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Piace ~桜色の想い~

作者: 心音

R15では三本目となる恋愛短編小説です。

もしよろしければ感想やアドバイス、ポイント評価などお願いします。

――恋って何だろう?


当時、中学生だった頃の俺はそんな事を考えながら、恋の無い青春を謳歌していた。


仲のいい友達と放課後にゲーセンに行き、幼馴染みの長い買い物に毎週付き合ったり、時には家で映画を観たりして過ごす。


それが俺の青春。


そこらにいる女子が黄色い声で話す砂糖菓子のように甘い出来事もなく、昨日まで意気揚々としていた男子が次の日になった途端、薬を噛み潰したような苦い顔をしているなんて出来事もない。


幼馴染みの小咲に聞いてみた。


『恋? んー……わたしも良く分からない。えっちするような関係になる事?』


とりあえずぶん殴った。


友達の大祐に聞いてみた。


『恋、か……。俺には縁のない話だから分からねーわ。いや、縁はあるけど興味無い。お前と同じ』


そんな事だろうとは思っていた。

だが俺はお前と違って告られた事など一度たりとも無い。


俺の周りにも恋を知っているやつは少なかった。

恋に疎くなってしまったのも周りの人の影響を多少たりとも受けているからに違いない。


中学三年の夏――。


中学生活最後の夏休みだというのにも関わらず、俺はやっぱり幼馴染みと友達と一緒に過ごしていた。

気の許せる仲間と共に過ごすのが楽しかったからだ。

海に行ったり、山に行ったり、花火を見に行ったり。


本や雑誌などで見たことがあった。

こういうところに恋人同士で行くと楽しいし、嬉しいものだと。


でもそれは俺がこうして仲間うちで感じているものと何が違うのだろうか?


