#2 ビビデ バビデ ブー
夜。
僕はまたいつものようにあの喫茶店へと向かっている。
鬱陶しいくらいに眩しい周りの明かりを浴びつつ、平気で歩きスマホをする。見ているのは、ネットニュースだ。トピックは、
『本当は怖い!グリム童話』
特別興味があると言うわけでもないが、なんとなく気になったので、なんとなく読んでいるのだ。
本当は怖い『ヘンゼルとグレーテル』
本当は怖い『赤ずきん』
本当は怖い『狼と七匹の子山羊』
並ぶのは有名な題名ばかり。グリム童話というものをあまり知らない僕でさえ、あらすじを知っているほどである。
まぁでも、童話とかお伽話とかではあるあるだよな。映画や絵本でどれだけかわいく、子供が憧れるようなリメイクをしても、原作は残酷だっていう現実。見なければよかったーって思う人とか多そう。
記事を読んでいる限りでも、その『見なければよかった』感はありありと感じられる。
どれもグロい。これが当時グリム兄弟の生きていた国での子供たちの読み聞かせだと思うと、かわいそうでならない。トラウマになるんじゃないか?
悪者に位置する人物の成敗の仕方がどれもえげつない。
なんだか、気分悪くなってきた。
ため息をつきつつ、僕はその記事を閉じ、イアフォンをつけ、音楽を聴き始める。今日はバラードが聞きたいというか、しんみりしたい気分だった。最近見つけた海外の歌手を動画サイトで検索する。MVがいくつか出てくるうちの1番好きな曲を選択し、画面を見ることなくスマホをポケットに入れ、流れる音楽に耳を澄ました。
透き通るような心地よい声は、賑やかな都会には似つかわしくない。
☆
喫茶店に着くと、僕は階段を降り、迷わずドアを開けた。
「いらっしゃいませ。」
心地よい声音が僕の耳に響く。
「…こ、こんばんは。」
僕は俯いたまま返事をする。
ここに来るのは何回目だよ。いつまで緊張してるんだよ。
店主さんの声にうっとりしつつ、自分の意気地なし加減に絶望していると、追い討ちをかけるように、軽快な電子音が響いた。
俯いて気づかなかったが、先客がいたのだ。
僕はそそくさといつもの端の席に座り、改めて先客を見る。
……子供?
しかも小学生くらいの…。もう10時近いぞ?何夢中になってゲームしてんだよ。警察に捕まるぞ。
しかもちゃっかり、店主さんがいる目の前を陣取りよって…。
だがそんなモヤモヤも一瞬で消え失せた。
「いつもご来店ありがとうございます。今日もいつものですか?」
僕だって少しは進展したんだもんねー!!
「はいっ…お願いしますっ…」
「承りました。」
ニコッと笑いかけてくれる店主さん。そう、毎日ここに訪れている僕は、ここの常連になったのである。
そして、注文の時には『いつもの』というなんだかこなれ感のあるこの言葉を使えるようになったのである。
まだそんなに時は経ってはいないが、これは早い段階での進展ではなかろうか!!
…と、調子に乗っている僕である。
ドカン! テレレレッテレー!
この静かで落ち着いた空間にそぐわない音が響く。
「ハァ…」
カタンと横でゲーム機を置く音がした。負けたのだろうか。なんというか、勝った時の『やったね』的な音に聞こえたが。
僕は横目で子供を見た。帽子とで顔はよく見えないが、服装は昔のイギリスのどこぞのお坊っちゃんのようだった。レトロというか、身なりだけはこの店にあっているようだ。
少年か少女か分からないが、
「負けちゃった?」
店主さんが何か作業をしながら話しかけている。
「……」
…
無視か!!
店主さんのご厚意を、
無視か!!!!
なんて子供だ!!
