ブラックホーク ラメント
それじゃ帰るぞ。
いつとどまるとも知れない豪雨の中、アリス、小町、エミリア、千里の四人は、無言で俺の後についてくる。その全身をずぶ濡れにしながら。
風呂に入るとするかね。
いつもなら勝手なことを言い出す四人も、今は俺に黙って従う。五人は浴槽につかり、雨に冷えた身体を温める。
も、心はなかなか温まらない。
今日はもう寝るとしよう。
それぞれの寝間着に着替えた四人は俺に従い、黙ってそれぞれの布団に入る。
お休み。
「おやすみなさい……」
四人の布団の中から、か細い返事が聞こえた。
……。
すすり泣きが四方から聞こえる。
……。
お前ら、みんなこっちにこい。
……。
その後、四方からのすすり泣きは、しがみつくような号泣に変わった。
……。
それは先ほどのこと。
近くの山林に『自衛隊機ではないUH-60系ヘリコプター』が墜落してきた。
その場に居合わせた俺たちは、不思議な力によってそのヘリコプター、通称『ブラックホーク』の火災を消火し、乗員三人を救った。
が、俺にだってわかる。彼らはここにはいてはいけないということが。
多分極秘の飛行訓練か何かだったのだろう。
夜間、しかもこれほどの山奥ならば、一般市民に目撃されることもないと判断されたのだろう。
しかし彼らは墜落した。
乗員達は、かろうじて生きてはいるが、意識不明の重体。出血は見られないが、内部を相当やられているのであろう。
しかし村に医者はいない。彼らを救うには彼ら自身で彼らの基地にお帰りいただくしかない。
そして俺はそれをさせることができる。
強制的に『ブラックホーク』を『付喪化』させることによって。
だがそれは、アリス達に言わせれば『愛する男を守るために、その目の前で見知らぬ男に犯されるようなもの』だという。
しかし千里は『ブラックホーク』の意思を感じ、俺にブラックホークの『付喪化』を願った。
ブラックホークの、乗員達を救いたいという思いを救い取って。
主輪シャフトの隙間に強引にバーストさせたとき、ブラックホークは軍服を纏った女性の姿に変わっていた。
すぐに千里がその下半身を整えてやる。
束の間の沈黙。
そして目の前の、銀髪を短く切りそろえた青い瞳の女兵士が俺に頭を下げた。
「無理を言って済まなかった」
と……。
その後女兵士は自らの分身を作り出し、手伝おうという俺たちの申し出も丁寧に断り、一人で乗員達を機内の担架に固定した後、自らの分身に乗り込んでいった。最後まで無表情を貫いて。
自らの分身を駆るのだ。彼女は日本の空など苦も無く飛行していくだろう。
乗員達の命は多分救われるだろう。
うまくすれば彼女自身も修理され、再び彼女が愛する乗員達を乗せて、大空を闊歩するのだろう。
だけどアリスは泣く。小町は泣く。エミリアは泣く。千里は泣く。飛び去って行った女兵士のために。
強制的に俺の付喪にされたブラックホークは、一般に『手に馴染む』と表現される使用者との『絆』を、永遠に失うことになってしまうから。
『道具』としての幸福を永遠に得ることができなくなってしまったから。
どうしようもない。
だから思う存分泣け。
ところで、あの時の『不思議な力』は何だったんだろう。
ありえないことだが、どうも俺はブラックホークと衝突しても無傷だった。そればかりか、逆にブラックホークの方がダメージを受けていた。
あの時何かが体内で響いた。
確か『コンストラクト ベーシック コア 何とか』だったな。『基本核の構築』って何だよ。
そういや、アリスが何か知っていそうだったな。
多分三つ目の『きんたま』にかかわることなのだろう。アリスが落ち着いたら聞いてみるか。
今日は昨日とはうって変わっての青空が広がっている。昨日の豪雨がまるで夢だったかのように。
そして何事もなかったように、『四人とも』起きだした。小町とエミリアだけではなく、アリスと千里も。
小町が朝食の準備をし、エミリアが洗濯をしている間、アリスはパソコンを開いて何やらやっている。
「ちょっとボク、走ってくるね」
おう、行って来い。
千里は多分昨日の現場に向かったのだろう。
村人たちが昨日の出来事に気づいた様子もない。村を襲った豪雨が幸いしたか。
「変わりなかったよ。あとには何も残されてなかった」
そうか千里、ありがとな。
こうして普段通りの一日がまた始まった。
朝はあれだけの青空が広がっていたのに、昼過ぎには再び厚い雲が空を覆いだした。
「また降りそうですね」
そうだな。
「ゲンボクちゃん、洗濯物を先に取り込んでくるからね!」
ああ、許可する。
「お惣菜も売り切れたの」
そうか。それじゃあ売店も終了だな。
「ゲンボクちゃん、台風が近くを通過するかもってさ!」
そりゃまずいな。よし、今日は早めにたたんで村を巡回してから帰るぞ。
夕方から再び雨。
雨足が徐々に強くなり、風とともに壁を叩く音も徐々に大きくなっていく。
今日の夕食はコロッケ。小町に言わせると『台風の日はコロッケ』らしい。なんだかよくわかんねえけど。
台風に備えて、今日は晩酌はやめておくとする。
あ、そうだ。
なあアリス、昨日の不思議な力ってなんだ?
