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墨俣築城

 今川義元を倒したことで、織田家に向けられていた東からの脅威は霧散した。だけど、それだけの事にしかならなかった。尾張の北に位置する美濃に何度も攻め込んでは兵を失う負け戦を繰り返している信長の姿に、この乱世を終わらせる力を感じる事はできやしない。


「信長を買いかぶり過ぎていたのやも知れぬ。

 あそこで、義元の邪魔をせなんだら、世は少し前に進んでいたであろうに」


と、師は今川と信長が対決した世に言う桶狭間の合戦で、信長に手を貸した事を悔やんでいる風でもある。そうなった理由は、私にある。つまり、師を悔やませているのは私に原因がある。師を悔やませている原因が私と言うだけでなく、早く乱世を終わらせたい私自身にとっても、これは大きな問題だった。


 ここのところ、美濃攻めに際し、信長は美濃との国境近くの墨俣に築城と言う手に打って出た。師も認める素晴らしい策だが、それは愚策でもあった。確かに効果的な策なのだけど、実現する手段がほぼ無い絵に描いた餅なのだ。それを裏付けるかのように、墨俣築城を任された佐久間信盛に続いて、柴田勝家も失敗した。

 そんな難事をどうしてだか信長は、サルに任せた。敵地近くに城を築くなんて、剛勇の勝家でさえできない事が、サルにできる訳ないと、最初はそう思ったけど、あの不思議な少女、今は残念なことにサルの妻となっているねねの奇策が成功すれば、城を築けそうな気がしてならない。その結末を見たくてと言うのが半分、乱世をかえって乱れさせてしまったのではと言う責任をとりたい気分半分で、サルの後をつけて、蜂須賀小六と言う男の下に、私はやって来ていた。

 天井裏から、サルと蜂須賀のやり取りを聞いてみる。


「そろそろ、おぬしも決断の時じゃ。

 先の無い斎藤につくより、才も運もある信長様やわしにつくべきじゃ。

 逃げずに、わしに賭けてみろ」


 サルは蜂須賀に自分の下について、信長に仕えるように説得しているようだけど、蜂須賀が放つ気を読む限り、そんな気はさらさら無いらしい。


「あそこにまずは手始めの手土産が入っておる。

 うまい酒と、銭じゃ。

 事が成就すれば、さらなる恩賞が約束されている。

 恩賞が欲しいかぁ!」


 威勢のいい掛け声でサルが言った。どうやら、物で男たちをつろうと言う作戦らしい。


「おぅぅぅぅ」


 サルが一人で声を上げて、握りしめた右こぶしを天井に突き出した。


「ほれ、ほれ」


 ノリのいい掛け声だけど、男たちが放つ気は戸惑いだけで、誰もサルの誘いに乗っていない。ここの男たちの加勢の有無が、サルの策の成否を握っているのかどうかは分からない。けど、今の私はどんな事でもしなければ、気がおさまらない。


 そこら中に木でできた板の壁に隙間があるせいなのか、天井裏の薄暗さはましだけど、積もった埃の汚さは、想像に絶する。そんな中、埃にまみれながら、天井の板に声分身の忍具を取り付けた。


「うまい酒が飲みたいかぁ。

 おぅぅぅぅ。

 ほれ、ほれ。

 今こそ、うまい酒と恩賞を手に入れる時ぞ!」


 サルが子気味よい口調で、男たちを唆している。

 そこにサルが連れて来た織田の兵が、外に止めていた荷車から大きな壺を抱えて来て、その中に入れられていた銭を床にぶちまけた。

 ジャラ、ジャラ。

 その音と共に、男たちの精神も崩壊したらしい。今、男たちがサルの誘いに乗らないのは、目の前で何ら反応を示さない蜂須賀小六への手前だけであって、本音のところでは、銭に完全に釣られている。

