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第一章―七星秘宝レプラボーン―

 伝説の神話『レーヌ・ルーナの物語り』


 これは昔昔のお話です。


 月夜の晩、月の王女は月をベットにして深い眠りについていました。

 しかし、その日、彼女を支える月は地上へと落ちてしまったのです。


 王女は地上に放り出されてしまいました。

 そこで出会ったのは、一人の男。

 森の奥深くで王女を見つけました。


 二人は出会った瞬間恋に落ちます。

 王女は灯りを持つ男の闇に溶け込むような髪と目に、相手の男は王女の見たこともない金色に輝く髪と目に、すっかり魅入ってしまったのです。


 けれど、二人は重大なことに気がつきます。

 夜空に星達がいないのです。月と月の王女と一緒に落ちてしまったようです。


 二人は真っ暗な中を、星達を探して歩き回りました。


 しばらくして、湖面が光る湖へと到着しました。

 なんとそこには、星達がひしめき合っているではありませんか。


 王女は星達に話しかけます。


「お星様たち、大丈夫でしたか?」


『王女様、王女様、お月様が』


「お月様はどこへ行ったの?」


『お月様がドラゴンに食べられちゃったの!』


『わたしたちもこのままだと食べられてしまうわ!』


『助けて、助けて!』


 星達はざわめきながら王女に助けを求めます。

 けれど、王女に力はありません。

 その時、男が進み出て言ったのです。


「ドラゴンは危険です。彼女に行かせることはできない。私が行きましょう」


 彼の勇気に星達はまたざわめきました。

 そして、彼の決意に引かれて七つの星が湖から飛び出してきました。


『力になりましょう!』


 すると、星達は一つずつ形を変えていきます。


 一つ目の星は大きな剣に。


 二つ目の星は小さな、でも大きな音が出そうな角笛に。


 三つ目の星は羽根がついた頑丈な靴に。


 四つ目の星は大きな人が持てない程の弓と、鉄が捩じれたような鋭く太い矢に。


 五つ目の星はなんでも跳ね返しそうなマントに。


 六つ目の星は長い長いドラゴンでも縛れそうな鞭に。


 七つ目の星だけは、小さな花の髪飾りに変化しました。


 男は、剣を片手に、角笛を首に、靴を履き、マントを着込み鞭を腰に携えました。持てない弓は背中に背負います。全て重さはほとんど感じません。

 そして、七つ目の髪飾りを取ると、男は月の王女の長い金髪の髪にそっとつけてあげました。

 男は、王女に言いました。


「もし、ドラゴンを退治して、お月様を救うことができたら……私と、結婚してください」


「えぇ、喜んで」


 二人は笑い合います。

 そして誓いのキスを交わしました。


 ドラゴンの住む場所へやってきた男は、星達が変化した武器を駆使して、ドラゴンに挑みます。

 剣で応戦し、靴で空を飛び、マントで炎をかわし、角笛の音でドラゴンの動きを止め、鞭で捕らえると、弓で心臓を狙い打ち、射抜きました。

 ドラゴンは倒れ、動かなくなり、彼は勝ちました。

 食べられたお月様は剣で引き裂いたドラゴンの腹の中から、無事に出てきました。そして、ゆっくりと空に上っていきます。

 湖に居た星たちも、月に導かれるように登って行きました。


 しかし、月の王女と、武器に形を変えた星たちは地上へと残りました。


 王女は男との約束を守るために。


 星たちは月の王女を守るために。



 月の王女は、末永く英雄となった男と幸せに暮らしました。星たちに見守られながら。





 これが後に、七星秘宝と呼ばれる物語りの伝説だ。

 しばらく公道を東へと進み、大きな街へと到着した後、二人は酒場に入り昼食を交えて伝説の話しをしていた。


「弓は宙に浮かんで勝手にドラゴンの心臓を射ったって聞いたぜ?」


「戦闘部分に関しては、文献や、他の街、国によってまったく違う話がなされている。だから、少々省かせてもらった」


「なるほどねー」


「しかし、七星秘宝が人の考えや感情に反応することはわかっている。貴様の鞭もそうだが、私は剣を見たこともあるからな」


 ガーツがフォークに刺したポテトを軽く振りながら、実際どうでもよさそうに背もたれに寄りかかっている。

 しかし、剣の話題に触れると、ガーツは微妙そうに食べていた食事の皿をテーブルに置いた。


「剣って言えば英雄ラッシュだろ? おうじょさまは会ったことあるっていうのか?」


「ルーと呼べ。ラッシュは私の恋人だ。彼が次期王になり、私が王女になるはずだった。今は違うがな」


 軽口を叩くガーツの足をテーブルの下で思いっきり踏むと、牽制するようにルーナは彼を睨みつける。そして、小声でだが事実をあっさりと言って退けた。


「ったぁ……あぁ、それで。恋人の後追ってドラゴン退治に? 勝ち目はあるんですかね、ルー様」


「様は余計だ、馬鹿者。勝ち目はある……星のお告げだ」


 踏んだ足をぐりぐりと踵でねじり伏せ、ルーナはやっと足を離した。

 にっと意地悪く笑う目の前のルーナに、頬を引きつらせながら痛みを我慢し、ガーツは首を横に振る。

 そして、真剣な表情に戻ると、それが聞きたかったとばかりに軽く身を乗り出した。


『星のお告げ。月が再び姿を失くした時、レーヌ・ルーナの元に星の使途達が集まるだろう。もし、七人の星の使途、全て集まったのならば、騎士の変わりにレーヌ・ルーナは再び月を助け出すことができる』


「それが、星のお告げだ」


 ルーナは淡々と言い切った。

 夜中に、月が出なくなったのは数ヶ月前のこと。英雄ラッシュが、ルーナの目の前から姿を消した時だった。

 思い出す気持ちに、ルーナは堰をして、ガーツを見つめる。


「レーヌ・ルーナ?」


 説明には嫌そうに眉を顰め、お前がというようにガーツは顔を引きつらせる。物語り上の話しだろう? と小馬鹿にしているのだ。

 気にした様子もなくルーナは単刀直入に答えた。


「金髪金目だからな。よくそう呼ばれる。名前もそれにちなんでつけられた。でも、七星秘宝を持つお前と出会ったんだ、あながち間違いはないだろう?」


「……俺は星の使途ってか? あーあ、やらねぇと後でうるさそうだな。そりゃあ。星のお告げとか、そのうち全国に出回りそうだし」


 気になっていた星のお告げを聞き、ガーツは気が抜けたように笑いながら、嫌味を聞かせた言葉をルーナに投げる。

 星のお告げとは城内お抱えの占い師が出す占いだ。よく当たると評判は高い。


「そうだぞ、ガーツ。せいぜい星の使途や七星秘宝に恥じぬよう頑張ってもらいたいものだ」


「かーっ、むかつくなお前! で、目的地の西じゃなくて東に来た意味があるんだろうな?」


 皮肉が返ってきて、ガーツは大きなグラスについであったビールを一気に飲み干す。

 ダンっとテーブルにグラスをやけくそ交じりに置くと、ガーツは片眉を上げながら嫌そうに問いかけた。


「もちろんだ。この街の噂が気になって、ここまで来た。『レプラボーン』という宝が地下深くの祭壇に眠っていると言われており、角笛のようなものだと聞く。」


「へぇ? それが七星秘宝のひとつなんじゃないかって話しなわけか」


「そうだ」


 頷き、ルーナが立ち上がろうとした時だった。遠くから、微かに音色が聞こえてくる。

 ガーツも気がついたのだろう、何事かと近くの窓から外を覗き見た。

 音色は徐々に近づいてくる。

 ルーナもガーツも目に入ってくる光景に頬を緩めた。

 子ども達が小さな笛や太鼓を吹き鳴らし、道を歩いて行くのだ。道行く大人は彼らに拍手を送り、おひねりを投げる。子どもは音楽に釣られて、後をつけながら踊りだしたり騒いだりしている光景。


