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世界が変わる喫茶店  作者: min
2/4

#1 おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?

 苦い。


 やっぱり苦かった。


 大学での授業を終え、この喫茶店が開くまでだらだらと時間を潰し、開店時間になったら店に向かい、決まってブラックコーヒーを頼む。


 僕の生活は、この繰り返しである。


 コーヒー豆の種類とか味とか、香ばしいやら、どこの国産だとか、そんなことはあまりわかっていなかった。


 3種類あるうち1番安いコーヒーを頼む。


 そんでもって付随されてくる砂糖やミルクに一切手をつけず、そのままコーヒーを飲む。


 コーヒー自体は嫌いではなかった。むしろ好きと言ってもいい。

 大学の授業の合間のお供にするのは、決まってBOSSのカフェラテなのだが。


 ブラックコーヒーを飲む理由は……自分でもよくわかっていない。

 もし、心の奥底で、万が一、万が一にでもかっこいいと見られるためだとか、そういう小学生みたいなことを考えているんだとしたら、恥ずかしくて自分が嫌いになりそうだ。



 ☆




 この喫茶店を見つけたのは、数ヶ月前。

 大学の授業を終え、真っ直ぐ帰るのも気が引けて、ふらふらと意味もなく、路地裏を彷徨っていた。


 大学進学とともに上京してきた僕は、どの辺なのかもわからない路地裏ですっかり迷子になったのだ。

 スマホの地図を見ればいいものの、肝心のそのスマホの充電はすっからかん。


『なんて日だ!』


 という誰かの言葉が頭に響いた。


 誰かに電話しようにも、スマホは充電切れ、公衆電話があったとしても、頼れる知り合いや友達なんて僕にはいない。

 さてどうしたものかと、街灯がひとっつもない暗い道を車や電車などの乗り物の音でもしないだろうかと、歩いていたときだった。


 建物と建物の間にうっすらと明かりが漏れている。紫色とも言えない、赤とも言えない、夜の街を思わせる色合いだった。


 なんだろうと近づくと、そこには下に続く階段があり、レトロな扉の前に小さな看板が立っている。


『喫茶 TURN』


 赤紫色に照らされたその文字にひかれた僕は、そのまま階段を下り、店へと入った。


 カランコロン


「いらっしゃいませ。」


 こもったベルの音の後に、透明感のある声が響く。

 妙に胸が高鳴った。


 目に入ったのは、やはりBARのようなレトロな色調。カウンターしかない席。


 そして、素朴だがどこか惹かれるような雰囲気を持つ1人の女性。


 従業員は、この人だけなのだろうか。


 はっと我に帰り、ずれたメガネの位置を直す。僕はそばにあったラックから新聞を手に取り、いそいそとカウンターの端の席に座る。見た限りでは、客は僕以外の誰もいない。


 というか、なぜ僕はここに座っているのか。

 帰る途中で、迷子になっただけなのに……。


 ……やっぱり出よう。


 そう思ったとき、さっきの女性がメニューと水を持ってきてくれた。


「お決まりになりましたら、お呼びください。」


 透き通るような、寄り添うような優しげな声。

 僕はなんとなく、この店を出れなくなった。


 落ち着いて、改めて店内を見渡す。


 レトロな雰囲気にそぐわない様、置かれている小物は派手なものはなく、控えめなものが多かったり、カウンター席の一席一席の上に吊るされたお洒落な電球があったり。

 店内の明かりはあまり強くなく、薄暗いと言ってもいいかもしれない。