 そこに、お酒が入った別の壺が運び込まれてきた。

 埃臭い天井裏にも、酒の匂いが漂ってきている。きっと、銭を見せられた上に、お酒の匂いを嗅がされては、酒好きの男たちはもうくらくらしているに違いない。


「恩賞が欲しいかぁぁぁ」


 サルがここぞとばかり、叫んだ。


「おぉぉぉぉぉ」


 ほとんどその気になっている男たちにきっかけを与えようと、声分身の忍具に大声で叫んだ。あまりの声の大きさで、天井全体が振動し、大きな声となって男たちの空間を包み込んだ。

 その言葉を誰が言ったのかなんて、どうでもよかった。それは男たちにとって、本音を表すきっかけとなった。遅れまいと、男たちはサルのように、握りしめた右の拳を突きあげた。

 これで、流れは決まった。蜂須賀小六と言えど、男たちの意思を無視してまで、サルの申し出を断る事はできなくなった。


 それからの動きは見事だった。長良川の上流の山に忍び込み、木を切り倒すと縄で縛りあげ、砦の壁や櫓の足場になる部材を作り上げていく。それらを一気に川の流れを使って、下流の墨俣に人と共に運び込む。

 下流の墨俣で控えていたサルたちが、それを組み上げていくと、あれよあれよと言う間に、砦の柵が完成してしまった。

 この策を考え付いたねねと言う少女の発想は、人智を越えているのではないかと思わざるを得ない。師がねねに何かを感じているのは、ねねに憑いている神か何かなのではないかとまで思ってしまう。


 突然出来上がった砦のような墨俣の城に対抗するため、川岸に着陣した美濃勢の驚きようは尋常ではなかった。どうやって作り上げたのか知っている私でさえ、驚くほどなのだから、種を知らぬ美濃勢は完全に狐につままれたかのように、呆然としている。


「構えぇぇ」


 にらみ合いの時に終止符を打ったのは意外にもサルだった。サルの言葉に、弓勢は弓を構え、鉄砲隊は柵の前に出た。

 呆然としていた美濃勢も、戦の開始に正気を取り戻した。


「かかれぇぇ」


 美濃勢も一気に押し出して来た。

 空中は飛び交う矢が覆いつくしている。飛んでくる弓矢の軌道を読み取るのは、私にとっては容易な事。弓矢をかわしながら、様子を見ようとしていた私は、サルが頭上に降り注ごうとしている弓矢に呆然としてしまっている事に気づいた。

 いくさと言うものにやはりまだ慣れていないらしい。

 小型の苦無を取り出し、サルに命中するはずの弓矢すべてを打ち落とす。ここの将であるサルが、こんな状態である。兵たちも混乱し始めていた。

 このままでは、せっかく作り上げた砦の柵も美濃勢に破壊され、全ては無へと帰ってしまう。そうなれば、ねねの奇策も二度とは功を奏さないはず。なんとか、立て直さなければならない。そんな思いで、立て直すための手立てを考え始めた時、サルの弟の小一郎が近くにいる事に気づいた。

 小一郎に近づき、ぽそりと言った。


「さすがは御大将ですね。

 弓矢の雨にも怖気づかず、体を張って、ここを守ろうとしておられる」


 小一郎が私を見た。その表情は何かに気づいたようだった。やはり、小一郎は利発なんだろう。私の意図を読み取ったらしい。


「怯むな。御大将を見ろ。

 矢の雨も、物ともしておらぬであろう」


 混乱の戦場に轟いた小一郎の檄に、逃げ惑っていた兵たちの視線がサルの背中に集まった。微動だにせず、立ったまま敵に向かうサルの背中に、何かを感じた兵たちは戦意を取り戻した。


「放てぇぇぇ」


 サルが叫ぶと立ち直りかけていた兵たちが、美濃勢への攻撃を再開した。

 敗走を免れたサルの軍勢と美濃勢の戦いは膠着状態に入るかに見えたけど、信長が新たな兵を引き連れて現れた事で、美濃勢は退却していった。

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