リノ・ヴァーヴァル
四十騎士団との模擬戦から5年。もう誰かと剣を交える機会など訪れないかと思っていた。
鍛えたこの力でもっと強い奴と戦ってみたい。その思いで47年間生きてきた。
しかし、この大陸にはもう決闘を受けるような奴はいなくなっていた。
天文学もおもしろいが、やはりこのまま老いて何もできなくなる前に、もう一度本気の勝負をしてみたい。
お互いの命をかけて。
誰にも邪魔されず。
全身全霊で。
そのために、俺はここへ来た。
100年そこら前にあった魔族と人間との戦争。
人間が魔族の長を倒すことに成功し、残された魔族はこの地に逃げ去ったとされているが、どうやらそうでもないらしい。
学者仲間から聞いた話で眉唾ものではあるのだが、人間は長を結局倒すことはできなかったというのだ。そもそも戦い自体が酷いハンデ戦で、長に傷一つでも付けたら人間の勝ち。おまけに魔族が居た所が、今で言うアルバルス最大の要塞都市がある場所で、あの要塞の大部分、特に心臓部である地下に関しては魔族である彼らによって作られた物だという。
倒すことはできなかったが、傷をつけることには成功しての判定勝ち。
「ずいぶん気前のいい話だよなぁ」
俺はその話を聞いた時は信じなかった。わざわざ戦争を吹っかけてきたのに、たかが傷一つ負わしただけで自分たちの寝床ごと引き渡すだろうか? しかもご丁寧に使い方まで教えて。
信じられない。
この戦争での被害はバカにできない規模だ。大陸の主要都市のほとんどが陥落し、当時は沢山居たとされる魔術師や名のある騎士団を失うことになった。そこまでコテンパンにしておいて、傷一つではいさようなら? そう思っていた。
しかし、この前アルバルスに招かれた時に妙な物が眼に入った。それは食事会をしている途中、その日の料理を担当したコックたちが顔を出した時だ。アルバルスのコックはチームにわかれており、各チームが日々競いあっているのだという。
俺が注目したのは彼らが付けているエンブレムだ。
『魔族が都市をゆずった』というのを聞いていなかったら気にも留めない物だったが、一つだけ異色に思えるエンブレムがあった。
牛人がコック帽をかぶり、小皿を使って味見をしている。そんなエンブレム。他のチームは調理器具にアルバルスの国旗をあしらった物や、穀物を模した物などあったが、魔族をエンブレムにしているようなチームは他にはなかった。
体格の割に臆病な性格で、人間に見つかるとすぐに逃げてしまう牛人。そんな牛人をアルバルスの者がエンブレムにするだろうか? 俺はそのエンブレムをつけたコックを呼び理由を尋ねたが
「かわいいですよね」と、笑顔で応えられてしまったのでそれ以上何も訊けなくなってしまった。
だが、そのおかげでなんとなく、彼から聞いた話が本当なんじゃないかと思った。確信ではなく直感ではあるのだが、行ってみる価値はあるんじゃないかと。
長は生きている。そんな直感。
アルバルスから出発して4か月近く。方角を間違っていなければそろそろ彼らの縄張りに入るころだと思うのだが、一向に岩や砂利ばかりで人が――いや、魔族か。本当にあの地下都市を築いたのが彼らなら、何か建物とか生活感のあるものがあってもいいと思うのだが、それらしき物が見当たらない。また地下に住んでいるにしても、入り口くらいあっても良いだろう。
しかし、何もない。ここではないのだろうか? そもそも、少なくとも100年前の話だから、すでにまた別の場所に移り住んでしまった可能性もあるかもしれない。こんな土地、生き物が生活できるとは到底思えない。
(無駄足、だったか……?)
そう思い始めていた時、山の向こうから妙な音がしている事に気が付いた。低く唸るような音で途切れる事なく鳴っている。まるで山々が声を上げているようだ。
音の元を確かめるべく足早に山を登り向こう側を覗きこむと、そこには予想もしていなかった光景が飛びこんできた。
その時俺はしばらく口を開けっ放しにしていたに違いない。誰がこんな禿山ばかりの場所に綺麗な田畑が広がっていると思うだろうか。
ノコギリを並べたように禿山が処狭しと連なるこの地域で、明らかに場違いな光景。
街一つすっぽりと入ってしまうほどの平地が広がり、平地の中央には池が、その周りを田畑が規則正しく並んでいて、何台もの風車がクルクルと羽を回していた。その中の何台かからは水が流れ、水路で池に繋がっていた。山肌には3か所ほど大きな横穴が空いており、音の正体はあそこを出入りする風のようだ。他にも建物がいくつも建てられていて、よく見ると家畜までいる。山羊と鶏だろうか、ここから見えるだけでも無数にいるのが確認できた。
「ここに……彼らが……」
疑念は確信に変わった。間違いない。ここにかつてあの地下都市を築きあげ、大陸全土を相手に戦争を吹っかけた魔族がいる。絶対に!