季節は移り、秋になった。


この時期になると受験生である俺たちは学校で勉強、家でも勉強。とにかく勉強を追って追われる日々を送るはめになっていた。


『たった一度しか無い高校受験。楽しんでこそ――だよな?』


そんな大祐の一言から受験する学校が決まり、


『じゃあいつ勉強するの? 今でしょ!』


小咲の古い一言で俺たちの受験勉強を送る日々が始まった。


俺たちが狙っている高校はいわゆる進学校と名高い名門の高校だった。

勉学はもちろん、スポーツでも優秀な成績を残していて、競争倍率は毎年10倍以上という、異様な数値を叩き出している超難関校だ。


俺たちは基本的に遊んでばかりいたが、他の人よりも勉強はできるほうだった。


三人とも中間、期末テスト共に学年上位をキープしつつ、個人的にやっていた模試でも良い成績を収めていた。


実際、今狙っている高校は三人ともA判定を頂いている。

それでも勉強をやめなかったのは三人で確実に受かる為だった。


小咲は全教科完璧のオールマイティー。俺は理系に特化していて、大祐は文系に特化していた。

だからお互いの欠点を支え合うことができ、年明け前にはほとんどの課題をクリアしていた。


そしてその頃には、恋について考えることなど頭からすっかりと抜け落ちてしまっていた。


人間の頭というのはハードディスクのように記憶できる容量が決まっている。

だから興味の無いことや自分に関係の無いことはすぐに忘れてしまうシステムになっているのだ。


年明けに俺たちは初詣に行った。


受験の成功と、これからもこの三人で仲良く過ごせることを神様にお願いする為に。


お賽銭をする場所は列ができていた。

待ってもきっと列は消えないだろうということで、俺たちは参考書を片手に長い長い列に並ぶことにした。


こういう時まで勉強を忘れないのは受験生の鑑と言っても過言はなさそうだ。


もうすぐ俺たちの番がやってくるという時、ふと、前に並んでいる女の子たちの会話が聞こえてきた。


『神様に何をお願いするの?』


『えー、言ったら願い事叶わなくなりそうじゃん』


『人に言えないような願いを神様にするの?』


『屁理屈だよね、それ。はぁ……。恋を……したいなって』


恋――。

その言葉を聞いた時、俺の胸は確かに弾んだ。

忘れていたものが蘇ってくる。


恋とは何なのか――。

それを知りたいと思った、あの頃のことを。


気づけば俺は列の先頭にまでやってきていた。

参考書をカバンの中にしまい、手のひらの五円玉をギュッと強く握りしめる。


俺の願い事は――決まっていた。


硬貨を指で弾いて賽銭箱に入れる。

二拝二拍手一拝の作法で拝礼し、俺は願い事を神様に伝えた。


受験の成功を――。


これからもこの三人で仲良く過ごせることを――。


そして――恋を知りたいと。


小咲と大祐も真剣にお願いをしているようだった。


互いに顔を上げ、アイコンタクトを送ったところで、俺たちは最後に一礼して賽銭箱から離れた。

三人で並んで参道を歩き、そのまま一切会話はないまま俺たちは家に帰った。


互いの願い事を確認する必要は無い。

だって俺たちは同じ願い事をしているのだから。


それからの俺たちはさらに勉強に力を入れた。

その成果もあり、俺たち三人は見事希望の高校に合格することができた。


『これからも三人一緒だね!』


『これぞ友情の為せる力ってやつだな』


受験の終わった俺たちはとにかく遊び呆けていた。

もちろん、入学してから困らない為にも勉強は怠っていない。


充実した日常を過ごしていたこともあり、すぐに入学式がやってきた。

そして、俺に心境の変化が訪れたのもそう――この日だった。


入学式のあと、俺は珍しく一人で行動していた。

思えばそんな行動をすること自体、何らかの兆候はあったのかもしれない。


『……』


学校のシンボルである枝垂れ桜――。

その木の下で一人佇む少女がいた。


どくん――と、胸が高鳴った。

俺は少女の姿に心を奪われていた。

今まで体験したことのない感情に、俺は戸惑った。


『……?』


俺の存在に気づいた少女はこちらに振り返った。


綺麗な姿だった。

肩よりも長い白銀の髪。こちらを見つめるエメラルド色の瞳はまっすぐに俺を捉えていて、そして、微笑んだ。


『……っ』


桜の花びらが風に乗って舞い上がる。

それは俺の中で何かが動いた事を表現しているようで、どくんどくんと心臓がありえない早さで鼓動を打ち続ける。


そこで俺は気づいた。


これがきっと――恋をしたということなのだろうと。



「――涼太くん。お昼ご飯どうする?」


午前中の授業が終わり、お腹を空かせた小咲が足早にこちらにやってきた。

今更だが、俺の名前は涼太という。平凡かつ、ありふれた名前だが覚えておいてくれると嬉しい。


「大祐は?」


「ここにいるぞ」


小咲の後ろからひょいっと姿を見せる。

その手には財布が握られていて、学食か購買に行く気満々だった。


高校生活が始まって早一週間。

中学とは違う環境、緊張やら不安にも少しずつ慣れてきた。


俺たちは偶然にも全員同じクラスに振り分けられていて、盛大にハイタッチを交わしたのはいい思い出だ。

そんな俺たちを見たクラスメイトの反応は様々で、羨ましそうに見てる人、明らかに興味無さそうに視線を逸らす人、俺たちを真似る人。本当に様々だった。


そして俺はその時に気づいた。

クラスメイトの中に、枝垂れ桜の下で微笑んでくれた彼女がいるということに。


「――昨日は学食で酷い目にあったからな。今日は購買にしておこうぜ」


「あれな。学食の席取り戦争にはもう二度と参戦したくねーわ。小咲ちゃんとか見るも無惨に人と壁にサンドイッチされてたもんな」


「人の生暖かさと壁の冷たさがわたしの心を盛大に抉ってくれたよ……」


「新学期が始まったばかりだからってのも混んでる理由だろうな。もうちょい時期を空けてから行くことにしよう」


「涼太に賛成。んじゃ購買に行こうぜ」


「行こう行こう」


カバンから財布を取って立ち上がる。

大半のクラスメイトは俺たちと同じ買い弁組で、教室に残ってる少数はお弁当組。

仲良くなった人と机を囲んで、おしゃべりしながらお弁当を食べていた。


「……?」


が、たった一人だけ、その両方にも属さないクラスメイトの姿があった。

これが何の関係もないただのクラスメイトであればスルーしていたに違いない。けれど俺は廊下に向けていた足を、その子の元へと路線変更していた。


「涼太くん?」


「悪い。二人で先に行っててくれ」


振り返らずにそれだけ言って、俺は彼女の元へと駆け寄った。


「……?」


俺の存在に気づいた彼女は、入学式の日と同じように少しきょとんとした顔で振り返った。

彼女の読んでいた文庫本のページが窓から迷い込んできた春風のイタズラで捲れていく。


「……」


「……」


無言の時間が流れていく。


別に好きで無言でいるわけでもなく、彼女を前にして何を喋ればいいのか分からなくなったのだ。

あまりにも自分が馬鹿すぎて、情けなくなってくる。


「……くすっ」


「えっ?」


彼女は可笑しそうに笑うと、俺の戸惑った顔を瞳に映した。


「あなた、変わった人だね」


「……」


彼女の声を聞くのはこれが二回目だった。

一回目はクラスの自己紹介の時――。

彼女の声は水晶のように透き通った綺麗なもので、名前もまた、彼女にぴったりの透き通った名前だった。


「……純乃さん」


「私の名前覚えてくれていたんだ。嬉しいな」


「うん。印象的で君にぴったりの名前だったから」


「私もね、君の名前を覚えているんだよ? 涼太くん」


「え?」


正直驚いた。

同時にどうして自分なんかの名前を?という素朴な疑問が浮かんでくる。

疑問というシャボン玉は彼女の前にふわりふわりと飛んでいくと、彼女の立てた一本の指に当たり、弾けて消えた。


「私もね、多分君と同じ。君に興味があったから覚えているんだ」


また驚いてしまった。

名前を覚えてくれていたことよりも、彼女が俺に興味を持っていることに驚きを隠せなかった。


「入学式の日のこと覚えているよ。君は私を見て今みたいな顔をしていた。驚いたような顔。でも、どこか嬉しそうで。だから興味を持った。君が私を見て何を思ったのか知りたいと思った。君は? 君は私の何に興味を持ったの?」


