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サルと将軍

 信長は上洛すると道に転がる遺体の処理を始めた。おかげで、この街を覆っていた腐臭は一掃され、少しは”都”と言う街に近づきつつあった。近づいたのは、この街に建つ建物もであり、人々の活気もである。

 この街に暮らす天子様は、この国の頂点に君臨する者であるはずだと言うのに、ぼろぼろの廃墟然とした建物の中で、細々と暮らしていたし、その天子様に仕える公家と呼ばれる者たちはさらに悲惨な生活の中に身を置いていた。

 信長はそんな天子様のために、新たな住まいを造営し始め、公家たちにも援助を行い始めた。新たな造営は、それらを生業とする職人たちを集める。そして、造営に必要な物から、日々の生活に必要な物などを買うために、お金が人々の中を回る。そのお金が商人を呼び寄せ、さらに活気づく。まるで、血が体の中を巡るかのように、お金が人々の中を巡り、人を集め、この街がいずれは”都”にふさわしい街になると、みなに予感させていた。



 義秋から義昭に名を改めていた足利義昭はと言うと、本圀寺に住まいを構え、征夷大将軍に任じられ、彼の目的を達成していた。

 師はこの男を信長に紹介しはしたが、あくまでも信長が天下を盗るための道具としてであって、この男を将軍としてこの国を治めさせようとは考えてもいなかった。その理由は、この男が貴人だからである。全く人の事を思いやれず、この世は自分の思いのままになって当然と思っているところである。


 信長は岐阜に帰還した。信長がいない京で、この男が何をするのかを監視するのが、師に与えられた私の命であり、その命に従い、今、私は義昭がいる本圀寺の広間の天井裏で、義昭たちの様子をうかがっていた。


「信長殿はどうして岐阜に帰られたのじゃ?

 京にはいつ戻られるのじゃ?」


 信長がいない事が不安らしく、その言葉と同じく義昭が放つ気は不安の色に覆いつくされていた。


「本国を長い間、留守にはできぬのでござりましょう」

「何かあれば、すぐに戻って来るとの事でござりまするゆえ」

「しかしのぅ」


 義昭は本当に不安げな気で包まれている。私が見たところ、この男が将軍らしいところは、わがままで威張るところくらいと言った感じだ。


「上様!」


 広間の外から新たな男の声がした。気を探ってみると、少しばかり緊張しているらしい。

 何事かと思っていると、すぐに理由は分かった。


「木下藤吉郎秀吉と名乗るお方が、信長様より京と上様の事を任されたので、挨拶に参ったとの事ですが」


 信長の家臣が来たと言う事で、この男は緊張しているらしい。が、その相手がサルとなると、私的にはちょっと笑えそうだ。


「誰じゃ? その木下とか言う者は」


 義昭はサルを知らないらしく、怪訝そうだ。


「はっ。確か、信長殿のお気に入りの小者だったとか」


 その言葉に、義昭から放たれる気の色は一気に変わった。少しの口惜しさと大きな怒りが入れ混じっている。


「な、な、なぜわしがそのような者と会わねばならんのじゃ。

 わしが会うような相手ではないではないか。

 あれほど、光秀をわしとの連絡役にと申しておったのに、なぜ信長殿はそのような男に、わしの事を頼んだのじゃ」

「はっ。しかし、信長殿は出自に囚われず、能ある者は重用されるお方。

 木下殿も有能なお方と」

「じゃが、名も知れぬ者ではないか!」


 義昭の不満は高まっていた。たとえ、名も無きサル、じゃなかった。名も知られておらぬ秀吉とは言え、信長から京を任されたと言っている相手に会わないと言う選択肢は無いと言う事に気づいていないらしい。


「上様には、そう簡単にお目にかかれるものではないと言う事を、木下殿に教えてやりましょうぞ」


 義昭の意に沿う返事をしたかったのか、自身もそう思っているのかは分からないけど、取り巻きの一人が言った。


「うむ。

 追い返せ!」


 義昭は右腕をまっすぐ前に伸ばし、手にしていた扇子を少しだけ振って、追い払うような仕草で言った。


「では」


 男が立ち上がろうとしたけど、どうやら、遅すぎたらしい。広間の前に広がる庭園に、すでにサルの気配があった。


「ほほぉ。

 立派な造りでござりまするなぁ」


 小柄でしわくちゃな面相のサルが言った。広間奥の一段高い所で義昭は、目を細め、少し身を乗り出して、サルを観察し始めた。が、それは一瞬の事だった。サルの容姿にこれは猿! と思ったに違いなく、会う必要は無いとばかりに、扇子を振って、御簾を下ろすよう近くの男に指示した。