「うぉおおおおおおおおお!」
嬉しさのあまり俺は心の底から声をだす。久しぶりの感覚。足先から、指先から、脳天から、心から震える感覚。体毛一本一本がそそり立つような感覚。
長はどんな奴だろうか? 記録には確か、人の顔だけど羽があって大きくて、都市や街を剣一振りで消し飛ばしただの、人間の使う剣や魔術が全く通用しなかっただの、とんでもない事が書いてあったけど、本当だったら楽しみでしかたがない。
俺は浮かれていて、近づいてくる者に気が付かなかった。
「人間? 珍しいな」
その声に驚き振り返る。そこには牛の顔に大きな角が二本、3mはあるかと思われる大きな体は黒い毛で覆われていた。牛人だ。今まで見たことのある者よりガッシリとしていて落ち着きのある雰囲気だ。
「長は!? お前たちの長は居るか!? ちゃんと生きているか!?」
「は? 長って……姫様の事か? 生きてるかって、姫様を勝手に殺さないでくれ。泣くぞ」
「じゃぁ今居るんだな!? この場所のどこかに居るんだな!?」
「居るに決まってるだろ。なんだお前、姫様に用事でもあるのか?」
『居るに決まってるだろ』この言葉を確認して牛人に抱き着きたくなるような思いがしたが、さすがに思いとどまる。
牛人にここへ来た訳を話すと、それに対しての答えはとてもあっさりしたものだった。拍子抜けするほどに。
「ぅお? 姫様と? いいぞ。案内するからついてこい」
「え? 随分あっさりだな」
「まぁ、姫様は来る者拒まず、去る者追わずな性格だからな。むしろ喜ばれるぞ。久しぶりに姫様へ挑む奴が現れたんだから」
牛人はご機嫌といった様子で、くり抜かれた山の淵沿いに歩き始める。その先には階段が見えた。
さっきは田畑などに気を取られ気が付かなかったが、立派な階段だ。一見すると山肌から削り出した物に見えるが、近くで見ると山の岩などとは別物なのがわかる。それがなにで作られているのかは解らなかったが、これだけの物を作り、維持しているのを目のあたりにすると、ザザの大部分を作ったというのにも納得がいく。
一つ気になったのは、この階段は段差の違う二種類にわかれていた。幅の殆どを占めるのは牛人の歩幅に調節されているものだが、今俺が使っているのは人が使うのに丁度良い調整がされている。魔族といえば体が大きいものだと思っていたが、小柄な者もいるのだろうか?
「姫様は強いぞぉ。人間」
階段に夢中になっていると、牛人が歩きながら話を始めた。その声は自慢話をする時の人間と変わりないものだ。
「会いに来たっつんだから少しは知ってるんだろ? そっちではどんな風に言われてるんだ、姫様は」
「記録には都市を剣一振りで消し飛ばしたとは書いてあるが、本当なのかはしらない、そもそも、記録では長……姫様、死んだ事になってるんだが」
「ふぉ!? おいおい、人間ってのは相変わらずテキトーだな……なるほど、それでさっき『生きているか?』なんて訊いたのか。ふむふむ……」
俺の話を聞いた牛人は眼を丸くして溜息を一つ。すぐに歩き始めたが、口元に手を当て少し考え事をしているような素振りだ。
「とりあえず、お前の知っている事を話してみろ」
牛人はまた溜息を一つ落とた。その目は先ほどまでの親しげな眼ではなく、鋭いものとなっている。
俺は自分の知る限りであの戦争について語った。といっても、俺の知っている事なんて親から聞かされたものが殆どで、記録されているのも大差のない内容だ。
大陸全土にわたり都市や街が破壊され、大勢の人が魔族によって殺された。軍人、貴族、民間人、女こども老人見境なく。といった具合だ。
「……そういえば、あの後大きな戦いはあったのか?」
牛人はしばらく静かに聞いていたが、突然思い出したかのように言葉をはさんだ。
大きな戦い。それがどれほどの規模を指すのかは判断しかねたが、記録ではあの戦争後に帝国同士がぶつかるような規模の戦争はなかったとされている。
復興に明け暮れていたというのもあるが、戦争したくても出来ない状態が続いている為だ。
原因は大きく分けて2つ。
一つは少しでも早く復興をなすために、各国がそれぞれ得意としていた分野のみに力を入れていたが、必然的に、殆どの国は自己完結能力が乏しくなってしまった。国と国が協力しなければ一つの国が維持できないほどに。
