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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

霧街夜話

作者: 佐乃ミヅヤ

 陰鬱な霧に支配された街、バーヴィリム。

 煉瓦と石で造られた建物と蒸気機関が霧の中に浮かび上がる街だ。


「いい天気だな」


 月のない夜だ。

 雨こそ降っていないが分厚い雲に覆われた空は暗く、漂う霧は夜の黒さを吸い込んで濁ったように見える。

 それを柔らかな銀鈴を鳴らしたような声で「いい天気」と言う。

 声の主は少女だ。

 手入れの悪いマホガニーの家具を思わせるくすんだ色の髪を首の後ろ、その一部だけ長く伸ばしている。他の部分は耳が隠れる長さで統一され、前髪は眉の上で一直線になるようにばっつりと切られていた。

バーヴィリムの若い女性の間で流行している編み込みも髪飾りも見られない特徴的かつ個性的な髪形は、少女の服装と合わせて彼女が異国人でることを強く主張している。

 フリルのついた薄いクリーム色のドレスシャツにパニエで膨らませることのない、すとんとした形のスカート。水色と藍色のチェック模様が美しいストールだけはバーヴィリムで買ったものだ。


「こんな夜は散歩でもしたいものだ」


 楽しげに言うが、とてもじゃないが夜の散歩に向いた天気ではない。

 街灯の明かりさえ吸い込んでしまう霧の中では、誰かと連れ立って歩いても隣の相手の顔がぼやけるほどなのだから。

 それでなくても最近のバーヴィルムは夜間の外出には向かない。もともと女性の夜の一人歩きは罰則こそないが褒められたものではない。ただ、最近は若い女性が夜の間に残忍な手口で殺害される事件が起きているせいで、街中が神経質になっている。

 少女が宿泊しているアッパーミドル向けのホテルでは、夜間でも正面玄関に警備の人間を立てている。もちろん裏口にもしっかりと鍵がかけられし、警報装置も設置してある。

 十四、五歳ほどにしか見えない少女がこんな時間に外出なんてしようとすれば正面玄関の警備員に止められるか、見回り担当の警備員に部屋へ戻るよう諭されるだろう。


「四階建てのホテルの三階、角部屋を取れたのは有難い」


 ストールをベッドに置き、ハンガーにかけてあったスカートと同色のジャケットを羽織る。


「おっといけない」


 女性が持つには無骨な色とデザインのトランクから古びた箱を取り出す。

 中身はブローチだ。少女の目と同じ透き通ったグリーンの石を美しい銀細工が包んでいる。


「さて、仕事の時間だ」


 ブローチを付け、部屋の明かりを落とし、窓を開ける。

 機械油とカビの臭い、それに腐敗臭が湿った空気と一緒になって室内に流れ込んできた。室内がうっすらと白に侵食されていく。

 少女はまるでそこに階段でもあるかのように空中に一歩、踏み出した。

 ネイビーのスーツに包まれた身体は浮き上がる。

 一歩、また一歩と見えない階段を上り、窓枠と同じ高さになったところで軽く上体を屈めて窓枠をくぐった。窓の外へも同じようにためらいなく足を踏み出す。少女の背に翼はない。飛んでいるのではなくただ歩いている。

 その姿は霧の中に埋もれ、すぐに見えなくなっていった。




 * * * * *




 路地裏に甲高い悲鳴が響く。

 若い女の声だ。

 濃い化粧に胸を半分も出した、色は派手だがくたびれたドレスを着ている。

 路上で客引きをする娼婦だ。普段なら歓楽通りで客を待つが、最近は事件のせいで女だけでなく男も夜の外出を控えるせいで早々に商売を止めて自宅に帰るところだった。

 霧がいつもより濃い、そう思った時に髪を掴まれ路地裏に引きずり込まれた。

 彼女の自慢はプラチナブロンドの髪だ。

 生まれつきのもので、顔の造作は平凡だがその見事な髪色と豊かな胸とくびれた腰は男達に受けが良かった。そこそこの上客もついていて、金が貯まればいつか田舎に引っ越して酒屋でもやりたいと思っていた。彼女は稼いだ金は貯金か髪の手入れか酒に費やしているという程度には酒好きだった。


「ほしい」


 その自慢の髪が、頭皮ごと剥がされそうなほどの力で引っ張られる。


「きれい。ほしい。ちょうだい」


 キィキィと油の切れたゼンマイが擦れるような耳触りな声。

 地面を引きずられる彼女は恐怖と混乱から気が付いていないが、背中が地面にこすれているということは、彼女の髪を掴んで引きずっている相手は腕が長いかそもそも背が低いかのどちらかということだ。


「もらうから」


 髪から手が離れて頭を石畳に打ち付ける。

 倒れたまま見上げた先に小さな顔があった。

 白磁器のような肌、ふっくらとした薔薇色の口唇、つんと上向きの鼻。

 こんな状況でも見惚れてしまうほどに美しい少女だ。

 けれど長い睫毛に縁取られたヘーゼルの瞳に何の光も宿していないことと、ぼさぼさの髪が老婆のように艶のない白髪であること、そして少女がまとっているのが首と腕を出すための穴をあけただけのボロボロのワンピースだということに気づけば顔立ちの美しさはたちまち得体のしれない不気味さに変わる。


