不死鳥
水が踊る。少女が舞う。
か細い腕が空を薙げば、それを追う水流が蛇のように絡みつき流れていく。
背を大きく逸らせば、大きな水泡が包みこみ、やがて水と少女は一つになる。
水の中で、少女は嗤っていた。観客はその怪しい笑みに魅せられ、ますますその演武へと惹き込まれていく。少女は水のように、水は生きているかのごとく。時に激しく、時に緩やかに、その舞いは続いていく。
そして最後、天へと向けられた両手の上で大きな水塊が弾けて虹をかけると、少女は優雅に首を垂れた。
瞬間、割れるような拍手の音が広場を包みこむ。
その音を聞いて、ようやく私は演武の終わりに気づかされた。
「…………、」
長く深く、息をつく。どうやら、知らない間に呼吸を止めて見入っていたらしい。
胸に手をあて動機を落ち着かせてから、私はもう一度窓から身を乗り出して、遠くの広場に目をやる。そこにはもう少女――踊り子の姿は見えず、三々五々と散っていく観客たちの姿が見えた。
今度こそ私は部屋に引っ込んで、窓を閉じた。
静かで、薄暗い私の部屋。見慣れた部屋の中にいても、私の心にはまだ、ふわふわと宙に浮くような高揚感が残っていた。
すごかった。本当にすごかった。
あんな綺麗な踊りは初めて見た。もしかしたら見たことはあるのかもしれないけど、記憶の中では初めてだった。暗い部屋も憂鬱な悩みもすべて忘れさせてくれる何かが、あの踊りにはあった。
この感動を、誰かに伝えたい。
そう思った瞬間、私の脳裏に浮かんだ顔は一つだった。当たり前だ。だって私が話のできる人なんてその人しかいないんだから。私はすぐさま部屋を飛び出した。
今にも床に穴が開きそうなボロボロの廊下。そこを小走りに駆けると、私は隣の部屋の戸を少し強めに叩いた。
「はい」
返事があった。愛想のない暗い声。でもそんなことも、今は気にならない。
「ロゼさん! すごいんです!」
私は、部屋の戸を押し開いた。
中は、紙と本で溢れかえっていた。私の部屋と同じ広さのはずなのにとてもそうは思えない。圧迫感さえ覚えるほどの、大量の紙と本だった。
そんな部屋の右手、部屋の内装と同じくらい古びた机と椅子に、顎先に髭をつけた痩せぎすの男の人が座っていた。
この人が、ロゼさん。私が今、唯一話ができる人だった。
「アミカ、うるさいぞ」
ロゼさんはこちらに目もくれず、開口一番そんな風に突っぱねてくる。だけどロゼさんが無愛想なのはいつものことだ。私は気にせずその肩に飛びついた。
「ロゼさん! すごいんです! すごかったんです! 向こうの広場で踊りが! 水が、ぐわーって!」
「広場……?」
ロゼさんの目が、ギラリと光った。その眼光に、私の喉が「ひぅ」と変な音を立てた。
「まさかお前、外に出たのか」
「い、いえ、その……窓からちょうど見えたので、その……」
ロゼさんが、思案するように目を細めた。そして、
「……それぐらいなら、まあ、いいか」
そう言うと、また机の上に目を戻す。
良かった。怒られずに済んだ……。
私はこっそりと胸を撫でおろして、だけどすぐに、自分がこの部屋に来た目的を思い出した。
「あ、そ、それよりロゼさん! 窓から見えたその踊りが、すごかったんですよ!」
「踊り?」
「はい、踊りです。えっとですね、水がこう、女の子の周りをぐるぐるーって回って、女の子もこう、くるくる回ったり、腕を回したりして……とにかくすごかったんです!」
喋ってる自分でもわかる。これですごさが伝わるはずがない。今ほど自分の語彙のなさが恨めしいことはなかった。
しかし、意外なことにロゼさんは得心のいったような顔をした。
「ああ、ひょっとしてあれか。あの水がくるくる回るやつか。それなら俺も観たよ」
「本当ですか!」
奇跡だった。まさかロゼさんも観てただなんて。
それなら、この感動も分かち合える。私はロゼさんのほうにずずいっと身を乗り出して、もう一度感動を言葉にしようとして……
「だけどな、アミカ。実はあの魔法、そんなに難しくはないんだよ」