どこかあどけなさを感じさせる笑顔を浮かべて、彼女は俺に問いかけた。


嘘は吐けない。


嘘を吐くことは、このまだよく分からない想いを否定するのと同じような気がしたから。

それにきっと、彼女自身も嘘を望んでいない。


「俺は君の笑顔に興味を持った。あの枝垂れ桜の下で見せてくれた、俺の中の何かを動かすようなあの笑顔に。あの時生まれた初めての感情を知りたいと思った」


彼女は微笑を浮かべたまま、俺に手を差し出した。

すらっとした長い指は見とれてしまうほど綺麗で、スベスベとした肌は絹のように柔らかそうだった。


俺は彼女の手を取る。

予想していたのとはまた違った柔らかさ。

そして、陽だまりのようにあたたかい。


「私たちはこれで友達。仲良くしてね? 君のことを――涼太のことをもっと知りたいから。だから君も私のことを知って?」


「言われなくても。俺だって純乃さんのことを知りたいと思っている。友達、だからな」


「さんはいらない。純乃でいいよ。私だって君のことを呼び捨てにしてるんだから。友達なら遠慮はいらない。そうでしょ?」


「違いない。これからは呼び捨てにする。改めてよろしく、純乃」


「こちらこそ、涼太。ところで――」


彼女の視線が繋がれている手に落ちる。


「実はこの差し出した手には二つの意味が込められていたの。一つ目は握手。これからよろしくねっていう意味。もう一つ、何だか分かる?」


「いや……分からない」


首を傾げると、彼女は反対の手で俺の左手をちょいちょいと指さす。

彼女の指先を追って自身の左手に視線を落とすと、そこにあるのは購買に行くために持っていた財布だった。


「お金、貸して? 財布忘れたからお昼ご飯買いに行けなかったの」


「三度の飯より読書が好きだったわけじゃないんだな。俺はてっきり読書少女を気取ってるもんだと」


「本読むのは好き。けど、三度の飯の方が好き。お腹空くもん」


「俺の友達が購買に行ってるんだ。ちょっと出遅れてるけど、一緒に行くか?」


もちろん金は貸すからさ。と、付け加えると、彼女は手を離し、本をちゃんと閉じてから立ち上がった。


「卵サンドまだあるかな?」


「あるんじゃないか? 売り切れているところを見たことがない」


「楽しみ。早く行こ? お腹空いた」


「俺もだよ」


並んで廊下に出ると、ポケットに入れていたスマホが震える。


「先に行ってる友達から?」


「のようだな。枝垂れ桜の下で食べるから買ったら来て。だってさ」


メールの文面を見せると、純乃は窓の外に視線を移した。


「余所見してるとぶつかるぞ?」


「平気。涼太がいるから」


「そうかよ」


純乃が見ているのは空だった。

青く澄み渡る空には風に乗った薄紅の欠片がひらひらと舞っていた。


「私、桜が好きなんだ。だからあの日、この学校のシンボルである、あの枝垂れ桜の下にいた。涼太はどうしてあの場所に?」


「予感がしたんだ」


「予感?」


純乃は振り返って俺の瞳を見据えた。


「そう。俺の中の何かが変わる。そんな予感がした。だからあの枝垂れ桜の元へ行った。そして――君を見つけた」


目を閉じれば昨日のように思い出せる。


あの空に舞い散る桜吹雪を。

咲き乱れる枝垂れ桜を。

そして、その桜の下で見せてくれたあの純乃の笑顔を――。


「じゃあきっと――」


純乃は再び窓の外へと視線を戻す。

言いかけた言葉の続きは、少しだけ開いていた窓から入り込んできた桜の花びらが教えてくれるようだった。


純乃が薄紅の欠片に手を差し出す。

欠片はまるで純乃の手に導かれるように、ひらりはらりと、舞い降りた。

大切なものを抱え込むように、純乃はそっと薄紅の欠片を包み込む。


「――私たちが巡り会えたのは桜の奇跡なのかもね」


手を開く。

開いた時にはもう、薄紅の欠片は桜の花びらへと戻っていた。

そしてまた、風に乗ってひらりはらりと、薄紅の欠片に戻り空へと舞い上がっていた。


「……奇跡。いや、運命ってやつか」


「それ、言い直す意味ある?」


「ないかもな」


薄紅の欠片はきっと風に乗って、何処までも遠く、何処までも広い空へ舞っていくことだろう。



「……すっかり出遅れた」


俺と純乃は購買で売れ残っていたパンと飲み物を買い、小咲と大祐の待つ枝垂れ桜へ足を進めていた。


「こういう日もある。仕方ない」


「純乃はお目当ての卵サンド買えたんだ。俺なんてアンパンだぞ。しかもセットは牛乳じゃなくて青汁と来たもんだ。どうしてくれる」


「どうしようもない。私のせいじゃないもん」


満足気に前を歩く純乃と正反対に、俺の気分はすっかり消沈してしまっていた。

昼休みはもう半分の時間も残っていない。けれどもあの二人の事だから食べずに俺のことを待っているだろう。


早く行くんだ。と、春風が俺の背中を押す。

純乃の雪のように白い髪が風のいたずらで揺れ、ふわりふわりと俺の前で上下する。


風のせいにしてはその動きは少し不自然で、彼女の足元に視線を落として納得する。

よほど卵サンドを買えたことが嬉しいのか、スキップしながら進んでいる。

こういう風に喜びを表現するんだなと、俺は一つ、純乃のことを新しく知ることができた。


「――おーい、涼太くーんっ!」


純乃の動きのひとつひとつに夢中になっていたが、長年の付き合いから聞き慣れたその声に俺はようやく純乃から視線を離した。

軽く手を振ると、小咲も手を振り返してくれた。

昼飯にはやはり手を付けていないようで、待たせてしまったことを申し訳なく思う。


「いい友達だね。少し羨ましい」


眩しいものを見るように、純乃は目を細めた。

思えばここ一週間、純乃がクラスの誰かと話しているのを見たことはなかった。


そうだ。彼女はいつも一人だった。

いつも自分の席に座って物寂しげに本を読んでいた。

誰も声を掛けることなく、自ら誰かに話しかけることなく、彼女は孤独だった。


純乃は言っていた。

俺に興味があったと。もっと俺のことを知りたいと。

だからきっと――純乃は待っていたのかもしれない。

俺がこうして手を差し伸べるのをずっとずっと待っていたのではないだろうか。


「なぁ、純乃」


「ん?」


「今日から純乃もあの輪の中に入ってみないか?」


「どうして?」


「俺の自慢の友達を紹介したい。っていう建前でどうだ?」


「ふふっ。やっぱり涼太って面白いね。建前って自分で言っちゃうんだ」


「嘘を言っても仕方ないからな」


「そうだね。私に嘘は通じないよ。涼太の考えてる事は読みやすいからね」


もう一度、風が吹いた。

今度は何かを急かすような風ではない。

肌を撫でるような優しい風が向かう先にいるのは小咲と大祐。俺の友達の姿。


俺は二人のもとに風に乗るような軽い足取りで向かった。

隣にはもちろん純乃がいる。

純乃の表情は小川のように穏やかで、タンポポの綿毛のように柔らかいものだった。


そんな彼女はまるで春のようだった。


