魔王 信長
折檻されたばかりの光秀と信長の意味不明な会話を天井裏から、聞き耳を立てる。
二人の気を探ってみようかとも思わないではないけど、信長の気を読む時に、逆に私の気を読まれかねない。
じっと、耳だけに頼る私の耳に、意外な会話が届けられ続けた。
「よくもまあ、我が安土に腐臭をまき散らしてくれたものよのう」
「池に食材を投げ込みましたので、かなりの腐臭になろうかと。
これで、この事件は広い範囲の者たちに広まりますでしょう」
「ふむ。
毛利の間諜もおぬしがわしに恨みを抱いていると思うであろうなぁ。
義昭や毛利との密通も本心からと思うに違いあるまい」
「長篠の合戦では佐久間信盛を餌にし、此度は私ですか」
光秀の言葉の意味は分かった。どうやら、これまでの光秀への仕打ちは芝居と言う事らしい。
長篠の合戦では、武田に寝返ると佐久間信盛が偽りの話を持ち掛けていた。
それが合戦開始の合図と佐久間が武田に伝え、合戦開始を引き延ばす間に、信長は馬防柵を完成させていたのだ。
だけど、今度は光秀を使って、どうすると言うのか?
「あの時は、ばかみたいに武田に攻めて来てもらわねばならなかったからのぅ。
でなければ、鉄砲の前にやつらを引き付けられんからのぅ」
なんだか私が知っている話とちょっと違う。
信長は武田軍とはまともにぶつかりたくないと言う話だったはず。
「此度は毛利の軍勢を引き付けたところで、筑前が築いた堤を切り、毛利の軍勢の大半を水で流してしまうのですな」
「そのためにも、毛利には攻めて来てもらわねばならぬからのう」
「私が上様を裏切ると言うのは、かなり信憑性を得る事が出来たのではと存じますが、ここはもうひと押し必要では?
あの時のように」
「ふむ。
あの時は、わっぱの師に死んでもろうたが、此度はわっばに死んでもらうか?」
何の事だか、よく分からなくなってきた。
と言うより、私の頭は冷静さを失い始めた。
「うぬ?
わっぱ、潜んでおったのか?」
乱れた感情が、押さえていた気をほんの少し放ってしまったらしい。信長の怒声が聞こえて来た。
ドスッ!
そんな音を立てて、刃が私の顔先に天井を貫いて姿を現した。
慌てて天井から飛び降りた。
そこには、自分の体で信長を守ろうと、信長の前に立つ光秀と、その背後で怒りの気を放つ信長の姿があった。
光秀に謀反の気配など無い。
「どう言う事ですか?」
意味が分からず、うろたえ気味にたずねてみた。
「毛利との戦いで、師の後を追わせてやろうかと思っておったが、もう役には立たぬな。
仕方あるまい。死出の土産に教えてやろう」
光秀の背後にいた信長は、光秀を押しのけ、前に出てくると話を始めた。
「あの戦いは勝つことが目的ではない。すなわち、勝頼の死など不要で、武田の騎馬隊壊滅が目的であり、そのための策が鉄砲の三段撃ちじゃ。
じゃが、三段撃ちで武田の騎馬隊を壊滅させるには、我が陣に挑みかかってきてもらわねば困るのよ。
そのための餌が佐久間信盛の裏切りじゃが、まだ武田の奴らに信じられてはおらなんだ。
そこでじゃ。織田が最強の刺客を放ち、勝頼の首を狙う。その男、最強故、手向かいにて防ぐことかなわず、勝頼の周囲にわなを仕掛けておくがよろしかろうと信盛を使って、おぬしの師の襲撃を伝えておいたのよ。
最強の刺客の来襲を伝えた事で、武田の奴らは信盛の裏切りを信じ、我が陣に襲い掛かって来た」
「師をはめたのですか?」
「人聞き気が悪いのう。
天下のため、命を捧げてもらったまでよ。
そして、此度は光秀が餌であり、おぬしにも師と同じように役に立ってもらおうかと思っておったのに、残念な事になったわい」
「おのれ、信長!」
私は闇斬りを抜き去り、信長に襲い掛かった。
信長は差していた脇差を抜き去ると、闇斬りの刃を脇差で受け流し、私を足蹴にした。
うげっ!
私は部屋の片隅まで吹き飛ばされた。
余裕なのか、信長はさっきの場所で立ったままで、次の手を打ってきてはいない。
素早く立ち上がり、再び切っ先を信長に向けた。
「力の差が分からぬようじゃのう」
鋭い眼光で、信長が言った。放っている気は圧倒されそうなほどの圧力だ。
「師の仇!
許しはしない」
「力の無い者が言うセリフではないのぅ」
うそぶく信長に再び斬りかかった。
信長は光秀が腰にさしていた脇差を素早く抜き去ると、私を目がけて投げつけて来た。
闇斬りで、それを跳ね飛ばした時、信長はすでに間合いに入って来ていた。
信長は私が闇斬りを構えていた両腕を左腕で支えるようにして動きを封じながら、脇差を握る右手で、一番避けるための大きな動きができない腹部を襲って来た。
だめだ。確かに力量が違い過ぎる。
負けた。
そう覚悟した時、私の腹部に突き刺さろうかとしていた信長の脇差が宙に舞った。
「ちっ!
他にもおったのか」
「燐ちゃん。だから言ったじゃない。
こいつは信じちゃだめだって」
その声はかえでちゃんだった。
どうやら、私を刺そうとした信長の腕を蹴り飛ばしたらしく、脇差は天井に刺さっていた。
「上様、これを」
光秀が転がっていた自身の脇差を取って、信長に渡した。
「気を消す事ができたとて、目の前に姿を現わせば、何の役にも立たんのだぞ」
信長に怯んだ気は見えないどころか、怒りが増してきている。
ここでかえでちゃんと共に戦っても勝てるのかどうか定かではない。
信長を倒すなら、本能寺だ。
こいつは魔王なんだ。斬魔刀 闇斬りが葬ると言われたこの世に現れた魔王は、こいつ。
本能寺は闇斬りの力を発揮するに最適な場所。
私の頭の中は、そう結論を出した。
「かえでちゃん。
ここは一旦引くよ」
「そうなの?」
「行くよ!」
そう言うと私は天守の窓から屋根に飛び移り、魔王信長から逃れた。




