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恐るべし信長

 正徳寺に忍び込んだ私が潜むのは、信長の控えの間の天井裏。さっきまで着ていた装束は、緑と黒が織り交ざったものだったけど、裏返すとさっきの男たちと同じように、真っ黒になる。これは夜や暗い場所で戦う時の装束。

 下の気配をうかがい始めて、しばらくすると、近づいてくる数人の男の気配を感じた。

 ズザザザと音がして、障子が開き、三人の男が入って来た。


「殿。では、早速お着替えを」


 男の声に続き、衣擦れの音がした。確か、ねねが信長に対面前に着替える事をすすめていた事から言って、あの汚らしいお○ん○んの絵柄の服を脱いでいるのだろう。

 伝わる気の波から、下の様子を脳裏に浮かべた時、ぞくっとした。

 私に突き刺さるような気が向けられている。

 それは殺意のようなものではないけど、突き刺さる痛みに背筋に冷や汗が流れるほどの気だ。しかも、私の居場所を見抜いているとしか思えないほど、揺らぎも乱れもなく、私だけに向けられている。

 ここで動くことはできない。殺意が無い以上、じっと耐えるのが得策だ。

 長く感じた凍り付くような時が流れた。


「小刀を」

「うむ。

 少し場を離れろ」


 小刀を脇に差す音と共に、信長はそう言った。信長にとって怪しげな私が天井裏に潜んでいる事を気づいているに違いないのに、一人になろうとしている。

 再び、障子が開き、トタンと閉じられる音がしたかと思うと、信長の気配がゆっくりと動き始めたのを感じた。それは私と距離をとるのではなく、近づいてくる。

 足が畳と擦れる音が止まった時、信長は私のほぼ真下だった。


「舅殿の手の者か?」


 確実にばれている以上黙っていても、仕方がない。


「違います。

 ですが、私がここにいる事は、どうして分かったのですか?」

「ふん。

 それほど血の臭いを放っておいて、何をぬかしておる」


 あの二人の男を斬った時、確かに返り血を浴びはしたが、それほどの臭いは放っていない。信長の嗅覚は犬並みなのか?


「正徳寺近くで、斬られた者が捨てられておったようじゃが、わっぱの仕業か?」


 私が子供かどうか微妙なところだけど、大人じゃないと見抜いている。


「はい」

「で、わっぱは何故、そこに潜んでおるのじゃ?

 殺気も纏ってはおらぬようじゃし」


 信長の言葉が本当だとしたら、信長は殺気を感じる事もできるらしい。いや、私がいる場所を見抜き、子供である事も見抜いているのだから、きっと私が殺気を纏っていない事も感じ取っているに違いない。


「信長様が道三殿とどのような対面をされるのか、見てみたいと思いまして」

「ほぅ。

 で、どこの手の者じゃ?」

「どこの者でもございません」

「たわけ!

 そのような事がある訳あるまい」


 信長の全身から怒りの気が発せられたのを感じ、逃げる体勢を取ろうとした時、師の声がした。


「その者が言った事は全て、まこと」

「うぬ?

 まだ他にもおったか」


 私に向けられていた突き刺さるような気は消え失せ、信長が師の居場所を探し始めたのを感じた。


「気配も読めぬ。

 声の場所も掴めぬとは、天井裏の子ネズミとは違って、手ごわいようじゃのう」


 師の気配は信長でも探れないらしい。これぞ無想流の極意。しかも、声と言うものは、やまびこがそうであるように、何かに当たると跳ね返ると言う性質があって、無想流には声をあらゆる方向から反射させ、どこから声がしているのか分からなくする術がある。声分身と言うのだが、それなりに細工が必要なんだけど、床下に隠れている師は、きっとその仕掛けも施していたんだろう。


