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第二章―宿敵ドラゴン―

第二章―宿敵ドラゴン―


 ルーナ達は、宿屋の下にある食堂の四角いテーブルへと腰を降ろしていた。ルーナとガーツは隣に座り、目の前には朝から色取り取りのご飯を貪り食う同じ顔をした子どもが二人。

 明るい場所で見ると、青い目だけの印象が深かった二人は、淡い栗毛を持ち、ボサボサに伸びた前髪をゴムで上へと縛っていた。服装も見た感じあまりよろしくはない。

 飢餓のように目の前の食べ物を次から次へと運ぶ二人に、ルーナはため息を吐いた。自分の皿の上に乗っている質素なハムと卵、パンといった食事には一向に手をつけていない。二人の食べっぷりに食欲も失せたのだ。


「そんなに急いで食べなくとも、無くなりはしないぞ。ゆっくり噛んで、味わって食せっ」


 そうは言っても、双子の手は止まらない。まだ幼さが残っている顔は、妙にこけていて違和感を覚える程だ。食べ物を食べてなかったのかもしれない。とルーナの頭に予測が過ぎる。


「……お前たち、あまり食べていなかったのか?」


「はふひはっは!」


「口の中の物は飲み込んでからしゃべれ!」


 口に物を含みながら身振り手振りで訴える様子に、ルーナは思わず怒鳴った。それに、ごくりと口の中に入っていた食べ物を双子が同時に飲み込み、驚いたように目をしぱしぱと瞬かせている。


「オレ達、金持ってないからー」


「狩り以外で食べるの久しぶりー!」


 話の途中で一人が食べ始め、もう一人が補足するように付け足す。しかし、彼もすぐに続きへと取り掛かり、口をいっぱいにし始めた。

 ルーナは何度目かになるため息を吐いた。

 結局わかったのは、先ほどやっと答えた質問のみである。二人の態度に、いっそ何を聞けばいいのかもわからなくなってくる。


「……もういい、とりあえずお前達が私たちについてくるというなら、自己紹介くらいしてもらおうか? 私はわけあって七星秘宝を集めて旅しているルーナ、ルーと呼んでくれ」


「俺はガーツだ。七星秘宝が一つ、ライカンス・ウィップの持ち主だ。ルーに雇われて、護衛をしている」


 ルーナが名前を言うと、続いてガーツが自己紹介を始めた。まだ食べ物が口に入っている双子が話せるとも思えなかったルーナに、視線を投げられたからだ。

 やっとテーブルに出ている食べ物を租借した双子が、ガーツが出して見せた獲物を目を輝かせてみている。


「いいなぁ!」


「かっくいい!」


 触らしてと同時に手を伸ばした双子だったが、ガーツに鞭を仕舞われてしまって、ぶーぶーと口を尖らせながら文句を言い始めた。

 ルーナが頭を抱えて双子に問いをかける。


「そ・れ・よ・り、お前達の名前を教えろ」


「せっかちだなぁ、ルーねぇはー。オレはソラ!」


「だよねー、怒ってると皺増えるんだよー? ボクはシド!」


 一言多い二人の頭に、昨夜同様たんこぶができたのは言うまでもない。しかし、二人の頭をひっぱだいたルーナは、双子の名前を復唱して眉を引きつらせながらガーツを見た。


「名前……星の精霊の趣味だろう?」


「まぁ、否定はしねぇけど……あんな音に関する問題出すような奴だったしな」


 こそこそと話しながら、二人の名前に納得するも、ルーナの表情はどこか気に食わない様子を表している。


「オレ達、狩りしてたら穴に落っこちて、そこを探検してたらあの笛のとこまで行ったんだ」


「それで手に入れたら、皆踊るし! すっごい楽しかったな~、皆ボク達と遊んでなんかくれなかったし」


「でもでも、ねぇちゃん達が今度は遊んでくれるって言うから、オレ、すっごい楽しみ!」


「楽しみー!」


 交互に食事中何度も聞いた、笛にどう会ったのか? なぜ街の人達を躍らせたのか? 今後付いて来るのか? という問いに双子が答えだした。

 楽観的なような無邪気で人のこと考えないような残酷な返答にルーナもガーツも思わず頭を抱える。二人の頭に、これから一緒に旅をする不安が過ぎった。


「……をい、ガーツ。しつける必要があるな」


「そうだな……とりあえず、置いといて、次の七星秘宝を持つ奴の情報を聞き出した方がいいんじゃねぇか?」


 完全に明後日の方向を見て現実逃避していたルーナだが、ガーツの言葉に現実へと意識を引き戻してきた。にこにこと楽しそうに笑っている無邪気な子ども二人に視線を戻す。


「それで、七星秘宝を持っている奴を知っているんだろうな?」


「うん、知ってるー!」


「ボク達が連れて行ってあげるよ、早く行こう~!」


 自分たちはお腹いっぱいになったからだろう、すぐさま椅子から飛び降りて、双子はルーナとガーツそれぞれの横に立ち、手を引いて催促しだす。

 二人の食べっぷりにもう既に食べる気が失せていた二人は、一度顔を見合わせると肩を竦めてから立ち上がり、二人の後へついていったのだった。




 街を出て、国道から外れた森の中を、あちらこちらへと走っては、木々の奥にある虫や木の実を見つめてうろちょろしてはしゃぐ双子に、まかれないようについていった。

 着いた先は大きな洞窟だった。薄暗く、奥に何があるのかもわからない程深くて見えない。


「ここだよー!」


「ここにいるよー!」


 嬉しそうにはしゃぎながら、二人は動作を揃えて洞窟を指差す。ガーツとルーナは洞窟の前で立ち止まり、顔を見合わせてから双子に視線を戻した。


「こんなところにいんのか?」


「だよー、ちょっと奥まで行けばいるよ。」


「奥に広い空洞があるんだぁ! 早く行こうよ~!」


 急かす様に二人の周りを回る子どもに、仕方なくルーナはため息を吐き、足を進めた。

 ガーツも彼女の行動を確認すると、草むらに目を走らせ、落ちていた木の棒を拾い上げる。そして、自分の鞄から薄汚れた布を取り出し、棒の先へと巻きつけてからそれに瓶に入った液体を少し湿らせるようにかけて、火をつけた。

 ルーナの後を追ってガーツが洞窟に足を踏み入れると、炎の灯りでうっすらと暖かいオレンジ色の光が洞窟内を照らし出す。

 しかし、広い洞窟に奥まで灯りは届かず、まだ黒いままだった。

 双子は臆することなくルーナ達より先へと進み、暗闇の中に姿を消す。それに従うようにルーナ達も奥へと進んでいった。

 ごつごつした岩肌で囲われ、大人が四人ほど並んで歩けるスペースをしばらく行くと、突如、視界が開けた。大きな空洞へと出たのだ。

 ガーツが子ども二人を探して、右からゆっくりと灯りを向けて空洞内を見回す。大きな空洞は通路同様ごつごつした岩肌で覆われ、天井は先程の二倍くらい、広さはきっと五倍くらいだと思われる。

 中央から左へと光を移動させた時、ガーツの腕がぴたりと止まった。ルーナがひっと息を呑んで身体を強張らせる。

 薄っすらと灯りが届く場所に人のそれではない何かが顔を覗かせている。岩肌同様にごつごつとした、尻尾のような尖った何か。ただ、色はまだ暗くてよくわからないが、岩とは違う色をしているようだ。

 ガーツが止めていた腕を、恐る恐る左へとずらしていく。尖っていたそれが徐々に太くなって、何か大きなものと繋がっているのが分かる。

 足が見えた。

 鋭い爪に、ごつごつとした鱗で覆われ、鰐のような足だ。いや、それよりももっと大きい。

 灯りによって大きなシルエットが壁に映し出された。


「――ッ! 貴様ッ!」


 煌々とした灯りの中、照らし出された相手にルーナは腰につけていた剣を引き抜こうとする。ガーツが驚いてそれを片手を上げて留めた。ルーナが鞘と柄に手を当てたまま血走った目でガーツを睨む。


「落ち着け、双子が近くにいるだろ、よく見ろ」


「……なぜ、こいつがこんな所にいるんだっ!」


 ルーナが見たことのある相手の近くには、先に走って行った双子がきょとんと不思議そうな表情をしたままルーナ達を見ていた。

 たしなめるようにガーツがルーナに視線を送ってくる。仕方なくルーナは上げていた肩を落とした。

 そして改めて前を見る。

 巨大な身体、全身を硬い鱗で覆われ、大きな口からは何でも噛み砕いてしまいそうな鋭い牙、足と手の爪はそれこそ秘話でも引き裂けるくらいの太くて頑丈な爪に、なぎ倒すことが容易であろう太い尻尾が、それをドラゴンだとその場に居たルーナとガーツに示していた。

 二人の目には巨体を横たわらせているドラゴンと双子が映し出されている。


「どーしたの? ルーねぇちゃん?」


「ねぇねぇ、起きてよー! 遊びに来たよ~!」


 片方がルーナに問いかけ、もう片方が目の前で横たわり、大きな身体をガーツが持つ灯りに照らされたいるドラゴンへと問いかけた。まるで友達感覚のように明るく人懐っこい物言いだ。


「馬鹿、何やってんだっ!」


 ルーナの口からが罵倒が飛んだ時、ドラゴンがぎょろりとした大きな目を開ける。緑色の眼球に魅入られて、思わずルーナは一歩後ずさった。


「……騒がしいと思ったら、貴方達が連れて来たんだね?」


 ドラゴンの声は、透き通っていて耳に心地よかった。想像していた声との違いに、ルーナは口を開けてその場で固まり、ガーツは目をひん剥いて目の前の巨体を見上げている。

 双子は自分達に注がれる大きな瞳に、うんっと大きく頷いて見せた。警戒するような様子はなく、表情は嬉しそうな笑みが零れている。


「そうだよー、ルーねぇちゃんと、鞭のにーちゃん!」


「本当はー、俺達と同じくらいの子どもをたっくさーん連れてこようと思ってたんだぁ」


「でもでも、ルーねぇちゃんとにーちゃんに止められちゃったから、一緒に――」


 双子が口々に目の前のドラゴンへと報告をして行く。ドラゴンは微笑ましげに目を細めて二人の言葉に聞き入っているようだ。

 その様子に、ルーナは深呼吸をして平常心を呼び戻すと、そっとドラゴンと双子に近づく。既にガーツは手を降ろしていたため、とめられることはない。

 ドラゴンと二人の子どもが近づいてきたルーナに気がついた。視線が集まった彼女はこほんっと咳払いをしてドラゴンの大きな身体を見上げる。


「貴様は……ドラゴン。ではないのか?」


「レーヌ・ルーナ、待っていたよ。あたしが、ドラゴン以外の何に見えるって言うんだい? 聞かせてもらおうか?」


 ルーナのからからに乾いた喉がつっかえるように出す声に、目の前のドラゴンは裂けた口をにんまりと引き上げ、からかう様な言葉を返してくる。

 それに、むっとしながらルーナは訝しげにドラゴンをもう一度頭から尻尾まで見た。どう見てもドラゴンにしか見えない。けれど、光沢のある鱗は桃色とも朱色ともとれる様な赤みを帯びた色をしていたことに、今更ルーナは気が付く。