「……っ」


ふとした拍子に手が触れ合う。

隣合って歩いていたのだから当然と言えば当然だ。

ならもういっそのこと、こうしてしまおう。


「……あっ」


手を取ると、純乃の顔に花が咲いた。

繋いだ手に純乃からも力が込められる。

純乃のあたたかさを直に感じることができる。


「なぁぁぁぁぁあああああ!!?」


なんだか聞き慣れた声が悲鳴となって聞こえたような気がしたが、気の所為ということにしておこう。


枝垂れ桜の前までやってくる。

純乃がぺこりと頭を下げると、大祐は意味有り気な笑みを浮かべて俺を見た。


「――へぇ? お前が人を連れてくるなんて珍しいな。しかもなんだそれ」


大祐の視線は当たり前のように俺たちの手の辺りに注がれている。


「まさか、恋愛に興味を持っていない――それどころか恋って何?とか聞いてきたお前がね。とりあえずなんだ。おめでとうなのか?」


「おめでとうではない。まだ付き合ってるわけじゃないからな」


「ほおほお。まだ、ね。えーっと、確かクラスメイトだったよな? 名前は……」


「純乃。呼び捨て以外なら好きな呼び方で構わないよ」


「じゃあここは親しみを込めて純乃ちゃんで。あ、俺は大祐。こっちのフリーズして白目剥いてるのは小咲ちゃん。んで、純乃ちゃんは何? 涼太の事が好きなの?」


簡潔に自分と小咲の紹介をすると、どストレートな質問を純乃に言い放った。


「……」


対する純乃はこれといって動揺するような様子もなく、大祐の質問を無視するかのように小咲のことをジッと見つめていた。


小咲を見つめる純乃の視線は決して穏やかとは言えない。


「涼太。小咲さんとはどういう関係?」


「幼馴染み。小中高ずっと一緒だった。腐れ縁ってやつだな」


「……幼馴染み」


小咲に向けられる視線がより一層強まった。

そんな純乃の瞳を隠すように風が吹き、桜のカーテンが視界を塞いだ。


「――涼太、お腹空いた。お昼食べよう」


顔に付いた桜の花びらを取ると、純乃はもう元通りの表情に戻っていた。


「と、それもそうだな。昼休みもあまり残ってない」


木の根元に腰を下ろすと、純乃は当然のようにその隣に座った。

肩と肩がぶつかる距離。

鼻腔をくすぐる純乃の香りが心地よかった。


「はむっ。うん。卵サンド、美味しい」


「一口貰ってもいいか?」


「いいよ。はい、どうぞ」


食べかけの卵サンドを口元に持ってくる。

これはいわゆる、はい、あーんの下位互換だろうか。

大祐がニヤニヤとこちらを見ていたが、折角純乃が差し出してくれたのを断るのも躊躇われ、そのまま食べることにした。


「いただきます。はぐっ、もぐ。うん……これは美味しいな」


「気に入ってくれて良かった。あ、涼太。ほっぺに卵の欠片付いてるよ」


「ん、マジか。どの辺?」


「取ってあげる」


純乃の淑やかな人差し指が俺の頬を撫でる。


「ほら、取れた。ぱくっ」


指先に付けた欠片を何の躊躇いもなくパクッと食べる純乃。

思わぬ行動に気恥しさが込み上げてくる。

熱くなってくる頬を隠すようにそっぽ向くが、純乃にはお見通しのようで、くすりと微笑が聞こえた。


「ふふっ。涼太、可愛い」


そんな呟きも聞こえたような気がしたが、聞かなかったことにした。


「――涼太は青春してるな。どうするよ、小咲ちゃん」


大祐は甘酸っぱい恋物語が展開されている枝垂れ桜の下から、ムスッとした表情でコーヒー牛乳を啜る小咲へと視線を移した。


「……どうするって、何が」


「怖い怖い。そんな顔してたら折角の可愛い顔が台無しになるぞ?」


「うるさいな。大祐くん、ちょっと黙っててよ」


「黙らない。小咲ちゃん、涼太のこと好きなんだろ」


「っ!」


あからさまに動揺する小咲。

力んだ手の持つパックからコーヒー牛乳が飛び出る。

大祐が苦笑いしながらハンカチを差し出すと、半ば奪い取るように受け取った。


「あのな、伊達にお前らの友達やってるわけじゃないんだ。鈍感な涼太はともかく、俺にはバレバレ」


「今日の大祐くんは本当にうるさいよ」


使ってない面で綺麗に折り畳んだハンカチを大祐に投げ返す。


「で? 好きなんだろ?」


「……好きだよ」


大祐の猛攻に、小咲はあっさりと折れる。

もう隠し通せないと本能的に察したのだろう。


「なんで涼太くんの隣にいるのがわたしじゃないのかな」


「落ち着け。あいつらはまだ付き合ってるわけじゃない」


「半ば恋人同士みたいなものだよ」


「でも付き合ってるわけじゃない」


恨めしそうに涼太と純乃を見る小咲に、大祐は言葉を重ねていく。


「小咲ちゃんの涼太に対する想いが本物なら、こんなところで折れちゃダメだろ。当たって砕けろとは言わないが、気持ちを隠したままにするのは絶対に後悔することになる」


「……うるさいよ。そんなこと、言われなくても分かってる」


「じゃあ、どうするんだ?」


「伝えるよ。わたしの好きって気持ち、涼太くんに伝える。負けたくないもん。いきなり現れた女の子に涼太くんを取られたくない」


小咲は決意する。

自分が辿る道が茨の道だとしても、自分が後悔しない為にも進み続けると。


大祐は理解する。

例えこの物語がどんな結末を迎えようと、変わらないものがあるということを。


春は出会いと別れの織り成す恋の季節。

桜に導かれて生まれた一つの恋はきっと……どんな形になろうと、不幸にはならないだろう。



純乃と仲良くなり始めてから、早くも三週間が経とうとしていた。

平日の放課後は駅前の喫茶店に寄ったり、休日は二人きりで遊んだりと、思い思いの日常を過ごしていた。


少しずつだが、俺の心にも変化が現れた。

どんな場所も純乃となら楽しかったし、何より一緒にいられることが嬉しかった。


「んー……今日の授業も平和に終わったか」


授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、死んだように静かだった教室に活気が戻り始める。

現金なヤツらだ。俺も寝ていたから人のことは言えないのだが。


「涼太」


寝ていた証拠を表す真っ白なノートに、黒板に赤字で書かれている部分だけ手早く書き込んでいると、一足先に帰り支度を整えた純乃が俺の机の前に立った。


「そこにいられると黒板見えない」


「わざと。あとで私のノートを写していいから帰ろ」


純乃は何かを気にしているようだった。

しきりに辺りを伺ってはホッとため息を吐く。

何をそんなに気にしているのだろう?


「分かった。喫茶店にでも寄るか?」


「行く。パフェ食べたいな」


「じゃあ駅前のほうだな。そこでノートを見せてくれ」


思えば、今日の純乃は少しばかり強情だった。

朝、ホームルームが始まるまでの時間に小咲と世間話をしていたのだが、割って入るように会話に乱入するわ、昼休みに至っては頭に衝撃が走ったと思えば屋上にいたりと、純乃らしからぬ行動が目立っていた。