「…………は?」
ロゼさんのその言葉に、私は口をぽかんと開けた。
「魔法っていうのは、行使者だけでなく観測者の魔力も影響するんだ。芸術系の魔法の場合はそれが顕著で、例えばあの水の魔法なら観客っていう観測者がいる。何度か踊りを見たことのある観客なら次の動きが想像できる。だからその想像が魔力になって、水を動かすわけだ。もちろん踊り始めや、観客がいなかった頃なら、踊り子本人の魔力で水を動かすしかなかったんだろうが、聞くところによるとあの踊りはこの街の名物らしいし、それなら外部からの魔力供給にも不自由しないだろう。あれだけ自然で精密な動きが出来るのもそのせいだ。芸術系の魔法以外でも観測者が強い影響を及ぼすことはよくあって、例えば軍隊を率いる場合なんかだとその中に魔法士を組み込むことはまずないが、これは敵味方両軍に大量の観測者が存在し、それが魔法の効果を打ち消すという事態が危ぶまれるからだ。この打ち消す効果のことを反魔法と呼び、反魔法は実は魔法を唱えていない状況下でも観測できないだけで常に世界に干渉していると考えられ……」
「ロゼさん、ロゼさん」
「なんだアミカ。何か質問か?」
「いえ、質問というか……何を言ってるのかさっぱりわからないんですが」
「どの辺りが?」
「最初から最後まで」
「……そうか」
ロゼさんが、しゅんと顔を俯ける。少し可哀想に見えるけど、そんな顔されてもわからないものはわからない。
「というよりですね! 私はそんな話を聞くためにこの部屋に来たんじゃないんです! 踊りです! それは、魔法もすごかったですけど、それより踊りに感動したって、私は言いたいんです!」
力強く言い切ると、今度はロゼさんはまじまじと私の顔を見つめてきた。
「踊りに、感動した……?」
意外そうに、そう反復する。
その反応を見て、私はなんとなーく嫌な予感がした。
「あの……ロゼさん。もしかして魔法のことばっかりで踊りはちっとも見てなかったとか、そんなことは言いませんよね……?」
ジトーっとした目を向けてやると、ロゼさんは慌てたように首を振る。
「あ、いや、そんなことは、ないんだが……そうか。うん、そうだよな。お前はアミカなんだもんな。アミカなら、そうだよな」
そんなよくわからないことをぶつぶつと言って一人で納得している。
なんだか、無性に腹が立ってきた。
「もう! 何なんですか一体! 何が言いたいんですか! わかりましたよ、ロゼさんに期待した私がバカでした。もう部屋に戻ります!」
「あ、おい待てアミカ」
怒って部屋を出ていこうとした私を、ロゼさんが呼び止めてきた。むっとしながらも私はもう一度目を向ける。
「窓の外を眺めるのをやめろとまでは言わないが、死神には気をつけろよ。死神に視られたらお前は……」
「死んじゃうんでしょ! もう、いくら私が記憶喪失だからって、同じこと何度も言わないでください!」
今度こそ私は、思いきりドアを閉めた。
部屋へ戻って、しばらく。
私は、少しだけ後悔していた。それは……
「ああ、暇だなあ……」
せっかくのロゼさんと話す機会を無下にしてしまったことを、だった。
私は、この宿の外には出られない。ロゼさんに禁止されている。そんな私にとって、ロゼさんと話せる時間は貴重な暇つぶしの一つだった。無意味に話しかけすぎるとロゼさん怒るし……。
私が宿の外に出られない理由は、さっきロゼさんが言っていた通り。外には私を狙う死神がいるらしいからだ。
死神。それは、目で視ただけで相手を殺してしまう魔法使いのこと。そんな危ないひとは早く誰か捕まえてほしいところだけど、ロゼさんが言うには最近街にやってきたらしい。
ただ、実をいうと、本当にそんな人がいるのかどうか疑わしいと、私は思っている。
私を宿屋に閉じ込めておくためにロゼさんが嘘をついている可能性は十分にある。ロゼさん自身はたまに出かけてるみたいだし。体質がどうとか言ってたけど。