「……ドラゴンにしか見えん。だが……貴様は人を食ったりはしないのか?」


「え、ばぁちゃん人間食うの!?」


「ソラ、食べてあげようかい?」


 ルーナの言葉に驚いたのは、双子の片割れで、それには可笑しそうにドラゴンが笑う。どうやらこのドラゴンは双子を見分けることができるようだ。

 ソラがドラゴンの返答に必死に首を横に振る。それにまたしてもドラゴンは少し高い声で笑った。


「あたしは食べやしないよ。お前達はまずくって敵わないからねぇ。レーヌ・ルーナ、聞きたいことが山ほどあるんだろう? あたしが知ってることは教えてあげるよ。あの、黒きドラゴン、ディストラク。のこともね」


「黒き、ドラゴン……ディストラク」


 ドラゴンの大きな瞳に釘付けになる。ルーナは出された名前を繰り返して喉をことりと鳴らした。


「あたしは、あんた達の敵ではないよ。七星秘法が一つ星の靴、スター・シューズを持っているからね。だから、あんたを待っていたんだよ、レーヌ・ルーナ」


「ドラゴンが……仲間? だと……」


 さらに衝撃的なことを言う目の前の相手に、ルーナはそれ以上言う言葉が見つからなかった。ただただ驚くしかなく、ドラゴンを見開いた目で凝視している。

 そんなルーナを見て、ガーツが一歩前に出た。ドラゴンもそちらへと視線を変える。


「なぁ、ソラとシドを見分けられるのか、お前」


「なっ! ガーツ! そんなこと聞いている場合じゃっ」


「ルー、質問ってーのは落ち着かないとできねぇもんだ。お前が落ち着くまで俺が他愛無い話していてもいいだろう? こいつから敵意も感じねぇし、ソラとシドも懐いてるみたいだから、平気だろ」


 灯りを持っていない方の手で肩を叩かれて宥められた。もっともな意見を告げられると、ルーはぐっと息を詰まらせて反論ができない。

 自分でも、取り乱しているのがよくわかる。それに、目の前のドラゴンは決して、前に見たドラゴンの威圧的な恐怖は感じさせないことも、話していて感じ取っていた。

 だから、ルーナはガーツに言われた通り口を閉口させる。


「ふふふ、答えた方が良さそうだね。ソラとシドの見分け方かい? あたしの方が人間の顔は同じに見えるっていうのに、不思議なことを聞くねぇ。あんた達には、二人がどっちかわからないのかい?」


「わっかんないのー?」


「やっぱり会ったばっかだとわからない。って言うよー」


 ドラゴンの問いに頷くと、それまで事の成り行きを見ていた双子がここぞとばかりに口を揃えて文句をぶつけてくる。ガーツは改めて二人の顔を見るが、同じ髪型をしている二人はとてもよく似ていて、どちらがどちらかなどまったくわからなかった。


「あんた達がわざと似せてるんじゃないのかい? ソラ、ちゃんと教えておやり」


「ちぇー、ばぁちゃんには敵わないなぁ」


 諭すような柔らかな声でドラゴンが言うと、ソラと呼ばれた方が唇を尖らせて諦めたように呟く。そして、ガーツの方を見て、彼に近寄ってきた。


「俺はソラ! すぐわかりたいなら、左目尻に泣き黒子があるから覚えておくといいんじゃないかな。弟のシドは右側にあるんだぜ~」


 ふふんっと鼻を鳴らして自信満々に言うソラ。よく見ると確かに右側に泣き黒子がぽちりとついていた。一方のシドはもうこちらに関心なさげに、ドラゴンの尻尾を追いかけて遊んでいる。どうやら性格もだいぶ違うようだ。とガーツは思う。


「そうか、覚えておくことにする。ありがとな」


 はいはいと頷きながら、ガーツはソラの頭をあやす様にぽんぽんっと軽く叩き、ルーナへと振り返った。むすっと口をへの字にしている不機嫌そうな相手と目が合った。


「ルー、まだ駄目そうか?」


「大丈夫だ。聞きたいことはまとまった」


 訝しげに見るガーツに、ルーナは表情を硬くしたまま彼の隣へと歩く。そして、二人の子どもと尻尾で遊んでいるドラゴンを見上げた。

 ゆっくりとしていて落ち着いた動作に、ガーツも今度は止めず、二人が見える位置へ数歩下がって腰を下ろす。


「まず、改めて自己紹介からさせてもらえないだろうか。どうやら、私のことをご存知のようだが、私はルーナ。今はドラゴン、ディストラクを倒すために星が残したと言われる七星秘法を集めている旅人だ」


「おや、これはご丁寧に。あたしは、この地にだいぶ昔から住むバークティス。あんたが生まれた日も、月や星がこの地に降って来た日も、あたしは生きていたからね、なぁんでも知ってるよ。あんたは、落ちてきた月の王女に瓜二つだ。すぐにわかったよ」


 バークティスと名乗るドラゴンは目を細めて愛おしげにルーナを見つめる。何か思い出しているような雰囲気だった。

 ルーナは彼女の言葉に少なからずたじろぎ、視線が訝しげなそれに変わる。けれど、ルーナの表情の変化をバークティスは気にした風もなく、大きな口に笑みを湛えていた。


「信じられないかい? まぁ、無理もないだろうねぇ。何万年と前の話さ」


「ドラゴンは、そんなに長生きするものなのか?」


「あぁ、お前たちの百倍は生きれるよ。何も知らないようだから、教えておいてあげるがね、ドラゴンは寿命が長い代わりに千年に一度しか卵を産めないんだよ。だから、人はその卵を狙ってくるんだろうね、私も若い頃は幾度となく剣を持った人間と戦ったもんだ」


 ルーナの問いに、ドラゴンは答える。そして、ゆっくりと明後日の方向を見つめながら懐かしげに昔話を切り出した。それをとめるものはいなく、バークティスが顎でルーナに座るように示唆し、配慮を読み取ったルーナが座ってその声に耳を傾ける。

 透き通るようなでも少ししわがれた優しい声色に皆、聞き入っていたのかもしれない。


「人間は複数で来られると怖いね。何をしでかすかわかったもんじゃない。縄で動けなくされたこともあったし、左右前後から切りつけられたこともあった。専念に一度しか産めない卵を、何度か持っていかれてしまったこともあったねぇ」


「そんなことをされて……私達人間を、恨んで、ないのか? 殺したいと思わないのか?」


「それはお門違いってもんだ。あんたは、あたしに何かしたかい? あたしの家族に何かしたのかい? 殺したいほど憎んだのは人間じゃないよ、卵を奪って行ったあいつらさ」


「しかしっ! 私は同じ人だぞ? もしかしたら同じことを……繰り返すかもしれないのにっ!」


 落ち着いて平然と言うバークティスにルーナは息を詰まらせながら問いかけた。心臓がドクドクと脈打ってうるさい。このドラゴンは、悔しくないのだろうか? 人と言うものさえいなければ。と思わないのだろうか? そういう疑問がルーナの頭にちらついて離れない。

 ルーナはギリっと奥歯を噛み締めた。


「レーヌ・ルーナ。ならば同じ問いをあんたにしてあげようかい? ディストラクと同じ、ドラゴンのあたしと、何故あんたは普通に話しているんだい?」


「そ、それは……」


 逆に問われたバークティスの言葉に、ルーナは絶句して目をちらつかせるしかなかった。言葉に詰まる。何て答えていいのか、ルーナには想像ができなかったから。


「答えられないのかい? あたしはね、あんたを悪い奴だと思っていないのさ。やってきた奴にやり返す。それでも、やり返された方は、あたしを恨むだろうね。そしてまたやり返してくる。そうやってあたしの戦いは続いていったのさ。もう、馬鹿らしくなったよ。誰かを殺すのも、憎むのも、戦いの連鎖しか産まない。それに疲れてしまったんだ。あたしは誰も恨まずにここでゆっくり過ごしたい。だから、敵意がない奴には、何もしないよ。それだけさ」


 はっきりと言い切られ、どこか疲れきった表情を浮かべたバークティスは、擡げていた頭をゆっくりと地面に降ろす。ちょうど、ルーナの目の前に顔が来た。


「私も、貴様を悪い奴だと思っていない。でも、私には諦めきれない……ものがある」


 きっとこれは、生きた年月の違いなのだろうとルーナは口を開きながら思う。バークティスが言うのは、ルーナにとって綺麗ごとにしか聞こえなかった。自分には、絶対にあれを許すことはできない。戦うしかないと決めている。それを、バークティスはきっと青臭いと笑うだろう。年月が違うのだ。

 バークティスもルーナの表情にふっと笑みを零した。


「だろうね、あんたはまだ若い。あんたが生きたいように生きるといい……そうだね、奴の顔でも拝みに行くかい?」


 先程とは違う、不敵な、どこか愉しげな表情を浮かべるバークティスに、ルーナは思わず自分を抱きしめた。全身に悪寒が走り、鳥肌が立つ。とても嫌な予感がした。

 バークティスの目がちらりと揺れてたのを察し、ガーツも立ち上がろうとする。

 しかし、視界がぐらりと傾いた。そして揺らぐ。けれど、一瞬の出来事で、すぐに視界ははっきりとして周りを映し出す。暗い、黒い岩の壁、足元は柔らかめの湿った土かと思いきや、なんだかごつごつした白いものが無数に落ちている。

 ルーナの腕を、慌てたようにガーツが取って立ち上がらせた。ガーツの緊張が伝わって、これはただ事ではない。とルーナも視線をガーツのほうへと向ける。

 先程と同様に、全身に寒気が走る。すぐさまここから立ち去ってしまいたい衝動に駆られ、足がガクガクと震えた。

 視界には、黒い鱗に覆われ、鋭い赤色の眼球をぎょろりとこちらに向けられる。ルーナは固まったまま動けないで居た。顔は青ざめ、全身から血の気が引いたように寒い。

 同じだ。あの夜と同じ巨体がそこに佇んでいる。それだけで一瞬くらりと身体が揺れる。思わずルーナはガーツの肩に手を置いて踏ん張った。恐れてはいけない。と自分を奮い立たせようとする。


