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桶狭間の戦い 前夜

 明日には今川が攻めてこようかと言う事態になり、町の人々は、ただただ自分たちの生活が壊されない事だけを祈るしかない夜を迎え、尾張の町は静まり返っていた。そんな中、師は今川の動きを調べに三河に向かい、私は一方の当事者である信長の動きを調べるため、清須の城に忍び込んでいた。


 清須の城はと言うと、かがり火が焚かれ、多くの兵たちの姿がそこにあったけど、打って出るような素振りはなく、籠城を決め込んでいる風であった。そして、今、私は信長がいる部屋の天井裏に身を潜め、その動きを探っていた。

 以前、道三との対面の際、正徳寺の天井裏に潜んでいた私の存在を嗅ぎ取った信長だけど、あの頃より、成長した私の事は気づかれていないのか、信長は一人、呑気に幸若舞を舞っている。


「にぃんげぇん、ごじぃぅねぇん~。げてんのうちをくらぶればぁ~」


 全く戦に対する緊張感がない感じだ。一体、この男は何を考えているのか? 気を読みたい気がするけど、並みではない信長の事である。気を読もうとした事で、逆に私の存在が気づかれるかも知れない。そう思うと、ただひたすら五感からの情報だけに頼るしかない。

 そんな時、廊下から、この部屋に近づいてくる足音がした。

 ずるずる。そんな音と共に、障子が開いたかと思うと、ほのかな甘い香りが漂って来た。

 多くの男たちが甲冑を身につけている中、甲冑が擦れ合う音もさせず、甘い香りと共に現れた事から言って、入って来たのは女性らしい。


「お市、それにねね」


 やって来たのは、信長の妹 市と、ねねらしい。


「兄上。今川勢は明日にも尾張に侵入してくると思われます。

 どうなされるのですか?」

「うーむ。そうよなぁ。

 籠城?」


 ここで、意外な疑問形で信長が答えた。

 まだ、決めてなかったの?

 そんな思いは私だけではなかった。


「なんで、決めれないんですかっ!」


 ねねの口調は信長が相手だと言うのに、かなり強い口調だ。

 信長にさえ、この口調なのだから、私に対してもどちらが年上なんだか分からない口調も当然だ。きっと、この子はそう言う性格なんだろう。


「うむ。どうすれば助かるか?

 なかなか難しいでのぅ」


 あの恐るべき信長とは思えない言葉を口にした。さすがの信長も、今川相手では、ここまで弱気になるのだろうか?

 それとも、これもどこに潜んでいるか分からない今川の間者に対する芝居なんだろうか?


「はい?

 幸若舞、舞って覚悟を決めてたんじゃないんですか?」

「あれか?

 もしかすると、わしも死ぬことになるのかと思えば、舞いたくもなるじゃないか。

 人間は生きていたところで、50年ほど。

 いつかは死ぬのなら、わしもまだ若いが死んでもしかたあるまいと、自分を慰めておったのじゃ」


 あの恐ろしい力を持った信長の言葉とは思えない。これはどうやら芝居らしい。


「まじですかっ!

 いいですかっ!」


 ねねは、それが信長の芝居とは知らないらしく、かなりお怒り気味の口調だ。きっと、ねねは、私にしたように、突き出した人差し指を信長に向けて、腕をぶんぶんと振りながら、説教気分でいるに違いない。


「籠城して勝てる訳ないでしょ。

 戦うしかないのよ」

「ねね。我が兵の数と、義元の兵の数は違い過ぎる」

「ねねはそれを承知の上で、勝てる方策があると申しております。

 義元一人の首を狙うのです」

「何?」

「ねね。申してみよ」 


 その言葉に、私は来たぁぁぁぁ! と、思った。

 今川に勝つと触れ回っているねねの作戦が語られる。そんな思いが、私を少し興奮させた。力を持つ者に、劣る者が勝つ。両親を殺された私が願うは、あの時、私の両親の命を奪った者たちをいつかは自分の手で葬る事。重なる想いに、力がこもった。


「今川の軍勢はどうやって来ると思われます?」


 ねねの続く言葉は、信長への問いかけだった。すぐにその策が語られるかと思っていた私は肩透かしをくらった。完全なじらし作戦だ!