「そのゲーム、そんなに難しいの?」
なんて優しい店主さんだろう。顔色一つ変えず。
「………違う」
何拍が遅れて返事が聞こえた。声が思ったより低い。少年か。
「簡単すぎ……あまり面白くなかった」
ぶ…
無愛想。
それが僕が少年に抱いた最初の感想である。
なんだこの少年。喋り方が子供らしくないぞ。
「お待たせしました。」
「ありがとうございます…」
頼んでいたコーヒーがやってきた。
ブラックコーヒー。僕にとってはまだにちょっと苦い。
店主さんは少年の前に戻ると、また話しかける。
「いつもはどんなゲームをしてるの?RPGとか?」
少年は無言で首を振る。
「じゃあどんなジャンルが好き?サバゲーとか?」
「ブッ」
僕は、飲みかけていたコーヒーを吐き出すところだった。
サッ
サバゲー…?
店主さんゲーム好きなのだろうか。
サバイバルゲーム。
インターネットとかで全く知らない世界の人たちとそのゲームの中で繋がって、銃やらマシンガンやら武器を使って1人になるまで殺し合う、もしくは沸き続ける敵を協力して倒していく。
そんな物騒なイメージしかないけれど。
サバゲーは、確か、サバイバルゲームの略語。本当にハマっているような人じゃないとその略し方知らないと思うんだけど……?
かなり驚きだ。
「サバゲーも好きだけど……」
お、少年が食いついた。
「うん」
店主さんが優しく促す。
「こう……なんていうか、細かい作業とか、操作にテクニックがいるような感じの……が好き……です」
なんか意外だ。あの子ぐらいの年頃なら、『スーパー赤い帽子のおじさんブラザーズ』とか、『星のピンクの化け物』とか、あのへんのゲームにハマりそうだけど。
僕も小学生から中学生にかけてはよくやっていたゲームだ。
「ほほぉ、そうなのね。確かに、ゲームの指捌きとか見てると、とても器用そうに見えるもの」
「そ……そう?」
少年が店主さんを上目遣いで見ている。
さすが店主さん。褒められて嬉しくない子供はいない。
もちろん褒めてられて嬉しくない大人も……
僕は心の中で盛大に咳払いをした。
少年は嬉しくなったのか、おどおどしつつも夢中で喋り始める。
「さっき、やってた、のは、『Ash』っていうゲーム、で、廃墟の中にいる、敵を、アッシュール、っていう、ドローンを使って、倒す……。他にも、もの、運んだり、いろんなことが、できるの、です。」
『Ash』か。聞いたことのないゲームだな。それに……。僕は少年を横目で見る。
やっぱりあのゲーム機は全く見たことのない代物だ。知らないうちに、新しいゲームがじゃんじゃんでてんだなぁ。
ちなみに僕の中のゲームの歴史は、3DSで止まっている。
「ドローンって免許がないと操縦できないっていうくらいだから、難しいんでしょうね。でも、すごいね。君くらい器用だったら、お店の片づけはかどるかなぁ」
「そっそうでもない、です、よ…?上手い人、なんて、いっぱい、いる」
謙遜しつつもどこか嬉しそうなのは、子供らしいところだと思った。たどたどしさはありつつも、しっかり会話が成り立ってるし、頭の悪い子ではなさそうだ。
ふと、店主さんは再び質問を投げかける。
「お友達と通信して一緒に遊んだりするの?」
ごく普通の質問だと思った。
今となっては「俺1人でいる好きだから、近寄んなコノヤロウ」状態の僕でさえも小中学生の頃は、よくゲーム仲間と遊んだもんだ。こっそりゲーム機を学校に持っていって、放課後になったら公園まで走っていって通信して何人かで遊んでたなぁ。
「……ぃ」
「え?」
「いない」
かろうじて聞き取れた小さな声。言葉にはますます覇気がなくなっており、少年は俯いている。
店主さんが一瞬だけ「しまった」という顔をした。
数秒の沈黙。店主さんが優しく問いかける。
「……どうして?」
少年の口がハッと開いた後、クッと力が篭った。目元は帽子で隠れていて見えない。怒っているのか、悲しんでいるのか、分からなかった。
店主さんの表情は柔らかい雰囲気を残しつつも真剣そのものだった。