 こだわりを感じるインテリアがこの喫茶店の落ち着いた空気を演出している。


 いいところだ、と。素直にそう思った。


 僕は渡されたメニューを開く。驚いたことにメニューをは全部コーヒー。しかも3種類、銘柄なんてわからない。

 まぁいいか。僕は、緊張気味でスゥッと息を吸う。


「……すみません……。注文、お願い、します。」



 そしてこの日以来、夜になると決まって路地裏を訪れ、この喫茶店で1人の時間を楽しむようになったのである。




 ☆




 そんなこんなで、今夜もここにきたわけだが、今日の客は、僕だけじゃなかった。


 新聞を読むふりをしつつ僕は横目で少し離れた席を見る。


 何やら俯いて、店主がコーヒーを持って来たのにも気にかけず、ずっと下を見ている男性客。

 何かを悩んでいるのだろうか。


 店主は、コーヒーに付随する砂糖とミルクを持ってくると、何かに気づいた様に少しだけ目を見開いた。


「見てこられたんですか?舞台。」


 急に話しかけられて驚いた男性は、店主を怪しむ様子もなく、すぐに口元を緩めた。

 現れた微笑みは、彼が穏やかな人であることを伺わせた。


「はい。妻に内緒で、1人で行って来たんです。」


「まぁそれはそれは。」


 舞台……そう言えば、さっき新聞で見たような……。

 僕は読んでいたページより前へとめくる。


 東京新聞のエンタメの欄。下の広告の欄にひっそりと紹介されている演劇の宣伝。


『ロミオとジュリエット』


 あまり詳しくは知らないが、物語の流れくらいはだいたいわかる。


 どっかの外国の街で、2つの上流の家同士が喧嘩していて、ある日出会った2人の少年少女が愛を誓うも、2人は敵同士であるその両家それぞれの娘と息子であり、なんかいろいろ悲しいことが重なって、最終的に2人とも死んでしまうって話だ。


 ほぼほぼ分かってないじゃないか。


『ロミオとジュリエット』は、もちろん見たことはないけれど、テレビや新聞で、演技調とか、ミュージカル調とか、はたまた吹き替え映画だとか、しょっちゅう宣伝を目にする。


 今回のこの舞台では、有名どころの俳優女優が出るらしかった。僕も何度かテレビで見たことがある人たちだ。


 僕は読書や映画、なんなら舞台だって見るのは嫌いではないけど、映画や舞台は人が大勢集まるから見に行きたくないし、ましてや恋愛になんの興味も湧かない僕には縁のない作品は多いのである。


 とは言ってもだ。

 店主が興味を持っているというなら、僕だってそれなりの興味を抱かないわけでもない。


 僕は新聞を読むふりをしつつ、耳をそばだてる。


「『ロミオとジュリエット』。素敵なお話ですよね。熱心にパンフレットをご覧になっていらっしゃるので本当に良い舞台だったのだとお見受けします。」


「はい。とてもいい舞台でした。とても……。……あ、わたしは評論家とか批評家でもないのでとやかく言う資格はない気がしますけれど。」


 そう言って苦笑いする男性客に、店主はあの微笑みを見せる。


「芸術作品に関する意見や抱く思いは、個人によって

 違うものですよ。好きだと思うか嫌いだと思うかはその人の自由で、抱く気持ちは、全部正解なんですよ。」


「深いですね。ではわたしは、この気持ちにしばらくは浸っていたいから今日はこうして1人で夜を彷徨っているのかもしれませんね。」


 店主はまたクスクスっと笑った。


「シェイクスピアの作品は特に、感慨深いものが多いものです。

 彼は悲劇も喜劇も、どちらもこの世に残していきましたが、どれも一筋縄ではいかない男女の仲のことばかり。それに、よく目立ってしまうのは『ロミオとジュリエット』のような悲劇の作品です。