「バークティス、遊びに来た。にしては性質の悪い者を連れてくるな?」


「おや、この子がお前に会いたがっていたのさ。ディストラク」


 赤い目がルーナを射ったままなのに、ピリピリとした声が鼓膜を震わせてドラゴン達が会話を繰り広げる。ディストラクと呼ばれた黒龍は目を細めてルーナを凝視し、ルーナは見返したままガーツの肩に置いた手にぐっと力を込めた。


「貴様がっ……!」


「落ち着け!」


 鋭く狂気に満ちた赤い瞳を見たときも恐怖を覚えたが、反対側にある血走った目を見て、ガーツは足元が崩れ去りそうな怖さを覚えた。だから、思わず怒鳴って、身を乗り出そうとしたルーナの身体を腕で止める。

 行く手を阻まれてもなお、血走った目は黒い目の前の塊へと向けられていた。

 赤い目が三日月みたく上へと細められる。嫌な予感というのだろうか、ガーツの背中に冷たいものが走った。


「あぁ、レーヌ・ルーナ。久しぶり、になるな。オレの忠告が聞けなかったようだが……この間来たもう一人と同様に、邪魔しに来たということだな?」


「この間来た……もう。ひと……り? 貴様、ラッシュはやはりここに来たのか!?」


 どこだっ!っと食ってかかるように、阻むガーツの手に指を食い込ませて、ルーナが身を乗り出す。

 それに、嫌悪を感じるような深い笑みを浮かべながら、黒き龍は大きな足元をそっと退かして、その赤い目でそちらを指す。

 もちろん、全員が従ってそちらへと視線を向ける。


「貴様ぁああっ!」


 ルーナが吼えた。

 腰の剣に手を添え、ガーツの腕を潜り抜けて、止める間もなくドラゴンへと突進していく。

 黒き龍の足元にあったのは、白い何組もの骸骨で、その中に一際輝く剣が存在していたことを、誰もが目に焼き付けていた。ルーナはその剣の意味をすぐさま理解して、喉元から焼けるような熱い感情が吹き出すままに叫んでいた。そして、矢も楯もたまらずに、駆け出していたのだ。

 すぐさま赤い目が眼下に大きく映し出される。

 ルーナの身体に衝撃が走った。目の前がぶれて、何をどう移したのかもわからないのに、深く身体の正面から後ろに押し込まれるような衝撃。痛みよりも、ただその衝撃に身体が飛ばされた浮遊感をルーナは感じた。

 ガっという鈍い音と共に背中に痛みを感じて、ルーナは呻き声を漏らした。地面へと平伏す。腹と背中が同時に痛みを訴えて、ルーナはその場から起き上がれないでいる。


「弱い、な。人間など、軽く突付けば骨が折れ、肉が出、最後には壊れてしまう生き物だ。大人しく、オレがすることを地面で見ていればいい」


 黒いドラゴンの尻尾に打ちのめされ、壁にぶつかったルーナを庇うようにガーツが自分の獲物を持って彼女の前に立ちはだかった。

 ディストラクはそれ以上追うつもりもないのか、バカにしたように鼻を鳴らして太いごつごつとした首を横に降る。

 ガーツが彼の言葉にぎゅっと鞭の柄を握り締め、額に皺を刻む。ふっと息を吸い込み、足を踏み出そうとした時、目の前を大きな影に遮られた。


「ディストラク。怖いのだろう? 弱き力ならば相手をする必要もないだろうに。あんたは、月の力が怖いのさ。まだ、消化しきれていない、その力がね」


 ルーナとガーツを覆った影は、ゆっくりと囁くように台詞を紡いで行く。大きな影、バークティスは、哀れみでもない、馬鹿にしたようなものでもない、優しい瞳を黒き龍に向けていた。しかし、逆にディストラクの表情がカっと鋭く起こったようなものへと変化する。


「黙れ!」


 大きく唸るような声が空気をビリビリと震わせたかと思うと、回りの空気が揺れた。大きく開いた赤い口へと吸い込まれていく。倒れているルーナが徐々に引き摺られて行く程の吸引力だ。

 ガーツがルーナに駆け寄り、その身体を押さえる。

 けれど、引き込まれるような強い風は一瞬で、赤い口の中央が強く光を放った。


「おやおや、ムキになって……」


 優しく呆れた様な声色を聞きながらルーナとガーツが見たのは、迫り来る青白い炎。目の前がぱっと白く旋回する。炎に飲まれた。と二人は思った。

 だが、次に意識した時、視界は色を失くしてはいなかった。眼下に広がる歯は、くりっとした青い大きな瞳が四つ。ルーナとガーツを不思議そうに見ている。二人が目を瞬くと、首を傾げた子どもの上で結んだ前髪がちょろりと揺れた。


「ばーちゃん! オレ達置いてっただろー!」


「あんた達が居ると、色んな意味で大変だからねぇ。」


 二つの青い目が興味を失くしたようにルーナとガーツから離れ、後ろへと向けられた。

 まだ頭が追いついていないルーナだったが、子どもに釣られて後ろを見た。そしてひぃっと悲鳴を上げてしまった。

 ドラゴンということに無条件で身体が反応してしまったのかもしれない。頭では後ろにいた相手が、自分が先ほどまったく歯が立たなかった黒龍でないことはわかっていた。それでも、ルーナの歯は無意識にガチガチと音を鳴らす。

 後ろからの優しい声の返答に、同じ顔をした一人が膨れっ面を作り抗議していたが、ルーナの様子に不思議そうに彼女を見た。ルーナはそれすらも気づけない程青ざめて、食い入るようにドラゴンに魅入っている。

 淡い赤色の鱗を持つドラゴンが目を細めて、ルーナに身を寄せた。それだけでルーナの身体が大きく揺れて、じりじりと後ろに下がろうとしている。

 そんな彼女を見てバークティスは困ったように目元を下げてから離れ、ガーツの方へと目をやった。ガーツも彼女の挙動には困ったように後ろ頭を掻き、肩眉を上げてドラゴンに視線を返す。

 しかし、ドラゴンはガーツの視線にただ見つめ返すだけで、何かする気配はない。ため息を吐いてガーツはルーナへと近づく。


「ルー、だいじょ――」


 肩を叩いてガーツはルーナの意識を上昇させようと試みるも、振り向いて顔が合った瞬間ルーナの表情がくしゃりと歪む。そして、声賭けの途中で前から衝撃を受け、後ろへと尻餅をついた。

 腕の中に暖かい体温と、ふわりとした甘い臭いが鼻をくすぐり、ガーツは驚いて腕の中のものを確かめる。見えるのは柔らかく舞う金髪だけだが、思わず反射的に抱きしめた身体は軽くて小さい。腕の中にいる何かが、自分の身体に腕を回して必死に抱きついてきているのだけは、唯一冷静にガーツの頭が理解するところだった。

 さらにきつく抱きつく腕に力が入ると、耳元でルーナが何かを呟いていることにガーツは気がついた。


「ラッシュっ……」


 あまり大きな声ではなかったのかもしれない。けれど、ガーツには耳元にガンっと何かで殴られたような衝撃がある程よく聞こえた。抱きついてきているルーナの顔が、ガーツの顔の真横にあったからなのかもしれない。

 聞き取れた名前は英雄ラッシュの物で、そういえばルーナがガーツのことをラッシュによく似ていると言っていたことを、ガーツは思い出していた。あれ以来、まったく言って来なかったが、ショックを受けてルーナ自身、目の前の相手が誰なのか識別することは難しいのだろう。いや、現実から目を逸らしたいのかもしれない。そこまで考えて、ガーツの頭に先ほど見た白い骨の形が蘇る。

 これは仕方ないのかもしれない。彼女に強く当たる必要もないだろうと、少しぎこちなくガーツはルーナの頭に手を置き、落ち着くようにと軽く撫で梳いた。柔らかい髪が指をすり抜けていく。

 震えていたルーナの身体が安心したように止まり、徐々に肩の力が抜けていく。しがみ付いていた手から力が抜けて、体重全てがガーツに圧し掛かってきた。

 彼女が気を失ったことに気がつき、ガーツは覗き込むように相手の顔を確認する。目を閉じ、動く様子はない。そっと身体を持ち上げて離し、床へと寝転がらせた。それから、自分の上着を脱ぐと、彼女に掛け、ガーツはバークティスへと視線を投げる。


「……お前と二人で話したいんだが」


 ヒューヒューっと口笛を吹いて囃し立てる双子にじと目で一瞥を向けてから、ガーツは低い声で唸った。双子は彼の言葉にえーっ! っと大きな声を上げて抗議する。


「わかったよ。……あんた達、夕飯の材料捕ってきな。お腹すくだろ? 作ってあげるよ」


 しかし、バークティスが、宥めるように発言すると、ソラもシドもぱっと顔を輝かせて大きく頷いた。そして、我先にと洞窟の入り口へと向かう。現金な奴等だ。と、ガーツは思った。

 二人を見届けると、バークティスとガーツは視線を交わした。


「さて……何から話そうかねぇ? あたしはあんたの存在自体が気になるけどねぇ、英雄ラッシュとよく似てるじゃないか。そこの子が間違えるくらいに、ね」


「俺はガーツ。ただの旅人だ……こいつには、会った時にも間違えられた。な。けど、ただの他人空似さ。お前も英雄ラッシュを知っているのか?」


「空似……ね。あぁ、もちろん知ってるとも。あれはね、そこの子が思ってるような輩じゃないよ。あいつはドラゴンスレイヤー、私も何度となくあいつと戦ったもんさ」


「ドラゴンスレイヤー? 英雄じゃないのか?」


 聞き返すと、ドラゴンは大きな目を眇めて、いつもより低い、地面を震わせるような声を出す。


「ドラゴンを殺すのが生きがいなのさ。あたしの子ども達も何人もあいつに殺された……人間よりも強い者を倒せば、あんた達人間は英雄と祭り上げる。だけどね、ドラゴンにとっては天敵、ディストラクに殺されるのは自業自得さ」


 目がきらりと光る。憎しみの色だ。と背中にぞっとした冷や汗を掻きながらガーツは感じていた。しかし、すぐにバークティスの目は優しい色へと戻る。そしてルーナにその視線を向けるのだった。


