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妄想論

なろう作品と自己投影

作者: とびうお君

 イキナリだが、これ上手く説明できない。多分上手く説明できないそれ自体が自己投影なんだと思う。もちろんこれで終わりじゃない。あくまで私個人はこれ観客型の対比として使っている。自己投影型と観客型は、観客型に慣れきった人はどうも楽しめない作品群が有る。これをラベリングしたときに当てはめた言葉に過ぎない。


 ここでスタートに戻る観客型とは独立して自己投影型を説明しようするとまるで上手く行かない。根本的にラベリングとして使っただけの言語で、正しく言い表してるとは言えない。ただ一番これが良いかな?って程度問題に過ぎない。考えた結果、何故これが上手く説明できないか?こちらの説明の方が重要だと気が付いた。


 まずなろうだけその典型的な作品となる。極端になろうは人を選ぶ。良くある人を選ぶタイプは、2通りある、1つはクソ雑な衝撃展開を羅列するような作品群。漫画ではちょくちょくある。駄作といわれる。だが、何故かこういったものが閉じて展開される事がある。ゲームなどが多いかな。表に出てきてやっとこれ駄作じゃないかとなる作品。


 どういう理由か分からないけど、均一な受け手が上手く揃って無批判な状態になってしまう。これは内容より集団の不可思議さの方が重要。通常の社会であれば裸の王様のような物語構造になるが、そうではない。おそらく批判的な人間は自分から勝手に去って行って、自然に淘汰された集団だと見てる。なろうもこれに近いが、なろうには批判がある。じゃ何故なろうはそれが無視されるのか?ランキングになる。ただなろうは根本の部分で雑なだけの作品ではない。


 第2点が芸術方作品、一部のマニアックな受け手によって形成される独自の価値観による作品群。文学がこの好例だろう。


 なろうは、この2つのどちらでもない。雑なタイプとは集団としては似てるが中身が違う。なろうに一番近いのはもっとシンプルで、古典的な英雄伝説だと見てる。超人的な人物が大活躍の冒険を繰り広げる。神話などでも良い。要するに古いんだ。ここが幼稚と見られる部分。さてこの型は必ずしも自己投影型だと言えないんだ。それはこれは主人公活躍について観客型と融合が可能だと過去書いた。


 問題は、型としてはそうやって作られた作品をどう見るか?は受け手の心次第となる。ここが自己投影は説明できないとなる。自己投影そのものを作品のタイプの違いとして明確に書く事は出来ない。所詮受け手の受け取り方の個人的な心の問題に過ぎないので。


 重要な事は、観客型より自己投影型を生みやすい型ならタイプとして抜き出せる。それがこの英雄伝説型になる。類型パターンと言って良いだろう。


 おさらいで先ほどの雑な作品群についてだが、これなろうの根本ではどうでも良いが表面的にはかなり深く関わってる。人の興味を引くのに、取りあえず大きな声出しておけば良いや。こういうのがそれになる。これが煩いとなって不快感を生むまでなってもあまり考えないでワンパターンにそのまま推し進める。後は、他にやりようがないのか?って凡庸な方法論。そうなると、ああ素人臭いんだと分かってくる。なろうを切り取る時、多分こっちで解釈したほうが簡単。


 でも、基本その程度の足きりはランキングが排除してしまう。なろう全体ではそういった作品は大量にあるが、ランキングの序列の結果はそういうのとはまた違う。ただランキングの序列はテニスのランキングほど絶対じゃない。だから本来足きりされる作品が上位に来てても全く不思議は無い。それはあくまで確率的な程度問題の話しになる。


 問題は英雄伝説と言う類型タイプは現在は物語の主流ではない。ここに大半の問題がある。面白くないわけじゃない。未熟な作品の発展前の遺物じゃないか?なら違う。完成されていて、発展が出来ないだけ。次に時代に合わない部分が必ずしも現代では重要じゃないから。根底にあるファンタジックな世界観が再び脚光を浴びてるので、そこが大きく違う。運が悪いタイプの作品だと思う。


 問題はこれだけじゃない。これは面白い。だから漫画文化には取り入れられてる。だが漫画はここまでシンプルじゃない。主人公活躍を隠す傾向が高い。これはアニメ漫画の発展の歴史を知っていればすぐに分かる。アニメ漫画が子供向けから始まって当時の大人向けを取り入れていく中で、幼稚と判断される色を隠してしまう流れがあったから。後は単純に実際幼稚な作品のシンプルな主人公活躍型がすぐに飽きられたから。飽きたら次に行く、これは創作史の問題になる。流れを知ってないと理解できない。


 大きな物語と言う軸の中で、そこからあぶれたものが漫画アニメで展開されてて、実は古典的なものはもう復活している。そのアニメ漫画が捻くれた発展をしたため、それに慣れきった受け手が、物語の大きな軸と似たような価値観を持ってしまったためになる。当時の大人向けのタイプと書いた。ある意味普遍的な物語の創作史の流れになる。こっちは歴史が長い。


 自己投影型と言うラベリングは、この過去から流れる大人向けとされる俯瞰的な観客視点で楽しむ作品群と明らかに楽しみ方が違うと見られる作品に無理矢理私がつけた言葉に過ぎない。実際に自己投影がどういったものか?はさほど重要じゃない。面白くないと思う理屈にあまり説得力が無い。その事について語ってるだけに過ぎない。


 単純に楽しみ方が違うので、それをスイッチして切り替える器用さが下手なだけ。作品の作り方自体は同じなのに、ハリウッドタイプがやたらと褒められるのは、観客型になれきった受け手にあわせて、主人公活躍型を上手く落とし込んでるから。見るものがスイッチを切り替えて楽しむ器用さを問われない。


 何故なろうの自己投影タイプは特殊なのか?と言うと実はなろうよりすごい自己投影タイプがある。かぎりなく無色に近くなったエロゲのアニメ化主人公が有る。FATEのようにとんでもなく癖の強い主人公も居るが、アニメ化されるとかなりきつい主人公が多い。これはゲームのするって楽しさと、アニメの見るって楽しさはやっぱり違うからだと思う。エロゲの主人公はどことなくゲーム内に入り込む受け手の器に過ぎないってタイプがちょくちょくいる。なろうはこれに近い。


 なろうの主人公のタイプの多くに共通するのは、魅力的とは言いがたい主人公が多い。これは平凡な日本人の類型タイプに近づけてるから。エロゲ(すべてのエロゲじゃないある一つの形として)は不快感を生じさせない色消すのに対して、なろうの主人公は我がすごく強い。この点で全く違う。一部のエロゲは女の子キャラを楽しむが主体になってて、なろうは、主人公が異世界を楽しむって明確な我欲が有る。


 なろうが現地主人公でもどうもイマイチ変化しきれないのは、キャラクターを作りこむときにその世界観に即した形で作られた人格と言うのが見えない。どうも転生転移タグはずし程度の日本人と大きな差がない主人公が多い。私が見る所、これとは違うのはやはり、転生転移タイプじゃない。魔法科の達也ぐらいかと思う。これぐらい主人公を作りこまないと変化は起きないと思う。


 ただ達也は原作ではちょくちょく、おっさん臭いボヤキをモノローグでしてるようで、その辺り作者の自己投影じゃないか?と見てるが、詳細はしらないのでこのあたりでやめておく。


 あくまでエロゲは一部でしか無い。器としての主人公。それに対してなろうは類型的な日本人っぽくする事で分身的主人公だと見てる。この辺りが自己投影型として英雄伝説との違いじゃないか?と見てる。


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