 彼の描いた悲劇ほど、リアルで恋苦しい作品はこの世にはないでしょう。


 彼の作品を見て苦しくなる人もそうでない人も恋や愛情に関してはデタラメで、まだまだ子供である。


 そう、シェイクスピアは言いたかったのではないかと、私は思っているんです。」


 私ったらこんな長話をッと、店主が焦る。男性客は目を細めて優しそうに笑う。


 なんだろう。


 いい感じじゃないですかい。雰囲気。


 まあ、僕には関係ないけど。誰を愛そうが愛すまいが。ただ不倫はいけないよぉ〜おじさん。


 と、意味のないことを考えても何にもならない。

 自分の中に宿る気持ちをごまかそうと、今日は充電が十分にあるスマホをいじり、つぶやくやつのアプリを開いた。


 ただ耳だけは、ちゃんと横に向いている。


「どこの場面が特に良かったとか、ありましたか?」


「そうですねえ……。やはり有名なセリフどころですかね。

 二階にいるジュリエットの独り言をこっそりロミオが聞いて、『もっと聞いていようか、いや、声をかけてみようか』とか、『ジュリエットは僕の太陽だ!』っていうセリフとか、あそこの2人のやりとりはコミカルチックに描かれていて笑いましたね。」


「あの場面は、私も好きです。ジュリエットの独り言がとても可愛らしくて。あの場面は、脚本家や演出家によって捉え方が違うのがわかりやすいところなので見どころなんです。」


 僕は少し、不満になってきた。何に関してだ?

 そんなの知るもんか。


 でも、


 たっ


 楽しそうだなぁ……。


「店主さんは何かお気に入りの場面とかあるんですか?」 


 店主は少し恥ずかしそうな口調になる。


「ちょっと引かれるかもしれませんが……冒頭の喧嘩や酒場でのやりとり、パーティー会場に入る前のちょっとしたおちゃらけたところとか、ですかね。


 ロミオと従兄弟、仲良しな友達とのテンポのいい会話やちょっと汚い言葉を言いながら戦ってるところとか……こう、恋愛というよりは男らしいシーンが好きですかね。

 全然ロマンチストじゃないです。」


 僕の中で何かのアンテナがたった。

 もしかして、恋愛があまり好きじゃない??


 僕と同じ??


 もしかしたら、価値観が合って話が投合するかもしれない。


 話したことないけど、一度も話したことないけど!


 僕は何を考えているんだ。完全に慢心じゃないか。



「いや、とてもいいと思います。なかなかこうして他人の意見を聞ける機会がないので、とてもいい意見を聞けてうれしいです。」


「そう言ってもらえるて嬉しいです。

 あ、これ、よかったらどうぞ。」


 そう言って店主はお皿を男性客の目の前に置く。

 今まで話しながらなんの作業をしていたのかやっとわかった。


「えっいいんですか?」


「サービスです。ちょうど材料もありましたし、作ってみたんです。」


 さ、さささサービスだってぇ??


「これは、なんて言うお菓子なんですか?」


「スブリゾラーナといってイタリアの伝統的なお菓子です。パキパキと手で割って召し上がってください。」


「おいしそうですね。ありがとうございます。では、いただきます。」


 パキパキと割る音がする。


 いいなぁいいなぁ。

 僕にはないんだなぁ!


 といいつつ気にしないフリを保つ僕である。


「美味しい!」


「お口にあったようでよかったです。

 こうやって作品の舞台であるイタリアの街、ヴェローナでも、誰かが愛する人にでも作ってあげていたのかな、なんて思ったんです。」


「本当に美味しい……。私の好きな、妻の味に少し似ています……。」


「え?」


 ぬ?


「あぁっ、すみません、つい。完全に私事なのですが、妻はお菓子作りが大好きで、本で読んだり、何かで目にしては作ってくれるんです。」


「まぁ。」


「スブリゾラーナも作ってくれたことがあるんです。妻も、『ロミオとジュリエット』を映画で見て、イタリアのお菓子を作ろうと、張り切っていたことがありまして。

 なんだか味が本当に似ていたものですから。」


 少し悲しそうな顔をする男性客。明らかに苦悩に満ちた顔そのものだ。演技をしているようには見えなかった。


「奥様と、何かありましたか?」


「えっ」


「私で良ければ、お伺いしますよ。」


 思いやりもあるが、決して踏み込ませないような気を僕は彼女の微笑みから感じ取った。


「あまり気のいい話では、ないと思いますけど。」


「構いませんよ。ただ、良い答えはできないかもしれませんが……。

 でも、ずっと抱えたままよりかは、幾分楽になるかと。」


 僕も知りたい。


 すると、男性客は話し始めた。


「妻と私は、駆け落ちしたんです。」


「あら。」


 マジか!


