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アミカ  作者: 泉野 戒
7/7

アミカ

城門をくぐりぬけた途端、活気ある喧騒が私たちを包んだ。

ルミリア公国。ロゼさんとディーネさんの街。その街にいよいよ、私たちは辿り着いた。

「明るくて良い街ですね。空気まで違って見えます」

私は、後ろのロゼさんに話しかけた。だけどロゼさんは「ああ」と暗い声を出すだけで、顔を上げようとはしない。

私たちは、歩いた。ロゼさんとディーネさんの家に向かって。

道行く人たちが、声を掛けてくる。

「お、帰ったのかロゼ。魔獣はどうだった?」

「やあご両人、久しぶりだね。良かったらパンでもどうだい?」

「お帰りなさいませディーネ様! ディーネ様のことをずっっっと待ってたんですよっ!」

「なーんだ残念、帰ってこなかったら家貰おうと思ってたのになー」

話しかけられる度に、私は私の存在が希薄になっていくのを感じた。

自分が溶けていくような、眠気に襲われるような、そんな感覚。丘の上で感じたものと同じ。だけど、もう怖いとは思わなかった。

「一度、別れましょう?」

私は、言った。

「ここなら、私は魔獣にはなりません。この街に入ってからずっと感じてるんです。街が、私をディーネさんにしようとしているのを。いま私を留めているのは、ロゼさんです」

魔法のことはまだよくわからないけど、これだけは自信を持って言えた。今ロゼさんから離れれば、私は消える。絶対に。

「私は、あっちの道に行きます。ロゼさんは先に家に帰っていてください。後から行きます。私じゃなく、ディーネさんが」

ロゼさんは、反対しなかった。何も言わなかった。ただ、口を開きかけて、口をつぐんで。そうして小さく、頷いた。

そのロゼさんの目が、少し潤んでいるように見えた。

私の覚悟を決めるには、それで十分だった。

「さようなら、ロゼさん」

その一言を最後に、私は歩き出した。

振り返らず、まっすぐに。もう迷わない。そう決めたから。

そうして、歩いて、歩いて……人込みに紛れた、その時に。

私は、消えた。


* *


ロキに教わった地下水路。そこを通って城を抜け出すところまでは上手くいった。問題はその後だった。

予定では、反乱軍が城に攻め行っている隙に俺たちは国を抜けるはずだった。広い国とはいえ、俺たちが城を出たのは反乱軍が暴動を起こす前だ。十分に時間はあるはずだった。

しかし、予想外に反乱軍の進撃は早く、国王軍は脆弱だった。

俺たちが門へ辿り着くよりも先に、城は落ち、ディーネの不在が反乱軍に知られ、瞬く間に王女の捜索が始まった。

「駄目だ。こっちの門も反乱軍に乗っ取られてる。もう一つ向こうの門へ行こう」

遠巻きに門を眺めながらそう言ったものの、実のところ次の門も望み薄だった。

街は静かで、きな臭さの欠片もない。これはつまり、この僅か数日で暴動が終わったことを示している。

この国は今や、完全に反乱軍の物となったに違いなかった。こうやって門を廻るのは、明らかに無駄な行為だ。

しかしそれを口には、できなかった。僅かな希望でも持ち続けていたかった。

「大丈夫だ。心配するな。向こうはここよりも田舎だから、反乱軍の手が届いていない可能性が高い。それに国から出られなくても、ディーネの正体さえ隠し切れればいいんだから。だから、心配するな」

