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長篠の合戦

 私は勝頼の本陣が置かれているであろう辺りに目を向けていた。

 師が立ち去った頃は、東の山との境界に明りの気配を感じる程度のまだ深い闇だった空は、徐々に明るさを取り戻し、夜の闇に輝いていた星々を空の彼方に追いやり、今では太陽自身は、その姿を見せてはいないものの、その光は空の隅々までに及ぼうとしていた。

 遅い。

 師からの合図がまだ無かった。

 師ほどの方が、たかが勝頼の首を上げる事に失敗するなんて、あり得ない。

 でも、何かがあったのかも。

 そんな不安を抱き始めた時だった。

 夜明けの空を轟かす銃撃音が、彼方で巻き起こった。

 鳶ヶ巣山砦の方向だ。

 昨日、信長が一蹴した作戦だけに、誰かがそこを襲ったなんて事は考えられなかった。

 でも、止まぬ銃撃音が、そこで戦が行われている事を物語っていた。

 どうして?

 そう思った時、彼方で陣貝が鳴り響き、すぐに武田の騎馬隊がその姿を現した。

 師は失敗したの?

 そんな不安で、武田の騎馬隊が襲ってきている事への考えなど、及びもしなかった。

 けど、視界の中で、その戦いだけは、私は捉えていた。


 馬防柵の前に出て、喊声を上げる足軽たち。

 その兵たちを馬蹄にかけようと、突進してくる武田の騎馬隊。

 歩兵では騎馬に勝てる訳もない。

 慌てて馬防柵の中に足軽たちが逃げ込むと、信長の鉄砲隊が馬防柵の内側に整列した。

 その数は今までに見た事の無いほどの数だった。

 信長の兵たちが、馬防柵のための木材を持っているのは知っていたけど、これほどの種子島を持ってきていたとは知らなかった。

 種子島が一斉に射撃を始めると、雷鳴のような轟音と衝撃波をまき散らしながら、向かって来ていた武田の兵たちをばたばたと打倒した。

 血しぶきを上げながら、前のめりに倒れ込む人馬。

 でも、全滅なんてできやしない。

 生き残った敵兵たちが、馬防柵に向けて駆け寄って来る。

 種子島の欠点は、一度射撃すると、次の射撃までに時間がかかる事。

 次の銃撃が始まる前に、騎馬隊は馬防柵にたどり着く。

 なんて事をぼんやりと思い浮かべた私の体に衝撃が走った。

 銃撃の衝撃波だ。

 さっきの射撃と変わらぬほどの大きさ。

 驚きの目を信長の陣の馬防柵の内側に目を向けた。

 そこには、三段になって備えた鉄砲隊の姿があった。

 射撃が終わると、後ろの隊と入れ替わり、弾込めの作業に移る。その間、入れ替わった隊が、射撃する。

 これを繰り返す事で、馬防柵の前面には、鉄砲の弾が止むことなく降り注ぐ空間が作られるのだ。そこに足を踏み入れた武田の兵たちは、馬であろうと人であろうと、鉛玉の洗礼を受け、あの世に旅立っていく。

 この戦の勝敗はすでに決してしまったと、私は感じ取った。

 だけど、敵は第二陣、第三陣と前の攻撃が失敗したと分かっていても、繰り返し波のように押し寄せて来た。

 失敗を繰り返している事を目の当たりにしても、自分たちの攻撃方法を改めると言う事が出来ないと言う人間の性がそうさせているのか?

それとも、師に勝頼が殺された事での弔い合戦的な意味合いで、退く事ができないのか?