だけど疑わしくても、私は言われた通りにするしかない。ばったり出くわしてから後悔しても遅いから。それに記憶喪失の私にとって、今はロゼさんぐらいしか頼れる人がいないから。
そう、私は、記憶喪失だった。
最初の記憶は、森の中だった。暗い森を、私とロゼさんは一緒に走っていた。
そのとき、私たちは何か恐ろしいものから逃げていたんだと思う。時々岩の陰に隠れながら、私たちは走って、走って、そうしてようやく、今いるこのウルカドルの街に着いた。
それから宿を取って、以来ロゼさんは一日中部屋で調べ物。私は閉じこもりっ放しで、これまでを過ごしてきた。
私は、自分の名前が「アミカ」だということ以外は何一つ記憶がない。ロゼさんのことだって覚えてない。ロゼさんを信用できないのもそのせいだ。
それが少し心苦しいので、せめて二人の関係を説明してほしいとロゼさんにお願いした。だけど教えてくれなかった。曰く「その時が来たら教える」だとか「これもお前のため」だとか。
何も知らず、外にも出られない。そんな毎日は辛かった。だから私は、自力で記憶を取り戻そうと努力した。椅子に座って一時間ぐらい瞑想してみたり、自分の荷物に何か手掛かりはないか探ってみたり。だけど今のところ、成果と呼べるようなものはない。
「……もう一度、見直してみよう」
独り言ちながら、私は部屋の戸棚から荷物を引っ張りだした。
薄汚い背嚢。記憶が戻った森の中からずっと私が背負っていたものだ。手が汚れるから本当は触りたくないけど、そうも言ってはいられない。
「えっと。服と、水筒と、食べ物と……」
中味を順番に床へ並べていく。
内容や、道具の使い古された感じからして、私とロゼさんは旅をしているんだろうと思う。食べ物も保存食みたいだし、今もわざわざ宿を借りているし。
これまでにも何度か荷物を漁ってみたけれど、わかったのはそれぐらいだった。入ってるのはどれも旅の必需品だ。たった一つのものを除いて。
その、たった一つのもの。それは本だった。
最初は、魔法の本かと思った(ロゼさんがしょっちゅう魔法のウンチクを話すから)。だけど読んでみて、そうじゃないことがわかった。
それは童話だった。タイトルは『不死鳥の伝説』。これまでにも何度も読み返したその本を、私はまた最初の一ページ目から開いて、読み返した。
**
『不死鳥の伝説』
昔々、あるところに、ルビーという名前の女の子がおりました。ルビーは、燃えるような真っ赤な髪に、真っ赤な瞳をもっていました。
ルビーは小さいころから、火の魔法が得意でした。だから家でお湯を沸かしたりするのは、いつもルビーの役目でした。
ルビーは火の魔法が使えますが、そんなルビーでも、大きなお風呂のお湯を魔法だけで沸かすことはできません。だからルビーはいつも森で焚き木を拾っては、その焚き木に火をつけて、お湯を沸かしていました。
その日もルビーは、森へ焚き木を拾いにいきました。やがて背中に背負いきれないくらいの焚き木を集めたところで、ルビーは森の奥に誰か人が倒れているのを見かけました。
ルビーはあわててかけよります。近づいてみると、それは背の高い女の人のようでした。ルビーと同じ真っ赤な髪をしたその女の人の肩を、ルビーは揺さぶりました。
「もしもし、大丈夫ですか。どうかなさいましたか。」
すると女の人は、うっすらと目を開きました。その目も、ルビーと同じ赤い色でした。
女の人は、ルビーの目と、髪を見ました。その途端、女の人は大きく目を見開いて、その綺麗な長い腕でルビーの身体をがっしと抱きしめました。
とっさのことに、ルビーは何も反応できず、されるがままになっていました。そんなルビーの耳元で、女の人は、こうささやいたのです。
「やっと見つけた。私の、かわいいルビー。」
…………
**
そこまで読んで、私は本をパタンと閉じた。紺色の表紙を眺めながら、考える。
読み返してみても、やっぱりただの童話にしか思えない。何か暗号が隠されているのかと疑ってみたこともあったけど、それらしい符丁は見つけられない。