「僕の素性は、あまり人には言えないものでして……。両親含め、親戚はおらず、兄弟もいない。こんな男を、妻の両親が認めるわけにもいかず……。

 東京に就職が決まったと同時に、逃げてきたんです。」


 店主は、黙って話を聞いていた。


「妻との生活は幸せです。子供を持ちたいとはお互い望んでいませんでしたが、2人でいるだけでわたしは満たされていて、幸せなんです。」


 頰がほのかに紅潮し、愛する者を想う目をしている。

 本当の愛を、僕は初めて見た気がした。


「だけど、最近になってニュースで騒がれ始めたんです。


妻が、誘拐されて、10年が立ったって。」


「えっ……」


 ハッとして僕は新聞に目を戻す。新聞の3面にこじんまりと載っている記事。


『 "20代女性 誘拐 苦しみの10年"


 〇〇県××市の当時大学生だった一般女性△△さん(当時19)が行方不明になって5年の年月がたつ。家族の証言による捜査も虚しく、未だ消息をつかめていない。』


 家族の証言は、大変誇張されたものだった。


『怪しい男が私の娘を奪った。娘と私たちの時間を返して!!』


『娘は別の人と愛し合っていたんだ。なのにあのゲス男が娘から何もかも奪いやがったんだ。』



 そしてSNS。

 つぶやくやつでも、その記事はすぐに発見できた。

 そして、添えられたコメントは百を超えている。


『え、当時未成年じゃん被害者。完全に未成年略取。』


『誘拐犯の男何歳なんだろ。おじさんとかだったらやだなぁ』


『#家出女 いい年こいてなにやってんだか。』


『被害者の親、なかなかのモンスターらしいぞ。


 ーー突然の返信ですみません。

 女の人方に逃げたい理由があったんかもしれないですね。最近読んだ小説で、似たような話あったんでなんか複雑……。』


『警察、家庭環境とか調べた方がええんちゃうの?

 別の人と愛し合ってたゆうとったけど、本当は誘拐犯の方となんかあったんやないん?w』



 まあ、そうだよな。と言う回答が溢れかえっている。敵もいるし味方もいる。面倒くさいな。


「なんでみんな邪魔をしようとするんだ……。わたしたちの信頼に、愛に、全く嘘なんてないのに!

 どうしてわかってくれない……どうして。」


 本人の心境がわからない限りは、良し悪しは誰もわからない。わからないから前例の中で似たような事件と同一視される。


 今『誘拐犯』と呼ばれたこの人の本心を知っているのは僕と店主だけとなる。


「店主さん、あなたならわかっていただけると信じています。わたしにとって妻は、太陽なんです!!わたしはわたし自身にそれを誓ってもいい!!


 できることなら、こんな人に言えないような素性も、経歴も、名前だって全部捨ててしまって、自分の全てを妻に捧げたいのに……。そんなことさえもできない。」


 男性客は、悲しみに顔を歪めた。店主はもちろん、僕だって何にも言えない。


 事が難しすぎる上に、10年と言う長い年月でそれはいっそう膨らんでしまっている。


 さあ、なんと答えるか。店主は。

 不謹慎にも、僕はなんとなく期待の気持ちを隠せなかった。


 店主は真っ直ぐ男性客を見据え、口を開く。


「恋とは誠に影法師、いくら追っても逃げていく、こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げていく。」


「え?」


 急に何を言い出すかと思えば……。

 僕にはてんで理解できない。


「シェイクスピアの言葉です。

 少し厳しい事をいうようで申し訳ないのですが、お客様、お客様のお話のみでは良いか悪いかは、判断しかねるのです。」


「……どういうことですか……?」


 店主の声色は変わっていないものの、人をひきつけるなんとも言えない説得力が感じられた。


「芸術作品での人の情というものは、元来、移ろいやすいものとして描かれる事が多いものです。私もいくつも目にしてきました。


 ですので、お客様の奥様に対する愛というものが本当であると信じるにしても、私は奥様にお会いしているわけではないですので、奥様のお客様に対する愛というものが正しいのかを存じておりません。