「そのわっぱは、私の弟子ゆえ、手出しされるとあらば、私がお相手いたそう」

「くっ、くっ、く。

 居所も掴めぬ相手に、こちらから斬ってかかれる訳もあるまいて、勝敗は目に見えておるわ。

 わが道三との対面、見届けたいと言うのであれば、存分に見届ければよかろう」


 そう言い残すと、信長は障子を開き、部屋を後にした。



 屋根裏の暗闇の中を照らし出す構造物の隙間から差し込む線状の外光が、私の移動に伴って、巻き上がった埃をほのかに浮かび上がらせる。廊下を歩く信長と違い目的の対面の場に、一直線に向かう事ができる屋根裏を移動する私がゆっくりと移動する信長の気配を抜き去り、蝮の気配漂う対面の場に先にたどり着いた。


 天井の下から伝る気配。道三から放たれているのは、怒りと呆れとあわよくばと言う色々な感情が入り混じった複雑なもの。他に居並ぶ道三の将たちと思われる者たちからは、怒りの気が放たれている。

 さてさて、どんな顔つきで、信長を迎えようとしているのか?

 その顔を拝みたくて、天井の板を少しだけずらしてみる。


 居並ぶ将たちは、平静を装いながらも、苦虫を嚙み潰したかのように微妙に歪んでいる。屏風の前に座っている道三は、扇子で仰ぐ仕草で冷静を装ってはいるけど、正装でなくもさっきまでの信長のように帷子と言う服装のままでいるところから言って、お怒り気味なのをその服装で伝えている。

 舅殿に会うと言うのにもかかわらず、男の人のお○ん○んを描いた帷子姿なんて、きっと馬鹿にされているか、本当にうつけ者と思っているに違いない。

 が、私は知っている。信長が正装で現れる事を。さて、道三はどのような反応をするのだろうか?

 期待の瞬間は、すぐにやって来た。


「織田上総介信長様でございます」


 道三の家臣らしき男の声と共に開いた障子から現れた信長は、髷を結い、袴姿、腰には真新しそうな小刀を差した見事な正装姿だった。

 あの小汚い姿で信長が現れると思っていた道三の家臣たちは、意表を突かれ、目が大きく見開き、動きが止まっていた。道三に至っては、手にしていた扇子をポロリと落としてしまった。

 完全に信長に飲まれてしまっていた道三たちの顔つきの面白さに、吹き出しそうになった時、私はしくじった事に気づいた。

 男たちの反応の視覚的面白さから、無想の境地に入り、男たちの心の動きを見る事を逃してしまっていた。視覚から得られるものは、表面的なものでしかなく、本質は見抜けない。

 今更だが、少しずらしていた天井の板を閉じ、暗い空間の中で無想になり、男たちの心を読んでみる。


 正装姿の信長の登場の衝撃は大きかったらしく、男たちの動揺は収まってはいない。あの蝮と言われた道三でさえ、戸惑い色の気を放っている。一方の信長は、全くの無である。

 周りは道三の家臣たちに固められ、ここで襲われれば、腰に差す小刀一つでは、対抗する事も出来ないと言うのに、怯えも緊張の気も放っていない。

 いや、私は気づいた。信長の無とは私や師の無想と同じく、相手の気を感じ取るためのものなんじゃないかと。

 やがて、がさごさと服が擦れるような音がした。信長が着座したらしい。

 気配から言って、道三と対面する場に着座したようだが、信長は挨拶の言葉も口にせず、しばし沈黙が続いている。


 信長に押されっぱなしだった道三の家臣たちの一人が、ようやく冷静さを取り戻し、信長に言った。


「あれは山城守でございます」


 何も語らぬ信長に、その真意を測りかねぬ戸惑いの気が男から放たれている。


「で、あるか」


 低い信長の声が続いた。目の前にいるのが、道三だと紹介されたにもかかわらず、信長はそれ以上の反応を示さなかった。道三に対する非礼ともとれる信長の反応に、怒りの感情を抱いてもいいはずの道三の家臣たちからは、そのような気は放たれておらず、戸惑いの気ばかりが放たれている。完全に予想外の信長に、手も足も出ない。そんな感じだ。

 道三も戸惑いの気を放ってはいたが、さすがに蝮だけあって、その色は他の者たちとはちょっと違っていた。道三はこの信長の異才を感じ取ったようで、抹殺すべきか、利用するべきか、はたまた寄り添うべきかとの戸惑いのようだった。

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