この童話は、ルビーという女の子の一生を描いたものだった。このあと女の人から、ルビーは実は不死鳥という種族で、女の人はルビーの本当の母親だと告げられる。訳あって人間の村で育ったルビーは、だけど年月が経つにつれて村に馴染めなくなってしまう。やむなく村を出たルビーは、やがて母親と再会して、最後は幸せに暮らす――そんなお話だった。
そこそこの長さがあって、内容も割とシビアだ。大人の私でもそれなりに楽しめる作品だった。ただ、それでもこれが旅の荷物に紛れ込んでいるのはやっぱり不自然だった。
記憶のなくす前の私は、何を考えてこんなものを持ち歩いていたのか。考えれば考えるほどに、本当に今の自分と同一人物なのか疑わしくなってくる。
まず、服だ。服のセンスがどうしても私のものとは思えない。今着ている服も荷物の中の服も、女の子らしさが欠片もない。服を選んだ人の「肌が隠れればそれでいいんでしょ」とかいう声が聞こえてきそうだ。
一着だけ、まだ許せそうな服があった。赤を基調にした襟付きのパンツスタイルで、どこかの王子様の服を女性の身体に合わせて仕立て直したようなデザインだった。女の子らしくはないけれど、この服なら外に出ても恥ずかしくないだろう。
服を広げて眺めながら、考える。本当に、私はどういう人間だったんだろう。何もわからないまま、結局袋にしまった。他の荷物もすべてしまって、私はため息をついた。
いい加減、この作業にも飽きてきた。いったい何度やっただろう。ロゼさんがもっと色々教えてくれればこんな気苦労しないで済んだかもしれないのに……こう考えるのも、いったい何度目だろう。
「あー、ヒマだー……ヒマヒマヒマヒマー」
ベッドに突っ伏して足をぱたぱたやってみる。すぐに飽きた。
ウサギは寂しさで死んでしまうと言うけれど、私は暇すぎて死んでしまうかもしれない。
私は立ち上がって窓を開けた。暇を持て余してどうしようもない時は窓の外を眺める。それが、私の最近の日課になっていた。ロゼさんにも許可は貰えたし。
「……あの踊り子さん、また来てたりしないかな」
今朝観たあれをもう一度観たい。そう思って私は、ついっと広場のほうへ目をやった。
「あ!」
驚いた。奇跡だと思った。
そこにはちょうど、踊り子さんがやってきたところだった。まだ人は集まっておらず、次はどこで踊ろうかしらというようにキョロキョロと辺りを見回している。
やがて場所は決まったようで、踊り子さんは腕に抱えていた壺を重たそうに降ろした。私は知っている。あの中に、踊り子さんの周りをくるくる回る水が入っているんだ。
私が期待に胸を膨らませていると、準備をしていた踊り子さんのところへ髭をたくわえた身なりのいいおじさんがやってきた。踊り子さんと、何か話をしている。
なんだろう。雲行きが怪しい。
すると案の定、踊り子さんは残念そうにまた壺を抱え直して、移動してしまった。
「あ、あ……、待って、踊り子さん……」
私の制止の声が届くはずもなく、踊り子さんは私からは見えない窓枠の外側へと消えていった。
観客の人の姿はまだ見えるから、たぶん広場にはいるんだと思う。だけど踊り子さんは見えない。あと少し、あと少しだったのに……
「…………、」
その時、私の頭にある考えが閃いた。
踊り子さんのいる広場はすぐそこ。外は太陽が照り輝いていて、とても死神なんて物騒なものは出てきそうにない。隣の部屋に耳を澄ませても音はしない。たぶん、ロゼさんは調べ物に集中してるんだと思う。
そこまで、ひとつひとつ考えて。
「…………」
私は、にやりとほくそ笑んだ。
**
静まり返った部屋の中、俺はペンを握る手を止めて、眉間をぎゅっと抑えた。
もう何日も、こうして机上での検証作業を続けている。今日は朝から。事態は急を要するとはいえ、さすがに根を詰めすぎかもしれない。
俺は息を吐いて、背もたれに身を預けた。ふと、アミカはどうしているんだろうと考えて、隣に耳を澄ませてみる。妙に静かだが、何か新しい暇つぶしでも見つけたんだろうか。