私は後者だと信じたかった。そして、今すぐにでも師が戻って来てくれると信じたかった。


 幾度となく繰り返された武田の騎馬隊の突撃と、銃撃による殲滅。

 消耗戦は武田の完全な敗北である。敵にもう大きな力は残っていないと見た信長が、総攻撃の命を下すと、織田、徳川の軍は馬防柵を出て、追撃に移った。

 三万を超える人馬が怒涛のように、武田の陣を目指して押し寄せる。もはや、武田は崩れ去るしかなかった。

 その波を見ながらも、私は師を見送った同じ場所で、ずっと師の帰還を待っていた。

 だけど、長篠を織田、徳川両軍の勝鬨がこだましても、師は戻って来なかった。



 

 今までも多くの戦場の後を見て来たけど、この戦いでの死者の数は、比較できないほど多い。累々と横たわる屍をついばむカラス。肉にありつこうと集まって来る野良犬。

 亡くなった者たちを弔おうと言う仏僧や近くの農民たちの姿も見られるけど、カラスたちの数の比ではない。

 ここは野良犬とカラスが跋扈する地上の地獄の様だ。

 そんな中、闇斬りを抱え、師が向かったはずの勝頼の本陣跡を目指す。

 心の奥が何かを恐れているのか、足取りは重く、普通の人が歩くよりも遅いらしく、辺りの風景の移り変わりがゆっくりし過ぎている。

 そして、屍とカラスと野良犬が埋め尽くさんばかりの世界を、一人歩く私の姿は奇異なのか、屍を弔おうとしている人たちの多くが、私に気づくと、手を止め、しばらく、じっと私を見つめている。

 不安が心の中、どんどん広がっているのか、目の前の景色が揺らぎ始めた。

 涙?

 師に万が一なんて、そんなはずはない。

 そう信じ込もうとするけど、未だに師は戻って来てはいない。

 やがて、勝頼の本陣跡と思しき所が視界に入って来た。


 打ち捨てられた武田菱の旗指物、幔幕。

 辺りを見渡して見ても、師の姿は無い。

 混乱の内に退却したからなのか、信長軍が襲った後なのか分からないけど、多くの床几が転がり、泥にまみれている。きっと、そこで、勝頼と武田の武将たちが軍議をかわしていたに違いなく、師はそこに来たはずなのだ。

 そして、さらに近づいた時、私は衝撃的な光景を目にした。

 地面に空いた大きな穴、その中には、竹やりが埋め込まれていて、それに串刺しとなった数人の織田の足軽の姿があった。

 落とし穴?

 城を取り巻く堀のように、幔幕の中、軍議をする武将たちを取り巻くかのように、コの字型に落とし穴と言う罠が仕掛けられていたらしい。

 もしも、師が?

 慌てて、私はそのわなの中に師の姿を探し求めた。

 織田の足軽たち。師の姿は無い。

 そう一安心した時だった。

 竹やりにひっかかった血まみれの足軽が身につける訳もない黒装束。

 辺りに目を向けると、うち捨てられた幔幕の外で、すでに多くの者たちに踏みつけられ、原形を保っていない首の無い黒装束の死体らしきものを発見した。

 駆け寄ってみると、その死体が身に纏っている黒装束には、落とし穴に落ちた時に、竹やりが刺さりできたと思われる穴がいくつもあった。

 師?

 やはり、師はあの落とし穴に落ちたの?


 辺りに目を向けてはみたけど、本来その死体についていたはずの首は見当たらない。

 これは師なんだろうか?

 違う。そんなはずはない。

 そう思い込もうとしているはずなのに、その死体の前でしゃがみ込み、きっと背中であったであろう部分に顔を伏せた。もはや、涙で何がなんなんだか、視認できない。


 そんな世界で、私は激しい自責の念に包まれ始めた。

 もし、勝頼が落とし穴と言う罠を用意していたとすれば、それは暗殺を恐れていたに違いない。

 信玄は病死と言う事になってはいたけど、実は武田は暗殺と知っていて、今回も暗殺者が訪れると言う事を警戒していたのかもしれない。

 としたら、もし、この罠に師がかかったとしたら、全てはあの時の私のせい!!


「うわぁぁぁぁぁぁ」


 私は自分が行った過去の過ちで師を殺させてしまったのではと言う恐怖に、師と思しき死体の前で、絶叫せずにいられなかった。

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