純乃は教室に残って雑談しているクラスメイトの横を通り抜けて廊下に出る。

俺も急いで帰り支度を整えてからその背中を追った。


「えーっと……あ、いた」


下校ラッシュの廊下は人でごった返していたが、純乃が歩いたところはモーゼの割った海のように開いて道が出来ていて、すぐにその姿を見つけることが出来た。

道が閉じないうちに早足で歩くと、階段に着く頃には純乃に追いついていた。


「おい、待てって」


背中に向けて声をかけると、純乃は素直に足を止めてくれた。


「どうしたんだ? なんか様子、おかしくないか?」


「いつも通りのつもり」


「つもり、ね。自覚はあるのか。話、聞くぞ? 俺じゃ頼りないって言うなら、小咲や大佑を呼んだっていい」


「それは……嫌。小咲さん……というか、他の女の子は嫌」


「? どういうことだ?」


「……涼太が私以外の女の子と喋っていると、胸が……苦しくなるんだもん。あとちょっとだけイライラもする。これはどうして?」


その問いかけに、頭に浮かんできた答えは一つしかなかった。

恋愛系のアニメやゲームならばよく耳にする単語。


「それはきっと……嫉妬、なんじゃないか?」


俺も確信があるわけではない。

けれどこの言葉以上に、今の純乃にぴったりな言葉は無いような気がした。


「嫉妬……? 誰が、誰に?」


「純乃が、小咲に」


「これが……嫉妬。すごく苦しいものなんだね。私は小咲さんに嫉妬しているんだ」


制服の胸元をギュッと握り、目を閉じる。

すれ違う人たちが道の真ん中で立ち止まる俺たちを鬱陶しそうに見てきたが、気にしなかった。


純乃の隣に移動して、その小さな肩を抱く。

純乃は一瞬だけ目を開けて俺を見据え、ニコッと微笑むと、再び目を閉じた。


辺りの喧噪が気にならなくなってきた。

純乃の肩を抱くことによって、ここは俺たちだけの空間へと変化していた。

一つのことに夢中になると周りのことが見えなくなるとはまさにこのことだろう。


肩越しに伝わってくる感情が嬉しい。


髪から漂ってくるシャンプーの香りが嬉しい。


こんな特別な気持ちを持てることがたまらなく嬉しかった。


……好きなんだ。

俺は純乃のことが本当に好きなんだ。

ほかの誰よりも、何もよりも、俺は純乃のことが好きなんだ。


「……ねぇ、涼太」


気づくと純乃が俺を見上げていた。

好きという事を完全に意識してしまったからか、その仕草が妙に照れくさかった。


「私ね、一度小咲さんとちゃんと話をしてこようと思っているの」


「小咲と? それはどうして?」


「小咲さんが、涼太のこと、好きだから」


「小咲が俺のことを……好き?」


純乃の発言に頭が真っ白になる。

意味は理解出来ているはずなのに、思考が追いついていなかった。


「いやいやまてまて。それは無い。だってあいつ、そんな素振り見せたこと一度もない。自慢じゃないが、俺は小咲の事なら何だって知ってるつもりだ」


「……だからじゃないかな?」


俺の言葉を遮るように純乃は首を振る。

こちらを見つめる純乃の瞳は何か訴えかけるようだった。


「近すぎるから、気づかなかった。幼馴染みって、そういうものなんだと思う。私には、そういう人はいなかったけど、それでも、何となく分かるんだよ」


「……近すぎるから、気づけない」


「そう。だから私は小咲さんと、話をしなければならないんだ」


純乃の瞳には確かな決意が宿っていた。


「はっきりと分かった。私は、あなたが好き。他の誰よりも涼太の事が好き。涼太以外の人を好きになるなんて有り得ない」


それは告白だった。

純乃は、はっきりと、俺に好きと告げた。


顔が熱くなるのを感じる。

お風呂で長湯して逆上せたような、身体の中から熱が溢れてくるような、そんな熱さ。


人の往来が激しい廊下でなければ今すぐにでも抱きしめていたところだろう。

それほどまでに――嬉しかった。


「純乃。ここじゃちょっと目立つ。場所、変えよう」


純乃の手を取る。

こうして純乃の手に触れたのも久しぶりだった。


あたたかい――。

ふわりと包まれるようなあたたかさは、心の熱も温めてくれる。


「ここでいいか」


空き教室を見つけて、辺りを注意しながら俺はドアに手をかけた。

幸い鍵は掛かっていなかったが、中はずっと放置されていたようでほんの少し埃っぽかった。


天から地上を見下ろす太陽の光が窓枠を照らし、教室の床に四角い影を作っていた。

チラチラと舞う小さな埃は雪原で見られるダイヤモンドダストのようにキラキラと光ってて、俺と純乃は導かれるように教室の中央に立った。


「こんな人気の無いところ連れ込んで、何する気?」


「告白の返事をしようと思ってな」


「……ストレートすぎ。こっちは心臓破裂しそうなんだから。それに……やっぱり返事を聞く前に、小咲さんと話をしたい」


「今はまださせない――」


くいっと、純乃の顎を持ち上げる。

純乃は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、振り払う様な事はしなかった。


「涼太……」


艶かしい純乃の唇。

口元から漏れる吐息が妙に熱っぽくて、けど、俺を見つめる瞳は何かに怯えるように潤んでいた。

期待と不安――。二つの感情が純乃の中を巡り廻っているのだろう。


でもそれは俺も同じなんだ。

このまま純乃と恋人になれることに期待をしている。けれど、もし小咲と話して、その気持ちが変わってしまうことがあったらと考えると、不安でたまらない。


「聞いてくれ、純乃」


だから俺は告げる。

純乃には俺の気持ちの全てを知ってもらいたいから。