「この街は平和だな……」


「そうみたいだな。物騒なのはお前だけなんじゃねーか?」


「……あぁ、ほら、あぁいう角笛みたいないのがきっとあると思うんだ」


 によによといやらしい笑みを浮かべて、ここぞとばかりに嫌味を言ってくるガーツを、適当に流して、ルーナは先頭で笛を吹いている子どもを目で指す。


「流すなよな。ったく。あれ双子なんじゃねぇのか? 一緒に吹いてら」


 ガーツが唇を尖らせながら文句を言うも、あぁいう物だと把握するためにルーナの視線を追って子どもを見た。

 可愛らしい双子が手に小さな角笛を一つずつ持って吹いているところだった。


「楽しそうだな……さて、行くとするか」


 ガーツの気がそれたところで、ルーナは今度こそ立ち上がった。

 ルーナの前に、まだほとんど残っている昼食のメニューが置いてあるのをガーツは目で見る。


「食わねぇのか?」


「私には量が多すぎる。それに、これから動くというのに腹にいっぱい詰め込めるわけもなかろう?」


「そういうもんかねぇ。贅沢病じゃねーのか?」


「いちいちうるさい男だな、貴様は。早く来ないなら、料金払わずに出るぞ?」


 疑問に皮肉を交えたせいで、ルーナの機嫌が悪くなった。

 ガーツは肩を竦めると仕方なさ気に残ったビールを飲み干して、彼女の横へと並ぶ。


「へーいへい、行きましょうかね」


「……がめついな、貴様」


「さあ、秘宝目指してレッツゴー!」


 代金を払いながら、じと目を向けてくるルーナに、ガーツは彼女の肩を掴み、半ば無理やり、半ばごまかし気味に店を後にするのだった。




 街の外れの広場の噴水の前にルーナとガーツは来ていた。

 時刻は夜更け。薄暗い中を星の光が淡く照らしている。人の気配はない。


「文献によれば、この噴水の真ん中立っている墓石の下から、地下に行けるはずだ」


「へぇ、よくそんなことわかったな」


「国の秘密文書だ」


 真顔で言い切るルーナに、ガーツは一瞬固まった。一般人が門外不出の秘密文書を口にすれば、身の安全はない。

 しかし、


「嘘だ。本当はこの街の役場で聞いた。なんでも有名な噂らしい」


「…………」


 ルーナは冗談だ。とばかりに言い捨てる。

 ガーツは今度こそ絶句した。フードを被っているせいか、彼女の表情が真顔に見えたから。


「お前っ――」


「だが、入った者はいない」


 なんとか、文句を言ってやろうと口を開いた時には、ルーナが淡々と言葉を続けていて、ガーツの言葉はさえぎられた。

 タイミングを失ってしまっては文句を言おうにも言えず、しぶしぶガーツは問題の噴水を見る。これと言って変わった様子はない。ごく普通の噴水だ。


「そりゃあ、でかでかと入り口があるわけじゃねーみたいだし? どうすんだよ」


「……貴様も考えろ」


「俺は頭脳派じゃないんですー」


 金色の瞳が睨みつけてきても、ガーツは両手を頭の後ろに組み、口笛を吹いているだけ。怯んだ様子も考える様子も見せない。

 仕方なくルーナはフードを取り、噴水へと近づいた。

 沸いてくる水が、中に埋め込まれた光によって綺麗に輝く、その中央に行くべく、ルーナは水の中に足を入れた。水を出している台座に近づくと、何故か、すっぽりと足の裏が嵌る浅い窪みがある。

 窪みに足を奪われながら、ルーナは水で覆われている台座へと徐に腕を近づけた。すると、どうだろ、ばっと水が手を避けて綺麗に分かれる。

 これにはルーナもガーツも目を見開いて固まった。


「まさか、こんなにあっさり開く。というのか?」


 水が分かれて姿を現したボタンに、ルーナは触れないところで手を止め、マジマジと凝視する。

 噴水のガラス細工の中で、丸いそれがぽっかりと浮かんでいて異様だ。

 ルーナが躊躇っていると、徐に後ろに影が重なる。かと思えば、ルーナより一回り大きい手が、躊躇いも無くその異様なボタンを押した。



 カチリ



 何か小さな音が鳴る。

 かと思った瞬間、ルーナの足が突如浮遊感に襲われた。


「――っ! 貴様は罠とか考えないのか! この能無しがっ!」


「うるせぇ、好奇心の塊なんだよっ! つーか、落ちたぐらいでどうこう言うんじゃねぇええええ!」


 二人分の重力で、ぽっかりと空いた足元に吸い込まれていく。

 ガーツの叫び声が夜空にこだまする。

 水と一緒に落ちて行った二人を見送るように、ルーナがたっていた場所の穴が閉まった。


 真っ暗闇の中、二人は落下を続ける。しかし、それは突如終わりを迎えた。

 真っ暗だった視界が黄色い光に包まれて、柔らかいクッション性のある素材が二人を包む。


「――っ。どこだ、ここは」


 すぐさま起き上がり、ルーナは頭を振って周りを見回した。頭が慣れない落下にくらくらして、視界が開けない。


「おい、こっち来てみろよ」


 眩しい光に目が眩んだまま、ルーナは腕を引かれる。慌てて沈む地面をなんとか歩きながら、ルーナは引かれるままに進んだ。

 沈む地面が途中で終わり、硬い地面へと足が付く。すると、光も薄らいで周りを見ることができた。


「なんだ、あのふにょふにょして光っているものは……」


「さあな。いいじゃねぇか助かったんだし、それよりこれ見ろよ」


 振り返った先は、まるで黄色に光り輝く湖みたいになっていた。うえの穴から落ちるとこの上に落ちる仕組みになっているようだ。

 目を瞬いてなおも周りを気にするルーナに、ガーツは握っていた手を離して肩を叩く。そして、とある壁を指差した。


「これは……角笛の絵……? か?」


「だな、お目当ては、ここにあるみたいだな」


「そうか、良かった」


 壁には角笛らしき絵が写されていた。何個も先に続くように描かれている。ゆっくりとルーナはその絵を辿っていく。

 その後ろをガーツは着いていった。


「なぁ、ずっと考えてたんだが、ドラゴン退治って。する必要あるのか?」


「貴様は、何を突然言い出すんだ?」


 ガーツの問いに、ルーナは立ち止まらずに聞き返す。

 気まずそうにガーツは頬を掻き、振り返らない彼女の背中に向かって話しかけた。


「だってよ。月がねぇっつーのは周期によって有りうることだろ? それに英雄ガーツは突っ込んで返り討ちにあったけど、他にドラゴンが何したって言うんだ?」


 この世界では、夜空を照らす月は気まぐれに姿を消すことがある。それは周期的であったり一時であったりさまざまで、今ずっと月が夜空に出ていないからと言って、別にガーツには不思議でもなんでもなかった。

 それに、ドラゴンの強さは知っているが、街を襲った噂など聞いたことがなかった。


「……貴様、知らないのか? なぜ、英雄ラッシュがドラゴン退治にでかけたのか……あっ」


 訝しげに問いかけを返すルーナだったが、突如立ち止まった。

 ルーナの目の前には一つだけ、逆向きの絵が存在していた。思わずそっと手を伸ばして触れる。



カチリ



 先程聞いたような音が二人の耳に届く。サッと青くなる二人。再び二人の足元を浮遊感が襲ったのだ。


「…………」


「またかよぉおお!」


 絶句しているルーナと、ガーツの空しい叫びが響き渡った。

 今度はすぐに地面とご対面した。硬い地面に半ば叩きつけられるように落ちる。受身を取ったものの、ルーナの全身には痛みが走り、しばらく動けなかった。


「うぐ……」


「大丈夫かよ?」


 呻いて動けないルーナとは逆に、慣れているのかピンピンしているガーツ。彼は彼女の腕を取って立ち上がらせた。

 なんとか立ち上がると、苦々しげにルーナは呟く。


「……平気だ。まさか同じトラップに引っかかるとは……」


「同じ……ねぇ?」


 しかし、ガーツの答えは微妙なものだった。声色からはどこか緊張している様子が伝わってきて、ルーナは違和感を感じる。

 視線をガーツに向けた。彼は額に汗を滲ませて天井を見上げている。ルーナも視線を追って上を見た。

 驚いて目を見開き、口元に手を当てる。


「針?」


「串刺しにするトラップだろ」


 見たこともない無数の尖った刃が天井に引き詰められているのを、ルーナは揺れた瞳で凝視していた。

 ゴトリと音が鳴り、遠くにあったはずのそれが一気に視界へと迫る。

 ルーナの顔は青ざめ、口を覆っている手はカタカタを震えだした。思わず顔を覆う。

 しかし、衝撃はこない。おそるおそるルーナが手から顔を上げると、ガーツが意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ていた。そして、天井を軽く指差す。