100年経った今は見違えるほどになってはいるが、各国の自己完結能力の乏しさはさほど変わっていない。バランスは変わっていると思うのだが、何かしらを他国に頼る形になっているのは変わっていない。
一度出来あがってしまった他国との流動的経済体制は、そう簡単に変えられる代物ではなく、何より、それに頼らなければならない時期が長すぎたのだ。
結果、一つの国で戦争できるほどの余裕がなく、仕掛けた側に対する他国の対応しだいでは、せっかく勝っても国が立ち行かなくなる状態になりかねないのだ。
二つ目に大きいのが戦争で失った人材。100年前まで兵種の一つに過ぎなかった(と言っても強力な決戦兵種ではあったが)魔術師が激減してしまった事が原因として挙げられる。
魔術師は訓練すればなれるものではく、血によって受け継がれるもので、厄介なのが魔術師の家系同士でないと力が弱まる点。混血となると戦力になるほどの力はなかった。昔は各国に100人以上の純魔術師が居て当然だったらしいが、今となってはあのアルバルスでさえ国全体で10人程度しかいない。
むしろ魔術師を抱えている国の方が少なく、居ること自体が脅威であり力の誇示になっている。魔術師の居ない国は居る国に対して攻撃が出来ず、居る国は居る国で、大事な魔術師を万が一にも失いたくないから攻撃できない。
その為、小さい国同士でのイザコザはあったが、国の存亡をかけるような戦争は起きなかったし出来なかった。
話終えるころには、牛人の顔に先ほどまでの険しさはなくなっており、どこか安堵したような表情となっていた。
「そうか。なら、良かった」
「……よかった?」
「こっちの話だ」
気が付けば、そろそろ階段を下りきる所までやってきた。階段が終わる位置には彫刻が施された石が広く敷き詰められており、月と麦が描かれていた。
「お前、これに触れてみろ」
牛人が石の手前で止まったかと思うと石を指さした。
「魔力を扱えるなら、開けられるはずだ」
「なるほど、試そうってのか」
「当然だ」
俺は片膝をつき、軽く石に触れる。すると石の中で魔力の線が混みあっているのが解った。絡んでいる原因は二種類の魔力がお互いを追いかけてしまっている為のようだ。なら、追いかけっこの相手を新たに二つ分用意してやればいいだけのこと。
魔力の絡みを解くと石の中心線に隙間ができ、左右それぞれドアが開くように持ち上がっていく。完全に上がり終わると、そこには再び階段が現れた。
「ほう……早いな」
そう言うと牛人は先行して階段を降り始めた。
「明かりはあるのか? ここ」
「心配ない。だからそこも閉めてくれ」
石に込めた魔力の誘導線を取り除くと、魔力は再び絡まりはじめ、静かに扉は閉ざされた。
閉まるのと同時に壁に明かりが灯されていく。その光は両側の壁に取り付けられた石が発光している物だった。
どこにでもある普通の石だが、どうやらこの壁伝いに魔力が水路のように流れており、その魔力で石を光らせる仕組みのようだ。これは大陸の都市部なので普及している物と似ているが、そのどれよりも明るく穏やかな光だ。
「これ考えたの姫様なんだぞ。凄いだろぉ」
「え!?」
なんでも、牛人をはじめ魔族というのは暗いところが好きではないらしく、それを憂いた長が仲間のために考えたとのことで、これのお陰で人に見つかりずらい地下での生活ができるようになったのだという。
その後も、牛人は長の所まで行く間に色々な話をしてくれた。
例の明かりを開発している時の話、家畜に逃げられた時の話、ここへ引っ越した時の話、仲間が長の悪戯で辛い物を食べさせられた時の話。
話の途中他の魔族とも大勢出会った。俺が長と戦う気でいる事を知ると、その殆どが今もついてきている。中には、戦うにしても戦わないにしても、此処まで来た俺を歓迎してパーティーを開くと言いだし、準備を始める者までいた。魔族たちはとても賑やかな連中で、こうして歩いている間にもおしゃべりがつききない。
「強いって話だが、どんだけつよいんっすかね」「好きな料理はなんですの? ご趣味は?」「年は幾つになるんだ!? 200くらいか!?」「バカ! 人間はそんなに生きられねぇよ! 精々70くらいで、そのころには死にかけのジジィだぜ」「こいつが姫様に傷を付けられるか賭けをしてみないか!? 見事的中させた奴にはアン料理長の特性シチューポットパイをプレゼントだ!」「肝心の料理長が今居ないのに勝手に決めてんじゃねぇよ」「いいんじゃないか。用意しよう」「料理長!? いつの間に!?」