今のアミカは、落ち着きがない。女性に振り回されるのに慣れている俺でも、アミカのその言動には戸惑いを覚えずにはいられなかった。
もしこれがディーネなら、同じ環境に置かれたとしてもまったく違う行動に出ただろう。そう、例えば、俺のことを剣で斬り刻むとか……。
「ふ、ふふふ……」
人知れず苦笑する。何がおかしいのかは自分でもわからないが、笑わずにはいられなかった。
本当に、ディーネとアミカは別人だ。さっきの踊りに対する反応もそうだった。ディーネと水の踊りを観たときは、確か……
**
「ねえロゼ。私にもあんな風に火を操ったりできるのかしら?」
「…………は?」
俺は最初、ディーネの言っていることが理解できなかった。
否、言葉の意味は理解できていたが、信じられなかった。あんな見事な踊りを観ておいて、最初の言葉がそれだなんて。俺は一時、周囲のざわめきも忘れて、呆然と立ち尽くした。
俺のそんな反応をどう受け取ったのか、ディーネは見当違いなことを言い連ねる。
「やっぱり難しい? そうよね、火と水じゃあ全然違うものね。あれぐらいできれば、色々応用が利きそうだと思ったんだけど」
心底真面目に検討している様子のディーネ。そうだ。忘れていた。コイツは昔からそういう奴だったんだ。
芸術というものをまるで理解できない。しないんじゃなくて、できない。城から出てかれこれ九年近く経つが、そういうところはちっとも変わっていないらしい。
「…………」
この感動を共有できないことに一抹の寂しさを覚えつつも、俺はディーネの話に合わせることにした。
「いやディーネ。火とか水とか以前に、そもそも芸術系の魔法と戦闘用の魔法を同じレベルで語ることがまずおかしいんだ。魔法っていうのは行使者だけでなく観測者の魔力も影響するものだからな。芸術系の魔法の場合はそれが顕著で、例えばあの水の魔法だと……」
「ところでロゼ、魔獣が出るっていうカムガッタの村まではここからどれくらいかかるの?」
聞けよ。人の話を。
いや、ディーネにそれを言っても仕方ないか。俺はため息をつきつつ、質問に答えた。
「朝から歩けば夕方には着くらしい。馬車もたまに出てるが、次は三日後だそうだ」
「そう。じゃあ、明日の朝一で出発ね」
馬車の日まで街でのんびり過ごすという発想はないらしい。まあ、俺も同意見だが。
このウルカドルの街は、良質な石材が採れる山の麓にあるだけあって、街の至るところに石が使われていた。綺麗に組み上げられた建物や石畳の道路が生み出す整然とした景観は、見ていて気持ちがいい。だが、逆に言えばそれだけだ。
衣服も食事も、お世辞にも質が良いとは言えない。これならいつも暮らしてるルミリアのほうが数倍マシだ。そもそも俺たちは観光に来た訳ではなく、魔獣討伐の傭兵として雇ってもらうために出向いてきたんだ。魔獣を倒して報酬を受け取ったら早々に国へ帰りたいというのが、俺の偽らざる本音だった。
話に聞く分には、魔獣といってもただでかくて狂暴なだけの犬型魔獣らしいし、ディーネの手にかかれば瞬殺だろう。妙なトラブルさえ起こさなければ半月とかからずに国へ帰れるはずだ。
そう、トラブルさえ起こさなければ、だが……
「いいか、ディーネ。くれぐれも余計な真似だけはするんじゃないぞ。できるだけ大人しくしてるんだ。いいな?」
釘を刺すと、ディーネは心外だとでもいうように目を瞬いた。
「まるで私が好き好んでトラブルに巻き込まれにいってるみたいな言い草ね」
「そうじゃなかったら何だって言うんだ。だいたい、その服は何なんだよ」
諦念と共にそう指摘すると、ディーネはわざとらしくその赤い服の襟を持ち上げて見せた。
「そんなにおかしいかしら、この服。ルミリア騎士団員の制服よ?」
「知ってるよ!」
たまらず俺は声をあげた。
「わざわざそんな服で街を出歩くとかお前は自殺志願者か! 戦争が終わったのはいつだと思う、一年前だぞ! この街には騎士団に家族を殺された奴だっているんだ!」
「うるさいわねえ、わかってるわよ」