 見上げると、無数に敷き詰められた針はギリギリのところで止まっており、よくよく見ると針の隙間に縄のような入り込んでいる。


「七星秘宝の一つ、『ライカンス・ウィップ』の力さ。長さを変えて、地面に埋め込まれつつあれを支えてる」


 言い方は嫌みったらしいことこのうえないガーツだったが、未だに固まっているルーナの頭を軽くポンっと撫でた。

 その手は、暖かくて、ルーナの冷え切った身体に熱が帰ってくる。体温が元に戻ると、安心したのかぶわっと目元が熱くなり、次々と涙が溢れ出した。

 目の前のいきなりの光景にガーツは、流石にうろたえる。


「を、をいっ。どうしたっ!?」


「すまない。何でもないんだ。気にしないでくれ」


 慌てて慰めようと肩に手をかけるも、ルーナは拒否するようにガーツの体を片手で押し、体をそっぽに向ける。顔を隠すように片手で涙を拭った。


「……なぁ、お前。無理してないか?」


 振り払われた手を所在無さ気に揺らしながら、ガーツは背中を向ける彼女に静かに問いかけた。嫌味の応酬や、強い口調、最初に見せらた剣戯に騙されていたが、彼女は王女だ。自分と違って、こんなダンジョンのような場所に来たことなどないのかもしれない。そうガーツは思った。

 案の定ルーナの肩がぴくりと反応する。


「無理やりこんなとこに来なくて」


「英雄ラッシュは、ドラゴンの挑発によって殺された」


 ガーツの言葉は暗い、けれどはっきりとした言葉に遮られた。内容は今話しているものではない、落ちる前に聞いた話しのようだ。


「なぜ、英雄ラッシュが、ドラゴン退治をしなければならなかったのか……。あのドラゴンは、満月の夜に私とラッシュの元に来た。真夜中だった。羽音が当たりに響き渡り、大きな巨体と鋭い牙、硬い鱗に光る目。どれをとっても怖かった。」


 淡々とルーナが話を続けるので、ガーツは静かに聞くことにした。狭い穴の壁に背を預け、耳を傾ける。


「ドラゴンは私を見て言った。『月がもうすぐ落ちてくる。レーヌ・ルーナよ、今度こそ我は、月を食ろうて最強の力を手に入れる。邪魔立てをするな、するならばただではおかんぞ。いいな、レーヌ・ルーナ、月は諦めろ。世界の破滅のために』と。あいつは……あいつは月の力を使って世界を壊す気なんだっ! だから、ラッシュはっ……!」


 最後は嗚咽の混じった声でルーナが叫ぶ。そして、振り返って涙で濡れ赤くなった瞳をガーツに向ける。

 人を蹴落とす程の迫力を、その瞳は持っていた。


「ガーツ、私はっ! 怖くても進まなければならないっ! ラッシュが守ろうとした世界のためにっ」


 喉が引きつりながらも言い切るルーナに、ガーツは近寄って行って再びポンっと軽く彼女の頭を撫でた。

 抑えていた涙が頬を伝い、ルーナの喉がひくりと鳴る。


「りょーかい、星のお告げよりやる気でたわ。ルー、俺の力をお前に貸してやるよ。」


 いつもの意地悪な笑みではなく、自信に満ちたどこか暖かな笑顔をガーツは浮かべた。言っている意味がわからず、ルーナは目を白黒させて彼を見ている。

 ガーツはルーナの腰に手を回し、抱きとめた。突然のことにルーナの身体が固まる。


「しっかり捕まってろよ?」


 耳元で言われ、ルーナの頭は真っ白になった。ただ、恐怖からガーツの服を掴む。

 それを確認すると、ガーツは片手を天井へと伸ばした。すると、ギチギチと天井が軋むような音を立てる。

 ルーナにとっては一瞬の出来事だった。

 音を立てたかと思うと、天井はいくつかに割れて、自分の体の横を通って落下する。かと思えば、地面から足が離れてその中を潜り抜けながら、ガーツと一緒にどんどん登って行く。

 気がつけば先程の部屋まで上がり、ガーツに抱えられたまま元の場所まで戻っていた。


「…………」


 目を瞬いて、何が起こったのかと間近にあるガーツの顔を見る。

 パン!っという音が当たりに響いた。

 近くにあったガーツの顔を、ルーナが思いっきり叩いたのである。


「――っ!」


 びっくりして瞬時に赤くなった頬を押さえるガーツ。

 しかし、思わず出た手にルーナも、自らがきょとんっと不思議そうな表情をしていた。


「い、いきなり触れるな。ちゃんと断ってからにしろ、馬鹿!」


「はぁ? 助けてやったんだろうがっ! 礼くらい言えよなっ! だいたいお前みたいなガキにだ・れ・がっ」


「失礼だぞ、ガーツ! 貴様、紳士さが足りなさすぎるっ」


 滑り落ちた言葉は嫌味で、ガーツもそれに返してくる。しかも、人の胸元に視線をやってから鼻で笑うという失礼ぶり、ルーナは思わず腹に一撃を食らわした。

 しゃがみこむガーツ。

 ふんっと鼻を鳴らし、ルーナは腕組をしながら辺りを見回した。

 落ちた穴の真上にガーツの獲物である鞭が、天井に突き刺さってぶら下がっているのが目に入る。前に見た時よりも短い。どうやら縮んで鞭がここまで引っ張りあげてくれたようだ。


「すまない、ありがとう……」


 小さく、多分ガーツには聞こえないくらいの声量でルーナは呟いた。そして、蹲っているガーツを尻目に、角笛の絵を再び辿る。

 すると、先程まではなかったはずの扉へとぶち当たった。


「をい、ガーツ……貴様はいつまでへたり込んでるんだ、しゃんとしろ」


 不思議に思い、ルーナは振り返ってガーツを呼んだ。しかし、未だに蹲ってその場を動かないでいた彼の姿が目に入り、ルーナは眉を顰めてきつい口調で言い放った。

 そんなに強くしてないだろうという威圧的な視線に、ガーツは苦虫を潰したような表情を上げ、ルーナを見る。相当痛かったようだ。


「……お前なぁ」


「たかがガキの女の拳だろ?」


 文句を言ってやろうと声を出すも、ルーナの嫌味と詰めたい視線にぎりっと奥歯を鳴らすことしかできなかった。

 仕方なくガーツは立ち上がって、殴られた腹を擦りながらルーナの横までやってくる。


「落ちる前は、なかったよな?」


「だな」


 真剣に扉を確認してから、ルーナはガーツに確認を取る。ガーツは頷いて答え、そっと扉の縁に手を触れた。

 ルーナは二度の落とし穴を思い出し、条件反射で一歩後ろに下がったが、今度は何も起こらなかった。ガーツがドアノブに手をかけてそっと回す。

 扉は音も無く開いた。


「……なんだ、これは?」


 思わず呆然とルーナは扉の向こう側を見た。まっすぐに伸びている道、左右に分かれた道がいくつか視界に入る。


「迷路。じゃねぇかよ。あーあ、こういうのってめんどくせぇんだよな」


 ガーツが嫌そうに頭後ろに手を組んで、目を細める。口はへの字に曲がって居て、心底嫌そうな感じが伺えた。

 ルーナは目を瞬いて左右に続く道を覗いてみる。結果はまっすぐ伸びている道とそう変わりない。


「迷路? それなら文献で読んだことがあるぞ。どちらか一方の壁に手を当てて伝っていけば出口につくはずだ」


 そうか、これが。と呟くルーナの目にはどこか楽しげな色が垣間見える。ガーツは隣に立つ無邪気な様子の彼女に、肩眉を上げて首を横に振った。

 しかし、止める間もなくルーナは左手を壁に当てると、さっそく左の道へと進んでしまう。


「あ、待てっ!」


「なんだ、早く先に進んでみたいんだ」


「おまっ……ダンジョンって言ったら罠がたくさんあるからむやみやたらに――」


 慌てて肩を掴んで止めに入ったが、遅かった。ルーナが何かに触れてしまったのだろう、横から槍が次々に二人を襲う。

 ルーナはびっくりして動けるはずもなく、ガーツは舌打ちをすると鞭を取り出した。なんとかそれを打ち落としたものの、何本か逃したのは見逃して欲しい。人には当たらなかったのだから。