「言いたくないことなら言わなくてもいいけど、誰かに相談して楽になることだってある、ということだけは知っておいて欲しいな」
言葉を選んで話しているのがわかった。
この年齢くらいの子供なら「もう絶交だからね!」みたいなケンカをしては、だいたい次の日くらいには、普通に学校で「おはよう!」って立ち直ってるようなものだと思うが……。
少年の様子からしてそうでもなさそうな気がしてきた。
ふと、少年が俯いたまま呟いた。
「誰にも、言わ、ないで、ください、ね」
「うん。誰にも言わない。約束する」
店主さんが誰にも言わないなら、僕も誰にも言わない。
大人は子供の味方になるのが当然である。
意味のわからないことを考えていると、少年はたどたどしく話し始める。
「朝、学校に、着いたら、机に、ペンで悪口が、書いてある。黒板に、名前、書かれる。帽子、取られる。女の子、みたいな顔、して、声、低いって、気持ち悪いって、言われる。持ち物とか、上履きを、隠され、たり、捨てられたり、する」
『いじめ』か。
それも漫画に出てくるようなしょうもないやつが勢揃いした、頭の悪い連中が面白半分にする類のいじめだ。
どの年代になっても、やっぱりあるのね。
「うん」
店主さんはそっとうなずいた。
少年は続ける。
「母さんは、病気で、死んじゃって、父さんは、仕事に行った先で、いなく、なっちゃった。きょうだいも、いない。
家に、突然、変なスーツの、大人の人が、急に来て、家じゃない、ところ、に、連れてかれて」
「うん」
少年の頬に、涙がつたう。
「っく……そこで、知らない子たちと、ご飯食べて、お風呂入って、おんなじ部屋で寝て、知らない大人の人達に、『大丈夫だよ』、って……毎日、おんなじこと、ひくっ……言われる……」
施設に入ってるのか。
ドラマや映画の世界だけだと思ってたが、現実に本当に苦しむ子供がいるんだな。
「自分が、悪い子だからっ……みんなに、悪口言われ、て、母さんやっ、父さんのっことをっ……悪く言われる。悪いのは、母さんと、父さんじゃないのに……!悪いのは__」
「それは違うよ」
まずいと思ったのか、店主さんが口を挟む。
「君は悪い子じゃない。悪いのは、君に悪いことをする子達だよ」
「……?」
この様子だと、周りの大人は誰一人相談に乗ってくれなかった、もしくは怖くて少年自身が黙っていたのどちらかだな。
可能性としてはあるかもしれないのは、いじめられるに相応する何かをやらかしたこと、だな。そんなことをするほど、気は強いわけではなさそうだが。
子供の人間関係も案外楽じゃないんだな。自分がいかに平和な状況下で育ったかが分かる。
「もし君が同じクラスの子達に悪いことするなら別だけど、私には君が他の子をいじめているようには見えない。
君が誰も傷つけず、毎日意地悪されるのを、必死に我慢してるのなら、君はよく頑張った」
「……え?」
「よくここまで堪えたね。本当によく頑張った。君は誰よりも強い子だ」
「ぅッくっ……ひくっ……ぅ、うう、ううう、ぁぁぁぁぁぁ……!」
少年は声を上げて泣き出す。
どんなに強がってクールぶってみても所詮は子供。我慢できる方がすごいと思った。
最も子どもらしい場面が見れて良かったと思っている自分と……
店主さんに頭を撫でられていて、なんだか腑に落ちない僕も、いたりして。
いや、今そんなことはどうでもいいんです。
少年は溜まっていたものを晴らすかのように数分間泣きっぱなしだった。そしてひとしきり泣き切ったのか、泣きしゃっくりだけに落ち着きだす。
「大丈夫、落ち着いた?ティッシュ使う?」
コクリとうなずいた少年は差し出されたティッシュ箱から一枚取り、遠慮がちに鼻をかんだ。恥ずかしかったのか、その様子を見つめていた僕と目があった。
僕はあわてて目を逸らす。や、なに大学生が子供に負けてるんだよ。
「ごめん、なさい」
「なんで君が謝るの?何も悪いことしてないでしょ?はい、お水」
はぁ〜店主さんは優しいなぁ〜…!
「それと、きみ、甘いもの好き?」
!?
まさか…さっきからずっと何か作業してたのは…?!
