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謎の忍び

 武将たちが兵を引き連れ、次々と撤退していく。お市の方からの浅井の裏切りの知らせが届く前は、意気盛んな喧騒だったけど、今は慌てて撤退準備をする音や、急ぎ足でここから離れようとする隊列の足音などが、本来は静かな夜明け前を一変させていた。


 足早に移動を始めた兵たちの喧騒の中、サルが殿しんがりを務めると聞いて蜂須賀小六がサルの所まで、やって来た。殿しんがりと言えば、全滅覚悟の危険な任務だけに、サルには全くもって似合わない。そのため半信半疑と言うのが、小六のちょっと戸惑ったような表情から見て取れた。


「藤吉郎殿、殿しんがりを買って出たとはまことか?」

「おうよ」


 さっきまで動揺と戸惑いで固まっていたサルが、虚勢を張って胸を逸らし気味にして言った。


「なにゆえじゃ」

「それが武士もののふと言うものであろうが。

 わしとて、武功の一つや二つ必要じゃ」


 いかにも意気盛んな言葉だけど、サルからは怯えの気しか放たれていない。これで、ねねが言うように本当にサルは生還できるのだろうか? いや、もしもの時、サルを助け、それを実現させるのが私の仕事なんだけど。

 ここはやはり策と手助けが必要かも知れない。

 そんな思いで、辺りを見渡す。

 放置されたままのかがり火は、さっきまでの勢いと変わらず、夜の闇を赤く焦がし続けていて、その光に映し出される五つ木瓜の家紋が描かれた幔幕は虚しく緩やかな風に揺れている。急ぎの撤退には不要とばかりに捨てられ、地面に転がる夥しい織田の旗指物。

 どれもが敗北を物語る光景の中、ゆっくりと進んで来る男の姿があった。サルの弟 小一郎だ。この緊急事態でも、放つ気に動揺も怯えも無い。

 サルとは違いこの男はやはり使える。


「あー、このままだともったいないじゃないか」


 私はそう言いながら、辺りに散らばる旗指物を大げさな動きで拾い集め始める。私の言葉と行動で、小一郎の興味を引くことは成功したようで、彼の視線が向けられている中、黙々と旗指物を集めて行く。


「兄者!

 敵はわれらの撤退を知りませぬ。

 敵の追撃まで時間を稼ぐには、ここに強大な軍がとどまっていると思わせる事が必要です。

 この旗指物の全てを集め、そのいくつかを金ケ崎城に掲げ、我らが金ケ崎城に陣取っているように見せかけるとともに、退路に沿う木々の中にも旗指物を配置しておき、敵の先陣に攻撃を加えれば、伏兵がいるものと警戒し、敵の追撃の速度も緩まりましょうぞ」


 やはりサルと違い、小一郎は利口だ。策も無く、少数で留まっていては、敵の数万の軍勢に一気に踏みつぶされるに違いないし、ただ逃げるだけでは追いつかれ殲滅されるだけでしかない。


「おうよ。

 今、藤吉郎殿と話をしておったのじゃ。

 敵と正面からぶつからず、退く際には、敵に攻撃を加え、怯んだ隙に退き、退いては攻撃を加えるんじゃとな」


 小六が言った。この男も肝が据わっているらしく、放たれる気に怖気の色は全くない。

 ほとんど飾り物のサルを置いて、小六と小一郎が撤退の指揮を執り始めた。



 金ケ崎城内にはためく織田の旗指物。場内から立ち上る水蒸気。遠目には、城内に多くの軍勢がいて、朝の支度をしているかのようだ。

 とは言え、近づいてきてしまえば、偽装と見破られる可能性は高まってしまう。それが悟られるのを遅らせるためにも、近づいてくる敵の物見を生かして返す訳にはいかない。

 私は街道近くの木々に身を隠し、人の気を読む。

 兵と言う者たちは、明らかに一般の者たちとは異なる気を放っている。おそらく、それは死と隣り合う環境に身を置いているからか、張り詰めた色を濃くしている。そんな気を放つ者たちが、ゆっくりと街道に沿う木々の中を近づいてきていた。


 さくっ、さくっと言う地面を踏みしめる音と共に、足軽の扮装のまま、私は男たちに近づいて行く。

 警戒しながら近づいてきていた三人組だった男たちが、私を見つけ、槍の先を私に向けながら、私を取り囲むように布陣した。

 男たちの放つ気からは、小柄な私を相手に恐怖は微塵も見られない。

 私が刀の柄に手をかけた瞬間、男たちは目配せをし、それを合図に一斉に私に突きかかって来た。

 男たちの動きは、私にとってみれば、亀が全速力で走っているみたいなもの。

 槍の矛先をかいくぐり、刀を抜き去りながら、一人の男の懐に飛び込む。槍は長い間合いでは有効だけど、接近してしまえば、何もできやしない。続けざまに二人の男の横っ腹を切り裂くと、残る一人に向き直り、私に向けられた槍の柄を刀で斬りおとすと、そのまま男の脳天に刀を振り下ろす。

 最初に近づいて来た敵の物見を葬ると、血の臭いを敏感に感じ取ったのか、カラスの鳴き声が木々の中に響き始めた。


 当然物見は一隊だけではない。いえ、それ以上に本隊もずっと同じ場所に留まってなんかいない。近づいてくる物見を葬りながら、敵の本隊の動きを探る。巨大な気の塊がゆっくりとだけど、徐々に近づいてきている。

 だけど、時も流れている。時を知るため、東の空に目を向けて、太陽の位置を確かめる。太陽の位置は、そろそろサルの軍勢も退却を始めていい頃と示していた。


 木々の向こうの街道の道幅は、大軍が一気に襲い掛かれるほどの広さはなく、迫って来る浅井の軍勢と全面衝突にはならない。サルの退却の策は、敵に攻撃を加え、怯んだ隙に退き、退いては攻撃を加えるであり、浅井の本隊が近づいてきたところで、城から打って出て、浅井の軍勢に攻撃を加えつつ、退却をはかる。追って来た浅井の軍勢を街道沿いの木々に潜んでいたサルの別の配下が横から襲う。

 しかも、木々の奥には織田の旗指物が立てられていて、多くの軍勢が待ち構えている風を装い、浅井の追撃の速度を鈍らせると言うものだ。


 私のここでの役目は終了。そう思い、立ち去ろうとした時だった。

 冷たい気を感じ取った。それは、武将や兵たちが放つ、緊張と殺気を含んだものではなく、ひたすら感情の起伏がなく、ただ単なる殺意だけで構成されるものだ。

 こんな気を放つのは、忍びだ。

 力量を掴めない忍びが相手だとすると、全神経を集中し、警戒をしなければならない。

 私に分があるのは、敵がきっと私をただの足軽程度にしか思っていない事だ。

 身を翻し、金ケ崎城に足を向ける。忍びの殺気が私の背に向けられる。どこの忍びなのか、どうして織田の足軽を装う私を見て、殺気を放っているのかは分からないけど、敵である事は確定らしい。

 さくっ、さくっと木の葉が重なる少し陽が陰る木々の中を移動していく。


 ヒュッ!


 木の葉の揺れる音と、地面を私の足が踏みしめる辺りの音に混じり、最も警戒すべきその音を私の耳が聞き取った。

 それは何かが速い速度で、空を切る音。

 私の背に向けて、謎の忍びが苦無を放ったのだ。

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