「な、なんだ。今の」


「トラップだよ、トラップ! 侵入者を防ぐ罠だっ!」


「なんだ、モンスターが宝を守ってるんじゃないのか?」


 呆然としているルーナに怒鳴りながら説明するガーツだったが、きょとんとした悪びれた様子も無い疑問を返されて、思わず頭を抱え込む。

 今まで何でも知っていると言った雰囲気を醸し出していたはずの相手が、まったく何も知らないことに、愕然としたのだ。

 まだ不思議そうな表情を浮かべているルーナに、ガーツはため息を吐いて恐る恐る問いかける。


「……お前、やっぱこういうダンジョンって入ったこと。ねぇの……か?」


「当たり前だ。旅をするのも初めてだからな」


「威張るとこじゃねぇよっ!」


 さも当たり前というように胸を張るルーナに、ガーツはわなわなと震えて叫び声をあげる。


「そんなら初めからもうちょっと初心者ぽい、謙虚な姿勢見せろよなっ!」


「な、なんのことだっ! 私は別に慣れてるとか言ってないだろっ!」


 しかし、ルーナは狼狽しながらも、言い返してくる。このままでは永遠に言い合いにしかならないだろう。ガーツは息をゆっくりと吐いて落ち着くよう努力した。


「……わかった。とりあえず、旅人の先輩として言わせてもらう。ルー、むやみやたらに歩くんじゃねぇっ!」


「――っ!!」


 しかし、収まるわけもなく、ガーツはルーナの頬を片方摘んで引き伸ばした。普段されたこともない出来事に、ルーナは目を白黒させて手を小さくバタつかせる。

 ぎぃっと目一杯伸ばしたところで、ガーツは手を離した。ルーナの頬は赤く、じんじんと痛みを訴えている。

 ルーナは今だ呆然とガーツを見つめていたが、赤くなった頬を押さえて唇を震わせた。


「貴様っ、何をするっ! 私にこんなことをしてただで済むと」


「思ってる。お前はもう王女じゃないんだろ? 旅人初心者として俺の言うことをきちんと聞くんだなっ!」


「ぐむっ」


 しかし、ガーツの勢いに息を飲んで、それ以上何も言えなくなった。仕方なく頬を押さえたまま顔を下げ、貴様だって最初の罠は……とぶちぶち小さく文句を垂れ始める。


「俺は自分の身は自分で守れるからいいんだよ。ったく」


「私だってそのくらい……」


「ほぉ? じゃあ、お先にどうぞ。今度は絶対助けないからなっ」


 諦めたかと思えば、結局拗ねたように呟くルーナに、ガーツは目を細めて先の道を譲った。冷たい言葉に再びルーナはうっと息を飲む。

 ちらちらとガーツを見るも、彼は腕組をして顎をしゃくり、さっさと行け。という動作をする。どうやら本気で怒っているようだ。

 むっとしてしぶしぶ一歩踏み出すルーナ。



 カチリ



 一歩めだった。足が思ったより沈んだのは。

 音と共に、さっとルーナの血の気が失せる。慌てて自分の獲物を腰から引き抜き、ルーナは構えた。

 しかし、何も起こらない。


「をい……」


 拍子抜けして肩の力を抜いたところで、ガーツに軽く肩を叩かれた。びっくりして身体が跳ねる。

 慌てて振り返ると、ガーツが親指で後ろを指して、苦い顔をしていた。その先にはごろごろと音を鳴らして、こちらに向かってくる大きな岩が。


「武器をしまって走れ!」


「……わ、わかってる!」


 思わず固まったまま見つめていたら、痺れを切らしたガーツが舌打ちをし、ルーナの背中を手で押す。はっとしてルーナは剣をしまい、背を押されるがままに走り出した。

 ガーツもすぐさま一緒に走る。

 長い道をまっすぐ懸命に走るも、転がってくる岩の速さは増して、徐々に距離が詰まっていく。音が迫って来て、緊迫した雰囲気にルーナの頭は真っ白になった。


「バカっ、こっちだ!」


 ガーツの声が響くも、ルーナには既に隣にはいないガーツがどこに行ったのかわからなかった。

 いきなり身体がくんっと後ろに引っ張られる。思わず抵抗するも、すごい勢いで引っ張られ、みるみる視界が逆そうする。


「わっ!」


 悲鳴を上げたのはルーナではなくガーツだった。

 実は、ガーツは横道に避けていた。横道を見つけてそちらに避けたガーツが、鞭でルーナの身体を巻き取り引いたまでは良かったのだが、勢い余って彼女の下敷きになってしまったのだ。


「重い……早く、どけ」


「き、貴様は本当に失礼だなっ」


 苦しげに訴えるガーツに、ルーナは鞭を体から解き、慌てて彼の上を退いた。しかし、言い草に少し腹が立ったので軽く蹴飛ばしておく。

 ガーツは蹴られた腹を押さえながらも起き上がった。


「……お前な、助けてやったんだろうがっ!」


「誰が助けてくれと言った! 絶対助けないんじゃなかったの――っ!」


 はっと鼻を鳴らすルーナの頬をガーツはもう一度摘んで引っ張った。ルーナがまた慌ててバシバシとガーツの手を叩いて離すように訴える。


「お前、もう少しで潰れて死んでたっつーのに、言い方あんじゃねぇのか、こらっ!」


「うぐ……」


 さらにぐりぐりと引き伸ばされて、ルーナは目をきゅっと強くつぶって痛みに堪える。痛さにガーツへ反抗する言葉は出てこず、喉の奥へ呻き声と共に飲み込まれた。

 大人しくなったルーナに、やっとガーツは手を離す。


「さて、これからどうするかだな」


「……迷ったってことか?」


「元々迷路だ、迷うように設計されてるに決まってんだろ」


「……じゃあ、どうすると言うんだ?」


 次のことを決めようという言葉とは別に、ガーツは軽く壁を叩いたりして確認している。壁に耳を当て、ルーナの言葉に適当に返答を返していた。

 何をしているのかとルーナはガーツへと近寄って詰め寄る。


「しっ……」


 ガーツが眉を潜めて、唇に指を当てながらルーナに目配せをする。黙れという意味だ。更に耳を澄ましてガーツは壁に耳を当てたままゆっくりと移動する。


「なん、だ?」


 訝しげにルーナもガーツの横の壁にそっと耳を当ててみた。沈黙の中、微かに壁から聞こえるものがある。


「聞こえるか?」


「……おん……がく? 笛の音か?」


 耳を澄ませば、徐々にはっきりと聞こえてくる音色。ゆっくりとした調子の滑らかな音楽だ。

 ルーナが頷くと、ガーツはによっと口端をあげてその場を退き、そっと指差す。こちらに来て聞いてみろ。ということなのか、ルーナは頷いてガーツが居た場所へと移動する。そして、耳を当てた。


「えっ!?」


 驚くほどはっきりと大きく、音色が鼓膜へと響く。先ほどとは雲泥の差だ。ルーナは驚いたままガーツを見た。ガーツは自信満々の笑みのまま、指先をちぃちぃと動かして彼女に退くように示唆する。

 再び頷いてルーナはその場を離れた。

 ガーツが鞭を手に取り、掛け声と共に音色が聞こえた壁に向けて、獲物を唸らせる。ビュンっという強い風を切る音がして、足元を烈風が吹きすさび、疾風が巻き起こった。

 ルーナは思わず目を瞑ったが、ガラガラという音を耳が捉えて、何かが崩れ去ったのを知った。流れる大気が納まると、ルーナは目をそっと開ける。今までそこにあった壁は下に瓦礫となって崩れ落ち、目の前には新たな道が開かれていた。


「よし、行くぞ」


「あ、あぁ……ガーツ。どうしてわかったんだ?」


 意気揚々と歩き出すガーツに、慌ててルーナは着いて行く。音楽は、ずっと奥から鳴り響いているが、壁があった時はすぐに聞き取れるものではなかった。壁に耳を当てることで聞こえてくる程度の音だったはずだ。それをガーツは聞き取ったというのか? と半ば関心しながらルーナは彼の答えを待つ。


「はぁ? 基本中の基本だぞ? 罠があるってことは、仕掛けの機械音か魔法の音が聞こえてくるはずだ。耳はいつでも研ぎ澄ましておかなきゃ、罠に気づけねぇし。まぁ、出口が隠されてるっていうのもデフォだな。普通、宝を持って行かせたくなくて罠をしかけんのに、わざわざ出口作る方が馬鹿げてる。ここ見つけたのは罠探るためで偶然だけどな」


 ペラペラと話すガーツの言葉に、徐々に聞く気の失せたルーナは、最後の言葉尻だけを聞き取って白い目を彼に向けた。


「とりあえず、この先に宝がある確立が高いんだな?」


「まぁ、そういうことだ」


 向けたが自分の功績に若干酔いしれている彼には通じないらしく、ため息混じりに要約を確認する。ガーツは浮かれながら頷き、奥へと進む。

 二人が辿り着いたのは一枚のドアだった。迷路に入った時と同じような形をしている。ガーツが躊躇いも無くその扉を押し開けた。

 すぐに入らずに中を目だけで確認する。中はただっぴろい空間が広がり、丸い円形状の広場のようだった。けれど、特に何も無い。正面に開いた扉と同じような扉が存在しているだけだ。