「じゃあ、なんでラッシュの恋人のルーを……あんたは助けるんだ? ディストラクのところへ行ったのも警告だろ?」


「それはね……あんたと同じ、星の宿命だよ」


 ガーツの身体がびくりと大きく揺れ、動揺が走った。ちらりと自分の獲物鞭へと視線を向けてから、小さく震える眼球を、目の前のドラゴンへと戻す。


「あたし達ドラゴンにとって、月は多大な力をくれる物として伝承されているんだ。もし、落ちてきた月を体内に吸収することができれば、巨大な力を手に入れることができる。と、言われている。ディストラクは落ちてきた月を食ろうた。見たかい? あいつの腹を。金色に光ってたじゃないか」


 話し始める彼女に、ガーツは首を横に振った。余裕がなく、腹の色まで覚えていない。どちらかというと、髑髏の間に刺さっていた剣の方が印象的だった。しかし、それが星の宿命と関係あるのだろうか? とガーツの表情が硬くなる。


「まぁ、そこはいいかね。じゃあ、月がなぜ落ちてくるのか、あんたは知ってるかい?」


 質問の意図が掴めずに、ガーツはまた首を横に振る。


「月の王女が、死んだからさ」


「月の王女?」


 月の王女。ガーツももちろん昔話を聞いたことがある。ルーナが、それにあやかって名前を貰ったという話しは聞いていたので、思わずガーツは今だ目を開けないルーナへと視線を動かした。すると、耳にバークティスがくすりと小さく笑う音が聞こえる。


「その子は、何百年も昔に降りてきた月の王女、レーヌ・ルーナの子孫だよ。月が降りてくる理由は、月の王女がなんらかの使命を果たし命ついえた時に、新たな月の王女を迎えに来るためさ。周期はまばらだがね、その日は星の使途、武器に変わった星達が騒ぎ出すから、すぐにわかる」


「…………」


「星の宿命は、あんたちゃんとあんたの星の使途に聞いてるんだろう? その子を無事、月と共に空へ返すこと。その為には、月を救い出さなければならない。そうでなければ、夜は永遠に月を失い、そのうち星達も月の光という道筋を無くて落ちてきてしまう。それが、どういう意味か。わかっているんだろう?」


 バークティスの目が細められた。

 ガーツはギリっと奥歯をかみ締め、苦々しげに額に皺を寄せる。しかし、ふっと息を吐くと、苦しげに彼女の質問に答えた。


「世界の……滅亡だ。太陽は、月を追いかける。それが完全になくなるなら、朝も来ない。そう聞かされた」


「そういうことだよ。私はね、それが嫌だから星の使命に従うのさ。それに、この子の必死な様子を見ていると……助けてやらなきゃいけない気になるよ。感じてるんだろう? ひた隠しにしているが、胸の内にはいつも燻っている何かを持っている。目に、よく出ているからね」


「……俺は金で雇われただけだ。だから、助けるのは当たり前だが、ドラゴン、ディストラクの討伐に関してだけだ。星の話しは……こいつにはしないでおいてくれ」


「若いねぇ」


 バークティスはそう言って高らかに笑った。そんなことはない。と言いたかったガーツだが、この年寄りの龍の生きた時間を考えれば、ひよっこ扱いを余計にされてしまいそうで、やめておいた。そして、ガーツは苦笑ってその返答を濁すのである。





 ルーナが目覚めたのは、気絶してからだいぶ後のことだった。子ども二人がうさぎやら、蛇やらを取って帰り、それをガーツがバークティスの吐いてつけてくれた炎で調理していた頃だ。

 良い匂いが鼻をくすぐり、ルーナは硬く閉じていた瞳を薄っすらと開ける。ぼんやりとした視界に、明るく暖かい炎が入ってきた。


「おや、起きたようだねぇ」


「ルーねぇちゃん、起きた起きた! 蛇の丸焼き食べる~?」


 優しい声色と、元気いっぱいの弾けた声に、急に現実に引き戻されて、ルーナは慌しく起き上がった。目の前にプラリと黒焦げになった蛇と思われる紐のような物が差し出される。ひぃっと悲鳴を上げて、ルーナは思わず後ずさった。


「シド、駄目だろ。それはこっちに入れて出汁とんだから、持ってくな。こっちよこせ」


「はーい、今持ってく~!」


 くるっとした青い目が悪戯に光って、すぐに呼ばれるまま去って行った。呼んだのがガーツだということに、今更気がつき、ルーナはどう見ても飯の支度をしている彼を見る。


「……ガーツ。私は……」


「んー? あぁ、ちょっと気絶してたみたいだぞ。大丈夫か?」


 苦笑しながら、ガーツは視線をルーナから後ろへと向ける。ルーナも無意識にそれを追って、後ろを見る。一瞬背筋が凍って息が止まった。気絶する前の出来事が流れ込むように頭の中で再生する。ルーナはごくりと唾を飲み込んで喉を鳴らした。

 しかし、今度は寒気を覚えた背中の緊張がが徐々に解けて行く。目の前のドラゴンの表情に、定まらなかった視線が少しずつ合ってくる。ルーナは息を吐いて眉尻を下げ、苦笑った。


「平気みたいだねぇ。どうだい、ご飯ができるまで、あたしとちょっと話しでもしないかい?」


 目の前のドラゴンが目元を緩めて笑いながらルーナに話しかける。

 先程の所存を、ルーナは謝りたかった。だから、すぐさま頷き、立ち上がってからバークティスへと近寄って行く。

 彼女は顔を軽く動かして背中に乗るように示唆した。ルーナがそれに従ってごつごつとした肌へと手を触れると、バークティスが登りやすいように尻尾でルーナの身体を持ち上げてくれた。優しく触れる体温に、思わず頬が緩む。


「すまない」


「いいんだよ。あんた達は小さいからねぇ。さて、ちょっと外に出てくるよ、悪さするんじゃあないよ?」


 小さく謝った言葉は、バークティスに届いていたようで、優しい返答が帰ってくる。そして、彼女は双子に視線を合わせて釘を刺すと、ガーツに目礼をして立ち上がった。

 起き上がる振動に、ルーナは慌てて彼女の体にしがみ付いた。予想を遥かに超える振動。落ちてしまいそうな浮遊感に襲われる。

 バークティスは気にも止めた様子はなく、大きな翼を広げた。一声、耳に響く声を上げる。体中がビリビリと揺れ、まるで彼女の身体と一体になったような不思議な感覚がルーナを支配する。

 そして、彼女は大きく翼を羽ばたかせて風を巻き起こしながら飛んだ。下で炎が消えかけたのを最後に、ルーナの視界は暗闇にぐんぐん引き込まれていく。

 なんとも言えない感覚。浮遊感はあるのに、地面のように硬い鱗がまるで地上にいるように思わせる。それなのに、何倍も重力が身体に掛かって、押しつぶされてしまいそうだった。詰まった息に、ルーナは掴んだ彼女の身体を確かめるように力を込める。

 鱗はほんのりと冷たくて、触れている感触は見た目よりすべすべとしていて気持ちがいい。潰されそうな息苦しさを緩和してくれるようだ。

 すぐに暗い視界から、明るい光が眼下に押し入ってくる。眩しさにルーナは目を眇めたが、昼間ほどの明るさはなく、暖かなオレンジ色の光が辺りを包み込んでいた。

 空洞を抜けたせいか、重力もいつの間にか軽くなっており、ルーナは体を起き上がらせて情景を見渡した。夕日に照らされて、真っ赤に染まった山々と、小さい集落があるのがわかった。風が気持ちよく頬を撫でて行き、高い空を飛んでいる実感をルーナは味わう。自然と頬が緩んで笑みが零れていた。

 バークティスは一通り洞窟があった山の周りを旋回すると、その山のごく平坦になっている場所へと翼を下ろした。ルーナは滑るように彼女の背中から降りる。


「バークティス、さっきは本当にすまなかった」


 そして、バークティスの顔の前へと回り込み、開口一番、頭を下げて謝ったのである。ルーナの謝罪に、バークティスは大きな体を揺らしながら笑った。


「なぁに、あたしの悪戯が過ぎたようだよ。恐がらせて、こっちこそすまなかったねぇ」


「いや、私が未だにアレの……あいつの恐怖に打ち勝てないでいるんだ……倒したいはずなのに、足が竦んで動けない。バークティス……貴方を見るだけで、奴の、奴の面影を思い出してしまう」


 ルーナは、名前を知ったはずなのに、奴の名前を言う事ができなかった。名前を言おうとすると、拒否するように歯がカチカチと震えるのだ。ただ、目だけは、ルーナの目だけは金色のはずなのに雄飛に呼応して赤く強く光を放っている。


「それは、英雄ラッシュの……ためかい?」


「……そうだ。バークティス、私はただの女なのだ。貴方なら解るだろう? レーヌ・ルーナの生まれ変わりと呼ばれようと、私は……ただ一人、ラッシュを愛している」


 ルーナはバークティスの問いに頷き、それから彼女に背中を向けた。今にも夕日が山に隠れそうな程に日は落ちている。風が、髪を撫でた。ルーナの胸に何かが突っ掛かって取れない痛みがあった。


「あんたは、英雄ラッシュがどういう奴だったのか……知ってるのかい?」


「いや、私は英雄ラッシュのことはどうでもいいんだ。彼がどこで何をしていようと、ラッシュが帰って来てくれれば良かった。私の前では彼は英雄でもなんでもない、ただのラッシュ、優しい恋人だったよ」


 ルーナは振り返ると、悲しそうに微笑んだ。バークティスは彼女に首を伸ばしてそっと身を寄せる。

 彼女のほんのりと冷たい体温が触れる。けれど、ルーナは何故か暖かさを感じて彼女に寄り添いそっと擦り寄った。胸から込み上げてきた思いが、目から零れ落ちそうになる。


「すまない。話しは聞いているし、貴方達には酷いことをしていたはずだ。でも、私には優しくて……好きだった。どうして死んでしまったんだっ!どうして……私の前からいなくなって……しまったんだ……」


 目から零れ落ちた涙とともに、言葉も滑り出た。堰が崩壊したように涙が溢れ出し、ルーナの口から嗚咽が漏れる。

 バークティスは目を閉じて、彼女に顔を寄せたまま動かず、しばしそのままでいた。そして、彼女の嗚咽が小さくなると、大きな瞳を半分開けて、彼女に囁くように問いかけた。


「あいつの、近くに行きたいのかい?」


「行けるものなら……行きたい。ラッシュの傍に……行きたい」


 ポツリポツリと答えるルーナに、バークティスは身を起こした。ルーナも彼女から一歩離れ、濡れた瞳を手で拭いながら彼女を見る。


「そうさね、私が知っている中で……ただ一つ、方法はあるよ。」


「本当……か?」


 真剣な表情で帰って来た言葉に、ルーナは驚きを隠せなかった。声が上擦って、上手く聞き返せたかも曖昧で、それでも、知りたい気持ちは目を通してバークティスに伝わっていた。