「……ずいぶん賑やかな連中だな」
「そうだろ。ここはいつも賑やかさ。姫様がいつも変なことを考えて、俺たちをかき回して、振り回して、笑わせてくれる」
変なことを考えて……か。100年前の戦争もただの思い付きで始めたのだろうか。そんな思い付きで大勢の人が苦しみ死んでいったというのか。ここの連中にとっては良い姫様なのかもしれないが、やはり俺たち人間からしたら、ただのバケモノだ。
そう考えてしまい、その感情が顔に出てしまったのかもしれない。それに気づいたのは、今も少し前を歩く初めに会った牛人の彼だ。
「あの戦いのことが気になるのか。人間」
その言葉でハッとしたが、隠しても仕方のない事だ。俺は胸のうちを彼にだけ聞こえるように話した。元々後ろの連中は賑わっていたから難しいことではなかった。
「ん。確かにそうだ。確かに、あの戦いで俺たちは人間と戦い決して少なくない数を殺した。だが、俺たちが殺さなくても、彼らは死んでいたはずだ」
彼の言葉は静かだ。静かな言葉で話を続ける。淡々と悲しい思い出話をするように。
☆――――――☆
「信じるかは、お前の自由だ。人間」
話終わる頃には、俺の前に大きな扉が現れていた。牛人の大きな体が小さく見えるほど巨大な扉。彼が扉に手を当てると、先ほどの石と同じように静かに、ゆっくりと開かれていく。
開かれる間、俺は考えていた。
彼の言うことが本当なら、人間たちが自殺しようとしているのを、彼らは止めようとしただけじゃないか。自分たち魔族が、第三の絶対的脅威になることで、人間の戦争する理由を変える。そのために長は人間に戦いを挑んだ。
長は、人間が人間の住む家を焼き払うのを見たくなかった。それで大勢が死んでいくのが嫌だった。餓えに苦しみ、寒さに震える姿をどうにかしてやりたかった。
その思いからの戦争。
彼らが仕掛けるよりも前から、人間は戦争をしていたのだ。
理由は知らないと言っていたが、普段と様子が違っていて、誰か一人が生き残るまで続けようとする勢いがあり、外から見ていた彼らには、狂人にしか見えなかったと――――
「姫様。入ります」
すでに巨大な扉は開かれていた。彼が3歩前へでる。
中は真っ暗で、通路からの明かりでわずかに照らされる程度。とても広い。このわずかな光では奥まで見えないほどだ。
「客人をお連れしました。……はい。人間です。姫様に戦いを挑む為にアルバルスからあの山々を越えてここまで……はい。わかりました」
そういうと彼は、俺に前に出るよう指示をした。
指示に従い彼の前まで出ると、突然部屋の明かりが一斉に灯る。そこは見たことの無いほど巨大な部屋。いったい地下にどうやったらこんな空間を作れるというのだろうか。例えが思いつかない。
『ようこそ! 歓迎するよ! 人間!』
それは俺の耳に届いた声ではなく、頭に直接語りかけられた言葉。それと同時に俺の前に明かりが集まっていく。壁や柱に備えられた石の明かりが指向性を得たように向けられていたのだ。光の集合点には何もなく、ただ照らされているだけのように思えた。
しかし、瞬く間に何もない空間から色とりどりの紙やウサギ、リスにハトが飛び出し、最後に人間の少女が現れた。
『ジャーン! 本日はここ! 我らの寝城兼愛の巣! であるアオバクへようこそいらっしゃいました! 私はここの代表を務めさせて頂いていおります『ぷよ』と申します! みんなからは姫様と呼ばれておりますが、呼びやすい方で構いません! どうぞ、お見知りおきを!』
「え? あ、あぁ。俺はリノ。リノ・ヴァーヴァル……よろしく……」
俺は呆気にとられ、今日で二度目の口あんぐり状態。そのまま2歩後ろに下がると、牛人の彼に確認をする。
「……あれ、姫様?」
「可愛いだろ?」
彼は渾身のドヤ顔。いつの間にか他の連中も部屋の中に入ってきており、先ほど出てきたウサギやリスを追いかけまわしている者、ただ叫んで盛り上がっている者、長の周りの紙屑を片付けている者、好き勝手やっている。
長はそのハツラツとした言動のわりに、ボケーっとした表情で眉一つ動かさず俺を見ていた。