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本能寺の変

 愛宕神社。光秀はここに参拝に来る。

 そう見込んで数日が経った。

 一段、また一段と階段を踏みしめ近づいてくる気は間違いなく光秀だ。

 鳥居をくぐり、社殿に入って来た。

 柏手を打ち、光秀が戦勝の祈願を始めようとした時だった。


「光秀ぇ。母じゃ」


 仕掛けておいた声分身で光秀の名を呼ぶと、光秀はきょろきょろと空を見上げ始めた。

 仕掛けは社殿を囲むように立つ木々に仕掛けていて、光秀には空の上から聞こえているのだ。


「母上?

 まこと母上でござりまするか?」

「丹波 八上で別れて以来じゃのう」

「母上! まことに申し訳ありませんでした」


 かつて信玄の自害に追い込まれた嫡男を偽り、信玄の心をいたぶったけど、あれは自らそう差し向けただけあって、それだけの覚悟があったはず。だけど、光秀の場合は、信長の仕打ちによって、人質である母の命が奪われたのだ。心に受けている傷は信玄より深い。


「私の命で、そなたの功となるなら、本望じゃ。

 じゃが、その功が消え去るやも知れぬ」

「母上、なんと?」

「上様に恨みを抱く者は多く、その者や唆されて小姓どもが悪しき者たちと手を携え、本能寺にて上様を亡き者にしようと企んでおる」

「まことに?」

「よいか。

 そなたの軍勢を本能寺に向かわせ、悪しき者どもを討ち果たすのじゃ。

 じゃがな。どこに敵の間者がおるやも知れぬ。

 配下の者たちには、敵は本能寺にありとだけ申し、真の目的を明かしてはならぬ。

 よいな」

「ははっ。母上」

「そなたの活躍、あちらの世で見守っておるぞ」


 光秀は深々と一礼すると、慌てて引き返して行った。

 これで、光秀の軍勢はねねが言う本能寺に向かうはず。



「敵は本能寺にあり!」

 私の言葉通り、光秀は中国に向かうはずの軍勢に向かって、そう宣言した。

 それを確認すると、後は伊賀者たちに任せて、私は本能寺に向かった。


「敵は本能寺あり」と言う名セリフ。三太夫が考えたもの。光秀の雑兵たちに紛れ込んだ生き残りの伊賀者たちがこの言葉を受け、進軍途中に雑兵たちに「殿は信長を討ち、天下を盗られる気だ」と唆し始める。 

