天下布武
西美濃三人衆に対する調略に成功した織田軍は、稲葉山城を手に入れた。今川亡き後、天下を治めるに足る人物は無きに等しかった。そんな中、師は何かを感じ、織田信長にほんの少し肩入れをしたりしてはいたけど、天下人にはまだまだ遠いのが現状だった。
そんな信長を飛躍させるための策を携え、師は私と共に、稲葉山城の広間に座り、信長と向かい合っていた。
「遠慮のう正門から入ってまいれと言っておったはずじゃが、ようやくじゃな」
「まずは、此度の勝利、おめでとうございます」
他人に頭をここまで下げる姿を見た事の無い師が、信長の前にひれ伏すかのように頭を下げている。が、信長が放つ気は全く緩んでらず、私たちを信用しきっていないのが、感じとれた。
「して、此度は何用じゃ?」
「信長様は天下にご興味はおありで?」
「面白い事を聞くのぅ。
一国を率いる者に、天下に興味無き者がおろうてか。
されど、我が代では遠いであろうな」
そう言う信長は、私の隣の師に射抜くような視線を向けていた。
「そこで、信長様に策を授けとうございます」
「ほう。申してみよ」
相変わらず信長の視線はきついが、口元が緩んで見えるのは、師の力を認めているから、師の策に期待しているのだろう。
「前将軍 足利義輝公の弟、義秋公は正当な血筋による将軍家再興を唱え、朝倉義景の下に身を寄せております。
義秋公を奉じ、上洛なされませ。
そして、天下に信長様の武を行き渡らせませ」
「天下布武か。
して、その義秋公とはどのような人物なのじゃ?」
「我々ごときでは、お目にかかる事はかないませぬゆえ」
「何を申しておる。
天井裏からでも、ちゃんと見ておるのであろうが。
のう、わっぱ」
いつまでたっても、私はわっぱ扱いらしい。
まさに天井裏から義秋を観察し続けていた私に直接答えろと言う意味で、横に座る師が私に目配せをした。
「白い肌にふくよかな顔つき。まさに貴人の風格を備えておられます」
「壇上に座らせておくには、適して居るのぅ。
して、人としてはどうじゃ?」
「そちらも貴人の方らしく、全てが我が意のままになるものと考えておられるようで、ままならぬと不機嫌になられます。
今も、朝倉が上洛の気配を見せぬため、かなり不満を口にされておりまする」
「貴人とはそのようなものなのかも知れぬが、力も持たずに、我が意のままになると思うておられるとは、めでたいのう」
「それゆえ、扱いは難しいところがおありかと」
「壇上に座らせ、不要となれば、捨てればよいだけじゃ。
まずは京に上るための御旗になってもらえればよいのじゃ」
乱世とは言え、将軍への畏怖も尊敬も信長は持っていないらしい。まあ、それは他の大名たちも似たり寄ったりであって、もしそう言うものを抱いていれば、このような世にはなっていないはずである。
結局、将軍と言う名ばかりの権威では、誰もなびかず、人々をなびかすためには力と言う物理的な物が必要だと言う事だ。まあ、師もそう考えているからこそ、目の前の信長にその力を得させようとしているのだけど。
「して、わしが天下をとったとして、そなたはそれで何を得る?」
信長の気が今まで以上に鋭くなったのを感じた。信長の家臣でもない師が、信長を押し上げようとしている事に、何か疑念のようなものを感じているのかも知れない。
「天下を治める事は、毛利を滅ぼす事でもあります」
「そう言えば、そこなわっぱがそのような事を申しておったが、毛利との間に何があった?」
「我が西国無想流は、大内家に仕えておりました」
師が西国無想流の話を語り始めた。
西国無想流は、周防、長門など四か国を治めていた大内家に従っていた。大内は明や朝鮮との交易を行っていたため、その交易にて莫大な経済的な利益を上げていた。だが、その恩恵は、経済面だけでなく、国内では手に入れる事ができない進んだ技術や文化にも及んでいた。南蛮由来の技術や知識も手に入れられたようで、特にその南蛮由来の技術や知識を取り込むことで、西国無想流は元来の忍法・忍術だけでなく、新たな力も手に入れる事ができた。雨の種や声分身も南蛮の知識に由来していると聞いている。この点からも、国内の他の忍術に対し、西国無想流は優位にあると言える。
だが、仕えていた大内家に衰退の兆しが訪れた。
大内に従属した安芸の毛利家の吉田郡山城に侵攻して来た出雲の尼子晴久を打ち破り、安芸を統治下に置くと、出雲に出兵し、尼子の月山富田城を攻囲したまではよかったが、配下の吉川興経らの裏切りに合い敗北した。
この敗北を機に、当主の大内義隆は内向きとなり、不満を抱いた武闘派 陶晴賢の謀反にあった。
陶は大内とは縁戚でもあり、西国無想流は中立を貫いたが、力を拡大していた毛利までが加わり、状況はさらに悪化した。
そこまでは、私も聞いたことのある話だった。
そして、師の言葉は厳島の戦いで、西国無想流が亡んだ経緯に及ぼうとしていた。