「な、なに、なんなのさアンタ……」


「この『かみ』ちょうだい」


「い、ギィっ!?」


 十歳ほどの少女がその細腕からは信じられない力で髪を引っ張る。

 ぶちぶちと髪が千切れる音がした。


「あ、そうだ」


 突然、少女は手を離す。再び女性は石畳で頭を打つ。今度は勢いがよすぎた。女性は白目をむいて気絶してしまった。


「ぬく、ちがう。はがさなきゃ、いけないんだ」


 何をと聞く声はない。

 少女が気絶した女性の額に指を押し付ける。何をしようというのか。

 その場面を目撃する者がいれば、まさかそのまま素手で皮膚を剥ぐつもりかと驚愕しただろう。そのまさかだった。少女が力を込めると指が皮膚に食い込む。


「荒っぽいな」


 少女が動きを止める。

 うつろな瞳が声の主を探して左右に揺れるが、声はもっと高いところから降ってきていた。


「女性の惨殺、としかタブロイド紙には報じられていないが」


 声の主が姿を見せる。空中にある階段を降りてくるかのように、何もないところから一歩ずつ地面に向かって歩いて行く。


「被害者の女性は全員、顔面の皮を剥がれていた。そしてそれぞれ、彼女らには自慢にしている顔のパーツがあった」


 歌うような調子の声は銀鈴のごとき美しさ。

 ただし口にする内容が残酷極まりない。


「口唇、鼻、肌、自慢のそれらを剥ぎ取られた死体……やれやれ、第一発見者に心底同情するね」


 剥ぎ取られた部位は発見されていない。犯人が持ち去ったのだろうと警察は推測している。それは正しい。犯人は剥ぎ取った部位を持ち去り、そして。


「魔術の気配がするよ。君、人の顔から取り去ったもので自分の顔を作るだなんて悪趣味だな」


 作り物めいた美しい顔立ち。

 文字通りの作り物。


「おとうさまがいった。えれーぬ、は、うつくしくなければだめだと……」


「エレーヌ・バシュレ享年十二歳。バシュレ伯爵の養女で元は孤児か。一体なんの目的で孫ほどの子どもを養女にしたのだか」


 どこからか取り出した黒い手帳を開き、銀鈴の声の主は耳触りな声を遮りつらつらと喋る。


「バシュレ伯爵は異教の魔術を研究していた。悪魔との契約なんてこともしていたらしい。契約内容は……ふふっ、不老不死についてか。よくある話だな。それも二人分。自分と君のことだろう。若く美しいまま年を取らないでほしいと女に囁く男は数あれど、十二歳の少女の年齢を止めようとするのは……特殊な性癖と言っていいだろうな」

「なに? ながい、はなし、わからない」

「だろうね。契約は失敗して伯爵は死に、君は中途半端なガラクタとして生き残ってしまった。美しくあれという伯爵の言葉だけを刷り込まれたガラクタ……他人から剥ぎ取った部位を自分のものにできる魔術式人形の出来損ない」

 銀鈴の声の主は手帳を煙のように消し、上体を折った礼を取る。


「私の名はジルベール」


 それはバーヴィリムを含む近隣では男性の名前だ。

 けれど少女は堂々と名乗る。自分の名に恥じ入るところは一つもないというように、微笑みすら浮かべ。


「君達のようなものを『処分』する……悪魔だよ」




 * * * * *




「お疲れ様です」


「心にもない言葉を」


 少女、ジルベールは出た時と同じ方法でホテルに戻った。

 ネイビーのスーツと濃い霧が空中を歩く姿をすべて隠してくれる。

 ホテルの部屋には明かりが灯っており、そこには一匹の羊がいた。

 二足歩行で蝶ネクタイをした、子どもが持つぬいぐるみのようにデフォルメされた姿の羊だ。目は黒スグリの実を取り付けたような真ん丸で、背丈は少女の腰ほどまでしかない。


「セバスチャン」


 羊はセバスチャンというらしい。


「なんでしょう」


「これで何件目だったかな」


「八件目でございます」


「あと何件だったかな」


「八百とんで二件でございます」


「そうか」


 長いなとは言わない。

 悪魔は人よりずっと寿命が長い。

 ジルベールは悪魔との契約を失敗した人間が起こす事件を八百十件、収束させることを定められている。悪魔が暮らす魔界の、司法を司る機関からある罪の贖罪として定められたことだ。