「甘いもの、は……甘すぎるやつ、は、好きじゃ、ない、です」
「生クリームとかカスタードとか?」
少年はコクリとうなずいた。
「じゃあよかったかな」
エ?
「えっ」
そういうと、店主さんは小ぶりの平たい皿を少年の前に置いた。そして、そこに載っていたのは、
「うわぁ……!」
オレンジ色の小ぶりのかぼちゃだった。かぼちゃのツルと葉が飾りのように盛り付けられている。だがあれは…食べれるのか??
「これって…?」
「サービスよ」
「でも、これ……」
明らかに生のかぼちゃである。ハロウィンとかでよく使われるのに似ていて、とても固そうだ。
「かぼちゃは飾り。そこの四角いところ、のぞいてごらん?」
かぼちゃには正面の真ん中に四角い穴が空いている。少年はそれを覗き込んだ。反対側も空いているらしく、店主さんが覗き込んでにこりと笑った。
「これ!中に何か入ってる!」
少年が目をキラキラさせて店主さんに言う。僕も出来る限り目を凝らす。四角い穴の中には、透明なガラスのようなものが入っているらしい。
店主さんはクスクスと笑う。
「かぼちゃをどけてみて?」
店主さんの言うとおり、少年はかぼちゃをどかす。すると、そこには
「綺麗……」
透明なコップの中に透明色に銀色の粒をちりばめてあるゼリー。そのコップの周りをネズミや鳥の形をしたクッキーが取り囲んでいる。
これを短時間で?まるでこの少年が来るのを見越していたかのような準備!!凄すぎる。いったい本当に何者なんだこの人は。
「ソーダ味のゼリーに、中に入っている粒々はラムネ。ちなみに周りの動物の形のクッキーは、私が持ってた市販のお菓子なの。そこはちょっと許してね」
動物型のクッキー……。よく小さい子が食べてるやつじゃなかったか??
えっ店主さん、そんな可愛いもの食べてるの???
えっ可愛い!!!!!
そこまでだ、と僕は心の中で盛大に咳払いをする。
「食べても、いいん、ですか?」
「もちろん、きみのために作ったんだから」
この前と同じでとっても申し訳ない発言なのだが、
僕のは????
「いっ……いただきます……はむっ、ん!」
「どう??」
「美味しいです……!シュワシュワってしてます!」
「やった!大成功ね」
店主さんはガッツポーズをする。あぁ、いちいち可愛いんだよなぁ。
「あっでも、お金……」
少年の手が止まる。
「お金はいいから、私の話、ちょっと聞いてくれない?」
「…はい」
「きみはさ、『灰かぶり姫』って知ってる?」
「いえ……」
少年は首を振る。
「じゃあ、『シンデレラ』って知ってる?」
「はいっ、それは知ってます」
随分とタイムリーな話題だなぁ。シンデレラも原作はグリム童話で予想以上に残酷な話だったような……。
まぁそれはいいんだ。子供の夢を壊す行為をすることは僕の本意ではない。
「シンデレラってさ、継母とお姉さんたちにいじめられるでしょ?掃除しろーとか、あなたは舞踏会には行けないわね、って言ったりとか」
少年はコクリとうなずいた。
「でも、辛いことばかりじゃなかったでしょ?妖精さんが現れて、舞踏会に行けるように魔法かけてくれたでしょ?」
「でも、夜の12時まで、でしょ……?12時になったら魔法はとけちゃい、ます」
店主さんはまたクスクスと笑う。
「その通りよ。君の言う通り、12時になってしまえば、魔法はとける。シンデレラは元に戻ってしまう。でも戻ってしまうのはシンデレラが妖精さんにかけてもらった魔法だけ。王子様は、シンデレラのことを忘れていなかったでしょう?」
「そっか。……だからシンデレラを探しに行ったのか……」
「王子様だけじゃない。シンデレラも諦めなかった。
“どんなに悲しくても、信じ続けてさえいれば必ず夢は叶う”