それはむしろ、自分自身に言い聞かせる為の言葉だった。

大丈夫。心配いらない。その言葉を繰り返していなければ、心が折れてしまいそうだった。

俺がそうやって、仮染めの希望に縋っていた時――

「…………」

きっと彼女は既に、決めていたのだろう。

自らが犠牲になる覚悟を。


* *


およそ一カ月ぶりのルミリアの自宅。そこに一人で帰ってきた俺が真っ先にしたことは、家具の移動だった。

玄関付近にある家具を奥の部屋へと移動する。敷物もカーテンも、すべて外して奥の部屋に投げ込む。大きすぎて移動できない家具は、残念だが諦めた。

粗方の移動を終えてから、俺は部屋の中央に立った。玄関を見据えて、構える。

しばしの静寂。

カチ、コチ、という時計の音が聞こえて、俺は壁の時計を外し忘れていたことに気づいた。だがもう時間がない。俺の予想だと、そろそろ……

足音。

来た。これは間違いなく――

扉が開く。

次の瞬間には、眼前までディーネが迫っていた。

手には炎剣。息継ぐ暇もなく横薙ぎに振るわれたそれを、俺は身体を後ろに倒すことで間一髪かわした。

同時に、ディーネの足を払う。転ばせるというより足を折るぐらいのつもりで放ったその蹴りを、ディーネは自ら体勢を崩すことで力を受け流した。

倒れそうな身体を炎剣からの爆風で瞬時に立て直すと、地面で仰向けになっている俺に向かって、今度は上から突き刺すよう炎の刃を振り下ろしてくる。

早い。かわせない。

だがそのとき既に、俺は銃を構えていた。

ディーネが扉を開ける前から、手に握っていたその銃を。

俺は躊躇わずに、撃った。

「――――ッ!」

振り下ろそうとしていた炎剣を、ディーネは前方に向けて爆散させた。

その反動を利用して、後ろに飛ぶ。低い天井すれすれで猫のように身体を丸めて回転、着地した。

かなり際どいところを銃弾が掠めていったはずなのだが、ディーネは冷や汗一つかかずに炎剣の持ち手を一振り。再度、炎の刃を顕現させた。撃った俺のほうがよほど動揺しているのではないだろうか。

「斬られる覚悟はしてたってことかしら?」

ここへ来て初めて、ディーネは口を開いた。あれほど渇望していたディーネの声なのに、感動なんて微塵もなかった。まったく、ディーネらしい。

「そんな覚悟はしていないが、斬りかかってくるだろうとは思ってたよ。『あの時』も、目が覚めたお前はまず俺に殴りかかってきた。あれから九年。今なら、斬りかかるくらいしてきてもおかしくないだろうってな」

「あの時……ね」

そこでやっと、ディーネは剣を下ろした。切っ先が床に触れ、床板の一部を炭に変える。

「あの時といい、今回といい、あなたどういうつもりなの? どうしてそんな簡単にあの子のことを諦められるの? 私が命の恩人だから?」

ディーネが俺を睨みつける。心底理解できないという風に。炎よりも熱い瞳が、俺を見据えていた。

「なら、言ってあげましょうか。私があなたの命を助けたのなんてただの気まぐれよ。ちょっと気になる男の子がいた。その子が処刑されそうだった。お母様との食事の席で偶然そのことを思い出して、口にした。そうしたら処刑が取りやめになった。それだけのことよ」

それは、真実だろう。

前にも聞いたことがあった。俺を助けたことに意味などないと。だから恩に着る必要などないと。

だが、違う。

それは、違うんだ。

「命の恩人だから助ける? 何それ偽善? 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! そんなことで助けられたって、ちっとも嬉しくなんかないのよ!」

「偽善なんかじゃない!」

「じゃあ何なのよ!」

ディーネの身体から、熱風が巻き起こった。空気が歪んで見えるほどに、部屋の中は凄まじい熱気に包まれていた。

「……あなた、少しでもあの子のことを考えてあげたの? 手紙を読んだだけでも伝わってきたわ。あの子がどれだけ悩んで、苦しんでいたか。それでもあの子が譲ってくれたのは、あなたの為。あなたを悲しませたくないからよ!」

アミカの思い。そんなものは俺だって知っている。

知って尚、こうすると決めた。こうするしかなかったんだ。

「なのにあなたは! あの子のそんな想いを利用して、踏みにじって! 私なんかを生き返らせた! どうして私なの!? どうしていつも私を選ぶのよ!? あの子を選んであげなさいよ!」