煩わしそうな顔でディーネは片耳に手を当てた。そんな仕草を見た限りだと、本当にわかっているのかどうか疑わしいものだ。
「わかってるわ、ちゃんと。だけどそれって逆に言えば、それだけ騎士団の強さが広まってるってことでしょ。ここは相当治安が悪いって言うし、むしろ余計なトラブルが避けられてイイと思わない?」
名案でしょとでもいう風なディーネ。言ってることはわからなくもないんだが、ただ、事前に一言相談して欲しかった……。
「もし、それでも手を出してくる奴がいたら、どうするんだ」
「その時は私の炎剣で一刀両断してあげるわよ。腕が鳴るわ」
「頼むからやめてくれ。街中でお前の魔法は、迷惑極まりない」
「だけどそれって、ルミリア騎士団員ってわかってるのに勝負を挑んでくるような人ってことでしょ? さすがの私でも魔法なしじゃキツイと思うの」
「だから別の服を着てくれば良かったと……ああもういい、この街にそんな連中がいないことを祈る」
**
宿を出てすぐに、私はその異変に気がついた。
なぜか視線を感じる。特定の誰かからというよりも、街中の人が私のことを見ている気がする。
襟を触って、身なりを確認してみる。そんなにおかしいところがあるようには思えない。他の服を着てきたならまだしも、外に出るためにわざわざこの赤い服に着替えてきたんだから。
「なんなんだろう……」
呟いてみるも、答えは出ない。
仕方なく、私はその違和感を忘れることにした。そもそも、悩んでる暇もない。早くしないと踊りが終わってしまうかもしれないんだから。
「待っててね、踊り子さん」
うきうきと呟きつつ、私は石畳の上を駆けていった。
広場には、既に人だかりができていた。
部屋の窓から見ていたときよりも人が多い気がする。多すぎて踊り子さんの姿がよく見えない。せっかく出てきたっていうのに、これは予想外だった。
「ああ……踊り子さん、踊り子さぁん……」
時々、人の頭の間から踊り子さんの腕や、水が見えたりする。それが余計に私の焦燥を募らせる。
早く、もっとまともに観られる場所に移動しないと、踊りが終わってしまう。せめて私にもうちょっと身長があれば。それかどこかに踏み台とかないだろうか……。
きょろきょろと辺りを見回していると、とんとんと肩を叩かれた。振り返ると、そこには背の高い金髪の男の人がいた。
「こんにちは、お嬢さん。もしかすると、踊りがよく見える場所をお探しですか?」
丁寧に話しかけられて、少し戸惑う。ロゼさんはいつもぶっきらぼうな話し方しかしないから。お嬢さんとか、絶対言わない。
「こ、こんにちは。えっと……はい、そうです」
「もし差し支えなければ、私がご案内しましょうか?」
親切な誘いが、露骨に怪しかった。
見ず知らずの私にわざわざ声をかけるだなんて、いくら親切でも普通ここまでするだろうか? 身なりは良いからお金目的とかではなさそうだけど、そうすると余計にその目的がわからない。
私の怪しむ様子に気がついたのだろう、男の人は慌てたように首を振って、胸元を探った。
「すみません、怪しい者ではないんです。私、この街の警備隊の者でして」
言いながら、エンブレムのついた手帳のようなものを見せる。腰に差した剣にも同じ印があった。私はこの街のエンブレムなんて知らないけど、それだけ堂々と見せてくるってことはたぶん本物なんだろう。
「警備の人がそんなことしてていいんですか? あと、どうして私だけ?」
「お嬢さん、外から来られた方でしょう? そういった方をご案内するのも私たちの仕事なんです。さ、どうぞ」
促されて、私は少し悩んだ。
疑わしいのは間違いない。だけど今は人だかりの中だ。目立つようなことはきっとできない。踊りがよく見える場所ってことはそんなに遠くへ連れていかれるはずがないし、もし人気のないところに連れ込まれそうになったら、すぐに逃げればいいと思う。
「じゃあ……」
考えた末に、私はそう言って男の人の後に続いた。
「どうですか?」
「わあ……! ほんとだ。よく見えますね」