 バークティスは大きく首を動かして頷くと、今までよりも強い輝きを放つ金色の瞳へと視線を絡み合わせる。


「あぁ、あんたが月と一緒に空へ帰ればいい。ただそれだけさ。……あんたは、月の周りを回っている星の存在を知っているかい?」


「月の周りを回っている星? 月が出ていた頃には確かにあったが……」


「あれはね、月の王女を守る騎士だと言われているんだ。月が落ちた時、一緒にその星も落ちた。けどね、つい最近になって、月が出る場所をぐるぐると回る星がまた出てきたんだよ。お前がレーヌ・ルーナの生まれ変わりというなら、この意味がわかるかい?」


「ラッシュは……ラッシュは、星になったのか!?」


「落ち着きな。そうかもしれない。という話しだ。月の王女を守った男を、王女は空の世界へ連れていったと言われているからね」


 小さな希望に意気込み興奮するルーナに、バークティスは口角を上げながら静かに答える。

 ルーナは自分の身体がどんどん熱くなっていくのを、手のほてり具合で感じ取り、ドキドキと強くなる鼓動を聞いていた。もしかしたら、その想いが強く、強くルーナの心に刻まれる。


「じゃあ、本当に……本当に奴を倒して月を救い出せば、ラッシュに会えるんだなっ! 私がしてきたことは……」


「あんたは、月を救い出す英雄になるのさ。けど、あんたは覚悟があるのかい?」


 感極まっているルーナの独り言に、珍しく刺々しくバークティスが横槍を入れた。自分の気持ちを抑えきれずに周りを見れなかったルーナは目を見開いて彼女を見る。

 彼女は、まるで怒っているような、責めるような鋭い視線をルーナに向けていた。


「英雄っていうのは、一方から見れば素晴らしいものだ。けどね、ディストラクを殺せば、あんたはあたしたちドラゴンの一族から恨まれる。最悪の敵。としてね。この因果は誰にも抜けられない。あたしでさえ、永遠に逃れられないのさ……。その覚悟はおありかい?」


「当たり前だ。私は、レーヌ・ルーナ。月を助けられるためならその因果、喜んでお受けしよう」


 ルーナは引き締めた表情の中、今までで一番の笑みを浮かべ、自信に溢れさせた瞳をバークティスに向けていた。どこか、誇らしげで、揺るがない信念を感じさせる。

 バークティスはふっと鼻から息を抜き、鋭くしていた表情を緩めた。


「そうかい、年寄りの忠告は聞いといた方が良いと思うけどね……あんたがいいならいいんだよ。辛いことにならないことだけ、祈っておくよ」


「ありがとう、バークティス。大丈夫だ、貴方のようなドラゴンもいる。きっと、そんな因果だけではないと、信じておこうじゃないか。」


「ふん、あたしのような奴は稀だよ。血気盛んな奴等が多いからね。さて、そろそろ戻ろうじゃないか。」


 ゆっくりと沈み行く夕日が、そろそろ赤色から紫色に変わろうと言う頃だった。バークティスの提案に頷く。

 ルーナが頷いたのを見てバークティスが巨体を翻した時、ルーナは空を煽った。そして、小さく独り言を呟く。彼に、回っているだろう星に、言葉を送るために。


「ラッシュ、英雄でいてくれてありがとう。素敵な人達に出会える……私はやはり、貴方の後をついで英雄になります」


 小さな声は、バークティスが翼を開く風の音で掻き消された。それでも、ルーナは良い気分だった。きっと、その言葉は彼に届いただろう。あの人が去ってから、ずっと残っていた胸の重みが少し、取れたような気がした。

 ルーナは笑って再びバークティスの背中へと乗り込んだ。





 一方、取り残された男三人はというと、辛うじて消えなかった炎から、薪を増やして本格的に夕飯の支度を始めていた。

 双子が持ち込んだ鍋やら食器やらがあったため、それを使ってガーツはスープを作っていた。良い匂いが立ち込め、スプーンで味見をすると、頃合も丁度良かった。ガーツは顔を上げて、料理に飽きて遊びだしている双子を見た。


「ほんと、無邪気だな。お前たちは」


「えー、なになにガーツにぃ! 遊んでくれるの~?」


 先に反応したのはシドだ。無邪気にくりっとした青い瞳を輝かせ、ガーツを見てくる。ソラはそんなシドにむっとしたように、遊んでいた彼の腕を軽く捻り上げる。シドが痛い! っと叫んでばたばたと暴れた。

 シドはどちらかと言うとおっとりして居るが、好奇心は人一倍強い。大してソラは兄としての威厳を気にしているのか少し粗暴で、何かとシドを仕切りたがる。どちらかというとソラの方が口調は悪い。こんなにも違う二人だが、ガーツにとっては、どっちも悩みの種だった。


「こら、ソラ。やめろって。お前たち二人は、っとにもう……そんなんでお前等、ドラゴン倒しに行けんのか?」


「どらごーん?」


「ばぁちゃんみたいな、おっきーい! どらごぉん? さっき話してた奴じゃないの、ソラ?」


「そ、そうかもしれねぇな! きっと、凶悪でこっわーいんだぞぉ、シドなんて、食べられちゃうぜ!」


「えー、ソラだってペロリと一口だよー!」


 まったく分かってない様子の二人は、すぐさま不思議そうにガーツに問い返してくるも、シドの言葉にソラが対抗して、一分と経たないうちにまた喧嘩を始めてしまう。

 ガーツはため息を吐いて、取っ組み合いの喧嘩を始める幼い子どもの間に割って入った。両方の頭を手で押さえつけると、大人よりも手足の短いソラとシドは、どんなに暴れてても相手には届かない。


「ソラ、シド。喧嘩すんなら、飯抜き」


『やだっ!!』


 ガーツが言ったことが功を奏したようで、二人は同時に大きな声で叫ぶ。そして、大人しくガーツの前に正座をして話を聞く体勢を整えたのである。

 どこまで食い意地が張っているのかと、少々不安になるものの、大人しくなった彼らをまたうるさくする必要もないだろうと考え直し、ガーツは咳払いをして双子を正面か見た。


「ドラゴンっていうのは、バークティスみたいな奴ばかりじゃない。っていう話しだ。お前達は、七星秘宝の伝説を知っているか? 伝説の神話『レーヌ・ルーナの物語り』とも言われている」


「知ってる知ってるー! 昔耳がくさるほどかあちゃんに聞かされた昔話だよ。なー、シドー」


「うん、そうそう。色んな武器が出てきてさ、月を食べちゃう悪いドラゴンをシュバァン! ってやっつける話しだよね。ソラったら、聞きたくていつも駄々こねて、ねだってたよねー」


「そんなことねぇよ!」


 話しの節々に喧嘩が始まりそうな会話が繰り広げられ、ガーツはその度にスープを掻き回してたスプーンを二人に見せて、スープの存在を示す。そうすると、今にも始まりそうな喧嘩はすぐに収まった。


「いいか、その伝説の秘宝の一つが、今お前達が持っているその笛だ。これがどういう意味かわかるか?」


「すっげぇ! オレ達伝説、伝説!」


「すっごいねー、ボク達、一気に有名人だよ、ソラ!」


「違うっ!」


 真剣に聞いたにも関わらず、気持ちが浮かび上がり興奮しだしたソラとシドに、ガーツはピシリと一括した。あまりの大きさに、双子はぴょんっと上に跳ねて、白黒させた目をガーツへと向ける。

 ガーツはため息を吐いてなるべく重々しく、二人を脅かすように言葉を吐いた。


「伝説の秘宝を持つ者は、月と、月の王女を守らなければならない。すなわち、俺達は絶対に月を食らったドラゴンと対峙しなくてはならない。ってことだ」


「なーんだ」


「なーんだ」


『なーーんだ』


 真剣に言ったはずだった。しかし、ガーツの想いとは裏腹にソラとシドはにっこりと笑って連続で言った後、綺麗に同じ言葉をハモらせた。調子にしっかりと乗った口調は、どこか楽しげで、ガーツはがくっと肩を落としてしまう。


「もーっと怖い物かと思ったー」


「持ってたら夜な夜な幽霊がおっかけてきたり」


「いっつも落とし穴に嵌っちゃったりー」


「この前みたいな変なのがたっくさぁん! 出て街埋め尽くしちゃったり!」


「わぁ、それこわーい!」


 きゃいきゃいと騒がしくも盛り上がる二人の同じ声に、もうどちらが何をしゃべっているのか、ガーツにはわからなくなっていた。しかも、危機感というものがこの二人にはなく、ドラゴンをどんな物として捉えているのかも想像できない。いや、全てがバークティスのようなものだと思っているのかもしれない。

 この状態の二人を連れて行くのは危険だ。そう、ガーツは感じた。


「あ、ばぁちゃんだ!」


 それまでふざけあって話をしていた二人のどちらかが、上を向いて叫んだ時、押しつぶされるような風が舞った。

 そして、広い空間を埋め尽くすような巨体が降りてきて、いつもの場所へと身体を収めたのである。

 背中からその巨体に比べるととても小さく見える一人の人間が降りてきて、ガーツ達の前に立った。先程とは打って変わって頬を紅潮させ、生気の漲るルーナだった。


「ただいま、悪かったな。二人で行って」


「いや、すっきりしたような顔して何よりじゃねぇか。こっちはガキのお守りでへとへとだぜ?」


「だから、悪かったと言っているだろう?」


 悪態を吐いても、笑って受け答えができるルーナを見て、ガーツは心底ほっとした。伴って表情が緩み、肩の力も抜ける。


「じゃあ、みんな揃ったからごはーん!」


「めしめしー!」


 そして、シドの掛け声と共に、ソラが三人を急かし結局話しもよくしないまま作った夕飯を全員で食した。ドラゴンも雑食らしく、冷ましながら作ったスープを飲んでくれた。

 食事中は他愛な話しばかりで、ソラとシドが野山でウサギを追っかけてたら逆にイノシシに追いかけられたとか、ガーツが旅の途中で出会った冒険の話しや、ルーナの宮廷に居た頃の話し等だ。始終笑いが耐えなかった。

 食事もそろそろ終わりに差し掛かり、片づけをしている頃だった。バークティスが全員に声を掛ける。


「そろそろ、私が持っている七星秘宝を教えようかねぇ」


「待ってました!」


「ばぁちゃんのなにー?」


 ソラとシドがひゅーひゅーと盛り上げるように口笛を吹く。しかし、ルーナとガーツの顔には影が掛かっている。どうやら、二人ともすっかりバークティスが七星秘宝を持っていることを忘れていたようだ。