この気持ちを決して忘れなかった。だから奇跡が起きた。君はシンデレラじゃないけれど、夢を見る権利、信じる権利、幸せになる権利、これらは必ず君にも平等に与えられたものばかり。
だから、これから先、自分に起きるかもしれない『幸せ』を願ったって、誰も君を責めたりなんかできないのよ」
ちょっと難しかったかな、と店主さんはウインクをした。
はぁぁぁ、さすがです。かわいい上にかっこいいセリフが言えるなんてあなたは女神ですか、いや、あなたは女神である。
「うん……!」
相変わらずの小さな声。だか少年はしっかりと、まっすぐ、店主さんを見つめており、その瞳は輝いていた。
「信じても、いいんですか」
店主さんもニコリと笑った。
「きっと叶うよ」
ここまでアドバイスをあげて、『絶対叶う』と言わないのが、店主さんらしいなと思った。
それと、少年の言った『信じる』って、一体何を願って、それを信じたいと思っているのだろうか。
おそらくだが、店主さんも分かってはいないのかもしれない。
ふと、少年が突然ゲーム機を鞄に片付け、残りのゼリーを口にかき込み始めた。
「あわてると喉つまっちゃうよ。時間を気にしなくていいから、ゆっくり食べなって」
それ聞いて僕はスマホで時計を見る。あれ、23時すぎ。もうこんな時間だったんだ。僕も帰る準備をしないと、と思っていると、少年がクッキーを頬張りながら夢中でしゃべる。
「いえっ、早く帰らないと、12時になってしまいます!」
なるほど、『12時までに』と言う言葉に影響を受けたな。
でもすごいなぁ、店主さん。まるで魔法をかけたみたいだ。少年が生き生きとしている。
あなたはフェアリーゴッドマザーですか。
あ、前言撤回。
あなたはすでにフェアリー以上、女神でしたね。
店主さんは少年にバレないよう、顔を後ろに向け、一つ咳払いをした。
その間に少年は、全部食べ終わる。
「ごちそうさまでした!とても美味しかったです!なのに、お金払えなくて、ごめんなさい」
「いいのよ、気にしないで。美味しいんだっていう顔してくれただけで私は大満足だから」
少年はガバッと頭を下げる。そしてまた小さな声でしゃべる。
「あの……その……」
「ん?どうしたの?」
少年は照れ屋のごとくもじもじしている。じれってぇなぁ!男なら自分から言うもんだぞ、少年。
と、心中で1人呟く僕は、年齢=彼女いない歴、である。
少年が息を大きく吸う音が響いた。
「あのっっっ!……また、ここに来てもいいですか?こっ今度は、ちゃんとおかねもって来ます!!」
なるほど、なんだ。そんなことか。
少年は灰色のリュックサックをかつぐと、出入り口の方までかけていく。そしてまたガバッと頭を下げる。そして大きいような小さいような声で言う。
「またっ!!!……来ます……」
そして恥ずかしそうにドアの取手を掴み、外へと出て行った。
微かに見えた横顔は、生き生きとしていた。
☆
数日後、僕はまた、あの喫茶店に向かっている。あの少年がやってきて一週間。またきます、といってはいたが、いっこうに来る気配がみじんも感じられない。
まぁ僕にはどうでもいいことだ。少年だってきっと僕のことなんて覚えてない。僕もふと思い出した今でさえ少年の顔が曖昧で思い浮かばない。
なんていうか、この世界に住む人間たちがみんなこうなら、僕らはみんな幸せなのかと、かっこつけてるような、意味のわからないような、そんなことを思ったりするのだった。
そのときだった。
ドスンッ
「うおっ」
誰かとぶつかってしまった……というより、抱きつかれた。足に。
「え?」
つかまってきたのは、小さな子供。焦げ茶色の艶々した長い髪。真っ白いワンピースの……女の子だ……。
えっこけそうになったの?何何???意図的???迷子????