 殿が天下人。それは雑兵たちも一段階は出世できる事になる。人は欲によって動くのだ。

 自分の未来に輝く幻想を抱いた軍勢は、もはや光秀をもってしても止める事などできやしない。

 しかも、明智秀満などの重臣たちにも、「あの言葉の意味は、殿が天下を盗ると言うことですよね?」とささやきかけ、重臣たちもその気にさせる事になっていた。




 私は一足先に本能寺にたどり着くと、本能寺の屋根の上で、目を閉じ、周囲の気配を読んでいた。

 近づいてくる数多の人の気配を感じ始めたのは、もうしばらくすると夜が開けるのではと言う頃合いだった。


「来たわね!」


 そう言って、私は屋根の上で立ち上がり、近づいてくる人馬の方向に目を向けた。

 やがて、掲げた松明の灯りで浮かび上がる軍勢の旗指物に描かれた水色桔梗の紋がはっきりと視認できるようになり、万を超える兵たちが、本能寺周辺に展開し始めた。


 光秀の目的は、信長を討とうとする悪しき者とそれに同調した蘭丸たち。でも、本能寺を取り巻く者たちはそんな風に思ってはいない。

 信長を討つ命令を、痺れを切らして待っている。


「信長を討てぇぇぇ!」


 兵たちに紛れ込んだ、伊賀者が声を発した。


「おぉぉぉ!」

「殿さまが、今より天下人じゃあ」


 軍勢の中に紛れ込んだ伊賀者たちが、次々に声を上げる。


「放てぇぇぇ」


 それに応じ、潜んでいた伊賀者が火矢を本能寺に向けて放った。


「ま、ま、待て!」


 きっと、予想外の展開に光秀は、そんな言葉を発して慌てふためいているはず。

 今度は私の番。


「惟任日向守様、謀反」


 屋根から廊下に移り、抜け穴のある部屋を目指し、廊下を駆けながら、大声で叫ぶ。


「一大事でございます。

 明智殿、謀反にございまする」


 本能寺に潜んでいた伊賀者たちも次々と明智光秀謀反を叫び続けた。

 この声は、光秀にも届いているはず。

 信長に謀反の疑念を抱かれた者の末路くらい、頭脳明晰な光秀には分かるはず。となれば、もはや、全力で信長を抹殺するしかないのだ。


 抜け穴のある部屋にたどり着くと、抜け穴を隠す板をずらし、暗い地下に通じる階段に足を踏み入れた。今度は地下側から板をずらし、不自然さが無いように板を戻して、階段を隠す穴を塞いだ。

 灯りの無い地下は真っ暗である。いくら夜目に優れた忍びと言えど、これでは何も見えやしない。

 でも、私には闇斬りがある。ゆっくりと鞘から引き抜くと、闇斬りが発するほのかな赤い光が辺りを照らし出し、地下に続く階段とその先の通路を浮かび上がらせた。


 西国無想流に伝わる斬魔刀 闇斬り。その真価は真の闇の中で発揮される。ほとんどの者はこの赤い光を感じる事ができないのだけど、ごく一部の者は闇斬りが発する赤い光を感じる事ができるのだ。


 通路の中は狭く、人一人が通れるほどしかない。しかも天井は低く、男の人の体格なら、屈まなければならない。

 官兵衛が私が身を隠すために用意した広めの場所にたどり着くと、闇斬りを鞘にしまい、身を潜めた。


 やがて、さっきまで真の闇だった地下通路に、ほのかな灯りが差し込んできた。

 ねねや信長がやって来たに違いない。


「明り!」


 信長の声だ。


「貸してください。

 行きます」


 ねねの声だ。先頭はねねらしい。


「この床は私が元に戻しておきます」

「うむ。蘭丸、頼んだぞ」

「上様、ご武運を」


 気から言って入って来たのは、ねねともう一人は長益らしく、最後が信長らしい。

 侵入して来た者に備え、何段もに分散して爆薬を仕掛けておいたのが功を奏している。信長だけを分断できる。

 全神経を集中させながら、目の前の天井を崩落させる爆薬のための紐を手に、信長が通り過ぎるのを待つ。

 ろうそくを持ったねねと長益が通り過ぎた。

 目の前の天井を崩落させるための爆薬を爆破させるため、手にしていた紐を思いっきり引いた。


 ど、ど、どどどど!


 爆音と言うより、天井が崩落する音の方が大きかった。

 状況を確認するため、闇斬りを抜き去りながら、通路に出た。

 予想外の出来事に怒りの表情をした信長の姿が、そこにあった。


「わっぱ、何のつもりじゃ」


 気から言って、信長には私だと分かったようだった。


「上様ぁ」


 ねねたちとは完全に土の壁で謝絶できたようだけど、ねねの声がかすかに聞こえてくる。下手に土の壁を壊されても邪魔になる。

 信長に警戒しつつ、官兵衛に用意させていた声分身の装置を手にした。


「長益、ねね。聞こえておるか?」

「はい! 上様!

 今、助け出しますから!」

「ねね、よいか。

 わしを置いて!」


 信長を装って、ねねたちを遠ざける。


「何をおっしゃるんですか!

 今すぐです」

「長益。ねねを連れて落ちよ。

 ぐずぐずしておると、お前たちも出られなくなる」

「嫌です!」

「残念じゃが、わしはもうだめであろう。

 わしは動けぬ。

 ここでわしが死を迎えれば、光秀にこの御首級みしるしを渡さずにすむ。

 さぞや光秀の奴、悔しがるであろう。

 ねね。相手が光秀では、信忠も生き残る事はできまい。

 わしに代わって、天下を盗れ!