広場から少し離れた高台。
距離は離れてしまったし角度も斜め後ろだったけど、確かに踊り子さんの姿はよく見えた。周りにもぽつぽつと人がいて、どうやら知る人ぞ知る穴場のようだった。
「ありがとうございました! お陰でここまで来た甲斐がありました」
「いえいえ。大したことではないですよ」
謙遜してみせる警備さん。どうやら、本当にただの善意だったらしい。疑って悪いことをした。
「その代わりと言ってはなんですが、一つ、お願いを聞いてもらっても構いませんか?」
「え……お、お願い? 何でしょう、私、大したことはできませんけど」
少し警戒しつつ訊ねた私に、相変わらずのにこやかな笑みでその人は答える。背中の腰に、手をやりながら。
「いえいえ、難しいことではないんです。ただ、ほんのちょっとだけ……」
「死んでもらっても、いいですか?」
「え……」
聞き返す間もなかった。
次の瞬間、私は押し倒され、同時に後ろでに腕を縛られていた。ほんの一瞬の出来事だった。
「な……嘘、な、何をするんですか!」
信じられなかった。騙されたこともそうだけど、何よりもその行動が信じられなかった。周りには何人も人がいる。それなのに、まさかこんな……
「だ、誰か! 誰か助けてください!」
私は、大声をあげて助けを求めた。
が……
「…………」
「…………え?」
周りの人は、全員が目を逸らしていた。
愕然とした思いで、私はそれを見つめる。どうして……? まさか、全員グルだったの? だけどそれにしては周りの人たちは消極的だ。露骨に目を逸らして、聞こえない振りをしてe.。
「こんな場所では迷惑になりますし、あちらのほうへ参りましょうか。皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした」
男の人が頭を下げる。丁寧な口調のままなのが、逆に不気味だった。
次に私の髪を掴むと、無造作に引き摺っていく。ブチブチィ、と嫌な音がした。
「あぁあっ! い、あっ……! やめ、放し……!」
頭皮から血が出ているんじゃないかと思うほどの激痛のなか、私はさっきまで一緒に踊りを見ていた人たちの姿を見る。
その中の一人、人の良さそうなおばさんと、目があった。
「たっ! たす、助けてぇ!」
咄嗟に、私は叫んでいた。
しかし……
「…………、」
女の人は、気まずそうに目を背けるだけだった。
「そ、そんな……、あっ、あづぅ……! だ、誰か! 誰かぁぁぁぁ!」
どれだけ叫んでも、その声は誰にも聞き届けられることはなかった。
「まさかこんな簡単に行くとは思いませんでしたよ。ルミリア騎士団員さん」
「……ひっぐ、うぐ、あぅ、あぐぅぅ……」
暗い、ジメジメとした路地裏。
誰の声も聞こえないその場所で、私は苦痛に苛まれていた。
「少し、自覚がなさすぎるのではないですか? 貴女方のされたことをもうお忘れですか?」
「い、いっ……な、なにを……、なんの……」
「ビラン」
男の人は、言った。
「リンド、エィブラム、ブラッド、アレクス、ベン、ロビン、マーティー、ウィルバート、フランシス、グレン、サマー、キース、ジェフ……」
それは、人名だった。
いくつもの、数えきれないほどの人名が、その口から紡がれる。
「すべて、貴女達に殺された者の名ですよ。貴女達、ルミリア騎士団にね」
そんなことを言われても、私は知らない。覚えてない。ルミリア騎士団も、何も知らない。
「わたし、わたし、は……」
「弁明は結構です」
「――――ッッ! あ、あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
私の言葉は、遮られた。
その、お腹に突き立てられた剣によって。
「言ったでしょう。難しいことはお願いしないと。貴女は何もしなくていい。ただ私に殺されてくれれば、それでいいんです」
「……あ、あぁ……、あぁあ……」
痛みが、焼けるような痛みが、私を苛む。