* *


「……どこに行く気だよ」

俺がそれに気づけたのは偶然だったのかもしれないし、あるいは必然だったのかもしれない。

国を出る方法を模索するうちに、偶然空き家を見つけた。そこに忍び込んで、仮眠を取りつつ日が暮れるのを待っていた。夜になれば、また闇に乗じて次の門を目指すことになっていた。

しかし俺が床について一時間ほどした頃、ディーネが音も立てずに一人で外へ出ようとしたのだ。

見つかって最初、罰の悪そうな顔をしたディーネは、しばらく目を閉じると、今度は毅然とした面持ちで俺の顔を見つめ返してきた。

「城へ行きます」

それがどういう意味か、わからない訳がなかった。

「死にに行くのか?」

「違います。この状況に活路を作りに行くのです」

「同じだろ。自分が犠牲になろうとしてる」

「そうです。それがいけませんか?」

「俺が許すと思ってるのか?」

「あなたに許されたいとは、思っていません……!」

小さく叫んだディーネは、苦しげに胸を抑えていた。

「……嬉しいとは、思っています。あなたは、私なんて放っておいて逃げることもできました。そうすれば今頃、確実に、安全にこの国から抜け出せていたことでしょう。しかしあなたは、それをしなかった。それだけ私を大切に思ってくれていたこと、純粋に嬉しく思います」

嬉しく思うと、そう言いながらもディーネのその顔は苦渋に満ちていた。呼吸は荒く、見ただけでも相当に思い詰めていることがわかった。

「でも、もう耐えられません。私の為に、私の大事な人が犠牲になるなんて。このままでは誰も助かりません。それならいっそ、私一人が犠牲になったほうが良い」

「なにバカ言って……!」

「それでは、ローズマリー」

俺の言葉を、遮って、

「あなたには、他に名案でもあるのですか?」

「それは……」

言われたその言葉に、半ば反射的に『ある手段』が思い浮かぶ。しかし俺は即刻頭から打ち消した。

それは、駄目だ。何があっても、それだけは。それだと、ディーネをこのまま送り出すのと同じことになる。

実を言うと少しだけ。ほんの少しだけ俺はそうしたいと思っている。だからだ。だからこそ、駄目なんだ。

「『ディーネ様』を」

俺が必死に打ち消した、その手段を。

「私の代わりに、処刑台へ送り出しますか?」

目の前のディーネは、躊躇なく口にした。まるで、俺を責め立てるかのように。

「そんなこと……!」

「できませんよね? だって『ディーネ様』は、あなたの命の恩人です。命の恩人を殺してまで助かりたいだなんて、あなたが思うはずがない」

その通りだと言いたかった。買い被りだと言いたかった。

だけど俺には、そのどちらも言えなかった。

「あなたは、頭が良い。わかっていたはずなんです、城を出る前に。助けるなら私か、『ディーネ様』か、どちらかしか助けられないと。それでも私達二人を城から連れ出したのは、あなたの優しさ故です。その優しさに甘えてしまったのは、私の愚かさ故です。あなたと、『ディーネ様』と、私と。三人で平和に静かな町で暮らしたいだなんて、そんなことを願ってしまったから……」