「もし、小咲と話して純乃の心が揺れるのが嫌だ。小咲の気持ちに同情して俺を諦めるなんて言ったらたまったもんじゃない。純乃には、俺だけを見ていて欲しい」


すーっと、大きく息を吸い込み、吐く。

大丈夫。この気持ちはきっと純乃に届く――。


「――純乃、俺はお前のことが好きだ」


真っ直ぐな想いを言葉のプレゼントとして純乃に贈る。

リボンを紐解いて、箱を開ければ、そこに詰まっているのは純粋な好きという気持ち。


「バカ……。涼太はバカだよ。同情なんかで揺れるほど、この気持ちは安っぽいものじゃないよ……」


言葉を受け取った純乃の目尻には涙が浮かんでいた。

俺はすぐに気づいた。この涙は悲しいから溢れたものではないと。


「私の涼太を好きって気持ちは、そんなもので揺るがないよ……っ」


ほぼゼロ距離から胸に飛び込んでくる純乃。

小さな身体は俺の胸の中にすっぽりと収まり、純乃の背中に腕を回して優しく抱きしめる。


抱きしめる事で純乃のあたたかさを直に感じることができる。

胸の高鳴りが収まらない。ドクドクと鼓動を打ち続ける心臓の音が純乃に聞こえていないか不安になった。


「涼太の心臓、すごいことになってる」


胸に耳を当てていた純乃はゆっくりと目を閉じた。


「ドキドキ、してくれるんだね。私のこと……ちゃんと意識してくれるんだ。嬉しいよ、涼太」


トンと、身体を預けてくれる純乃が可愛い。

心臓が破裂してしまうんじゃないかってくらい、ドキドキが止まらない。


「そりゃドキドキもするさ。大好きな女の子を、こうして抱きしめているんだからな」


「ばーか。私の方が涼太のこと好きよ」


「いやいや、俺の方が純乃のこと好きだから」


「私の方が好きだもん」


「いいや、俺の方が好きだね」


「ぷっ、あははっ!」


「はははっ!」


可笑しくなって二人同時に噴き出す。

こんなにも気分がいいのは久しぶりのことだった。


誰かに恋をすること。

その想いが相手に届くこと――。

これ以上に幸せな事は無いだろう。

枝垂れ桜の下で芽吹いた恋は、桜色の想いとなって、今こうして色を付けた。


「……涼太」


俺の名を呼び、純乃は静かに目を瞑った。

この行動がどういう意味か、恋愛初心者の俺にでも流石に分かる。


「純乃……」


ゆっくりと顔を近づけ、唇を重ねる。


「……」


触れた時間はほんの一瞬だけだったが、キスをした後の純乃の表情はこれまでに見たことのないものだった。


「……ありがとう、涼太。私のファーストキス、貰ってくれて。あなたに捧げられて、本当に……本当に、嬉しいよ……っ」


「ああ、俺も嬉しい。俺も初めての相手が純乃で良かった」


今すぐにでも純乃の事を抱きしめてしまいたい。それ程までに今の純乃は可愛らしい。

けれど、それは一旦お預け。今は先にやらなければならない事がある。


「――いるんだろ、小咲。隠れていないで出てこいよ」


「えっ?」


俺の視線の先に、純乃の瞳が動く。

ガラッとドアが開き、四角く切り取られたその空間にはよく見慣れた少女が立っていた。


「……いつから、気づいていたの?」


「キスをする前」


「酷いね。いることが分かっていて、純乃ちゃんとキス、したんだ」


小咲の表情に影が落ちる。

今どんな綺麗な言葉を並べても小咲にとって辛いものでしかない。

傷つける可能性だってある。それでも今伝えるべきなのは正直な気持ちが一番だと思った。


「……」


それに、あのドアの向こうには大祐もいる。

だから俺は友達のことを信じると決めた。


「俺は純乃の事が好きだ」


「うん。知ってるよ」


「だから小咲の気持ちに応える事はできない」


「……うん。知ってるよ」


小咲は泣くのを必死に堪えていた。

けれど今の俺には彼女を抱きしめて慰める権利は無い。

俺は小咲ではなく、純乃を選んだのだから。


「……同じ人を好きになる。それが、こんなにも辛いなんて……知らなかったなぁ」


小咲はそう呟いて純乃に視線を移した。


「悔しい。すごく、悔しいよ。わたしは小さい頃からずっと、涼太くんの事が好きだった。多分、この気持ちだけは誰にも負けないとも思っていたよ」


気持ちをぶつけているように見える。

けれどこれは違う。伝えているのだ。自分の気持ちを、他ならぬ、純乃に。


「初めて涼太くんが純乃ちゃんをお昼ご飯に連れてきた時、やばいって思った。手も繋いでいて、すごく仲良さそうで、それに純乃ちゃん、可愛いんだもん。わたしじゃ敵わないって思った」


「小咲さん……」


「でもね、諦めたくはなかった。ずっと好きだったから。それにね、何となく……予感がしたんだ」


「……予感?」


「そう。予感。純乃ちゃんとはライバルになるだろうけど、いい友達にもなれるんじゃないかって」


「……っ」


その言葉は嫌味でも何でもない。

小咲の本心から出た、純乃に向けられた純粋な気持ち。


その証拠に、小咲は笑っていた。

本心から出た気持ちでなければこんな表情をすることなんてできない。

けれど小咲が笑顔を浮かべていたのはほんの一瞬だけだった。今はもう俯いて、自分の表情を、泣きそうになっている自分の顔を隠していた。


「……わたしの恋はここでおしまい。これからは涼太くんとも、純乃ちゃんとも、友達として一緒に過ごす。今まで通りの日常を送る。でもね……ごめんね」


くるりと踵を返し、小咲は俺たちに背中を向ける。


「きっとこれから、わたしは泣いちゃうと思う。今日は……今日だけは泣かせて。そして、追いかけてこないで。涼太くんは優しいから、わたしが今ここで走り去っちゃったら、ほっとけないでしょ? でも、涼太くんが選んだのは純乃ちゃん。だから、絶対にダメだよ。振りじゃないからね?」