 申し訳ありませんが、私には個人的な勝手な主観でしかお答えする事ができないのです。」


「それは、わたしの愛が妻に伝わってはいないかもしれない……という事ですか?」


「はい。」


「妻が、わたしを愛していないかもしれない、という事ですか?」


「はい。」


 おいおい……なかなかシビアな解答だなぁ……。

 でも確かに、個人の意見で他人の未来が変わってしまっては元も子もないし、自分を巻き込むわけにもいかない。

 これが普通の答えなんだろうな。


「……そうですか。よく分かりました。」


 そう言って男性客は立ち上がり、財布から2000円を出して、お釣りはいらない、と言った。


 帰るらしい。賢明な判断なのかもしれないと思った。


「ありがとうございます。コーヒー美味しかったです。」


 えっいいの?ほんとに帰っちゃうけど??

 男性客はもうドアの取手に手をかけている。


「真の恋の道は、茨の道である。」


 凛とした大きな声が響く。僕は鳥肌が立った。


「は?」


「人の話は最後まで聞くものですよ。お客様。」


 まだ終わりではなかったのだ。


「ハッまたシェイクスピアの言葉ですか?もういいですよ。余計なお世話です。」


 店主はフフッと笑うと無視して話を進めた。


「これは完全にわたしの解釈なのですが、『真の恋の道』を手に入れるためには、あらゆる関係が、『真実』でなければならないと、私は思うのです。」


「わたしと妻の愛が愛ではないかもしれないと言ったのは、店主さんではありませんか。」


「それはあくまで仮定の話ではないですか。


『ロミオとジュリエット』に登場する2つの裕福な家。この2つは敵同士でした。この関係は、簡単には崩れません。

 それゆえ、ジュリエットを好きになったロミオは悪者扱いを受ける。


 女性とは、昔から弱い立場に位置づけられる風潮があります。そのか弱い女性を守る立場を得た男性に、女性は守られるのです。 


 シェイクスピアの生まれた時代よりは薄まってきましたが、いわゆる、政略結婚というものは、現代でもなくなっているわけではございません。


 その女性を守る立場を得られない男性だったロミオは女性の家族にとっても、決められた結婚相手にとってもただのお邪魔虫でしかありませんでした。


 そして偶然重なった不運の連続で、ロミオは悪者、というレッテルを貼られたまま、ジュリエットが生きているかも知らずに命を経ってしまいます。」


「一体何が言いたいんですか、長々と。」


 やはり無視して、店主は続けた。


「この作品は、『ロミオとジュリエット』の2人の愛をたたえて、2人を模した像を作ろう、と提案をし、両家が仲直りをする場面で終わっています。


 ですが両家が仲直りをしたとしても、ロミオとジュリエット、2人の時間は止まったままです。


 夢のない事をいうようですが、私は空の上で2人で結ばれるとか、そういう結末は信じないタチでして。」


 なんて事を落ち着いた様子で、笑顔でいうかこの人は。

 男性客は固まっている。


「ですが私は、お客様に幸せになっていただきたいのです。今私が提示した例は、物語ではありますが、悪い例です。

 今の世の中、警察、相談所、カウンセラー、相談できる場所はいくらでもあります。


 私はお客様と奥様の愛を信じて申し上げているのでございます。


 ロミオと違い、お客様には方法がまだ残されています。

 奥様ともよく相談して、ちゃんと奥様のご家族ともお会いして、ちゃんとお話をするのです。


 そうすれば警察や報道は『真実』を放送し、世間が『2人の関係が間違いではなかった』と判断を下すのではないでしょうか。」


「ヒッ……」


 男性客の顔から血の気がひいたのが分かった。

 そう簡単にいきそうな話でもないが、できないわけではなさそうだ。

 ただ、時間はその代償となりそうだ。


 店主は続ける。


「時間は大変かかりましょうが、お客様と奥様の愛があれば、乗り越えられないことではないでしょう。