 異様な光景にガーツは眉を潜める。


「罠の巣窟か?」


「天井は真っ暗で何も見えないしな。何があるのか検討もつかん」


 呟く言葉を耳で捕らえて、ルーナも注意深く辺りを見回す。壁、壁、壁しかない。天井はどこまでも上にあるようで薄暗く、何があるのかはさっぱりと見ることができなかった。

 ルーナは首を傾げる。その横でガーツがきょろきょろと辺りを見回し始めた。彼の挙動を思わず見ていると、地面に落ちていた小さな石ころを広い、徐に投げた。

 カツンっと小さな音が大きな部屋に響き渡る。



 シーン



 だか、何も起こらない。もう一度ガーツは別方向に二度石を投げた。



 シーーーーン



 やはり、何も起こらない。辺りは静まり返っているだけだ。

 仕方なくガーツはルーナを見る。しかし、肩を竦めてルーナは首を横に振り、わからないと態度で示してきた。仕方なくガーツは踏み入れなかった部屋へ、恐る恐る足を踏み入れる。

 だが、結局何も起こらない。ガーツは部屋へと身体を滑り込ませ、鞭を手に持ちながらルーナを置いて歩いてみる。


「……何の音も、気配もしないな」


「どういうことだ? 入っても平気なのか?」


「どうもこうも……罠の気配も、モンスターの気配さえもしない。この部屋がなんのためにあるのかすらわからないくらいだ」


 そのまま歩いて向こう側の扉になんなく辿り着くと、ガーツは手招きをしてルーナを呼んだ。呼ばれるがままにルーナも直進してその部屋を渡る。

 やはり何事も無く扉の前まで歩いてこれた。


「不気味だな」


「そうだが……心配しても仕方ねぇ。ほら、扉開けるぞ」


 先ほどの迷路の賑やかさとは反対に、水を打ったような静けさだ。ルーナは不安そうに表情を曇らせてもう一度広い室内を見回したが、ダーツはお構いなしに扉を開けていた。

 知らず知らずのうちにルーナはガーツの空いた手へと手を重ねて、扉の奥の現状に身構えていた。

 扉が開いた奥には、こじんまりとした空洞が姿を現した。小さな空洞の中央に、細く、それでいて綺麗な施しがしてある台が佇んでいる。段になっている円形状の床の上に静かに佇んでいる台の上には


「何も……ない?」


 何も存在していなかった。ぽつりと零したガーツがそんな馬鹿な、と表情をサッと変えて、すぐさま段を上り台へと近づいていく。ルーナも手を引かれたまま後に続いて台の上を覗いた。

 そこに置いてあったものは畳まれた四角い紙切れ。紙切れからは紛れも無く迷路で聞いた音色が流れ出ていた。二人の視線が集まると、紙は音を鳴らすのをやめる。


「これは……」


 ガーツは知っているようでその紙切れを見て息を飲んだ。よく理解できないルーナは、手にとろうとしないガーツに代わってその紙切れを、卓上の上で片手を使いゆっくりと開いた。


「説明……書?」


「くそっ! 七星秘宝誰かに取られてるぞ、ルー!」


「い、いや。待てガーツ。どうしてわかるんだ? この紙はいったい何なんだ、説明しろっ」


 憤って握られた手に力が入る程、ガーツは唸る。それに慌ててルーナは紙切れを指差して説明を乞うた。


「伝説の秘宝、七星秘宝には、使い方が誰にでもわかるように説明書が添えられている。見たとおりそれは七星秘宝が一つ、レプラボーンの説明書だ」


「そんな馬鹿なっ。秘宝に説明書があるだと……?」


 驚きながらルーナはもう一度紙を見た。紙には文字通り『レプラボーン説明書』と記され、笛の絵や文字が描かれている。有り得なかった。いったい誰がそんなものを作成したというのか。ルーナの頭には疑問符が湧き出ている。

 はぁっとため息を吐いて、ガーツが諦めるように紙に手を伸ばそうとした。そこではたっと動きを止めてルーナの方にある手へと視線を向ける。


「をい、ところで今気づいたがこの手はなんだ?」


「……~~っ! 私ではない! 貴様だろうっ!?」


 ガーツの言葉に手を握っていることに気がつき、物凄い勢いでルーナはその手を離した。かっと恥ずかしさで体温が上昇するも、ガーツの頬を思いっきり殴ることで、ルーナは落ち着きを取り戻し、事なきを得た。

 いきなり殴られたガーツは目を白黒させてその場で蹲る。


「説明書だったな。ガーツが言うのならば鞭にも有ったのか、なら本物だろう」


 蹲っているガーツを無視して、落ち着き払ったルーナは説明書を手に取り、中身の確認へと走った。


『レプラボーンの説明書』


一、レプラボーンとは七星秘宝の一つである。

二、角笛の一種で口をつけて息を吐くことで誰にでも吹く事ができます。

三、レプラボーンは二種類あり


 そこまで読んだところでいきなり地面が揺れた。立ってもいられない揺れに、ルーナは目の前の台へと縋り付く。よく聞くと、隣の部屋からミシミシという音が聞こえてくる。


「な、なんだ!?」


 ガーツが立ち上がって台に頭をぶつけた。けれど、その音よりも激しい地鳴りがドン!っと響き、更に大きな衝撃が二人を襲う。

 音がする扉へ目を向けると、既に扉は嫌な音を立てて壊れているところだった。壊れた先からはみ出して覗いているのは、眩しく光る物体。落ちた際に乗った物体によく似ていた。

 驚いて凝視している間にも、それは狭い空洞の中へどろりと入ってくる。徐々に段が埋まって、ルーナ達へと光るそれが迫ってくるのだ。

 ルーナは説明書を握り締めるとガーツに視線を送る。彼はもう蹲っておらず、立ち上がり目を細めて輝くそれを見ていた。そして、ルーナの視線に気がつくと頷き、手を差し出す。


「捕まれ、呑まれる前に脱出するぞ」


 既にガーツの手に握られた鞭は、真っ暗闇に包まれた真上へと伸ばされていた。ルーナは言われた通りにガーツの腕に捕まる。

 もう、光る液体のように柔らかいそれが足元に迫っていた。ガーツが台に足を掛け、鞭を勢い良く引く。ビンっと張って鞭が抵抗した。それを確認するとガーツは余った鞭を持っていた腕に巻きつける。

 ルーナと視線を合わせると、意思を汲み取った鞭が二人を持ち上げる。もう少しで光る物体に触れるところでルーナの足は地面を離れ、暗闇へと身体が吸い込まれていく。

 どんどんと勢いを増していくが、暗くて感覚がわからなくなる。いつの間にか鞭がルーナの体も取り巻いて支えてくれていた。これならガーツの腕を離しても問題はないだろう。


「をい、まだ時間がかかりそうだ。そのレプラボーンの説明書を読め。持って行った奴の手がかりとかねぇか?」


「わ、わかった」


 言いながらガーツは小さなペンライトを胸ポケットから取り出し、ルーナへと手渡した。ガーツの腕を離し、ルーナはライトを受け取って安定しない場所に不安を抱きながらも説明書を照らした。


『レプラボーンの説明書』


一、レプラボーンとは七星秘宝の一つである。

二、角笛の一種で口をつけて息を吐くことで誰にでも吹く事ができます。

三、レプラボーンは二種類あり


 ここからだ。と辿った言葉に息を飲む。


三、レプラボーンは二種類あり、一つ目は人の思考を停止させます。二つ目は思考を停止させた者を操ることができます。見分け方は音色の高さ。

四、注意。一人では二つを吹くことはできません。他人と吹くことも音がズレてしまえば効果を発揮できません。できるとすれば、二人で一人の人物だけ。

五、既に笛は二人で一人の人物が手にしています。貴方には扱えません。


 読み終わったルーナは顔を上げる。薄暗い中でぼんやりとガーツの顔が垣間見えた。


「何かわかったか?」


「……なぁ、ガーツ。もしかしてこの説明書は、読む奴によって変わるのか?」


「そうだ。説明書も武器と一緒で使い手に応える。七星秘宝の一部みたいなもんだ」


「そうか……既に持ち出された宝は、"二人で一人の人物"が所持しているらしい。この意味、わかるか?」


 ガーツの返答に納得し、ルーナは気になった部分を口にする。しかし、ガーツも渋い顔をしただけで答えを出してはくれなかった。

 仕方なくルーナは一人考え込む。二人で一人とはいったい何を表すのか? 同じ人間が二人いるとでも言うのか? だが、そう考え込んだ矢先、突如視界が開けた。

 ガーツが小さな呻き声漏らし、ガツっという鈍い音が響いた後で、満天の星が目の前に広がる。頭を押さえながらも、ガーツは鞭を操作してルーナと一緒に地面へと着地した。

 着地して辺りを見回すと、入り口になっていた噴水のごく近くだった。いや、正確には出てきたのは噴水の中央で、綺麗に割れたガラスが星明りを反射して噴水に散るところだった。