 そちなら、できるじゃろう。

 長益。早くねねを落とせ。

 よいな!」

「上様っ」

「ねねを連れて行け」

「上様ぁぁぁ」


 長益とねねの気配が遠ざかり始めた。


「何の真似じゃ。

 くさい三文芝居をしおってからに」


 今までに感じた事がないほどの信長の怒りを感じた。


「ここで、あんたには死んでもらうから」


 そう言って、闇斬りの切っ先を信長に向けた。


「この暗闇で、わしを斬れるのか?」

「斬れる!」

「ほぅ。して、わしを斬った後はどうするのじゃ?

 前も後ろも天井が崩落しておるぞ」

「えっ?」

「先ほどの衝撃を感じなんだか」


 ちょっと意外な話だった。私が崩落させたのは長益と信長の間の天井だけだ。

 信長に警戒しつつ、この抜け穴の入り口方向に目を向けた。

 闇斬りのほのかな灯りが、すぐそこにできている通路を完全に塞いだ土の壁を浮かび上がらせた。


「誰がこの抜け穴を作った?」

「黒田官兵衛」

「なるほどのぅ。

 わっぱは、抜け穴の入り口から外に出るつもりだった訳か。

 それもできぬとなると、官兵衛はおぬしもわしも共に葬るつもりだったんじゃろう。

 この抜け穴がどこに続いておるのかは知らぬが、そこら中で崩落しているやも知れぬな」


 どうやら、信長の推測は当たっているかも知れない。

 信長を葬れば、サルが天下人になる可能性が出てくる。しかも、官兵衛はここで信長が死ぬことも知っているのだから、切れ者の官兵衛の事、毛利との決着のつけ方も光秀を討つ用意もしているに違いない。


「私は地上に戻れなくてもいい。

 師の仇であるお前を討ちさえすれば」

「ほう。

 暗闇とは言え、わっぱが怒りに任せて放つ気の位置くらい、掴めると言うものじゃ」


 そう言うと腰に差していた脇差で、私に襲い掛かって来た。

 相手は暗闇の中、気を読んで私の場所を掴んでいる。

 それは大雑把な私の位置でしかない。

 その脇差を握りしめた信長の腕を斬りおとす。


「ぐぁっ」


 私は闇斬りが放つほのかな赤い灯りで、信長の姿を掴んでいる。

 真の暗闇の中では、闇斬りに勝てる者などいないのだ。


「魔王、退散。

 信長、死ね!」

 

 そう言うと信長の首を跳ね飛ばした。

 出口も無い、狭く暗い地下通路の中を信長だった肉塊からほとばしる赤い血の匂いが埋めて行った。


「師よ。魔王を退治しました。

 褒めてくれますか?」


 闇斬りを鞘に納め、真の闇となった空間で、しゃがみ込んで、そう呟いた。


「燐。よくやった」


 師の声がした気がした。その姿を探したくて、闇斬りを少し鞘から抜いた。

 私の目の前に、ほんのりと師の姿が浮かび上がっていた。

 それが幻だろうと、幽霊だろうとかまわない。懐かしい師の姿に飛びついて、ぎゅっと力いっぱい抱きしめた。

 そこには温もりがあった。


「私はいつもお前を見守っておったぞ」


 そう言うと私の頭の上にぽんと手を置いた。


「私、師の事が好きだったんです!」


 心の奥底からこみ上げてくる言葉を抑えきれず、そう叫んだ。

 これが幻であってもいい。ずっとこうしていたい。

 狭く暗く、出口すらない地下の抜け穴だと言うのに、嫌でもなく、そんな思いを抱いて、目の前に感じる温かさに抱きついていた。

 それは幸せな、幸せな時間だった。


-- 完 --

 まず、はじめに。

 ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

 そして、 評価にブックマークを入れてくださった方々、ありがとうございました。

 完結できましたのも、皆様のおかげです。


 もう一つ、信長様ファンの皆様、ごめんなさい。

 魔王だのと言って、最後はこんな終わり方にして……。

 私も信長様ファンなんで、お許しください。


 感想などいただければうれしいです。

 どうも、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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