天邪鬼な女の子が「嫌い、嫌い」と言いながら僕に引っ付いてくるので試しに「嫌いなら距離を置いて」的なことを言ってみたら、とんでもないことになった。
三年前のことである。
「いや、嫌いなやつに自分から近づく人間もいるよ。私がそうだし」
彼女は僕の顔を見つめながら、嬉しそうに呟いた。
ーーそのころの僕らは、まだ中学二年生。
学校裏の公園で、僕と彼女、二人並んでベンチに腰掛けていた。
会話の流れはよく覚えていない。
ただ。
放課後の夕陽に照らされた校舎が、やけに寂しそうだったことだけは、脳裏にこびりついている。
記憶の中の僕は、少し不機嫌そうに口を開けた。
「どうして嫌いな人に近づくのさ」
「失敗したり嫌なことがあったら全部嫌いなやつのせいに出来るからね。嫌いだから気兼ねなく精神サンドバッグにできて、ラクなの」
彼女はまたも僕の顔を意味ありげに見つめて、クスリと笑みを漏らした。
「それ、僕のことが嫌いって意味?」
「自己評価ひくいね。私、自信のない男の子ってキライ」
「……やっぱり、僕のこと嫌いってことでしょ?」
「あと女々しいこと聞いてくる男の子もキライかな」
「……」
ムッと黙り込んだ僕を見て、彼女はクスクスと笑う。
鈴の音を転がすような笑い声は、悔しいことに、とても心地が良い。
ーーそのころにはもう、彼女のイジワルが好意の裏返しであることを、僕はしっかり看過していた。
あるいは、させられていたと言いかえた方が、正しいのかもしれない。
僕はふと、彼女にイジワルを仕返してみたくなった。
「でも僕は、そんな性格の子からは距離を置かれたいな」
「え……」
彼女の瞳が不安げに揺れた。
僕はほくそ笑んで、二の句を継いだ。
「だって嫌いな人間に近づく子なんて、天邪鬼しかいないもの。好きな人間からは遠ざかろうとするはずでしょ? なら僕は、その子に避けられるようになりたいかな」
僕はすぐに、自分がとんでもないことを口走ったことに気付いた。
なんだか急に小っ恥ずかしくなって、俯く。
そんな僕に、彼女は優しく語りかけてきた。
「うーん。それは無理な相談だね」
「……え?」
「距離を置きたくても、置けないと思うし」
「どうして?」
「たしかに私は好きなものをキライって言っちゃう天邪鬼だけど、男の子の方は好きなものを好きって言える素直なやつみたいだからね。
私が距離を置いても、きっと男の子の方が追いかけて来ちゃうもん」
そう言って、彼女はいつもより赤くなった頬をほころばせた。
◆
半年前のことである。
僕は久しぶりに彼女と再会した。
詳しい経緯は覚えていない。
それだけではなく、風景や関連する記憶を思い出そうとすると、目眩と吐き気に襲われる。
半年前より、三年前の記憶の方が鮮明に思い出せるなんて、不思議な話だ。
たしか、僕と彼女は他愛のない話をして、そのまま別れることになったのだと思う。
別れ際、彼女はおむもろに呟いた。
「結局、追いかけて来てくれなかったね」
「え、何のこと?」
「好きって気持ちを消すのに一番いい方法が何か、知ってる?」
「いや、知らんけど」
「好きなものを見ない、触れない、聞きもしない。ただそれだけで、好きって気持ちは薄れていくんだ。好かれてる人から無関心になってもらうには、ただその人の視界に入らなければいいのサっ」
「いきなり何言ってんの、お前」
「すなわち、しょせん君の気持ちなぞ私の掌の上だったのだー!」
彼女にしては、割合珍しいテンションだった。
そういう時は、彼女は決まって、悲しい気持ちを隠している。
三年前の僕なら気付けたはずの違和感に、しかし半年前の僕は気付けなかった。
「だから何言ってんだよ。俺、もうバイトだから行くぞ。またな」
「うん、またね」
ーーそれが最後に見た彼女の笑顔となった。
◆
一月前のことである。
彼女はもう、二度と会うことの出来ない場所に行ってしまったそうだ。
三年間闘病を続けた果ての、ご臨終らしい。
これは二週間前に偶然、人づてに聞いた事実だ。
◆
今なら分かる。
三年前を境に、彼女が僕と距離を置くようになった理由も。
半年前の別れ際、彼女が何を伝えたかったのかも。
天邪鬼な彼女に言わせれば、好きなものほど距離を置きたくなる、といった所だろう。
ーー彼女は僕に、心配をかけまいとしたのだ。
心配だけではない。
自分が居なくなった後の悲しみも、傷跡も、何もかも残すまいとしたのだ。
だから彼女は、徹底して僕を避けた。
ーーだけど、一つだけ分からないことがある。
そこまで徹底していた彼女が。
何故、半年前に姿を現したのか。
それさえなければ、愚鈍な僕は、今ごろ彼女のことなど忘れていたはずだ。
……彼女の目論見通りに。
僕は理由を考えた。
考えて、考えて、考えてーーやっと、分かった。
きっと。
彼女は最期に。
僕にキライと伝えに来たのだ。