 どうか、諦めないでください。


 私は心の底からお客様ご夫妻の御幸運をお祈りしていますので。」


「ハッ……ハハ……ハ……」


 店主の素敵な笑みとは裏腹に、男性客の笑みは、苦笑いとも言えない、恐怖の色が見えた。


 この妥当とも言えるが、恐ろしい方法に驚いているのだろう。



「ほら、奥様がおまちなのでしょう。早くお帰りになって差し上げてください。」


「ハッハハハ、ハイ……」


「またのご来店、お待ちしてまりますね。」


「マッマタキマス……。」


「お気をつけて。」


 店内に静寂が訪れる。すると、たまたま目があってしまった。


 その顔はどこかやり切った感のある顔で、キラキラしているように見える。


 その笑顔に僕はどこか寒気がした。

 ちゃんと笑いを返せただろうか。


 それにしても憔悴しきって帰っちゃったなぁ。

 大丈夫なのだろうか。なかなか重大な問題を持ってきて、さらに膨らませて帰ったようなものだが……。


 僕は無意識にスマホの画面をみる。

 ポッとついたまちうけの電子時計はあと数分で日付が変わる時間を指しそうだ。


 僕もそろそろ帰らなければ。


「お……お会計、お願い、します。」


「かしこまりました。」


 なんだか妙に緊張する。


 野口英世さんを持つ手はとても汗ばんでいた。




 ★




 次の日の夜。僕はまたあの喫茶店へと向かっていた。その道中、夜でも明るい大通りを通る。


 建物に大画面が設置されている。特に気にすることもなく、周りの雑多を消すべく、イアフォンの音量を上げようとしたときだった。


 僕の耳は、あるニュースの速報を捉えた。


「"今日夕方、東京都〇〇区にあるマンションで、男女2人の遺体が発見されました。警察は__。"」


「え。」


 男女?


 遺体?


 僕は道のど真ん中で止まる。


 いやまさか。



 だが、イアフォンの隙間から流れる女性アナウンサーの声が嫌でも耳に入った。


「"女性は、胸の辺りを包丁で刺され、男性はのそばには空になった小瓶が転がっており、警察は、殺人とみて捜査を続けています。"」


 いや、まさかな。

 んなわけないだろ。


 今日は疲れたんだな、今日はまっすぐ帰ろうかな。


 そのとき、ニュース番組に出ている芸人やタレントの聞き覚えのある声が聞こえた。


「"女性が男性に覆いかぶさるように亡くなってたらしいじゃない。"」


「……ッ」


 だめだ、音量上げよう。そして真っ直ぐ帰ろう。

 そしてすぐに寝よう!


「"あいつが!!死んだ男が私の娘を!!"」


 甲高い泣き声が聞こえる。


 絶対に見上げるまいと思っていたのに、僕は周りの人たちと同じように大画面を恐る恐る見上げた。


「ッ!」


 画面には、


 たった今来たと思われる速報の文字。


 泣きながら喚き立てる女性を必死に抑える男性の会見。


 そして、


 たった昨日喫茶店で出会った『ロミオ』と、


 新聞で目にした誘拐された『ジュリエット』の


 顔写真だった。




 ★




『喫茶 TURN』では、珍しくラジオがついていた。


「"速報です。たった今入ってきた情報によりますと、今日夕方遺体で見つかった女性の身元が遺族によって判明し、10年前から行方不明になっていた〇〇県××市に住んでいた当時大学生の△△さん、29歳であることが分かり__。」


 カチッ


 店主はラジオをの電源を切り、作業する手を止め、遠くを見つめるような目をした。


 そして、うっすらと笑ったのであった。











 There is nothing either good or bad,

  but thinking makes it so.


 恋は盲目で、恋人たちは恋人が犯す小さな失敗が見えなくなる。    


ーウィリアム・シェイクスピアー



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