踏み砕かれ折れた脚。石畳に叩きつけられた頭。そしてたった今貫かれたお腹。すべてが私の脳を焼くような、気が狂いそうな痛みを与えてくる。
叫び続けた喉は枯れ、地面を掻く指は爪が剥がれた。辺りは既に血の海で、これが全部自分から出たものだなんて到底信じられなかった。
「……あまり、気持ちのいいものではないですね」
今更のように、そんな声が聞こえてきた。
まるで他人事のようなその言葉も、今の私には救いだった。少しでも罪悪感を抱いてくれたなら、それでやめてくれるかもしれない。そうしたら助かるかもしれない。それだけが私の救いの綱だった。
だけど……
「では、一思いに楽にしてあげましょう」
「…………ッ!」
お腹の剣が引き抜かれた。また血が溢れて、びくんと身体が跳ねた。
血塗られた剣が、ゆっくりと振りかぶられる。それを確かに視界に収めながらも、私は動くことができずにいた。
叫びすぎた。血を流しすぎた。足掻く体力はもう残っていない。意識が朦朧としている。腕の縛りはとっくに外れていたけど、反撃なんて考えるのも馬鹿らしかった。
剣先が真上を指す。そこで剣はピタリと止まった。
「――――、」
短い呼気と共に、剣が振り下ろされる。その一閃は、やけに遅く感じられた。
薄暗い路地裏で、赤黒い光を放つ剣が、徐々に、徐々に近づいてくる。それに抗うこともできず、ただ、私はその剣先を見つめて、ただ、見つめて……
その時、私の脳裏には、なぜか『不死鳥の伝説』のワンシーンが浮かんでいた。
童話『不死鳥の伝説』。その冒頭。ルビーと、ルビーの母親との会話が……。
**
…………
「どうして、私の名前を知っているんですか?」
「ああ、かわいいルビー。それはね、私があなたの母親だからよ。」
女の人の突然の告白におどろきながらも、ルビーは女の人の胸を押しやって、しっかりと首を横にふりました。
「ちがいます。私のお母さんは、あなたじゃありません。」
「いいえ。あなたは私のむすめよ。間違いないわ。」
「どうして?」
「だって、あなたには不思議な力があるでしょう?」
その女の人の言葉に、ルビーはきょとんとしてしまいました。
「不思議な力」というのが何のことなのか、ルビーにはさっぱりわかりません。やっぱり人違いだろうと口を開きかけたルビーをさえぎるように、女の人は続けました。
「たとえばあなた、足をくじいたときに、そのけががあっという間に治ったことはない?
刃物で指を切ってしまったときに、指をなめている間にけがが治っていたりはしない?
そもそもあなた、けがというのがどういうものだか知っている?」
女の人の話を聞いても、ルビーはまだきょとんとしていました。
なぜならルビーにとって、女の人の言うようなことは、当たり前のことだったからです。
…………
**
「は……?」
その時、私の首を切り落としたその男の人がどんな顔をしていたのか、私は知らない。なぜなら私は、私自身の身体を見ていたから。地面の上から。
首のない私の身体。その切断面から血が噴き出す。その血が、まるで生きた触手のように不気味に蠢いていた。
その血の触手にまるで引き寄せられるように、私の視界は勝手に首のほうへと戻っていく。そう、私は、斬られた生首だった。
首と身体がくっつく。まるでそれが当たり前のように、いとも簡単に。あれだけ流れていた血の海も、瞬く間にお腹の傷口へと吸い込まれていった。
「…………」
何が起こったのか、わからない。
私は呆然と、斬られた首に指を這わせた。切れ目一つない肌。まるでさっきの出来事がぜんぶ夢だったかのような。
だけどそれが夢でも何でもないことは、目の前の男の人の表情が物語っていた。
「ひ……!」
その人は、恐怖していた。
それは、未知のものに対する恐怖。異形に対する恐怖。
そして、私に対する恐怖だった。
「ひぁあああああああああああああああ‼」
私と目が合うと、男は弾かれたように叫び、駆け出した。
「ば、化け物ぉぉぉぉぉぉぉ‼」
そんな言葉が、暗い路地裏にこだました。