 各々の反応にバークティスは笑いながら身体を持ち上げる。そして、見えやすいように自分の大きな足を四人の前に出して見せた。


「なになにー?」


 どう見ても普段見る足と変わらない様子に、シドが近寄ってまじまじと彼女の足を観察する。しかし、やはりどうみても普通のドラゴンの足だ。

 バークティスは面白そうに笑って身体を揺らした。すると、今まで何も履いていなかった足を覆うように、みるみると真っ赤な靴が姿を現した。まるで今までそこにあったように、大きな赤い靴は自然にバークティスの足に嵌っている。


「わぁ、すっげぇ!」


 ソラが感嘆の声を上げて、シドと同じように彼女に近づいた。

 子ども二人の横から、ルーナは真っ赤な靴を確認すると、目を瞬いてバークティスを見上げる。


「どういうことだ? どうして靴が出てきたんだ?」


「七星秘宝はね、元は星の塊なんだよ。星達は変身能力を持っていてね、本当は何にでも変身できるんだ。まぁ、星それぞれに得意不得意の形はあるけどねぇ。そんでもって、彼らは生きている物の思考を読み取ることもできる。だから、上手く使いこなせれば、物体を透明にすることもわけない。ということだよ。透明な素材に変身するのさ」


「と、言うことは、靴はずっとそこに存在していた。ということか?」


「当たり前だよ、誰があんた達をディストラクのところまで連れてったと思うんだい?」


「え?」


 疑問をぶつけていけば、すぐさま答えてくれるバークティスに質問を重ねていたルーナが、ディストラクの名前を聞いて一瞬身体を強張らせてしまう。一瞬にして、頭の片隅で燻っていた映像が目の前に浮かぶ。

 しかし、今度はもう落ち着いてその映像を考えることが出来るほど、ルーナは平常心を取り戻していた。

 あの時、あっという間にルーナとガーツは、バークティスと共にディストラクが住む洞穴に居た。それが何らかの力だと考える方が自然で、ルーナはてっきりバークティスの力だと思っていたのだ。しかし、バークティスの様子を見ると、七星秘宝の力のようだ。

 まだ信じられずに、ルーナは不思議そうな目をバークティスに向ける。


「仕方のない子だねぇ。この靴の左側を鳴らすと、」


 バークティスは目を細めると、実践して見せてくれるようで、言いながら左側の足を二度踏み鳴らした。

 ルーナの視界が一瞬で変わる。大きな身体を持ったバークティスの顔から首までしか見えなかったはずが、今や、身体全体が一望できる位置に自分が立っているのだ。ルーナは目を白黒させるしかなかった。


「自分が思った誰か一人を瞬間的に描いた場所へと移動させることができるんだよ」


「わぁ、おもしろーい! ばぁちゃん! ボクもやってやって~!」


 何が起こったのかわからないルーナを置いて、興奮気味に手を叩き、シドがバークティスにねだる。バークティスは頷くと、もう一度左足で軽く靴を鳴らした。

 すると、シドの身体がパっと消えたかと思うと、数歩後ろに下がって現れる。もう一度バークティスが足を踏み鳴らした。もう、数歩下がったところにシドの身体が飛んだ。

 シドは驚きながらも、きゃっきゃと声を上げて喜んでいる。それを見てソラがオレもオレもとねだって、シドと同じようにバークティスは靴を鳴らしてやった。


「なるほど。人を瞬間的に移動ができるのか。じゃあ、右を鳴らすとどうなるんだ?」


「人以外の物でもできるけどねぇ。右はそうさね……」


 傍から見ると移動する能力は良く分かった。だから、反対の足で鳴らすとどうなるのかという好奇心がルーナにも芽生えており、思わず聞いてしまったのだ。

 応えるようにバークティスは言葉を放ちながら、右足を踏み鳴らす。すると、目の前の大きな巨体が四人の前から姿を消した。まるで、そこには何もなかったような広い空間が漂っている。

 ぽかんとして状況を見ていた四人の目が集中する場所に、バークティスはすぐに戻ってきた。


「右は自分を移動させるのか……」


 戻ってきたバークティスにほっと胸を撫で下ろして、ルーナは呟く。


「そういうことさ、両足で鳴らせば、数人をいっぺんに移動させることもできるよ。ほら、おいで」


 バークティスはルーナに応えてから、背中の方に目線をやって誰かを呼ぶ。みんなの目線がバークティスを追って、彼女の頭の後ろへと集中する。

 そして、ひょっこりと頭の影から顔を出したのは、とても小さな身体を持つドラゴンだった。ソラやシドよりも小さいが、眼はくりっと大きく、牙もしっかりと生え揃っている。色は白い鱗に覆われた白龍だ。


「あー、デリィ!」


 叫んだのはシドだ。デリィと呼んで、目の前の白いドラゴンに手を差し出す。すると、シドを見た白龍は小さな羽根でぱたぱたと彼のところへと飛んでいく。シドは飛んできた彼を嬉しそうに抱きしめた。

 ルーナはわけがわからずにシドと白龍の様子を見てから、バークティスに説明を求めるために視線を返す。


「デリィはあたしのひひひひひ孫だよ。ひ五孫と呼んでるけどねぇ、まだ生まれたばかりで、今年で十歳の誕生日を迎えるんだよ。シドとソラとはよく遊んでるから懐いているから丁度良いと思ってね」


「そうか、ひ五孫……丁度良いとはどういうことだ?」


 ガーツも珍しそうにソラとシドと一緒に遊んでいる白龍のドリィへと近寄って何か話してるのを、遠めで見ながらルーナはバークティスの言葉で引っかかった部分を聞きただす。

 バークティスは応えるようににっと笑ってルーナを見る。思わず一歩引いてしまいそうな意地の悪い笑みだ。


「あんた達について行かせるのに丁度良い。と思ってね」


「な、な……なんだとっ! 子ども二人でも手に余るのに、ドラゴンの子どもも面倒を見ろ、というのかっ!?」


 まるで、それが最良だ。とでも言うような口ぶりに、ルーナは思わず感情のまま叫んでしまった。できれば、お守りをこれ以上増やされるのはごめんこうむりたいということだろう。引きつった顔にありありと心情が浮かんでいる。

 ルーナの隠そうともしない表情に、バークティスは笑って顔を彼女にすり寄せる。


「まぁ、お聞きよ。あたしはこの通り老体でね、あんまり長い時間動くことができないんだ。だから、デリィに七星秘宝が一つ、"エルメス・タップ"に譲ろうと思う。デリィはあたしの血縁の中で一番人の心に敏感な子でね、きっとあんた達の役に立つと思うよ」


 優しい声色で、落ち着くようにゆっくりとバークティスは話す。憤っていたルーナも次第に眉尻を下げ始め、頬を掻いて長く息を吐いた。


「貴方が……そういうなら。ご子息は、私が責任を持って預からせていただこう」


「あんたは本当……お堅いねぇ。いいんだよ、あの子にも多少世界を教えないといけない次期さ。気にしないで扱使っておくれ」


 丁重に頭を下げたルーナに、バークティスは苦笑って頷く。そして、いつまでもわいわいと賑やかにはしゃいでいる男四人組を見遣った。


「デリィ、おいで。あんたにあたしが大切にしてる物をあげるよ」


「きゅいーっ」


 ひ五孫を呼ぶバークティス。その声に呼応して、デリィは三人から離れて彼女の元へとやってくる。まだ、人語は話せないんだ。とバークティスは説明した後、唸るような声でデリィと会話を始めた。二人以外はまったく何を話しているのかはわからないが、デリィが高い声で天に向かっていなないた時、大きな赤い靴が光となってバークティスから離れ、デリィの元へと移動した。

 そして、小さなデリィの足にぴったりとしたサイズになって履かれていた。


「きゅいきゅいーっ!」


 喜んでパタパタと羽根を動かして飛びまわるデリィに、靴は似合っていた。真っ赤な靴から、白い靴に色が変化していたのは、バークティスからデリィに受け継がれた証拠だろう。

 微笑ましげに見守られる中、デリィは徐に、履いていた靴をこつんこつんと打ち合わせた。

 一瞬でその場に居た者の視界が変わる。


「ひぃっ……!」


「うぉおおお!」


「ぎゃぁあああああ!!」


「ひゃああ、すっごーい!!」


 各々が、各々の悲鳴を上げた。悲鳴を上げていないのは、空を飛べるバークティスと、瞬間的に全員を移動させたデリィだけだ。

 飛ばされたのは雲が並び、山々さえ小さく見える程の上空だったのである。重力に引っ張られてそのまま下に落下していく人間四人は未だに悲鳴を上げたり、はしゃいだりしている。


「な、な、なっ!」


「きゅきゅーい!」


 目を白黒させて、風になんとか打ち勝とうともがいているルーナの前に、唯一はしゃいでるシドと一緒に尻尾を振りながらテンションを高くしている白い物体が通り過ぎる。



 ガシっ



 目の前の白いそれを、ルーナはわし掴んだ。勢いで尻尾しか掴めなかったが、ぐいっと落下している己の方に彼を引き寄せる。


「元に戻せぇええ!!」


 声の最後が大きくなったのは落下の影響もあってだ。しかし、ルーナの声にデリィはびくっと大げさに身体を跳ねさせると、慌ててカツンカツンっと靴を鳴らした。

 落下で何がなんだかわからない世界が、一瞬にして止まった。移動する前と変わらぬ位置に格好、ただ落ちていた時の恐怖で冷えに冷えた手だけが現実を帯びていて、ルーナはぶるりと身震いをする。


「悪かったねぇ。ちょっと試してみたかったみたいだよ。そこはしっかりと言っておくからね」


 どっどっっと鳴る心臓に徐々に熱を取り戻してきたルーナが、怒りに任せて怒鳴る前にバークティスが横槍を入れ、なだめ始める。納得はできないものの、仕方なくルーナはデリィをじと目で見るだけに留めた。


「それより、レーヌ・ルーナ。ここはもうそろそろ出て行くと良い。夜のうちに出て行かないと、人に見られるよ?」


「見られると、厄介なことがるのか?」


「あんたねぇ、あたしはドラゴンだよ。ここには何千年と住んでいる。人がそれを知らないわけがないだろう? あんたがここから出るとこを見られたら、それこそ……だよ。わかっておくれ」