「あれは『マスター』が残した力の一つですわ」
やっぱりそうか。
でさ、『ベーシックコア』ってなんなの?
「それはゲンボクちゃん自身で行使する力です。『初期核』により、『体力強化』が発動するのです。ストロングマンならブラックホークくらいの質量は問題になりませんわ」
そういうことか。
それじゃアリス達のは?
と、続けようとした矢先に、俺は妙な気配を感じた。千里も感じたようで、俺と同じ方向を見つめている。
……。
誰かが玄関に立っている。
この土砂降りの中で。
しかしそれ以上は進もうとしない。
ただただ立っている。何かに迷うように。
悲しい気配を俺と千里に伝えながら。
千里がそっとドアを開けると、そこにはあの女兵士が立っていた。土砂降りに打たれ、表情を切なそうにゆがめながら。
千里が女兵士を家に招き入れた。すぐにアリスも反応し、たっぷりのタオルを用意してきた。
「こんなに濡れてしまって……」
続けてエミリアが急いで着替えになるようなものを持ってきた。
「ほら、とりあえず着替えな」
間をおかずに小町がカップを持ってきた。
「ホットミルクにしたの。あったまるの」
ホットミルクを口にして、こわばりが取れたのだろうか。
「すまない」
それが女兵士がやっと絞り出した第一声だった。
その後、ぽつりぽつりと彼女の言葉が続く。少しずつ何かを吐き出すように。
そして彼女が話し終えた後、アリスは彼女の頭をその胸に抱えていた。
女兵士はそれを拒絶することもなく、ただただ無言で涙を流していた。
彼女は無事に乗員達を彼女たちの基地に連れ帰った。
途中乗員達の意識が戻ったらしい。が、重体の彼らは安全のため、身体を固定されている。
だから彼らは多少なりとも自由になる目と耳で感じた。自分たちを救ってくれようとしている存在が何者なのかと。
『Valkyrie……』
乗員の誰かがそうつぶやいた。
着陸後、基地の救護班は直ちに乗員達の病院搬送を始めた。そして当然気づく。このヘリに乗っていったのは三名、ここで安全固定されていたのは三名、では誰がこのヘリを操縦してきたのかと。
すぐさま基地内では戒厳令が敷かれた。侵入者に対して。
一方女兵士は三人が無事救護されたのを確認すると、その身を本体に戻した。
ある山中に墜落した本体の姿に。
整備班は驚愕した。残されたヘリの無残な姿に。飛行できるはずもないその姿に。
そしてそれは兵の間でまことしやかに囁かれることになる。
「やつらは『戦乙女』に救われた」と。
彼女は無残な本体の姿のまま、格納庫にその身を横たえていた。
修理班を待ちながら。
修理後に再び彼らと大空を駆け巡ることを夢見ながら。見知らぬ男の付喪となってしまったことも忘れてしまったかのように。
が、絶望はふいに訪れた。
『速やかな解体』
それが彼女の身に下された決定事項。
さらに、彼女の解体を耳にした乗員三名が、車椅子姿で格納庫にこもり、身を挺して彼女の解体に抵抗したところ、彼らは『精神に異常あり』と診断され、強制帰国が決定された。
彼女には何も残らなかった。
衛生兵によって強引に連れ去られていく乗員達が彼女に向けた最後の叫び以外には。
それは彼らの最後の願い。
「戦乙女よ! 自由たれ!」
彼女はその凛とした姿を己の分身と共に現した。
そして基地内が騒然となる中、分身に乗り込んだ彼女は乗員達が押し込められた精神病棟に飛来し、操縦席からその雄姿を彼らに披露した。彼らに向けた感謝の微笑みとともに。
そして彼女は飛び去った。背後からの対空攻撃をあざ笑うかのように躱しながら。
勝利の女神が戦場を見捨てるかのように。
『黒き鷹の嘆き』を残して。