように。そして砕かれた。粉々に・・粉々に砕かれた。
アイクは両親が死んだという事実を知らされなかった。竜は去ったが、ある日起きるといない両親。旅に出たといわれたが、後に死んだということを知らされる。そのときアイクは何も思わなかった。幼い頃の記憶は薄れており、村長のテンが親代わりになっていた。しかし、成長してみると、改めて自分の本当の親に会いたいという気持ちが募っていったのだった。
そんなアイクは最近になるとある異変が体を襲っていた。それは今も・・・それは
「ネオスピリットを見つけ出す・・ん・・だ・・」
寝言のように繰り返されるこの言葉。一体なんのことなのか、アイクはただうなされているばかり。ネオスピリット(新生の魂)・・・。なぞの言葉を発するアイク。寝苦しそうだ。
それでも夜は静かに過ぎていく。アイクも寝言を三百回程言っていた。同じことを繰り返し繰り返し・・。
そして夜は明けた。月が沈み、太陽が顔を出す時間。
村の中は一面霧がかっていた。家々の間には静寂が漂い、家々につながれた家畜の馬なんかも目を覚まして震えていた。標高の高い場所にあるこの村は気温がただでさえ低いのだ。馬どころか人間は当たり前のように寒さを感じるだろう。
そんな時間がすこし経つと、村の端でなにやら人の声が。
そこには村の出口の木の小さな門が閉められていて、数十数人の人がいた。
霧の中、静かにしゃべる人々。
そこにはアイクとファン、そして、村人の大人や数人の子供、そしてファンの父母と勿論村長であるテンが立っていた。
「じゃあ気をつけて行くんじゃぞ」テンのその声に村人が続く。
「頑張ってね二人とも、帰ってきたらウチの小さな子に旅の話を聞かせてあげてね」一人の女性が。
「今は色々物騒になってるが頑張って来いよ。辛くなったらいつでも帰って来い!」一人の屈強な男が。
「アイク君、ウチのファンをよろしくね・・」
「立派になってかえってきた二人と、世界への旅の土産話を楽しみにしているよ」
そしてファンの両親が、アイクとファンに激励を送った。
「ありがとうね・・皆も元気で」
「俺たちは必ず立派な大人になって帰ってくるよ。今まで皆ありがとう」
ファンとアイクもそれぞれみんなに感謝の言葉を返した。
二人は旅の服なのか、いつもの布服ではなく、大きな厚手のブーツに村の伝統の白いパーカー。アイクは黒いジーンズをブーツを履いて余った部分にしまい、ファンは薄地の青いジーンズの上に厚地のスカートを履いていた。
そして二人とも、村の竜の紋章が描かれた鉄製のボタンでつける鎧板をパーカーの上から装備している。大きな手袋もはめて、背中にはリュックを背負っていたのだった。
「じゃあ、そろそろ行くよ・・」
「気をつけてな・・」
アイクの言葉にテンが返す。村の皆はこれ以上は言うことはないというような、哀しいような、応援するような、晴れやかなような、各々の表情で二人を見ていた。
アイクとファンは村の門を開けた、そして黙って村の皆に背中を向けて歩き出した。霧はいまだ晴れることはなかった。この先何が待ち構えているのか二人はまったく知るよしもない。二人だけの巡礼の旅が始まった。