「噴水の真下に居たってことか?」


「そうじゃねぇのか? っう……蓋のはずなのに割れやがって」


 くそっと毒づきながらガーツが、噴水全体に巻きついていた鞭を振るって解く。

 頭をさすって、割れた際に付着したガラスを振り払い、ガーツは改めてルーナが持っている説明書に目をやった。


「二人で一人の人物、だって? そりゃあ謎かけか?」


「私が知るかっ! 説明書にそう書いてあるんだっ……もしかしたら夫婦とか?」


「はっ」


 悩みぬいて出した答えを、嘲るように鼻であしらわれた。んなわけあるわけねぇだろう? という貶すような馬鹿にしたような表情のガーツに、ルーナは堪らず彼の足を思いっきり踏んだ。後ろで跳ねているが、もうルーナは無視である。

 その時、ルーナの耳に聞き覚えのある音楽が聞こえてきた。先ほど聞いたばかりの曲だ。そして、前にも一度どこかで……。そうルーナの頭に記憶が過ぎった折、ガーツが息を飲んだ。音の出所を感知したからだ。

 ルーナも音の方を向く。


「なんで、まだ……?」


 異様な光景だった。思わず上擦った声が出て、口元に手を当ててしまう。

 目の前には、昼間と同様の光景が広がっていた。あの、酒場で見た、楽しそうに音楽を奏で、踊る子ども達。それを見ながら拍手をする大人。唯一違ったのは、楽しそうに笑っているのに、子どもも、大人も涙が滲んでいたことだ。


「ルー、気をつけろ。一番前だ」


 奇異な状態に、ガーツが鞭に手を当てて警戒している。ルーも頷いて剣の鞘へと手を添え、音を奏でる一番前を、目を凝らしてよく見た。

 やはり先頭で吹いているのは小さな角笛を口元に携えている双子だった。昼間見た通りだ。

 双子がこちらに気がつく。目と目が合った。蒼い瞳が四つ、ルーナとガーツを見据えてくる。


「おねーちゃんとおにーちゃん、レプラボーンを探してたの?」


「でも、残念。僕達が、もう貰っちゃった」


 どちらともなく話しかけて来て、どちらがしゃべっているのかもわからない。でも、話しかけてくる間中も、笛は鳴り響いていた。それが、ただの角笛ではないことを、ルーナもガーツも実感する。

 双子は蒼い瞳を細めて笑った。


「欲しい?」


「欲しいの?」


 問いかけに、慎重にルーナは首を縦に振って見せた。刹那、ぴたりと音楽が止まった。

 今まで楽しげに踊っていた人々とが蜘蛛の子を散らすように去っていく。けれど、そちらに気を取られている場合ではなかった。幼い子どもから、放たれるとは思えない殺気がルーナとガーツを包み込んでいる。

 二人は息を飲んだ。


「あげない」


「絶対あげない」


 ピーっという高い音が二つの角笛から発せられる。まるで二人の殺気を増幅するように放たれる音に、ルーナの頭がくらりとする。

 ガーツも眉を潜めて、地面を蹴る。しかし、脳内に響く音に視界が捻じ曲がるように揺らいだ。前がどこかわからずに、ガーツはよろめいて肩膝をついてしまう。ルーナは既に口元を押さえて蹲り、耳を劈く音に対抗すらできない。


「はははは、もっと脳を揺さぶっちゃえ~!」


「これで最後だー!」


 笑う二人の声と、未だに鳴り響くノイズが、薄っすらと視界の片隅に消えかけた時だった。

 地響きが鳴り、地面が揺らいで感覚のない二人の体と双子を襲う。

 驚いたせいだろう、双子の笛の音がぴたりと止まり、失いかけていた意識をルーナとガーツはなんとか呼び戻す。


「な、なんだ、こいつ!」


「うわっ!」


 呼び戻している間に双子の一人が悲鳴を上げた。慌ててみると、月のように輝く物体が双子の片方を捉えていた。物体と言っていいものか、液体のようにも感じる柔らかさ、しなる動き、しかし弾力がありそうなそれは、もう一人の双子も飲み込む。

 唸るそれを目でルーナは追っていく。辿り着いたのは、噴水のてっぺん。先ほどガーツとともに出てきたところから、それはギチギチと無理やり這い出してきているのだ。

 ゾっとした。ルーナの背中に冷たい汗が滑り落ちる。


「なんだ、これ! 離れないぞ! なんなんだよ!」


「笛吹いてるのに動き止らないよ、何これぇ!?」


 物体はどんどん体積を増して双子に絡みつく。必死に引き剥がそうとする手さえも、ぴったりとくっついて、文字通り双子は呑まれていく。再び音楽を奏でる笛は、口を離れても鳴っているのに、物体は意にも返さないように動く。


「さっきの……なんだこれは」


「古代のモンスター、スライム。こんなでかいのは初めて見たが、それ以外に考えられねーな」


「古代のモンスター、スライム?」


 呟いたルーナの言葉に、ガーツは大きなそれを見上げながら息を吐いて応えた。音が自分に向かわない分、少しばかり楽になった頭を軽く振ってルーナを見る。


「古代からいると言われる原始モンスターだ。思考はなく、一部の執着に対してのみ動く。普通のは大きいので掌ぐらいの大きさだ。害はない」


「目の前のアレが、害はない。と?」


「実際、俺たちは襲われていない。きっと何かあいつが執着して狙う何かがあるんだ」


「何か……」


 確かに子ども二人に向かって行く塊は、自分達を避けて行く。

 ルーナが考えるように子どもを見たとき、彼女の手元から音が聞こえ、あっという間に光るそれが視界を覆った。

 驚いて反射的に地面を蹴ると、目の前を伸びた塊が落下する。本体と繋がっているそれがルーナの方に向きを変えた。

 まるで、ルーナの手の中で鳴る音楽に反応するように、それは再び彼女に襲い掛かる。


「ルー、左に避けろ!」


 ガーツの声に、身体を左へと傾けた。バランスを失い、重力に引き摺られる様に倒れ込む。

 倒れかけたルーナの手を、ガーツが捉えた。握られた手に引かれて、なんとか足を動かし身体を支え、金色のそれから距離を取れた。


「どうやら音楽に反応するらしいな。ルー、説明書を開けろ、何か訴えかけてるんだ、はやく中身を確認しろ!」


 しかし、すぐに迫ってくる物体に、ガーツはルーナの手を離して横へ思いっきり押す。地面を転がりながらも、ルーナは痛む身体を起き上がらせ、ずっと鳴っている説明書を言われるままに開いた。

 音が止んだ。

 物体はルーナを見失ったかのように右往左往している。チャンスとばかりに、ルーナは必死になって説明書へと目を走らせる。

 何故か、新たな項が徐々に書かれる速さで姿を現す。



『レプラボーンの説明書』


 レプラボーンの機能そのニ。

 レプラボーンは、ある種の魔力的モンスターを封印することができる。

 モンスターを封印するには、二種類の笛を同時に吹く必要性がある。(高い音を出すのがレプ、低い音を出すのがラボーンと言います。)

 方法は、レプはレプラボーンに隠された三つの音符を、ラボーンはレプの音をホ長調に移調した音を同時に吹くことです。



 文章はそこで切れた。ルーナはぶるぶると説明書を掴んだ手を震わし、


「こんな時に謎解きなんか出してる場合じゃないだろっ!」


 叫んだ。今にも説明書を破り捨ててしまいそうな勢いだ。

 慌てた様子でガーツが近寄ってきて、ルーナの横から説明書を覗き込む。こちらも渋い顔をしている。


「ホ長調? 移調ってなんだ?」


「宮廷の楽曲で習ったが、簡単に言うと音を移動させることだ。ホ長調はミから始まり、普通のドから始まるのはハ長調と言う。だが、そんな専門的なことより、隠された音の方が私にはわからん」


 専門的用語は任せておけ、というルーナの言葉にガーツは肩を竦めて頷いた。正直、今聞いた説明ですら、よくわからなかったのだから、そういうのは任せて置いた方がいいだろう。という判断だ。