「おにーさん見つけた!!」
「!?」
少女が顔を上げたとき、僕はかなりアホな顔をしてただろう。
その少女は喫茶店で出会った少年と、顔が瓜二つだったのだから。
☆
そのあと、僕は少女に連れられ、近場の小さな公園に向かった。夕方の薄暗い公園。
2人してベンチにまたがり、向かい合ってゲームをしている。
今流行りの大●闘●マッ●ュ●ラ●ーズである。静まりかえった公園で、カチャカチャというコントローラーの音と、ゲーム内の殴るは蹴るはの痛そうな音が響いている。
コントローラーの扱いはまあまあわかるものの、さすがはゲーマーキッズ。負ける気しかしない。僕は『ピンクの化け物』を使って、平和的な戦いを繰り広げていた。
「勝ったぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「負けた……」
僕が負けるのに、時間はそこまでかからなかった。だが、なんだあのコントロール捌き。大人顔負けだぞ。現代の子供は恐ろしいなぁ……。
「ねえね!もっかいやろう?もっかい!」
「ん、ああ……いいよ」
「やったぁ!どれにしよーかなー」
というか、本当にこの子はあの喫茶店で出会った子供か?!
そもそも、男女の区別でさえ間違ってたんだ。ハスキーの少女なんて少年と見分けつくか?!もうなんか、喫茶店での第一印象全部間違ってた気がするよ!!
「ほらおにーさん、早くー」
「あーハイハイ」
僕は今度は『赤い帽子のおじさん』のキャラクターを選ぶ。
「おにーさん、普通のキャラクターしか選ばないね」
カチンッ
悪かったなぁ、時代遅れで!!僕らの年代はこの辺のキャラクターが普通なんだよ!!
そう思いつつ、僕は少女を見る。この前と打って変わって、子供らしいはしゃぎよう。ハキハキした喋り方。この子のありのままはこうだったのかと、改めて思った。
僕は今思いついた疑問をコントローラーを動かしつつ少女に投げかけた。
「学校、行けてるのかい?」
こちらには目もくれず、楽しそうな表情のまま少女は答える。
「行ってるよ」
「そっか。それはよかった」
浮かべている楽しげな表情の裏に何があるのか。
「なんかあったんだったら、僕で良ければ聞くけど?」
「え?何にもないよ?最近帽子かぶって男の子みたいな格好して学校行くのやめたから。よっしゃぁ!また勝ったぁぁ!!」
はぁ……調子のいい奴め……。僕は再び質問を投げかける。
「君は女の子だろ?声が低いからってわざわざ男の子みたいにならないといけないなんて決まり、どこにもないだろう」
僕は何をいっているのか。つくづく僕もお節介の部類に入る人間だ。
「やっと分かったの。男の子みたいな格好で学校に行くと、女の子みたいだって言われて、女の子みたいな格好で行くと、声が低い、男みたいだって言われる。どっちにしても、意味ないんだよ」
そんなことを笑顔で淡々と語る少女。それは……もはや感覚が麻痺してないか??ストレスたまってるのに、溜まりすぎてストレスかどうかもわからなくなってる、みたいな……。そんなの、高校生くらいにならないと経験しない苦労だと思うが??
ふと、少女の表情がパッと明るくなった。
「でもね!ついこの間、私をいじめてくる奴らのリーダーがどっかに引っ越したの!だからね、前よりもだいじょぶになったんだよ!今は同じクラスの子に話しかけると、絶対話してくれるようになったの!」
「へぇ〜」
なんだ、思ったよりうまくいっていたみたいだ。確かに、いじめって首謀者が強すぎて周りが言いなりになるのが王道というか、なんか決まったパターンみたいなのがあるからな。
「うまくいっているようで、安心したよ」
「おにーさん、あのお店で私と店主さんの話、盗み聞きしてたから知ってるんでしょ?ダメだよ、盗み聞きは犯罪だよ?」
じゃあこの世の大半の人間は捕まってるよ!!、とツッコミを入れたくなるのをグッと堪え、やんわり答える。
「何があったのか心配で無意識に聞いていただけさ。子供のピンチは大人が聞いてあげるのが__」
「あ、もうちょっとで8時だ。起動しないと」
ははーん、そうきたかぁぁぁぁぁ。ゲーム形式でこの世の礼儀というものを嫌というほど詰め込んであげようかなぁ、その何考えてるかわかんない脳みそちゃんに……!!