「そんなもの決まっておろう。馬、徒歩かちじゃ。おお、それに義元は輿に乗ってると言う噂もあるのう」

「そんな事決まってるでしょ。

 そんな事、聞いてません」

「では、何か、羽を生やして飛んでくるとか」

「どこにそんな人間いますか!

 街道を列になって進んでくるんですぅぅぅ」

「なんじゃ、ねね。そんな当たり前のことを申して」


 とぼけた芝居の信長と、信長にさえ怖れず強い口調のねね。その二人の会話はかみ合っていない気がしてならない。ねねは、信長にからかわれている事に気づいていないのだろう。


「その長さ分かりますか?

 ただ進軍しているだけでも、どれだけの長さになると思います?

 2列で進軍してきて、その間隔が3組が1mだとすると」

「いちめーとる?」


 信長が言った。


「とにかく、長い列になるんですぅ」


 私も、引っかかっていたねねの意味不明のその言葉は、どこかで使われている長さの話らしい。


「ははは。ねねは数が得意ではないようじゃな」

「つまり、中入れです!」


 さらに語気を強めて、ねねが言った。ねねのお怒りはさらに激しくなっているらしい。一方の信長は、ねねの気に押された訳じゃないはずだけど、黙り込んだ。

 中入れと言う作戦を吟味しているに違いない。中入れ自身は、ねねの口から聞かなくても、誰だって考えれるだろう。問題は、どうやって義元のいる所にたどり着くかであって、私としては、その先の考えをねねが持っているのかを聞きたい。


「分かってくれたんですか?」


 ねねの怒りも静まったらしい。これで、その先の考えが聞ける。そう思った時、信長がとほけた口調で、別の言葉を口にした、


「中出しか」

「中入れですぅ!」

「中に入れて、中に出すのか。まあ、当然じゃの」


 またまたかみ合わない会話が始まった。信長の言葉の意味も、分からない。


「い、い、いいですかっ!

 私の話を聞いてください!

 前線にいる部隊は当然、こちらの砦に攻めかかってきます。

 当然、それなりの人数を送り込んできます」

「うむ。なら、援軍を送っておかねばならなぬな」


 そう言った信長の言葉を即否定したねねは、領民たちの馳走で足を止めたところを襲うのだと言った。そして、その場所まで、おけはざま山だと宣言した。


 ねねと信長の会話を聞いていると、疲れがたまってしまう。そんな事を思いながら、ねねと市が部屋を出て行くのを音で確かめた私を、信長の射抜くような気が貫いた。


「あの時のわっぱであろう。

 腕を上げたようではあるが、お前の師には、ほど遠いのう」

「いつから気づいていたのですか?」

「たわけ! ずっと前から知っておったわ」


 気づかれていないと思っていたのは、私だけだったらしい。


「わっぱは、どこの者じゃ。

 伊賀者か? それとも甲賀者か?」

「私は西国無想流」

「西国無想流じゃと?

 毛利と関りがあるのか?」

「毛利は宿敵。

 いずれは滅ぼさねばならぬ相手」

「ほぉ。中国の覇者を滅ぼすとは、面白い事を申すわ。

 聞かぬ名の忍びが大層な事を申しおって」

「我が流儀は、この国、最強ですよ」

「ならば、人の話を盗み聞くだけではなく、今のねねの話を実現してみせれるか?」

「当たり前です」

「ならば、その力、しかと見せてみよ!」


 なんだか、信長に乗せられてしまった気がしないではないけど、口にしてしまった以上、実現しなければ、西国無想流の名にどろを塗る事になってしまう。

 私は、信長の突き刺さる気を背に受けながら、清須の城を忍び出て、夜の街道を三河に向かった。

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