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伊賀動乱の始まり

 京の町は、古くから続くこの国の都。かつては戦乱で荒廃の極みに達していたけど、それも今は昔。

 鮮やかな色の服を纏った町ゆく女性たち。

 活気に満ちた商人や職人たち。

 そして、衰亡の危機から立ち直り、気品ある暮らしを取り戻した公家たち。

 ここに戦乱の気配はなく、人々は平和で安心できる生活の中にいた。


 平和で人々の暮らしが安定すると、物の売り買いも多くなる。

 まさにかえでちゃんの家の商売もそうなんだろう。ここのところ、人の出入りがいつも以上に多くなっている。


「燐ちゃん!」


 商売が忙しそうだと言うのに、いつものように私を見つけて、かえでちゃんが飛び出して来た。


「うちに来て!

 美味しいお菓子があるんだよ」


 初めて出会った頃に比べ、年を重ねているはずだけど、かえでちゃんは相変わらず背が私より低い。

 商家の娘だけに、お菓子だけでなく、ぜいたくな物を食べているはずなのに、低いと言うのは、両親のどちらか譲りなのかも知れない。そう言えば、かえでちゃんの両親にも、義昭を毛利に落とす時に世話になった三郎?とか言うおじいちゃんの顔も知らない事に、今更気づいた。


「えぇぇっと」


 戸惑う私の腕に抱きつき、半ば無理やりに自分の家に私を引きずり込もうとしている。

 これも彼女が今よりも幼かった頃と同じだけど、一つ違うのは、成長したかえでちゃんが私の腕に抱きつくと、大きくなったかえでちゃんの胸が私の腕にむにゅっ感を伝える事だろうか。

 なんて、昔の事を思っている内に、私はかえでちゃんの家の中に連れ込まれていた。


 いかにも裕福そうな商家の広い畳の間で、一人座って待っていると、何かが盛られたお盆を抱えてかえでちゃんがやって来た。


「ほらほら、これだよ」


 そう言って、かえでちゃんが差し出したお盆の上には、白くて細長いお餅がいくつも盛られていた。


「食べて、食べて」


 にこりと微笑みながら言われたら、断る事もできやしない。いえ、断る理由も無いんだけど。

 一つ手にして、口に入れてみる。


「美味しい」


 ただのお餅じゃなかった。中に餡子が入っていて、ほっぺが落ちそうなくらい確かに美味しいのだ。


「でしょ、でしょ!」


 かえでちゃんは、私が美味しいと言った事が、それほどうれしいのか、輝かせた目をしながら、身を乗り出して私に接近して来た。


「う、う、うん」


 あまり人と接近する事に慣れていない私は、思わずのけ反って、その距離を保とうとした。


「美味しいものは、燐ちゃんと一緒に食べたいんだよね」


 なんで、この子は私にこんなに好意を抱いてかまってくるんだろうか?

 そんな疑問も抱いた事はあった。でも、人が人に好意を抱くのに、理由なんてない訳で、そんな疑問の答えを私が考えても意味のない事だと、いつの頃からだか思うようになっていた。


「で、これはどこの食べ物なの?」


 最初のお餅は食べてしまったので、もう一つ頂こうとお盆に盛られたお餅に手を伸ばしながら、かえでちゃんにたずねてみた。


「伊勢だよ!」


 明るく答えたかと思うと、少し表情を曇らせた。


「どうしたの?」

「あのね」


 表情を曇らせた理由をたずねた私に、かえでちゃんはそこで言葉を一度止めた。


「私のおじさんが、これを伊勢からこっちに運ぶ途中で、伊賀で戦に巻き込まれて」


 そうなのだ。

 伊勢を治めていた信長の次男信雄は、隣国の伊賀に手を出そうとして、伊賀のど真ん中にある丸山城と言うほぼ廃城状態だった城の改修を始めたのだった。

 伊賀と言う国は、普通の国じゃない。

 元々寺領だった事もあり、国主と言うものがおらず、忍びの者たちが割拠する地であり、普段は互いに協力し合っている訳じゃないけど、敵が攻め込んできた時には、一致団結して敵に当たると言う掟がある。

 そして、かつて私は師と共に信長に従う事を勧めに赴いたけど、一蹴されてしまっていた。


 丸山城が完成し、完全に伊賀を織田の勢力下に置かれてしまう事を恐れた伊賀者たちは、丸山城の改修普請に当たっていた信雄の配下の者たちを襲い、敗走させてしまっていた。かえでちゃんが言う戦とはこの事に違いない。


 かえでちゃんは今度は言葉を詰まらせ、涙をぽとりと落とした。


「一緒だった人の何人かは逃げ切れたんだけど、おじさんは亡くなっちゃったんだ」


 最後の方は涙声だった。そして、そこまで言うのが精一杯だったのか、泣きじゃくり始めた。私に向けた笑顔も、明るい声も、この悲劇を心の中で一生懸命抑えるためのものだったのかも知れない。


「そうだったんだ。

 ごめんね。嫌な事を思い出させて」


 そう言って、かえでちゃんの震える肩を抱きしめた。


「ねぇ」


 どれくらい経った頃だっただろうか。かえでちゃんは、涙顔で私を見つめて、そう言った。


「信長様は、復讐に伊賀に攻め入ってくれないのかな?

 燐ちゃんって、信長様と関係あるんでしょ?」


 涙顔で、かえでちゃんは言った。

 監視と言うと言い方が悪いけど、私を見つけては家から飛び出してくる彼女なら、私が信長何らかの接点を持っている事に気づいても、それほど不思議じゃない。

 そして、おじさんの仇を願う気持ちも分からない事はない。


「残念だけど、たぶんないんじゃないかな」


 信長は、この伊賀の出来事を知ってはいるけど、何の指図も誰にも出していない。

 心中はきっと穏やかではないはずだけど、自分の息子が仕出かした失態だけに、表に感情を出さず、静観を決め込んでいるのだろう。


「そんなぁぁぁ」


 かえでちゃんの願望を否定する私の言葉に、かえでちゃんは悲し気な声を上げて、畳に突っ伏して再び泣きじゃくり始めた。

 きっと、小さかった頃からよくしてもらい、思い出のあるおじさんだったんだろう。

 私そう思った。

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