それは、俺の願いでもあった。だからこそ二人を連れ出した。

なのにここで、ディーネを送り出したら……

「だから今、私はその失敗を取り戻します。『ディーネ様』か、私か。どちらかが死ぬなら、それは私であるべきです。なぜなら……」


「私は、『ディーネ王女』じゃありませんから」


* *


この城に『ディーネ王女』が二人いることは、使用人として働いていたらすぐにわかった。

ディーネ王女が式典に出席している時でも、別のディーネ王女が城にいる。俺と話していたはずのディーネが、同じ時間に別のどこかでメイドを泣かしていたりする。

「今まで気づいていなかったのですか?」

今や恒例ともなった中庭での語らいの最中。俺がそのことを話すと、ディーネは呆れたようにそう言った。

「なぜあなたが処刑されかけたか、わかっていなかったのですか? あの時、私が城にいることを知る人物がいてはいけなかったからですよ」

「ああ、そういえばあの時って、ディーネ王女は隣の国まで出かけてたとかなんとか……」

いや、だからってわかるはずがない。

なんせ二人のディーネ王女は、顔も背格好も何から何まで瓜二つなんだから。

「双子か?」

「いいえ。私とディーネ様は、何の血縁関係もありません。顔が同じなのは、私が魔法を使っているからですよ」

「幻影魔法か?」

「さすがは神使見習いですね。その通りです」

俺は、灯りに薄く照らされたディーネの顔を改めて眺めた。

その顔には歪み一つなく、とてもそれが魔法で作られた幻とは思えない。

「すごいでしょう?」

自嘲するように、ディーネは言った。

「物心つく前から、この魔法を仕込まれているんです。自分でも解くことはできません。私は、自分の顔を知らないんです」

自分の顔を、知らない。

それは恐らく、ディーネの苦悩の一端でしかないのだろう。

生まれた時から魔法を仕込まれるというのがどういうことなのか、俺は知っている。ましてや、自分の顔を変えるとなると……

「もう言うまでもないとは思いますが、私はディーネ王女ではありません。ただの影武者です。ディーネ様が命の危険がある場所へ出向く必要があるのなら、代わりに私が出向きます。有事の際には、ディーネ様の代わりに私の首を差し出すことで王家の血を守ります。そして普段は、誰にも見つからないように部屋でじっとしていること。それが、私に課せられた使命です」

「辛くは、ないのか?」

「辛い?」

俺の問いかけに、ディーネは淡い笑みすら浮かべてみせた。

「私の周りは、辛そうな人ばかりですよ。ディーネ様も、お母様も。そして、あなたも……」


* *


「駄目だ」

ディーネの決意を、俺は否定した。

「ディーネ王女とか、影武者とか、そんなの関係ない。助かるかどうかさえも関係ない。さっき、お前は言ったな。『俺が命の恩人を殺してまで助かりたいと思うはずがない』って。じゃあ、命の恩人じゃないお前を犠牲にして助かるなら良いと、そんな風に思えるのが俺だと、本当にお前はそう思ってるのか?」

「あなた一人なら、そうは思えないでしょうね」

ディーネが、右の壁を見た。

その向こうの部屋では、今も本物の『ディーネ王女』が眠っている。

ディーネは顔を戻し、その宝石のような瞳で再度俺を見つめた。

「しかし、わかるでしょう? あなたのその思いやりが『ディーネ様』まで死に追いやってしまうことになるのですよ?」

出会ったばかりの頃にも、同じような言葉をかけられた。俺の代わりに一人の使用人が処刑されそうになった時。

しかし今のディーネはあの時と違い、僅かな笑みも浮かべてはいなかった。

「あなたは、人のために自分の命を差し出せる人です。今はあなたの命ではなく、あなたの矜持を捨て去ることが求められているのです」

「俺にお前を殺せって言いたいのか?」

「選べ、と言いたいのです」

刃物を突きつけるように、ディーネは言った。

「……本当は、あなたにこんな決断を迫りたくなかった。これからも生き続けるあなたに私の命を背負わせたくはなかった。私の身勝手で、全て終わらせたかったのです。……いいえ」

ディーネが、緩く首を振る。

「本音を言えば、少し、嬉しいです。これであなたはきっと、私のことをいつまでも覚えていてくれるでしょう。その天命を全うするまで、そして死の間際にも、きっと私のことを思い出してくれるでしょう。あなたは、そういう人です。自分の好きな人の中で、永遠に生き続けられる――影武者として生まれた私には、贅沢すぎる終わり方です」

「…………!」

怒鳴りつけてやりたかった。殴ってやりたかった。むしろ殴っても良かったのだろう。

殴って、気絶させて、柱にでも縛りつけて。そうした後にどうなるかなんて知らない。その内に反乱軍に見つかって俺たち三人共処刑。そんな結末だとしてもそっちのほうが良かったんだろうと、今は思う。