「隠されてるってーのは、あの笛に。ってことか?」


 ガーツは、ルーナに聞くのではなく、説明書に聞くように問いかけた。ルーナが不思議そうに彼の挙動を見守っていると、ピクリと片眉が跳ね上がった。視線の先を追う。


『いいえ』


 説明書にそれだけが浮かんで、そしてすぐに消えた。そしてすぐにまた違う文字が浮かび上がる。


『名前に隠された三文字。二文字はそのまま、一文字は多くて少ない』


 それを見て、説明書のレプラボーンの名前へと視線を移す。

 そのままというのは、レとラのことだろうか? なら、もう一文字は……。そこまでわかれば、ルーナにもすぐ分かった。


「レファラだ! レファラをホ長調に移調させると、ファラド、ファとドはシャープが付く音階だ!」


 ルーナの言葉に、説明書は『イエス』と応えた。表情を緩ませてルーナは顔を上げ、もう身動きが取れず顔しか覗かせていない二人の子どもを見る。そして、彼らに大きな声で伝えた。


「レプを持ってる方は、レファラ、ラボーンを持っている方はファラド、ファとドはシャープをつけて吹くんだ!」


 しかし、必死に音を奏でて物体から逃れようとしている二人の耳に届くわけがない。必死に笛を鳴らしていて、こちらを見ようともしなかった。


「近づいて伝えるしかねぇんじゃねーか?」


「そんなっ……」


 まだ噴水から湧き出て、広場を埋め尽くす程になっている巨大な物体に、ルーナは戸惑った。


「お前、今……めんどくさい。って思っただろ?」


「……そういう貴様だって思ったのだろう?」


 じと目で言ってくるガーツに、ルーナもじと目を返した。どちらともなくため息を吐く。

 緊迫した空気は胡散している。


「まぁ、元々割りに合わないんだよなぁ。いきなりあいつらが現れて、追う様にこれが出て来て混乱してたけど、あいつらには最初に敵意みせられたし、助ける義理もねぇ。このスライムがあいつら倒して笛を奪ったところを奪った方が良いんじゃねぇか?」


「激しく同意する。あの物体を倒す術ももう分かっていることだし、助ける必要もないだろう。自業自得のようだしな」


 まったくスライムが襲ってこないのをいいことに、落ち着き払った二人は徐々に弱くなって行く笛の音を聞きながら、冷静に話し合い始めた。

 どうやら、巨体なスライムをあまり相手にはしたくないようだ。


「よっしゃ、じゃあ今俺がライカンス・ウィップで、あいつらの笛を」


 ガーツがまとまった話を意気揚々としている最中に、いきなり説明書が鳴り出した。もちろん、その音に反応してスライムが身体の一部をルーナ達に伸ばしてくる。

 跳んでなんとか二人とも避けた。けれど、説明書は鳴り止まずにどんどん大きな音を奏で、ガーツやルーナの頭に響かせてくる。


「くそ、うっせぇ!」


「どうやら、助けないのが気に食わないらしいな」


 ルーナはなんとか繰り出されるスライムの攻撃を避けながら、ガーツの横へと着地する。そして、彼に視線を投げた。

 真剣な表情と、突き刺すような金色の目が訴えかけてくることを、ガーツは無理だと頭を降る。


「言っとくが、鞭でこいつを倒すのは無理だからな」


「何故だ。七星秘宝なら簡単ではないのか?」


「ばっか! 相性ってもんがあるんだよ!」


 不思議そうに問いかけてくる。それにガーツは頬を引き攣らせて返答を返し、見てろ。とばかりに襲いかかってくるスライムの塊に、鞭をぶつけた。

 ぐにゃりとして、スライムがへこみ、あっという間に鞭が飲み込まれた。そして、ガーツが横に薙ぐと、スライムが力に負けたようにそちら側へを歪む。しかし、特に切れたりした様子もなく、すぐにルーナへと再び向かってきた。


「鞭でこういう弾力性のあるものはなかなか破壊できねぇんだよ、って……」


 わかったか! というように意気込んでいたガーツだが、鞭を引いた途端にサッと顔が青くなる。スライムが、鞭にぴったりと引っ付いてガーツの所まで戻ってきたのだ。

 これには流石に言葉を無くし、鞭を伸ばしてスライムを避けるしかなかった。


「ふむ。寧ろ向こうに遊ばれているな」


 動きはさほど速くない相手に、余裕をかましながら避け、ルーナはくすっと笑ってガーツを見る。それに、ガーツのこめかみがぴくりと動いたので、ルーナは視線をあさっての方向へ向けて誤魔化した。


「それならガーツ。鞭をあの子ども等のところまで伸ばせるか?」


 そして、鞭を伸ばしながらスライムとせめぎ合っているガーツに、ルーナは再び近寄って問いかける。

 ちっと舌打ちをし、ガーツは嫌々ながら承諾するように頷いた。


「しかたねぇなっ! くっついて離れねぇ特質みたいだから、鞭が埋まる前に行けよ!」


 呻くように怒鳴ると、ルーナの持つ音を頼りに目の前へと迫りくる塊に、鞭を唸らせる。辺りに捻られて細かく散るスライムの塊。その奥へと鞭はスライムの身体を伝ってぐんぐん伸びて行く。

 鞭が伸びるのを目の前で確認すると、ルーナはそれに軽々と身を翻して飛び乗った。すぐに体重で鞭が沈むのを感じる。慌てて鞭を蹴り、ルーナはその上を走った。

 ぐんぐん沈んで行く鞭の上を、なんとか体勢を整えながら駆け、音に反応するスライムの塊をやり過ごす。

 ルーナがやっと双子の前まで到着した時、既に二人は笛を残してスライムの中に埋まっていた。足元は鞭がとぐろを巻いて固めてくれているため、ルーナは残る子どもの手を片方ずつぐっと握り締めて引っ張った。

 小さな顔が二つ競りあがる。


「をい、レプを持ってる方は、レファラ、ラボーンを持っている方はファラド、ファとドはシャープをつけて吹くんだ! 早く!」


「ぷはっ……なにそれ、わかんないよ!」


「レファラとかなに~!?」


 水の中で溺れるようにバタつかせる子ども二人に、ルーナは愕然とした。音楽の基礎もわからないのに笛を吹き、説明書はその二人に音を出せというのだ。ありえない、とても無理な話だ。とルーナは思わず頭を抱え込む。

 両手を離されてしまった双子は、またずぶずぶとスライムに飲まれていく。

 その時、ルーナの手から説明書が滑り出た。驚いて宙に浮かぶその紙をルーナは見つめるしかない。



 プワァーー!!



 いきなり大きな音がそこから発せられる。何音かを重ねた音だ。

 スライムが反応して、いくつもの塊が説明書に向かって襲いかかる。けれど、その音に更に大きな音が加わった。


「こんな感じ!?」


「こんな感じ!」


 同じ音を重ねるように出しているのは、苦し紛れに笛を吹く少年達だった。ルーナは耳を塞ぎながら、揺れる足元を見た。光る物体が攻撃してくるのを止め、苦しそうに震え出しているのだ。

 どこかズレていた音がぴたりと噛み合った瞬間、スライムが震えるのを止めた。かと思えば、小さな笛の出口にみるみる吸い込まれるように飲まれていく。

 一同、ぽかんっと口を開けてそれに魅入った。

 魅入っているうちに、足元の塊は徐々に吸い込まれて姿を消して行く。残ったのは、子ども二人と、鞭に乗っているルーナ、そして説明書。

 支えを失った彼らは、もちろん重力に勝てるわけもなく、落ちるしかない。


「ひぃいいい!」


「わぁあああ!」


「ぴぎゃぁああああ!!」


 三人分の悲鳴が、響き渡った。

 しかし、ルーナ達の身体は地面に触れる前に、ぐんっと上へ引っ張ってくれるものがあった。今までスライムを蹴散らしていてくれた鞭が、三人の身体に巻きついて支えてくれているのだ。

 ガーツが周りにある家へと鞭を咄嗟に引っ掛けて、三人の身体を宙に吊るしてくれている。ぶらぶらと横に揺れ始め、勢いが止まったとわかると、ガーツはルーナだけ鞭から解放した。

 つんのめる形になったものの、ルーナは地面へと足から着地することができた。


「…………」


 ルーナは、ガーツに振り向くこともせず、つかつかととある場所まで歩み寄った。そこは、説明書が床に落ちている場所。躊躇いもせずに、ルーナは勢い良く足を踏み降ろして紙を踏んづけた。そして、ぐりぐりと踵で捻り潰す。


