厳島の戦い
主君である大内義隆を自害に追い込んだ陶晴賢だったが、その領国を安定させる事はできなかった。従わぬ吉見を討つため石見の三本松城に討伐軍を送り込んだが、その機に乗じた毛利元就が反旗を翻し、大内方だった安芸の城の大半を落とし、厳島まで占領した。
毛利との戦いに全力を尽くすため、陶は吉見と和睦を成立させ、厳島の宮尾城を攻めるため、周防、長門、豊前、筑前の軍勢を率い、厳島に攻め寄せていた。
この間、忍びの手を借りる事を嫌う陶は、西国無想流の力を借りる事は無かったが、此度は西国無想流側からの申し出により、彼らも参戦し、厳島の沖合に停泊する軍船の中に、彼らの姿があった。
普段は穏やかな瀬戸内の海だが、その日の夜は吹きすさぶ風で大きく荒れ、木でできた軽い軍船を大きく揺さぶっていた。揺らぐろうそく炎が、閉ざされた空間の揺らぎを増幅しているかのようで、僕にとって、その光景は夢か幻のようだった。
「お頭、今回は久しぶりに暴れられるんですから、船をもっと前に進めやせんか?」
狭い船倉で、その時を待つ僕の父の配下の一人の男が言った。ここのところ、陶から当てにされていないと言うか、嫌われる状況が続いていただけに、ここで活躍し、我が流儀の力を見せつけようと、皆は意気込んでいた。だと言うのに、僕たちが乗る船は、陶の軍勢の最後尾に位置していた。
「今回もお頭が、ぜひにと頼み込んでの参戦なのだ。
最後尾にもなろうて」
父よりも年上と言うか、この中でも最年長の男が言ったその言葉に、皆が悔し気な表情を浮かべるのと対照的に、父の口元はにんまりとしたのを僕は見逃さなかった。
「父上、何か理由があるのですか?」
僕の問いかけに、父は大きな左手を僕の頭の上に、ぽんと置くと口を開いた。
「そうだな。
そろそろ話しておいた方がよいかも知れぬな」
その言葉に、皆真剣なまなざしを父に向けた。
何が話されるのか、その言葉を待つ男たちの空間を大きく波が揺らした。
その揺れに反応した訳ではないが、父は手のひらを立てた右手を突き出す仕草をした。
静かに。そう言う仕草だと感じた皆は、黙り込んだ。そして、その裏の意味を感じ取り、辺りの気配を感じとろうとした。
まだ未熟な僕は、波の揺れに集中力を継続する事はできなかったが、断続的に近づいてくる強固な戦意と敵意を感じ取った。
「見てまいります!」
同じことを感じ取ったのであろう若い一人の男は、そう言うと船上に駆け上がって行った。
「何者でしょうか?」
「毛利が背後より襲い掛かって来たのでは」
一人の男の言葉に緊張感に包まれた空間だったが、父がそれを確固として否定した。
「それは無い」
「何故ですか?」
誰かが父にたずねたが、その言葉に答える前に答えが出た。
「後方より、大友の旗印を掲げた船団が近づいてきております」
船上に駆け上がり、様子を見に行った男が戻って来た。
「おぉ。援軍であったか」
皆の顔が緩んだのとは対照的に、今度は父の顔に険しさが浮かんだ。
「率いて来た大将を調べて来てくれぬか」
父の言葉に、一人の中年の男が立ち上がった。
「私が行ってまいりましょう」
その言葉に父が頷いた。
「何故、援軍の将を調べに?」
大友の船を調べに行く男の背に視線を向けながら、一人の男が父にたずねた。
「もっと寄れ」
手招きの仕草を交え、父が男たちを近くに集まらせた。木でできた船の壁を背にした父を半円状に取り巻く男たち。僕はその様子を男たちの背後から眺めていた。
「まず理由は二つある。
まず一つ目だが、此度の敵は毛利ではない。
陶じゃ」
予想外の言葉に、男たちは黙り込み、お互いを静かに見つめ合っていた。
「毛利から持ち掛けられ、私は元就と密かに会った。
あの男は、我らを重用すると申し、この戦にもぜひにとの加勢を要請された」
「つまり、大友の水軍が来たと言う事は、敵が増えたと言うことですな」
「いやあ、それは結構。
大きな敵ほど、倒し甲斐がありますからな」
陶を裏切り、毛利に付く事に男たちには異論が無いばかりか、陶方が敵となると圧倒的な兵力の差があると言うのに楽し気でさえもあった。
「そう言う事だ。
事が事だけに、今まで黙っていてすまなかった。
して、元就と語り合った策なのだが」
そう言って、今回の策を父は語り始めた。
厳島の宮尾城を守る城兵の数が少ないと知った晴賢は、いずれは厳島に上陸し、攻め落としにかかる。そこに夜陰に紛れ、毛利の援軍が渡海し、厳島に上陸する。
上陸した援軍の合図で、宮尾城の兵たちが上陸している陶の軍勢に襲い掛かる。
我々はその期に乗じ、陶方の軍船に火を放ちながら、上陸を果たす。味方の裏切りと、船を焼かれ、背後を絶たれた事で動揺した陶方をさらに密かに上陸していた毛利勢が襲い掛かる。
予想外の伏兵に虚を突かれた陶方が混乱し、戦意を失い敗走する。とは言え、船を失えば行く場も無い。そこを我々も上陸し、敵兵たちを狩って行く。
「なるほど。
では、今しばらく、この場で時を待つと言う事ですな」
「我ら、水上での体を張っての戦は不慣れですが、敵船を燃やすと言うのであれば、活躍もできましょうぞ」
「となると、やはり大友の水軍が、我らの背後にいるのはやりにくうございますな」
「左様。
それと、もう一つの理由は、敵の異常なまでの戦意だ。
陶の軍勢は数を頼りとしているせいか、戦意は低く、ひとたび負けの気配が忍び寄れば、持ちこたえる事もできず、瓦解するであろう。
だと言うのに、この新たな軍勢はまるで自分の戦いであるかのように、戦意に満ちている。
普通、援軍と言うものは、これほどまでの戦意を持ってはいないものなのだが」
「よほどの将が率いているのやも知れませぬな」
「となれば、真っ先に倒さねばならぬ相手ですな」
新たに現れた戦意溢れる敵の出現に負けじと、男たちが戦意を強め始めた時だった。大友の将を調べに行った中年の男が、戻って来た。
「お頭、あれは援軍ではありません。
敵の偽装であります。
将は小早川隆景。あの顔は見間違える訳もございませぬ」
父が話した今の話を知らぬ男の声は緊迫感に満ちていた。それに対し、他の者たちは余裕の表情で、男に声をかけた。
「おぬしは居なかったので、知らぬのだが、小早川は味方じゃ」
「そうじゃ。我らが真の敵は、陶じゃと、たった今、お頭が語ってくれたところよ」
そう言った男の視線は、同意を求めようとしてだろうが、父に向けられた。だが、その父の表情はさらに険しくなっていた。
「どうされました?」
「着陣したのが小早川であれば、戦意もこれくらいあってしかるべきでしょう」
毛利方の兵、それも戦意の高い軍勢が着陣したと言う事は、味方の数が増え、我らにとっては喜ぶべきことだと言うのに、全く逆のような反応を示している父の表情に、男がたずねた。
「小早川が来るなどとは聞いていないのだが」
「それは、お頭が毛利側に付くと我らに教えて下さらなかったのと同じで、敵を欺くには、まず味方からと言うことでしょう」
父の不安げな言葉に、一人の男がそう返すと、薄暗い船室の中に大きな笑いの渦が巻き起こった。