だがその時の俺には、それができなかった。ただ、拳を握り締めて突っ立っていることしか、できなかった。

「ごめんなさい……」

謝るなと言いたかった。だが言葉が出ない。まるで石にでもなったかのように、俺の口は動かなかった。

「もう、選ばなくても構いません。私のことを忘れても構いません。いいですか? あなたは選んでいない。選ぶ余地はなかったんです。あなたは私を、全力で止めてくれました。なのに私が言うことを聞かずに、飛び出していったんです」

「…………」

「でも……、そうですね。それでもあなたの罪悪感が拭えないというのなら、一つ、私のお願いを聞いてください」

「お願い……?」

「そう、お願いです。前にも同じことをお願いしましたが、あなたは私の望む答えをくれなかったから……」

ディーネが、いつもするように、俺の顔へと手を伸ばす。

しかしその手は、途中で止まった。そのまま俺の顔に触れることなく、静かに下がっていった。

「私のこと、名前で呼んでください」

名前。

ディーネの、名前。

それが『ディーネ』でないことは、もうわかっていた。前に同じお願いをされた時は知らなかった。あの後、本物の『ディーネ王女』から聞かされた、彼女の、彼女だけの本当の名前は……

俺は、口を開いた。

そして、呼んだ。彼女の名前を。


「…………アミカ」


* *


「黙ってないで、何とか言ったらどうなのよ!」

一層増していく部屋の熱気。しかしそれが気にならないほど、俺は身の内に激しい怒りの炎を滾らせていた。

そしてそれは、もう限界だった。

「選べとか……! 選ぶなとか!」

ディーネの慟哭。

それを聞く度に、あの日の記憶が蘇る。何もできず、ただアミカを見送ることしかできなかった、情けない自分が。

「さっきから聞いてれば何様なんだよ俺は! そんなのはもうウンザリなんだよ!」

いつも、いつも。いつもいつだって俺が決断を迫られる。そしてそれを一生引きずって生きていく。

あんな経験、一度だってしたくはなかった。

「お前が命の恩人だからなんだよ! そんなガキの頃のこと持ち出しやがって! そんな理由で人を殺せるほど、俺は精進してねえんだよ!」

「じゃあなんであの子のこと見捨てたのよ!」

「見捨ててねえよ!」

見捨ててなんか、いない。

今度は。今度こそは。俺はアミカを見捨てない。

そうだ。あの時だって、本当は止めたかったんだ。

だって俺は、アミカのことを――


――ロゼさんは私のこと、どう思っていますか?