 魔界には法が存在する。

ジルベールはその法に反した行動を取った。

 七十年ほど前のことだ。

 傷つき、消滅しそうな魂を見つけて保護した。

 心惹かれたのだ。どこまでも踏みにじられ、傷つけられたというのにただ一つの愛を抱いて淡く輝く魂に。その魂を包み込むぬくもりに。

 保護し、魂が修復されていく様をただ見守っていた。

 時折その魂に刻まれた生前の記憶を覗き見た。人間が読書をするのに近い。

十年以上をかけて魂が修復された時、ジルベールはその魂をそっと天界の輪廻の川に紛れ込ませた。

 再び出会うべきだと思ったのだ。この傷ついた魂の持ち主と、持ち主を愛した人物はもう一度出会うべきだと。そうして今度こそ障害なく愛し合い、幸福になるべきだと。

十年以上共にあったせいで完全に情が移っていた。

 人間の魂を勝手に保護したこと、そして許可なく天界に足を踏み入れた事。

 それら二つが罪となった。

 特に前者は大罪だった。

 消えゆく魂を勝手に修復することは摂理に反するとされた。

 悪魔の少女は労働により罪を償うことになり、定められた労働を終えるその時まで名前を奪われることとなった。

 種族と家系と個を識別する「名前」には魔力が宿る。それが奪われるのは命を握られているのと同義だ。

 悪魔の少女はそのことには何の感慨もわかなかったが、呼び名がないのは不便だと思い、魂の持ち主の名前を拝借することにした。

 一途な愛を抱いた者の名だ。

 少女は魂の持ち主に敬意を込めて堂々と名乗る。


「私の名はジルベール」と。




 * * * * *




 羊を真似た姿のセバスチャンは悪魔の端くれで、ジルベールの執事だ。

 仕事用のスーツをハンガーにかけ、ドレスシャツを脱ぎ捨ててベッドに潜り込もうとした主をすかさず止めてシャワールームへ放り込む。幼い頃からの付き合いである。ぬいぐるみのような見た目の割に悪魔らしく力は強い。


「まったく主様ときたら」


「小言は聞き飽きた。これでいいだろう」


 シャワーを浴びてキャミソールとショートパンツ姿になったジルベールは、簡単な魔術で一瞬にして髪を乾かすと今度こそベッドに潜り込んだ。

 セバスチャンは脱ぎ捨てられたドレスシャツを丁寧にたたみ、それだけはきちんと仕舞われたブローチを取り出して手入れ用の布で磨く。

 ベッドサイドのライトは消されていたが悪魔にとっては関係ないことだ。特にセバスチャンは夜目がきく。真っ暗な中でも作業に問題はない。

 ブローチは魔界の司法機関が渡してきたもので、ジルベールが定められたとおりに労働を行っているかを監視するための魔道具である。

洒落たデザインで一見するとそうとは分からないが、セバスチャンにしてみれば囚人の手枷や足枷と同等に思えた。彼の主人はまったく気にしていないが。


「次の仕事はあるのか?」


「まだ眠っていなかったんですか」


「ベッドに入って三秒で眠ったとしたらそれはただの気絶だ」


「屁理屈をおっしゃいますな」


 人間界にいる間は睡眠と食事を必要とする。

 労働に伴う制約だが、必要量は人間の十分の一程度だ。

 夜更けに仕事をして明け方近くに眠り、通常の人間と同じくらいの時間に起き出して食事を取る。仕事までは好きに過ごす。

 買い物などに必要な金は経費として魔界に請求していた。ジルベールは趣味やこだわりを持つ悪魔ではないので請求額も微々たるものだ。


「それで仕事は?」


「この街でまだ二件ほど」


「ここを拠点にしていけそうな場所か?」


「そうですね。問題なさそうです」


「ならもう二週間ほどここに泊まるか」


「おや、お気に召したのですか」


「朝食のパンが美味い。ハーブバターもな」


 人間界に来てからジルベールは食に好みが出てきた、と幼い頃から世話をしていたセバスチャンは思う。

 悪魔に食事は必要ない。ただ道楽として食事をする悪魔は多くいる。ジルベールの親もそういう悪魔で、娘にも同じように食事を与えていた。彼女は与えられたものは口にしていたが食事には興味はないようだった。

 人間界に来てからは必要に迫られて食事を採るようになり、そのうちに好んで食べるものが出てきた。癖のあるハーブ類と甘味の類を好み、やたらと苦いコーヒーという飲み物を砂糖もミルクも足さず食後に飲む。

 贖罪のために追放同前でやってきた人間界だが、魔界での地位や名誉に執着がないジルベールは実に気楽だ。


「楽しそうですね」


「退屈はしていない」


 今度こそ寝る、と呟いてジルベールは無言になった。

 セバスチャンもブローチを箱に戻してトランクの前に立つ。ベッドで眠る主に一礼すると羊の姿は消えた。




 その夜、バーヴィリムを騒がせていた連続殺人犯はひっそりと消えた。

 人々は安堵し、夜の街には少しずつ人が戻る。

 異国人と分かる服装の少女はホテルの朝食で気に入りのハーブバターを付けたパンを食し、黒々としたコーヒーを飲んでいた。


19世紀後半風な西洋異世界が舞台の魔術と悪魔の登場するファンタジーもどきが書きたいと思った結果、ジャンル分けに迷うものが出来上がりました。

ホラーというほどでもサスペンスというほどでもない趣味の産物です。

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