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叡山焼き討ち

 その日の朝、京の町は騒然としていた。

 皆々不安げに灰色の煙が立ち上る東の山に目を向け、中には手を合わせ祈りを捧げる人々の姿もあった。


「仏罰があたりませぬように」

「何もしていない私たちをお救いくだされ」

 

 少し時間をさかのぼると、その東の山は、夜明け前より真っ赤な炎を天高く噴き上げ、漆黒の闇を振り払うかのような輝きを放っていた。それはまるで諸悪を退散させるかのような煌きを放ってはいたが、その下では逆の仏に仕える僧たちが寺の仏像や尊いお経と共に焼き尽くされていたのだ。

 すなわち、あの煙は多くの僧と仏像たちの墓標なのだ。


 信長が叡山を焼き払う。数日前から、その噂はあった。


 信長上洛に合わせ、畿内から退いていた三好三人衆は、織田の主力軍の空白を突き、摂津に進駐すると野田、福島に城を築いた。虚を突かれた信長軍は、緒戦では劣勢だったが、これを討伐するため、信長が出陣すると、戦いの形勢は一気に逆転し、三好三人衆は和議を申し込むまで追い込まれていた。


 そんな中、中立だったはずの本願寺が突如、敵に付いた。

 本願寺は、延暦寺、姉川の合戦で敗北したとは言えまだ戦う力を有していた浅井・朝倉の両軍に信長軍の背後を突くよう働きかけた。

 背後を浅井・朝倉軍に突かれると言う形勢逆転に追い込まれた信長は、全軍を率いて京まで退くと、浅井・朝倉両軍は比叡山に移り、信長軍と対峙した。この戦いを信長は正親町天皇の調停により和睦と言う形で、一旦は終息させた。

 北国街道と東国への街道の交差点とも言える重要な場所に位置するだけでなく、浅井・朝倉両軍を抱え、信長軍と対峙できる軍事的な要衝としての力をも示し、恭順する意思も無い叡山 延暦寺。その存在を信長が放置しておくはずはなかった。


 和睦により叡山の攻囲を一旦解いた信長が、再び叡山を攻囲すると、京の町中に噂が飛び交った。


「信長が叡山すべてを焼き払う」と。


 それはただの脅しであって、いくら信長とは言え実際にそのような愚行は行わない。いや、行えない。京の町の人々は、そう思っていたし、叡山の僧兵たちは特にそう信じ込んでいた。  

 仏とは畏れ多いもの。その教えを説く者たちに残虐非道な行いなど、できる訳もない。さもなければ、来世も浄土も約束されず、未来永劫、地獄の鬼たちに弄ばれてしまうのだから。


 しかし、信長はみなの予想に反し、本当に叡山を焼き払ってしまったのだった。


 それは私にとっても、恐怖すべき出来事だった。

 京の町の人々に混じり、不安げに東の山に目を向ける。

 人々に仏罰が当たりませんように。声には出さないけど、心の中でしっかりとそう仏さまに祈っていた。


「すごい事するんだね。

 信長様って」


 近くでしたその声に私は振り向いた。そこには十代半ばっぽい少女が立っていた。

 その少女は町の人々や私とは対照的な輝く笑顔を私に向け、近づいて来た。

 小柄な体格に似あったサイズの顔だと言うのに、瞳はくるくると大きく、笑顔が輝いて見えたのは、この瞳が煌いているせいかも知れないと私は感じた。


「でも、仏罰って当たらないのかなぁ?」


 私に視線を向けながら言ったその言葉は、私への質問。そう私は受け取った。


「本当に仏さまがいて、仏罰と言うものがあるのなら、焼き払われてからだと遅いんじゃないかなぁ?

 延暦寺を囲んだ時点で、仏罰を当てるはず。

 当てなかったって事は、仏様が信長の行為を認めていたか、現生では仏罰は当てないか、仏さまはいない。

 って事だと思うんだけど」


 そう言いながらも、まだ自分の言葉に納得して切れちゃいない。今の言葉は、漆黒の闇を焼き払う炎を見上げながら、この少女と同じ問いを師に投げかけた時の、師の言葉の受け売りだ。


「なるほどぉ。

 そのとおりかも」


 少女は何度も頷き、納得気味な表情だ。言った当の本人である私が、まだ納得しきれていないと言うのに。


「あっ、私、かえで。

 よろしくねっ」


 なぜだか、勝手に名乗られてしまったけど、名乗られれば、名乗らないのも失礼。


「私は燐」

「燐ちゃんかぁ。

 ねっ! どこに住んでるの?」


 なぜに聞く? と思わないでもないけど、相手は町の普通の女の子だし、無視するのもなんだ。


「ちょっと遠くから来てるし、家も無いんだ」


 嘘ではない。私と師には決まった住処など無い。


「じゃあさ、うちに来ない?」

「えっ?」


 こんな大事件に揺れる朝、見も知らぬ私を家に誘うこの少女は一体? なんて不審げに思っている私の戸惑いを感じ取ったのか、少女が言葉を続けた。


「私ね、女の子の話し相手がいなくてさ」


 いや、私とあなたでは、年に差があるでしょ! と言いたいところだけど、年の話はしたくないので、置いておこう。うんうん。と、たわしは心の中で一人頷いた。


「それに、家もそう遠くないし。

 ねっ!」


 そうして、私はそこから少し離れた商家風の家に半ば強引に連れて行かれたのだった。


 人見知りすぜ、気後れもしない、明るい少女 かえで。彼女と出会ったのは、京を守護するはずの叡山 延暦寺が信長に焼き払われたと言う不吉な日の朝だった。

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