* *


「そんなもの……!」

俺は、叫んだ。

「大切に思ってるに、決まってるだろうが!」

悲しげに顔を歪めるアミカに向けて、俺は叫んだ。自らの思いの丈を、全力で、ひたすらに叫んだ。

「大切だよ! お前だって! 決まってるだろ!? ディーネと同じくらい……ディーネよりも、お前のことを大切に思ってる! だって、俺は……」


――私にとって、あなたに気にかけてもらえるのはとても嬉しいことなんです。


――自分の好きな人の中で、永遠に生き続けられる。影武者として生まれた私には、贅沢すぎる終わり方です。


俺も言いたかった。お前のことが好きだって。お前と一緒にいられて嬉しいって。

でも言えなかった。言葉にするのが怖かった。感情が溢れて、抑えが利かなくなるのが怖かった。

それに、アミカなら……例え記憶を失っていてもアミカならわかってくれてると思っていた。わかって、俺についてきてくれてるんだと。

それが勘違いで、ただの俺の甘えだったって言うんなら――言ってやる。


「俺だって、お前のことが好きなんだ!」


俺の本心を。俺の伝えたかった全てを。

言葉にして、言ってやる。

「――――」

俺の声に、アミカの瞳が揺れる。

煌く瞳が、まるで遠いところを見るかのように大きく見開かれた。そこに映されるもの。出会い、語らい、笑い、憤り、――そして、別れに涙したあの日。

アミカの目に映るその光景が、不思議と俺にも感じ取れた。

そしてその追憶を終えた時。そこにいたのは……

「ローズマリー……」

その声が。

その音が。

溢れさせた。俺の感情を。

もう、抑えなんて利きようもなかった。抑える必要もなかった。

「――――っ」

俺は感情のままに、アミカの細い身体を抱き締めていた。

アミカが帰ってきた。アミカが。ずっと会いたいと思っていたアミカが、今、ここにいる。

「ローズマリー、私は……」

「すまなかった、アミカ……」

謝りたかった。謝らせてほしかった。

「あの日お前を止めなかったこと、ずっと後悔してた……。何か別の方法があったんじゃないかって、ずっと考えてた。お前を殺した俺がこんな風に生きてて良いのかって、ずっと、ずっと……」

頬を熱いものが流れる。

伝えたくて、しかし伝えられなかった思い。独りよがりな悔恨。

それを言葉にすることで俺の中のアミカへの愛おしさがより膨れ上がっていくのを感じた。

こうなることが怖かった。だから言えなかった。

だが、わかった。恐れることはなかったんだ。アミカに思いを伝えても、もう一つの思いは確かに俺の中にあった。

「すまない、アミカ」

もう一度謝る。身体を離し、目と目を合わせ、確固たる意思を込めて。

「俺は、ディーネを取り戻す」

「…………」

「アミカは、大切だ。だが俺は、ディーネも大切なんだ。アミカのほうが大切だからとか、そんな理由で諦められるものじゃないんだ」

この九年間を共に過ごしてきた、ディーネへの思い。その思いが、アミカへの思いに上書きされて消え去ることを何よりも恐れていた。

だが、違ったんだ。人を思う気持ちってのはそんなものじゃなかったんだ。

そのことが、今わかった。

だから……

「俺はルミリアへ行きたい。ルミリアへ行って、ディーネを取り戻したい。だけど、それは別に……」

「ローズマリー」

すぐに続けようとした言葉は、アミカに遮られた。

「ううん……ロゼさん」

そう、俺の名を呼び直したアミカは、その顔に穏やかな笑みをたたえていた。

「大丈夫です。もう、言わなくてもわかってますから」

「アミカ……?」

「今度こそ、本当の本当に、わかってますから」

そう言われてもやはり不安だった。先日同じことを口にした彼女に、実際には俺の思いは届いていなかった。下らない誤解で辛い思いをさせてしまった。そのことに俺は、少なからぬ寂寥の念を抱いていた。

もうアミカに、辛い思いをさせたくない。だからこそ今度は、ちゃんと言葉を尽くして説明したい。

「ねえ、ロゼさん」

そんな俺の懸念を振り払うかのように。

アミカはやはり微笑みを浮かべて、言った。


「また、会えますよね?」


……ああ、そうか。

そうだったんだ。

長ったらしい説明なんて、要らなかったんだ。

たった一言。たった一言で良かったんだ。

「ああ」

俺は、頷いた。

「また会える。俺が会えるようにする。約束だ」

理屈とか、方法とか。そんなものは要らなかった。

俺がどうしたいと思っているか。最初から、アミカが気にしていたのはそのことだけだったんだ。

「……それが聞けたらもう十分です。私はロゼさんのこと、信じてますから」

これだけで、アミカは俺に身を委ねてくれる。計算も何もない無条件の信頼。

その信頼に応えたいと、強く思わされた。

「ねえロゼさん」

俺の頬に優しく触れながら、アミカは言う。

「最後にまた、私のお願いを聞いてもらってもいいですか?」

そのお願いが何なのかは、聞く前からわかっていた。

俺はアミカの手の上に自分の手を重ねて、その言葉を待った。

「私のこと、もう一度、名前で呼んでください」

今さらすぎるそのお願いに、俺は苦笑を漏らす。同時に零れ落ちたアミカの涙は、見なかったことにした。

俺は口を開く。ゆっくりと。あの時や、あの時と同じように。

そして、呼ぶ。

俺の、最愛の人の名を。


                                 (完)

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