「このっ! 貴様、そういう方法ができるなら最初からやれっ! 私がやったこと全て無駄だろうっ!」


 怒りを露に息巻くルーナをぽかんと見ていたが、現状に目が覚めたガーツは、はっとして彼女を止めに入る。脇から手を入れて、暴れるルーナを説明書から引き離した。

 踏まれてぐしゃぐしゃになった紙が小さくふるふると震える。しかし、怒りに頭を支配されているルーナは気づきもせずに、止めに入ったガーツへと矛先を向けていた。

 腕を振りほどき、食って掛かってくるルーナに、ガーツは困ったようにどうどうっと宥めるしか方法がない。

 しかし、いきなり光る輝きに照らされて、今に殴りかかりそうな勢いだったルーナは、ぴたりと動きを止める。ガーツも小さな目を瞬いて光を発するルーナの後ろを凝視して固まった。

 ルーナがガーツの視線を追って、おそるおそる後ろを振り返る。


――月の王女、レーヌ・ルーナ。お待ちしておりました――


 細い声が頭に響く。目の前には金色に輝く星が宙に浮かんでいるのだ。山のようなでこぼこした形が五つ飛び出ていて、まさしく図形で描かれたような星の形をしていた。

 丸みを帯びた星は、ふよふよと浮きながらルーナへと近づいてくる。大きさは、ルーナの顔より少し大きい程度で、明るさは近づいてくると眩しさに思わず目を細める程だ。

 どうやら細い声はその星が発しているようだ。しかし、ところどころに靴で踏まれたような足跡があるのが気になる。


――って、言いたいところだけど、粗暴にも程があるわ、月の王女! ぷんぷくり~ん!――


 ぽこすこと音が出てきそうなくらいに身体を揺らして、甲高い声で怒りを上げる星。思わずルーナはぽかーんっと口を開けて見てしまった。黄色いはずなのに徐々に真っ赤になる目の前の星は、本当に怒っているようだ。煙が所々に上がっている。


「あー……これが何だかわかるか?」


 見かねたガーツが横に並んで、まだ怒り心頭な星を指差して問いかけてくる。失礼ね! とか言いながらガーツの指を星が叩いているのはこの際無視して、ルーナは呆然としながらも首を横に振って応える。


――わからないですって! さっきまで踏んでたのに、もうっ!――


「まぁ、説明書だ。説明書から元の形に戻ったっていう感じで、いわゆる星の精って奴だな」


 喧しく喚く星の言葉は一通りスルーし、ルーナはこれが? と指差してガーツに確認を取る。そうだ。とガーツが頷いたところで、手を星に叩かれながらルーナは嫌な顔をする。額に皺が寄っているのだ。


「……ってことは……私に無駄なことをやらせた奴ってことか?」


――無駄じゃない! 貴方に私が仕えるだけの力量があるかどうか試したの! こほんっ。貴方は楽器に関しての知識も豊富なようだし、戦闘における判断もなかなか鋭いものがありました。で・も、王女にしては粗暴、かなり気品がない――


「言わせておけば……っ!」


 返答を求めた相手ではない相手が答えると、ルーナは拳を震わせて頭を落とす。そして、若干固い物体の上の方に、拳を振り下ろしたのである。ガンっという鈍い音がして、星の上の方にぷくりとたんこぶのようなものが出た。


――いったぁいっ!――


「うるっさいっ! 私はドラゴン退治に行くのだ、気品など考えている場合ではないっ。それより、何故説明書ではなく元の形に戻ったっ! あいつらは一体なんのかしっかり説明しろ!」


――こわーいっ――


「せ・つ・め・い・し・ろっ!」


 かわい子ぶりっ子するようにふるふる左右に動く星に、ルーナは容赦なく拳を上げた。膨れたこぶが二つになる。

 ルーナの威圧に負けたようで、星はしぶしぶと話を切り出した。


――説明書だと、話すのがちょっとめんどくさかったのよ~。じゃあ、話すけど……この子達は、双子で絶対音感の持ち主よ。私は二つに分かれた楽器、だから、私も彼らを選んで、私の元に呼んだの。でも、彼らは笛だけを持って私を見てはくれなかった。置いてかれてしまったことで、私の力が弱まり、封印していた古代モンスターが甦ってしまったのです――


「ほほう? それで私達に尻拭いをさせた。と?」


――だって、丁度来たから――


 もうルーナの拳を止める事はできなかった。仕方なくガーツが、ルーナ肩を引いて後ろへ追いやり、星との距離を取らせる。

 三つ目のたんこぶをこさえながら、星はふらふらとまだ鞭にぶら下げられている双子の方へと移動していった。気絶していた双子は、いつの間にか意識を取り戻してガーツの鞭と格闘していたらしく、星が近づくと手を止めて訝しげに彼女を見た。


――貴方達にもう一度だけ聞くわ。その笛を所有したいなら、レーヌ・ルーナに仕えることを誓って欲しいの。できる?――


 真剣な言葉にも子ども二人はきょとんっと呆けた表情のまま星を見ている。ガーツは二人に巻きついている鞭を離して、元の長さに戻し腰元へと仕舞いこんだ。

 地面に着地してなお、二人は星を見つめる。


『レーヌ・ルーナって、誰?』


 綺麗にハモった声に星はすっと身体を横に向けて、真面目な話に切り替わっていささか気に食わずにぶすっとした表情のルーナを、双子の前に曝け出した。ルーナが不機嫌に金色の目で二人を睨み付ける。

 まだあどけなさの残る少年二人の青い目だけがキラキラと星の光に反射して、主張してきた。睨み付けられたことにもおくさず、二人はルーナを一通り眺めてくる。


「このねぇちゃん?」


「ねぇねぇ、この人についてったら何か良い事あんの?」


 一人がぶっきら棒に言い放ちながら、もう一人は星へと問いかけながらルーナを指刺す。思わずこめかみがぴくりと反応するルーナ。しかし、ガーツに視線で止められて、気持ちを舌打に留めておくことにした。


――この街から出ることができます。貴方達が望んでいることでしょう?――


 星の言葉に、双子は今まで硬くしていた表情を綻ばせた。何が彼らをそこまで喜ばせるのか、ルーナに小さな引っかかりを覚えさせる。


「じゃあ、ねぇちゃんについてく!」


「オレもー!」


――では、レーヌ・ルーナ。彼らを頼みます。彼らは星の力を持ち、必ずや貴方の役に立つでしょう。それと、彼らは私たちの同胞の在り処を知っているので、怒らせないように。まだ、子どもで感情のコントロールは上手くないですから。――


 嬉しさに駆けずり回るように寄って来た子どもに、ストップをかけようとした瞬間、逆に星に釘を刺され、ルーナはその場でぴしりと固まる。星が、口もないのにによっと意地悪く笑ったような気がした。ルーナはギリっと奥歯を噛み締める。

 ルーナが悔しそうな表情を浮かべたことに満足したのか、星はくるっと回ると双子へと近づいた。そして、真っ二つに割れたかと思うと、素早く双子が首から掛ける角笛へと姿を消してしまう。

 星と、光るスライムがいなくなったことで、辺りは一気に暗闇へと包まれた。淡く光る角笛が辛うじて双子の居場所を示している。


「ねぇちゃん、よろしく!」


「よろしく!」


「~~っ! ガーツ、これは受け入れなければならないのか?」


 にぱっと笑顔を向けてくる二人に、頬を引きつらせてルーナは唸る。話を振られたガーツは肩を竦めてから答えた。


「お前が集めるって言い出した七星秘宝だしな。七星秘宝に選ばれた使い手じゃないとやっぱり駄目なんじゃねぇか? 後、他の七星秘宝も知ってるって言うしな……襲って来たのは癪に障るけど」


「百歩譲って襲って来たのは、七星秘宝を守るためとして許すとしても。だ。あいつの思惑通りに行くのが私は納得行かないっ!」


「どーどー」


「どーどー!」


「牛みた~い!」


 ゴンっという鈍い音が、三回響き渡った。吠えるルーナに、抑えるようにと促したガーツの言葉を、子どもの一人が真似し、もう一人が笑いながら失言したせいである。


「くそっ! 今日はもう宿屋に帰るぞ! お前達二人には朝起きたら洗いざらい吐いて貰うからな、覚悟しろ!」


 そして、蹲っている三人へ向けたルーナの叫び声が、荒れ果てた広場に響くのであった。




第一章―七星秘宝レプラボーン― 完


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