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信行暗殺1

 謎の童女 ねね、奇妙なサル、そして恐るべき力を持っている信長。この三人がいる尾張を無視する事はできないが、かと言って、この乱世を治めるにはまだ力不足と言えた。

 師は尾張を気にしつつも、他国、特に今川を気にしており、一旦、尾張を離れ、今川を始め諸国を見て回った。甲斐の武田、越後の上杉、関東の北条、それぞれかなりの実力者ではあったけど、天下泰平を実現できると確信できる人物は、そう簡単には見当たらなかった。

 そして、私たちは再び尾張に戻って来た。


「なんと言う巡りあわせだ」


 師は、尾張の人々の様子を見ながら、そう呟いた。

 初めて尾張に来た時と町の人々の様子は似ていて、騒々しい雰囲気に満ちていた。今回、人々が騒々しいのは、あの大うつけと呼ばれている信長が、病に臥せり、姿を見せない事だった。


「しかし、尾張の民は、それほどあの信長の事を信頼していなかったはずでは?

 信長がどうなっても、かまわなくないのですか?」


 師に私はたずねてみた。


「漠然とした不安だろうな。

 だがな」


 師はそこまで言って、少しにんまりとした。意味深なその笑みの答を得ようと、じっと師を見つめる。


「本当の病ではないだろうな」


 さらににんまりとした笑みで、私にそう続けた。


「それはなぜですか?

 そんな事が広まれば、他国に攻められるだけでは?」


 そこまで言って、尾張に来てすぐ出会った忍びの者、二人の事を思い出した。あの時、師は信長を殺したいのは道三だけではないと言った。敵はこの国の中にもいる。


「従わぬ信行をおびき寄せるためですか?」


 私の言葉に、師は静かに頷くと、言葉を足した。


「城に籠る敵を倒すには、多くの味方を失う事を覚悟しなければならない。

 だが、信行の家臣や兵たちも尾張の戦力。

 潰し合って力を失えば、喜ぶのは本当の外の敵だけだからな」

「しかし、信行を呼び寄せて、屠るは暗殺。無想流にとって、暗殺は禁忌。

 いかがいたしますか?」

「敵が待ち構えていると知りつつ乗り込むなら、それは暗殺ではなく、斬り合いであろうな。

 今はまだ、信長を失う時ではあるまい。

 いつまでも、このような状況を続けるのは、世のためにならぬ気がする」

「では、力をお貸しになるので?」

「私がやれば、信行を信長の下へ向かわせるのは造作も無い事。

 ここは信長自身の運を試す意味もこめ、燐に任せる。

 信行を末森城を出て、清須の信長の下に向かわせるよう、力を尽くしてみよ。

 ただし、一晩だけだ」


 師の言葉に頷くと、私は師の下を離れて、末森城を目指した。




 小さな丘の上に建つそれほど大きくないその城の本丸は、二重の堀に囲まれていた。空に星々がやかましいほど輝く中、その美しさを見のほども知らず地上から打ち消そうとするかのように、城の中は揺らめくかがり火の炎が群れをなしていた。そして、外敵が攻めて来たと言う訳でもないのに、兵たちは甲冑を身に纏い、城内を警戒するかのように歩き回っていた。


 黒い装束に身を包み、城壁の上から、兵たちの気を探る。

 攻めると言う気は無いばかりか、何ら警戒心も無い緩んだ気を放つ兵士たちばかりのところから言って、清須に攻め込もうと言う事でもないらしい。

 としたら、信行は信長が攻めて来る事に怯えていると言う事以外に他ならない。けど、警戒していると言う事は、すんなりとは清須に行く訳もない。

 さて、どうしたものか?

 そんな事を思いながら、炎と影を盾にして、兵たちの視界に自分の姿を捉えられる事を避けつつ、本丸の屋根に飛び乗ると、天井裏に身を潜めた。

 

 天井裏と言う閉ざされた空間は、昼間でも闇に覆われる。夜ともなれば、その闇はさらに深くなる。が、光は無くとも、気の動きは何物にも邪魔されずに伝わって来る。無想の境地に入り、周囲の気を読む。


 信行は家臣の佐々と酒を飲んでいるらしい。その信行が放っているのは、怯えの気だ。やはり、信長を恐れている。それはそうだろう。猪武者の柴田勝家たちと共に、信長に対し挙兵し、破れたのだから。

 こんな相手は御しやすい。

 ただ、この男を清須におびき出すには、さらなる後押しも必要だろう。この城には、そんなもうひと押しにうってつけの人物がいた。それは、信行と信長の母親である土田御前だ。

 土田御前は、部屋の中ですでに一人になっているらしい。

 土田御前らしき気のある部屋の天井裏まで移動すると、その気をうかがう。

 信長が襲って来るのではないかと言う思いが、あまりにも長く続いたのか、信行とは違い、その気に怯えの色もなく、ただ漠然とした不安の気だけがぼんやりと放たれていた。

 

 信行や彼女のように、不安や怒りに包まれている者たちほど、御しやすい者たちはいない。

 懐に隠し持っていた持ち運びに適した小さな声分身の忍具を取り出した。鳥のくちばしのように尖った先に取り付けられた長い糸の先を天井裏から、こっそりと土田御前がいる部屋の障子に取り付ける。糸がピンと張り詰めるようにすると、くちばしのような物を口に当てがった。横から見たら、きっと鳥のくちばしに見えるはず。


「母上ぇぇ。母上ぇぇ」


 少しゆっくりと、そして少し低めの声を忍具に向けて出す。師が言うには、音と言うものは、気とは違うのだけど、同じように目に見えない空間を満たす何かを波のように伝わって来るらしい。その波を忍具の中央に集中させ、糸を伝って障子を震わせるのだ。震わせるものが大きいと自然と声が低く聞こえてくるのだけど、合わせて気を込める事で、さらに一層低い声音にすることもでき、今の私の声は土田御前には、男の声として聞こえている。


「だ、だ、誰なのじゃ?」


 辺りを土田御前が見渡している。月明りと、兵士たちのかがり火が映る障子に人の姿は無い。


「母上ぇぇ。母上ぇぇ」


 消え入りそうな声で話しかける。誰も姿の見えない障子の方向から、消えそうな声だけが届くと言う人知を超えた状況に、土田御前は恐怖に満たされているのが伝わって来る。


「信長です。お忘れですかぁぁ?」


 本物の信長の声ではなくても、土田御前は信じるしかない。恐怖の中に出て来た知っている名前。冷静な判断を失っている彼女は、少しでも安堵感を抱けるその名にすがりつく。


「信長なのか?

 まことに信長なのか?」

「お忘れでございますか? 母上。

 寂しゅうございまする。このままでは死にきれませぬ。

 一目、お目にかかりとうございますぅぅぅ」


 そこまで言うと、すでに土田御前は、信長の死期が近づいているに違いないと言う思いを抱いているのを感じた私は、障子とつなげていた糸を切った。

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