ふと、僕は我に帰る。少女は巾着のようなリュックサックから違う機種のゲーム機を取り出している。これまた見たことのない代物だ。
「オンラインで対戦でもするの?」
「ううん、違う。これね、決まった時間にしかできない特別なゲームなの!すっごく面白いんだよ!」
「へ、へぇぇ」
さらにキラキラ度が増した瞳を向けられる。なんだろう、眩しい。
「そんなゲーム機、初めて見たよ。外国のゲームがなんか?」
「ちがうよ!これは私だけの特別なゲーム機!王子様にもらったんだよ!」
嬉しそうにキャッキャとはしゃぐ少女。
「王子様?」
「うん、お店のおねーさんのいった通り、ずっと信じて待ってたの!私にも幸せが訪れるはずよって!!そしたらね!本当に王子様に出会ったのよ!」
それは……大丈夫な王子様なのだろうか……。
「父さんと母さんのことも知っててね、一緒にお仕事もしたことあるんだって!でね、ちゃんとてつづき?っていうのをして、今は王子様と一緒に住んでるの!!」
「!!」
え、ほんとにそれ……ダイジョブナノ???
オカネハッセイシテナイ???
「この前お店でやってた『Ash』っていうゲームの進化版なんだって!いつも新しいステージが用意されてて、毎日できないのが残念だけど、たまーにできる分、すごくたのしいんだぁ!!」
なんか怪しい匂いしかしないが、まあいいか……。楽しそうだし、幸せそうだし……。人の家庭には口出しするものではない。
「どれどれぇ、君の華麗なゲーム捌きをしかと見届けさせてもらおうか」
「いいよ!!絶対クリアするから見ててよ!!」
僕は、少女のゲーム機を覗き込む。黒と白と灰色だけで彩られた画面上。
これは、建物だろうか。四角柱が規則正しく並んでいる。大きな隙間から小さな隙間までドローンがスイスイ飛んでいく。
少女の表情は真剣そのもので、今は話しかけない方がいいと思った。
妙な緊張感が僕らを包んでいる。
「あともう少しで目的地」
そう呟いた少女の声は、あの時の仏頂面の少年のそれだった。
僕は何をすることもなく、ただ固唾を飲んで見守るだけだ。
そんなことを考えていると、ドローンは建物の中に入ったようだ。小さな隙間がさらに小さくなり、複雑になっている。
この画面ではなんのこっちゃわからないが、どうやらドローンで何かを運んでいるらしかった。
「目的地に到着。荷物を下ろした。よし、あとは……」
ぶつぶつと呟く。まるで、誰かと話しているみたいだ。
「よしっ後は離れるだけ!」
「よしっ!」
なんとなく相槌を打ってしまう僕。や、ゲームにおいて盛り上げというものは必要であるのだ。
「離れたらクリアかい?」
「うん!今あの部屋に敵へのトラップを仕掛けたの。あれに引っかかってさえいれば……」
おお、なんかすごいぞ。スパイみたいだ。ぜひとも現在ゲーム離れの激しい僕としては、僕の人生のゲーム期再来を記念してぜひともそのゲームをやらせてほしい。
……とまでは言わないが、なんだか妙にドキドキしているのだ。
「あと数十秒で、時限爆弾が爆発する……。きっと物に釣られて、爆弾に敵が集まってるはず……あと15……10……5、4、3、2、1……」
ドォーーーーーン!
「ッ____?!」
一瞬、いや、数秒。周りの音が聞こえなくなった。
音のない刹那の世界で、
僕は、
満面の笑みで腹を抱えて笑う少女と、
遠くで立ち昇る黒い煙を、
交互に見る。
そして音が戻ってきた時、聞こえたのは消防車、救急車、パトカー、その他もろもろ緊急出動したらしい乗り物のサイレンの合唱。
そして笑い続ける少女の声。
僕は少女を見たまま、固まってしまっていた。
僕の様子に気づいた少女は、笑いすぎて出てきたらしい涙をぬぐい、ふぅと息をつくと、
左手の人差し指を口元に持っていき、口角を上げた。
そしていたずらっぽく呟く。
「ナイショ」
少女の瞳は、ギラギラと鈍く光っていた。
Life can change in an instant.
人生なんて一瞬で変わることができるんだ。
ー『灰かぶり姫/シンデレラ』よりー