 義昭はサルの顔など見たくないらしく、御簾の奥で不機嫌そうな顔つきで、横をぷい向いてしまった。

 そんなわがままができる立場でない事も分からないのだろうか? そんな事を思いながら、サルがこの義昭を相手にどうするのかと言う事に興味を抱いてしまった。


「これこれ、そこな木下殿。

 勝手に入って来られては困ります」


 さっき、義昭の意に沿う意見を述べた男が、庭に接する廊下まで進み出て、五段ほどの階段の上から、サルを見下ろしながら言った。


「そうは申されても、誰もすぐに戻ってきてくれぬのでなぁ」


 サルが放つ気に緊張の色は、全く見えない。純粋にこの建物に感動しているっぽい。


「で、義昭様との面会はいかがでござりまするか?」

「畏れ多くも、上様と面会など、すぐにできる訳はござるまい。

 会えるよう手筈を整えておくゆえ、本日はさっさと戻られるがよろしかろう」


 男は犬でも追い払うかのような仕草を付けて、そう言った。


「そんな面倒な」

「面倒な事とはなんと言う事を。

 将軍様ですから、当たり前でござろう。

 木下殿のご身分では、本来はお会いできるお方ではないのですぞ」

「将軍って、誰が?」


 サルの言葉に、天井板を突き破りそうになってしまった。

 これが義昭に将軍などと威張っておられるのは、信長あっての事と分からせるための行動なら、感心せざるを得ないところだけど、サルの気はそんな風ではない。きょとんとして、戸惑っている感じだ。


「足利義昭様に決まっておろう!」

「そうだっけ?」 


 サルの言葉に広間の男たちの気は戸惑いの色に染まっている。一方、当事者の義昭はと言うと、お怒りっぽい。手にしていた扇子を両手で握りしめ、今にもへし折りそうで、態度からもその感情が見て取れる。


「まあ、ともかく、上がらせてもらいます」


 そう言うと、サルは広間に続く階段に一歩足を乗せた。


「これ!

 約束もせずに会える相手ではござらぬ。

 この階段を上ってはならぬ」


 男の口調には怒気が含まれていた。でも、男が放つ気は怒りと言うより、戸惑いであり、自分の面子を潰されてしまうことを恐れる気の色だった。


「ほほぉ」


 そう言うとサルは一旦、階段から離れ、小首を傾げて言葉を続けた。


「これは、一休さんのこの橋渡るなと言う奴ですな。

 真ん中を渡るといけなかった訳ですな」


 なんだか、意味不明な事を言っている。サルは階段の端に寄りながら、一歩を踏み出そうとして、足を止めた。


「あれは橋の端だったかな?

 としたら、階段は?

 か・い・だ・ん」


 再び思案を始めた。全くサルはその思考が読めやしない。


「分からぬ!

 このまま上らせてもらうぞ!」

「お会いできませぬ。

 お迎えに参りまする故、それまでお待ちを」


 階段を上ろうとするサルの前まで、階段を駆け下り、両手を広げて立ちはだかった。


「左様で。

 信長様に次第を報告するしかないのぅ」


 サルはそう言うと、諦めたらしく、背を向けて戻り始めた。サルは本気で落胆していたけど、その事を知らぬ広間の男たちは、激しく狼狽し始めた。

 すくっと立ち上がったのは、明智光秀であった。


「待たれよ。木下殿」


 その光秀の行動に、いち早く反応したのは義昭だった。


「なぜじゃ。光秀!」


 会いたくもないサルが諦めて戻って行きそうな所を引き留めた光秀の行動が理解できていないらしい。が、他の男たちは光秀の行動が正しい事を理解していて、おおむね安堵している。


「信長様よりの使いの木下殿に会うのは当然の事」


 義昭に振り返ってそう言うと光秀は階段を駆け下り、サルの所まで走り寄った。



 結局、光秀のこの行動により、サルは義昭と面会を果たした。

 話の内容はただの挨拶のようなものだったけど、義昭側の男たちはサルと信長への評価を高めたようだった。

 サルのあの態度は、信長あっての将軍である。その事をわきまえておけと言う事をある意味穏健な力によって、我らに見せつけたのだと。

 だけど、私がサルの気を読む限りでは、あのサルから、そんな真っ当な気は放たれてはいなかった。もし、本当の気を放たずに、異なる気を放つ事ができるのだとしたら、サルはその人間離れした容姿だけでなく、力も人間離れしていると言わざるを得ないだろう。

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