信長と光秀
官兵衛の話から言って、光秀謀反の時も迫っている。私の監視は必然的に光秀だけに向けられるようになった。
その光秀はと言うと、彼の持ち場は近畿であり、もはや敵対勢力が無い事から、安土にやって来る家康の饗応役を担っていた。
光秀の邸宅に運び込まれる贅を凝らした数多の食材。
多くの人々がその準備に追われていて、光秀も自らその場で指図をする熱心さだ。
そんな光秀の奮闘もあり、安土にやって来た徳川家康と穴山梅雪への饗応の初日は、何事もなく終了した。
この真面目に、そして熱心に働く光秀が、主である信長を討つと言う考えを密かに抱いているとなると、人と言う者は上辺の働きだけでは信じる事などできそうにない。
そして、もう一つの疑問が私の頭に浮かんだ。
そもそも、どうして饗応役をやっている光秀が中国に向かう事になるのか?
その答えはすぐに出た。
新鮮な魚で御馳走をと光秀は考えたのかも知れなかったけど、今は気温は高く、魚のいたみも早い時期であり、光秀の邸宅に立ち込める魚の臭いにはすさまじいものがあった。
信長の所まで届くとは思えなかったけど、風向きだろうか? 信長が急遽見分にやって来た。その顔つきには怒りが浮かんでいて、今すぐにでも癇癪を起しそうだった。
「上様、これは」
慌てて、光秀が飛んでやって来た。その表情には怯えた感があり、信長に怒鳴られる気配を感じ取っているらしかった。
「光秀ぇぇ。これは何事じゃ」
「はっ! 魚料理などを用意する所存で」
「腐っておるのではないのか?
このような物を我が弟に食べさす訳にはいかぬ。
おぬしはもうよい。
饗応役は他の者に任せる故、おぬしは今すぐ国元に戻り、軍勢を整え、サルの援軍として中国へ迎え。
分かったか!」
「し、し、しかし」
「わが命に従えぬのかぁ。
蘭丸、こやつの頭を叩いてやれ!」
「はっ!」
信長の背後に控えていた森蘭丸が進み出て、光秀の頭を懐に差していた扇子で叩き始めた。信長からではなく、小姓の蘭丸に頭を叩かれると言う恥辱。これで、光秀の気持ちは固まったに違いない。そう私は感じ取っていた。
「上様、申し訳ありません。
申し訳ありません」
「分かったなら、さっさとここを立ち去れ!」
慌てて屋敷の奥に引き下がって行く光秀を見定めると、信長は踵を返し立ち去って行った。
信長が去った後、光秀は怒りを抑えきれなかったのか、用意していた食材全てを屋敷の中にあった池に捨てさせた。暑い時期だけに、それらが腐臭を放つのに時間は要さなかった。周囲に広がるその異様な臭いが、安土で何かが起こった事を周囲に知らしめていた。
私は光秀の動きをそのまま探り続けていた。
家臣たちに国元に引き上げる指示を出したかと思うと、その慌ただしさの中を一人抜け出し、安土の天守に向かい始めた。
なぜに天守?
私は自分の気を殺しながら、光秀の後をつけた。
光秀がやって来た場所は、五層天守の安土城の一室で、そこには信長が一人で待っていた。
安土に立ち込める魚の臭い。これを失態として、先ほど折檻した信長の前に、同じく一人でやって来た光秀。
何を考えているのか?
万が一の時には、光秀を斬る。そんな思いを抱きながら、私は気を殺し、天井裏で様子を探った。
「苦労であったな」
「はっ。これも上様のため」
二人の意外な会話に、私の思考はその答えを見つけられずにいた。