 バークティスは途中で言葉を濁した。けれど、ルーナには、彼女が何を言いたいのか、よくわかった。だから、頷いて返す。


「わかった……貴方は良いドラゴンなのに……な」


「なぁに、この年になってからだよ。心残りはないね、レーヌ・ルーナ」


「心残り……」


 ルーナは、バークティスの言葉に考え込む。心残りがない。というと嘘になる。と、言うのもルーナの頭には一つ離れない映像があった。先程、思い出しても恐怖に負けてしまうことはなかった辺りから、ずっと頭にこびりついていた。ディストラクの足元にあった、英雄ラッシュの剣を。


「きゅーい!」


 考え込んでいるルーナに、デリィが声をかけてきた。思わずそちらを向くと、ルーナの目に輝く、記憶と同じ剣と目が合った。いや、緑色の瞳は剣ではなくその後ろで懸命に重そうな剣を持って飛んでいるデリィのものだったのだが。

 剣を目の前にして、ルーナは目を瞬いてよくよくそれを見る。そして、ゆっくりと剣に手を伸ばして触れてみた。それは、紛れもなくルーナが知っているラッシュの剣だった。


「どう……して?」


「その子は人の心に敏感だと言ったろう? お前の心残りを感じ取って、七星秘宝を使って今取って来てくれたのさ。さっき空に放り出したことを謝りたい、とさ」


 バークティスが話せないデリィの代わりに説明をしてくれた。ここにあるのが本物だということを実感する。胸から暖かいものがこみ上げて、目尻が熱くなる。ルーナは誤魔化すように剣を受け取ると、小さく頭を下げた。


「すまない。ありがとう、とても、大事な物なんだ。ありがとう」


 ありがとう、それしか言葉が出てこなかった。感謝してもしきれない、絶対手元に戻ってこないと思っていた代物だ。ルーナは思いのまま受け取った剣を抱きしめた。胸がいっぱいになって、一滴の涙が零れ落ちる。


「これで七星秘宝も四つになったな。後三つってわけだ」


 今までソラとシドが会話に入ってこないように相手をしていたガーツが、ルーナの肩を叩いて言い切った。ルーナも涙を拭って頷き、彼を見た。


「そうだな。揃えられたら……きっと、あいつにも勝てる」


「おぉ、ルーねぇちゃんやる気満々!」


 頭の後ろに手を組みながら茶化すソラに、ルーナは微笑みを浮かべて頭を撫でた。ソラはそれにきょとんっとして彼女を見たが、ルーナは笑ったまま、もちろん。と答える。

 そして、ルーナは剣をしまいこもうとしてある物がないことに気がついた。


「デリィ……あの、あっ」


 それを伝えようと顔を上げて彼の名前をルーナが呼んだ時、デリィはさっきまで居た場所から姿を消しており、思わず瞠目する。

 見開いた目のままバークティスを見れば、目を細めて周りを見回していた。不安が首を擡げ、ルーナは眉尻を下げながら辺りをきょきょろと見回す。デリィはすぐに帰って来ない。

 ルーナ自身が望んだ物を感じ取って、探しに行ってくれているに違いない。けれど、彼に何かあったら、バークティスに申し訳なかったし、まだ幼い子どもだから余計に心配でもあった。

 程なくして、デリィが戻ってきた時には、全員がほっと胸を撫で下ろしたものだ。それでも、戻ってきた彼の白い身体中茶色く汚れており、彼が必死に探してくれたのが伺える。

 ほっとした反面、いきなりいなくなったデリィに対しての憤りが浮き出て、ルーナはデりぃにつかつかと歩み寄る。

 彼は、ルーナが欲しがっていた物を差し出す。茶色くて、黒い染みや土で汚れた、剣の鞘だった。ルーナはデリィからそれをひったくるように取って、キっと彼を睨み付けた。


「バカ! お前に何かあったらどうするんだ!!」


 大声でしかりつけると、ルーナは小さな体を引き寄せて抱きしめた。小さなドラゴンは自分の我侭に付き合ってくれたのだ。嬉しくないわけがない。


「……すまない、ありがとうデリィ。貴様は良い奴だな……さっきは怒鳴ったりして悪かった」


「きゅーい!」


「これからよろしくな、デリィ」


 袖でデリィの顔を拭い、白さを戻した彼の顔にルーナは笑いかけた。デリィも嬉しそうに嘶いて、彼女の手から飛び出るとくるりと回って見せる。仲間だと彼も認識したのかもしれない。


「では、バークティス。子ども三人は責任を持って預からせてもらう」


「デリィも一緒ー!」


 剣を鞘へと収め腰に装着してから、ルーナは行くぞ、と三人と一匹に合図すると、シドがはしゃいでついてくる。それを追うようにソラとデリィが続き、ガーツが後を追おうとした時だった。


「ソラ、シド!」


 バークティスが双子の名前を呼んだ。立ち止まって振り返り、なにぃ? っと不思議そうに彼女に駆け寄る二人。ルーナとガーツもそのやり取りに足を止めた。バークティスの様子はどこか慌てているようにも見えるが、双子をじっと見つめて彼女は口を開く。


「あんたたち、親御さんに挨拶してかなくていいのかい?」


「親が居たのか!?」


 答える前に反応したのはガーツだった。ルーナも、もちろんあんぐりと口を開けて驚き、二人の子どもを見ている。

 二人ともてっきり二人の食べっぷりから孤児か何かだと思い込んでいたようだ。驚かれた双子もきょとんっと目を見開いて、驚いている大人二人を凝視している。


「なんだい、知らなかったのかい? ということは、あんたたち、この親御さんに……」


「まだ会ってもいない」


 腕組をして不機嫌に眉を潜めているルーナが低く押し殺した声で、唸りながらバークティスに答える。

 それに、シドが目をぱちぱちと瞬かせながら、同じく悩んでいるガーツとルーナを交互に見て、問いかけた。


「何か問題あるの?」


「あるに決まってんだろうがっ! 許可もなしに子どもを連れってったら人攫いになっちまうっ!」


 先に答えたのはガーツで、かなり頭に血が上ってるらしく、言葉は粗暴だ。しかし、シドも負けてはいない。まだ不思議そうな表情を崩さずにガーツに視線を送っている。


「僕たちがついて行くのにー?」


「子どもだからそうなるんだっ。ったく、早く家に案内しろ」


「え、今までの代金を親に請求しに行くの!?ひどいや、ガーツにい!」


 ソラがシドとガーツの会話の間に割って入った。ガーツの頭にさらにカっと血が上る。


「ち・が・うっ!! お前達の話ししにいくだけだっ。たっぷーりとな」


「やっぱりひどいや、ガーツにい!」


 およよ。などと目元を拭いながら泣き真似を始めるソラに、ガーツは盛大にため息を吐いた。

 やはり、ここはしっかりと親に話をしなくてはいけないだろう。とルーナとガーツは目を合わせて頷き合う。そして、バークティスへの挨拶もそこそこに、双子に案内をさせて家へと向かうべく洞窟の外へと出た。

 もう日が沈みきり、ひんやりとした空気が頬を刺す。真っ暗な中、灯りはバークティスが吐いてつけてくれた松明の火だけが頼りだった。

 誰もいない山道を、双子について降りていく。デリィはもう眠る時間だったのだろう、ふらふらと飛んでいたのを、ルーナは肩に止まらせた。程なくして寝入ってしまった彼を、落ちないように抱きかかえながらルーナはどんどん下っていく。

 しばらくして、街の灯りが目に入った。そこまで行けば、山の奥地と比べてだいぶ明るく、周りを見ることができた。さらに近づくと、街の入り口が見えてきて、ガーツは持っていた灯りを消す。

 そこは、ソラとシドと出会った街だった。彼らにとって、生まれ育った街なのだろう、裏道をどんどんと通っていく。

 着いた先は、低い建物が密集している中の一つだった。壁だけで作られたような家で、ドアと窓が着いている。どれも同じような形に、同じような大きさ。一見するとどれがどれだかわからない地域だ。

 しかし、双子は迷うことなくその家の呼び鈴を鳴らす。紐を引くと内側のベルが鳴る、単純な作りのベルだが、誰かが来たことを知らせるにはそれで十分だった。

 目の前の扉がゆっくりと開く。目の前に出てきたのはひょろりとした細い女性だった。呼び鈴を鳴らした子ども達を見ると、細長い緑色の瞳を更に細めさせた。


「ソラ、シド! あんた達の家は隣だろっ! 間違えるんじゃないよっ!」


 金切り声で彼女は叫び、扉を勢い良く閉めた。後に残されたのはズルっとずっこけた大人二人と、飄々として口を押さえながら笑っている双子である。


「ソラ、シド! お前達わざと……」


 ルーナがソラとシドを叱ろうとした時だった、隣の扉が音を立てて勢い良く開く。少しふくよかな体付きの女性が、大きな青い瞳を瞬かせてこちらを見ている。ソラとシドも彼女を見た。


「かぁちゃん!」


「ただいまーっ!」


 二人がそれぞれ言葉を言いながら、ふくよかな女性へと駆け寄る。しかし、次の瞬間、バシンっ! という激しい音が二回響き渡った。思わずルーナが目をぎゅっと閉じてしまった程だ。

 ルーナが次に目を開けたとき、双子のほっぺたは片方ずつ真っ赤に手形ついて、膨れ上がっていた。


「あんたたち、今までどこに居たんだいっ!? まぁた、人様に迷惑かけたんじゃないだろうね、えっ?」


 そして、彼らの母親と思しき女性は二人に殺気だったまま問い詰める。まるで、頭にツノが生えていそうな形相だ。そして、もう二発、威勢の良い音が響き渡ったのだった。






 両頬が真っ赤に膨れ上がった二人はぶすっとしたまま、拗ねている。が、膨れ上がっているせいか、その様子は見た目にはよくわからない。

 結局二人を叱った後、ソラとシドの母親はルーナとガーツを家の中に招き入れてくれた。部屋の中は意外に広くて暖かく、入った場所はリビングになっているようでテーブルと椅子、キッチンが備わっていた。

 ガーツとルーナの前に母親とひょろりとした父親らしき男が座り、椅子ではなく樽を置いて座っているソラとシドが横を陣取っていた。全員の前には先程母親が入れた暖かいスープが置かれている。


「ソラとシドがご迷惑をおかけしました」


 深々と頭を下げる母親に、ルーナは途惑いながらも首を横に振る。この親達にどうやって話を切り出し、ソラとシドを連れて行くことを承諾してもらえばいいのだろうか。ルーナの頭は混乱するばかりだった。