「……分かった」


「うん。ありがとう。それと、純乃ちゃん」


「……ん。なに?」


「わたしのことは、小咲、でいいよ。友達、なんだからさ。さん付けなんてしたら他人行儀だよ?」


「……うん。ありがとう、小咲」


「しばらくは、ぎくしゃくしちゃうかもだけど、よろしくね、純乃ちゃん。わたし達は友達。それだけは忘れないでね。それと、最後に一つ」


もう小咲は振り返らない。そう思っていた。

けれど小咲は最後にもう一度だけ、振り返った。


「――おめでとう。涼太くん、純乃ちゃん」


それは友達に送る祝福の言葉。

誕生日を祝ってくれた時に貰ったおめでとうよりも、テストで学年一位を取った時にくれたおめでとうよりも、そのおめでとうは俺の心に響いた。


「――小咲」


だから俺も最大限の感謝を小咲に贈る。


――辛い時支えてくれて。


――いつも笑っていてくれて。


――いつも側にいてくれて。


伝えたい言葉はたくさんあるけど、今俺に伝えられるたった一言。その言葉にすべての感謝の気持ちを込めて、小咲に贈る。


「――ありがとう――」


その言葉に小咲は微笑むと、何も言わずに教室から出て行った。

小咲が進んでいった方と反対側から、大祐が姿を見せる。


「小咲ちゃんのことは俺に任せておけ。それと、おめでとう。末永く爆発しろ」


こちらが何か言う前に、大祐は走り去っていった。

残された俺と純乃は顔を見合わせ、同時に破顔する。


「私……素敵な友達に巡り会えた。これもきっと、涼太とあの日に出会えたおかげだよ」


「俺は純乃と出会えて、恋をすることを知った。お前と出会えなかったらきっと、こんな心地よい感情を知る事はできなかったと思う」


「大好きだよ、涼太」


「ああ。俺も大好きだ」


自然と俺たちは唇を重ねていた。

触れた唇から伝わってくる気持ちは、どんなものよりも心地よく感じた。


純乃とならこの先どんなことがあっても、大きな壁にぶつかっても、共に歩んでいける。

お互いが愛し合う限り、俺たちはこの先もずっと、一緒にいられるはずだ。


春に芽吹いた恋の蕾はこうして花を咲かせた。

枯れない花は無いけれど、この気持ちだけは枯れることは無い。


そんな――予感がした。



「――おい、純乃。準備は出来たか? そろそろ時間だぞ」


コンコンと、上質な木製のドアを叩いて、中にいる純乃に声を掛ける。


「出来てるよ。だけど絶対に開けちゃダメだからね? 楽しみは最後にとっておくものでしょ?」


「ははっ。違いない。じゃあ俺は一足先に行ってるよ」


「うん。楽しみにしていてね」


ドアから離れ、俺は廊下を歩き始める。

俺と純乃が付き合い始めてからもう五年もの歳月が流れた。


本当に色んなことがあった。

今ここですべてを話そうとしたら時間がいくらあっても足りない。

それに今日は俺と純乃にとって最大の記念日。過去を振り返るのは今じゃなくてもいいはずだ。


「――こちらにおいでになっていたんですか」


後ろから掛けられた声に振り返る。

そこには正装をした男性が立っていて、俺と視線が交わると礼儀正しくお辞儀をした。


「こちらの準備はすべて整いました。どうぞ、こちらにいらしてください」


「はい」


男性の後ろを歩いてその場所に向かう。

柄にもなく緊張しているのか、はたまた別の感情からなのか、胸の高鳴りが止まらない。


俺が案内されたのはステンドグラスで覆われた大きな建物の前。

綺麗な塗装をされたドアに男性が手を掛け、俺にアイコンタクトを送る。


このドアの向こうには大勢の人がいる。

俺をここまで育ててくれた家族。楽しい時間を共に過ごした高校の友達。もちろんその中には小咲と大祐もいる。


目を閉じればたくさんの思い出が蘇ってくる。

楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと――本当にたくさんの思い出が俺の中にはあった。

そのひとつひとつは俺にとっても、純乃にとってもかけがえのないもの。たくさんの思い出の中で生きたからこそ、今の俺たちが在る。


「時間です。それでは行きましょうか」


「はい」


男性がドアを開く。

同時に、中からこの瞬間を待ちわびていた来賓の方からの拍手喝采が飛び交った。


「――新郎入場」


司祭様の掛け声と共に、俺は建物の中に足を踏み入れた。


今日は俺と純乃の結婚式。

一生の記憶に残るであろう、大切な一日。


赤いカーペットの上を俺は進む。

壇上へ上り、つい先程俺が入ってきたドアを見つめる。

誰よりも早く、花嫁の姿をこの目に焼き付けたかった。純乃を。愛すべき人の姿を――。


「――新婦入場」


ついにその時はやってきた。

閉ざされていたドアがゆっくりと開く。


「――――」


純乃の姿を見た俺は言葉を失った。

来賓の方々も、拍手するのを忘れて魅入っていた。


まるで天使が現れたようだった。

それほどまでに、純乃のウエディングドレス姿は美しく、純乃が壇上に上がり終えるまで俺の視線は釘付けになっていた。


「どう? 綺麗かな?」


「ああ。すごく綺麗だ……」


「ふふっ。そっか。良かった」


やがて聖歌斉唱が始まり、司祭様が聖書を朗読する。

俺と純乃は目を瞑ってそれをしっかりと聞き、終わると同時に目を開けた。

司祭様は俺の瞳を見据え、誓いの言葉を綴る。


「――汝、あなたは健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、新婦を愛し、敬い、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


「はい。誓います」


司祭様は満足げに頷くと、次は純乃の瞳を見据えた。


「汝、あなたは健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、新郎を愛し、敬い、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


「誓います」


純乃が不意にこちらを向いて微笑む。

俺も笑顔を返し、再び司祭様の方に向き直る。

介添人に純乃がブーケと手袋を預け、俺は司祭様から指輪を受け取った。


「涼太」


すらりと長い、綺麗な左手を俺に差し出す。

俺はその手を取り、反対の手で持っていた指輪をそっと純乃の薬指にはめた。


「次は俺の番だな」


指輪を受け取った純乃の前に同じように手を差し出すと、すぐに純乃の手が俺に触れた。


「あたたかくて、大きい手。私はいつもこの手に助けられてきた。あなたに、助けてもらった」


「助けてもらったのは俺も同じだ。純乃に何度も助けられた」


「うん。この先もずっと、助けてね」


俺の薬指に指輪が通される。

これで指輪の交換は終わった。あと残されている事は一つしかない。


「それでは新郎新婦、誓いのキスを」


「はい」


純乃の元へ一歩詰め寄り、ベールに隠された愛すべき人の笑顔を思い浮かべる。

ゆっくりとベールを上げると、思い浮かべていたとおりの純乃の姿がそこにはあった。


「俺はお前の笑顔が大好きだ。これからもずっと、その笑顔を俺に向けていてくれ」


肩に手を置き、まっすぐ純乃を見る。


「私はあなたの優しくて頼りになるところが大好き。これからもずっと、優しい涼太でいてね」


目を閉じ、純乃は俺を受け入れる準備を整える。


「愛してる、純乃」


そうして、俺たちは唇を重ねた。

永遠の愛を誓い合う特別なキス。

それは今までしてきたどのキスよりも幸福な気持ちが俺たちを満たした。


来場した時よりも大きな拍手が俺たちを祝福してくれた。

小咲なんておめでとーって叫びながら泣いていた。大祐はいつも通りだったけれど、心の底から俺たちを祝っているようだった。


「――涼太。私今、最高に幸せよ。こんな大勢の人に祝福されて、私の隣にはあなたがいて。こんなにも幸せなこと、他にはないよ」


「バカだな。今だけじゃない。これからも最高に幸せに決まっているだろ?」


「……うんっ。これからもずっと、私のこと、幸せにしてね、涼太!」


これは俺と純乃の新たなる一ページ。

恋人から夫婦という関係に変わり、俺たちは新しい道を歩み始めたのだ。


これから先、今まで以上の困難にぶつかることだってあるかもしれない。めげそうになることだってもちろんあるだろう。


それでも、俺たちならきっと大丈夫。

どんな道も一緒ならば乗り越えていける。


だって俺たちは――


「――愛してるよ、涼太。私のすべてを、あなたに捧げます」


――こんなにも愛し合っているのだから。



〜完〜


ここまで読んでいただきありがとうございます。満足頂けるシナリオになっていたでしょうか?読者の皆様が満足できるような作品になっていれば幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 程よいテンポに分かりやすい描写。一度読み出したら止まらない、というのはこの事ですねw 所々に入ってくるギャグや、なんと言ってもクライマックス。恋愛小説の醍醐味ですね。 素晴らしい作品だと…
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