「こちらこそ、夜分遅くまでお子さんを連れまわして申し訳ない」


 母親に答えてくれたのはルーナの隣に座るガーツだった。人好きしそうな柔らかい笑みを浮かべており、一瞬ルーナがラッシュと見間違える程である。

 目を瞬いて自分を見るルーナを気にも止めず、ガーツは母親との話を続けた。


「いえいえ、どうせこの子達がついていったんでしょうに。面倒見てくださってありがとうございます」


「いえ……あの、そこで、ソラ君とシド君なんですが」


『ぶっ!』


 ガーツが、双子の名前を言った時、妙な音が落ち重なって響いた。思わず、言葉をとめてしまうガーツ。周りを見ると、口を押さえて震える身体を丸めてるのが三人、ルーナとソラとシドが目に入ってきた。三人が噴出して口元を抑え、笑いを耐えているのが伺える。

 隣に居たルーナから、君って! っという微かな囁き声が聞こえてくることから、どうやら聞きなれない言葉に反応してしまったようだ。

 頬を引きつらせたガーツは、更に良い笑顔を作って三人を誤魔化すように、少し声を張り上げて話を続けるしかなかった。


「えーっと……ソラ君とシド君なんですが、私達の旅に付いて来たいと言っていまして」


 ぶふっっと更なる噴出し音、私達って言ってるのがもうありありとその場に居た人達に聞こえていたが、今度こそはガーツも無視を決め込んだ。


「私は、反対です。」


 そして神妙な面持ちで親二人にきっぱりと自分の考えていることを伝えた。それまで笑いを耐えていた、ルーナ、ソラ、シドが驚いて顔を上げ、信じられないという表情がガーツに向ける。


「私達は西の最果ての岩山に住むドラゴンを退治しに行こうと思っています。この意味がわかりますか?」


「それは……」


 驚く三人の視線を意ともせずに、ガーツは淡々と話を続ける。旅の目的を告げることで、自分達の旅がいかに危険かを両親に訴える。

 西の最果てと聞いた親の顔からはさっと血の気が引いた。


「ちょ、ちょっと待ってくれっ。ソラとシドには力が――」


 慌ててルーナが弁解しようとするも、ガーツが腕を上げてそれを阻んだ。ちらつく金色の目がガーツを射る。


「ソラ君とシド君には、星のご加護がついています。しかし、彼らの考えは、こう言っては失礼だが、とても浅はかだ。私たちが西の最果てと聞けば、そこがどんなに危険かもわかる。ドラゴンと言えば、どれほど強力なのかも知っている。けれど、彼らはその恐怖を持っていない。ドラゴンと聞いて、なーんだ。と口を揃えて言った。私は、恐怖を知らない者が例え星の加護があったとしても、生き残れるとは思えない」


 ガーツははっきりと告げた。真剣な表情に誰もが彼の言葉を、息を飲んで聞いていた。両親は、ガーツの言葉に頷き、そして子ども達を見た。口を開いたのは母親だった。


「えぇ、この子達は本当に怖い物知らずで……大変お恥ずかしいのですが、この街でも悪戯が過ぎる子どもとして有名なんです。野山で蛇を追いかけて噛まれ、重体になったこともありましたが、性格は直らず。生まれ持った物なのでしょうね……それでも、私は母親です。彼らの口から、自分達の考えていることを聞きたい。そしてもし、望むなら叶えてあげたいのです。話をソラとシド聞いても、よろしいですか?」


「もちろんです」


「ソラ、シド。貴方達はどうしたいの?」


「オレ、ルーねぇちゃんと一緒に行きたい!」


「ボクもー!」


 母親の問いに、早くも答えたのはソラ。それに乗っかるようにシドが手を上げて答える。けれど、母親はその返答では物足りないらしく、眉尻を下げ、優しそうな顔を曇らせている。


「ソラ、シド。これは、どこかへ遊びに行く。という簡単なことではないのよ? 貴方達はもうこの家に帰ってこれないかもしれない。それでもいいの?」


「それはヤだけど……」


「……ボク、でも、この街に居たく……ない」


「シドっ。言っちゃだめだろ!」


「だってぇー……」


 母親の言葉にたじろぎながらも答えるソラに対して、シドは俯いて額に皺を寄せながらポツリと溢す。それに、ソラは思わず怒鳴った。びくっとシドが身体を揺らして驚くも、顔を落としたままもにょもにょと口を動かしているせいか、それ以上何を言っているのか聞こえない。

 母親は椅子から立ち上がると二人へと近づいた。


「ソラ、シド。いいのよ、言って? 怒らないから」


「ボク……友達欲しい。ルーねぇと、ガーツにぃとデリィは、ボクと、話してくれるもんっ。この街の皆はボクを見ると知らん顔するんだ。みんな、普通に話してくれないっ。ボク、普通に話したいっ!」


 優しい声色にシドがひっと喉を鳴らして顔を上げた。透明な液体が伝って、何度かつっかえながらも自分の意思を紡いでいく。シドの横で、今度はソラが顔を落として手をもじもじとしている。

 母親はそっとシドの頭を撫でてから、ソラへと視線を変えた。


「ソラも、そうなのね?」


「…………シドが……シドが行きたいっていうから」


 ソラは顔を上げないどころか、どんどんと前のめりになって、小さく訴える。隣に座るシドが眉根を額に寄せ、母親をじっと見つめた。


「ソラは、ボクについて来てくれるって言うんだよぉ、だから、かぁちゃんお願い! ボク達を行かせて!」


 身振り手振りで必死に説明するシドだが、母親は黙ってソラをじっと見つめている。ソラは視線を感じるのか、小さく震えていた。

 シドも雰囲気に飲まれて、しゃべっていた口を閉じてしまう。しばらくの沈黙。

 沈黙に耐え切れなくなったソラが顔を上げた。目には大粒の涙が滲んでいる。


「オレ、オレも行きたいんだ、かぁちゃん! ドラゴンとか、恐怖とか、よくわからないけど、でも、オレ、こっから出て外を見てみたいっ! お願いっ!」


 シドとは違った理由を必死に訴えるソラを母親は抱きしめて、大きく頷いた。今度は満足そうな笑みを浮かべている。シドもほっとして、ソラを抱きしめている母親へと手を伸ばす。母親は、シドも一緒に抱きしめた。


「それなら、行っておいで。あんたたちが決めたことだ、好きなだけ行っておいで。でも、人様に迷惑かけるんじゃないよ? ちゃんと大人の言うこと聞くんだよ?」


「うん、かぁちゃん!」


「ありがと、かぁちゃん!」


 嬉しそうにしばらく抱擁した三人は、落ち着いたようで自分の席へと戻る。そして、母親は父親へと視線を向けた。父親は頷くと目の前に居るガーツを見据える。


「ガーツさん、子ども達を頼めませんか?」


 細いわりに、しっかりとした野太い声がガーツに届く。ガーツは困ったように眉尻を下げ、双子を見た。先程まで泣いていた二人は目を輝かせ、希望に満ちた表情でガーツを見ている。

 ガーツは肩を竦めてふっと息を吐いた。そして、ソラとシドの父親と母親にしっかりと標準を合わせた。


「そうですね。決心も固いようですし、しばらくの間お預かりしましょう。もし、彼等が弱音を吐いたり、帰りたいと言った時にはお返ししますが、それでよければ」


「ガーツにい!」


「わーい!」


 両親が深く頭を下げる横で、ソラとシドは樽の上で飛び跳ねて喜んだ。ガーツも、微笑ましげにその様子を見守る。

 ルーナも今まで黙って聞いていた緊張の糸が切れ、ほっと胸を撫で降ろした。


「それでは、夜のうちにこの街を出て行こうと思います。騒がしくしたくないので、ご了承下さい」


 ガーツは一礼をすると立ち上がり、ルーナの腕を取る。ルーナも慌てて立ち上がると両親に深々と会釈した。そして、腕を引かれるままに扉へと引き摺られていく。


「ソラ、シド。外で待ってるから、準備してこいよ」


 ガーツは彼らにそう行ってまた礼をすると扉を潜って外へ出た。腕を掴まれたままのルーナも一緒に外へ出る形となる。

 部屋よりも外はひんやりとして、頬が赤くなった。


「ガーツ、なんで先に外に出たんだ?」


「お前……少しは気を遣えよ。あいつらだって、まだ母親や父親が恋しいんだ。別れを言う時間ぐらいくれてやってもいいだろ」


 嫌味ったらしく言うガーツの言葉はいつも通りで、ルーナは少しおかしくなってしまう。そうか。と答え、扉で閉まり中が見えない家に視線をやった。

 自分も出てきたのだ、家を。そう思うとルーナの頭に出てくる時に会話をした父の顔が思い浮かんでくる。確かに、話したいと思うだろう。ルーナはくすりと笑ってガーツを見た。


「……貴様は、優しいな。」


「今更気づいたのかよ、おっせーなー」


「そういう所がなければもっと早く気がついていたがな。調子に乗りすぎだろう?」


 茶化すように返って来た言葉には、皮肉を込めて言い返した。視線が合えば自然と笑みが零れ、二人で小さく笑い合う。


「貴様は……どうして旅に出たんだ、ガーツ」


「……どうしてだったかなー。昔のこと過ぎて忘れちまったな」


 話をしようと問いかけた質問は、あっさりと誤魔化されてしまった。言いたくないのか、頭の後ろに手を組み、ガーツは後ろを向いてしまう。

 ルーナは布に包めて抱えているデリィが居たため、手を伸ばすことはできず、会話もそれ以上続かなかった。気まずい雰囲気になる。

 しかし、すぐにバンっという扉の音でぶち壊された。内心ほっとするルーナ。出てきたのは、ソラとシドだった。でっかいリュックを二人で背負い、ガーツとルーナに駆け寄ってくる。そのすぐ後ろを、父親と母親が着いてきた。


「準備できた、行こー!」


 シドがきゃっきゃとはしゃいでガーツの手を取る。ガーツは彼の手を握ると、両親に会釈する。


「ソラとシドをよろしくお願いします。鞄には出来るだけ食べ物を詰め込ませたので、お使い下さい。道中お気をつけて」


「ありがとうございます。責任を持ってお預かりします」


 両親と短い会話を交わすと、ガーツはシドの手を引いて踵を返し歩き出す。ルーナもソラと一緒に彼らの後ついていく。


「いってきまーす!」


「かぁちゃん、とうちゃん、土産話いっぱい持ってくるからね!」


 双子は交互に両親へと手を振り、別れを告げた。目指すは街の外、ソラとシドにとって、ルーナにとっても新しい世界だ。

 彼らは今日、生まれ育った街を出る。



第二章―宿敵ドラゴン― 完


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