序章-旅立ちと出会い-
私は
あの人の温もりを知っている。
目が合うだけで、心臓が跳ね上がり、
声を聞くたびにどきどきと鼓動が早くなる。
けれど、
彼はもういない。
私は貴方の代わりに
英雄になる。
まだ幼さが残る少女は、彼の為に伸ばした長い金髪をナイフで無造作に切る。ざっくばらんに切られた髪は、重さを失い、風に揺らめく。
「私は、彼の志を継ぎ」
重みのある甲冑を着込み、腰に剣を携え、マントを靡かせた出で立ちで彼女は言った。
「ドラゴン討伐に参ります」
男のような出で立ちをした娘を前に、王は止めることもできず対峙していた。真剣に見つめる彼女の金色の瞳。決して揺ぎ無い信念がそこにある。
王は頷いた。
娘は、柔和に微笑を浮かべ、王の手を取りそっと握り締める。
「お父様、身勝手な娘をお許しください」
「これも其方の運命。気をつけて行くが良い」
父は、娘を抱きしめた。彼女もまた、別れを告げるように父の背中に手を伸ばす。
彼女は旅立った。父と生まれ育った国を残して。
ここは小さな街。旅人が止まる宿と酒場、ちょっとした商人がいるだけの街。この街は国と国との中間にある交易場で、両国の兵士が門を守っている。
街はモンスターと呼ばれる異種から守られるように外壁で覆われており、入るには門番がいる門を通るしかない。
一人の青年がフードを被り、門を通過する。人と認識されれば通してもらえるようで、特に呼び止められることもなく中へと入れた。
小さな街で、彼はすぐに酒場へと足を踏み入るれ。
壁に掛かる緑色のボードを見てから、マスターがコップを磨いているカウンターへと歩いて行く。そして、水を注文しながら、彼はマスターに話しかけた。
「人を雇いたいのだが」
青年にしてはやけに高い声が辺りへと響く。酒場で昼から浴びるように酒を飲んでいた連中や、休憩がてらに飯を食べていた者がいっせいに彼を見た。
少し驚いたように、青年はフードをくいっと引っ張って顔を深く隠す。金色に光る目だけがマスターを見つめていた。
「ここには流浪の旅人か、荒くれ者、国に捨てられたような人しかいませんよ。正式に人を雇いたいなら、国の酒場かギルドに行くことをお勧めしますが?」
マスターはやれやれと首を横に振りながら、肩を竦めるも、真っ当なことを青年に訴える。
青年は困ったように眉尻を下げて、カウンターへと身を乗り出した。そして、小声でマスターに言う。
「少々事情があってな、ここでしか人を雇えないのだ。工面して貰えないだろうか?」
「……何しに行くかにもよるでしょう」
「西の岩山に住む、ドラゴン退治をしたい」
青年の答えにドっと周りから笑い声があがる。聞き耳を立てていた酒場の連中が笑い出したのだ。
マスターも困ったように眉尻を下げ、ちらりと視線を酒場内に巡らせる。
「お客さん、冗談は止めてくださいよ。有名な英雄と呼ばれた男がどうなったか、ご存知でしょう?」
「……知っている。まだ帰ってきていない」
「食べられたんですよ」
「噂だろ?」
「西の岩山に住むドラゴンといえば、とても大きくて凶暴で有名じゃないですか。気紛れで空を飛び、街一つを破壊する威力。いくら英雄といっても歯が立たなかったんですよ」
マスターは嫌そうに眉を顰めて彼と距離をとる。これ以上話したくない。と言っているようだ。酔狂や伊達で言っていると思っているらしい。
青年は仕方なく顔を隠したまま酒場内を見回す。けれど、視界に入ってくるのは笑っている男共だけ。もう一度マスターに目を戻し、青年は口を開く。
「をーい、俺が行ってやってもいいぞ」
しかし、声を出す前に肩を叩かれ、聞きなれた声が耳に入ってくる。だけど、口調はまったく違うもので違和感を覚えた青年は、肩を叩かれた方に顔を向ける。
「ラッシュ……」
名前を呼んでいた。肩を叩いた男は、青年が知る男によく似ていたから。
少し焼けた肌に、すらっとした鼻筋。それに沿ってぴしりと伸びた凛々しい眉に、跳ねている短い黒髪。特に、どこかあどけなさが残る黒い瞳は、そのまま生き移したようだった。
「はぁ? 何言ってんだお前。俺は英雄ラッシュみたく、突っ込んで死んだりしねぇっつーの」
肩を叩いた男は、ぶっきらぼうに言い放つ。
イメージしていた人とはあまりに違う口調に、思わず青年は一歩引く。そして、彼をマジマジと見つめた。
どう見ても似ているが、凛々しい眉は額に寄って皺を刻んでいるし、あどけなさが残る瞳は細められて訝しげだ。
見たこともない表情に、青年はどうしていいかわからず、そのまま口を閉じてしまう。
「まぁ、いいや。他の誰もいかねぇよ。あんなとこ。俺はこれ、次第だったら一緒にいってやる。ただし、命危なくなったら逃げるがな」
これっと指で丸を作り、お金の仕草を男はしてみせる。
青年は、彼が言っている意味を理解したと同時に、彼が知っている人ではないことにも気がついた。彼はあの人とは別人だ。
青年は懐から、小さな麻袋取り出す。そして、肩から男の手を退けて、その手の上に麻袋を乗せる。
「前金だ。もし成功したらその十倍の金額を貴様にやろう」
「をいをい、いいのかよ。本物の宝石だぜ? しかもどれも一級品、これだけで十分遊べる量あるぜ?」
「あのドラゴンを倒しに行くんだ。当然だろ?」
男は受け取った麻袋を開けて、中身を確認する。中から色取り取りな宝石の塊が姿を現し、男は指に持ちながらマジマジと観察している。
「その金額で、貴様を雇えるか?」
「もちろん。金の分だけ仕事はしますよ。っと」
上質の宝石に機嫌をよくしたららしく、男はにっと口端をあげて笑う。
笑い方も違うのだな。と思うと、青年は苦笑った。
「ま、よろしく。俺はガーツ」
「私はルーナだ。ルーと呼んでくれ」
ガーツが差し出した手に、ルーナは一回り小さな自分の手を重ねた。握り合わす手は暖かい。
契約を結ぶと、ルーナはマスターに代金を支払い酒場から出て行く。ガーツも何も言わずに彼の後を追う。
小さな街を二人は出た。ルーナが止まることなく歩いたからだ。
ガーツもしぶしぶと後についてきたが、流石にそろそろ疑問に思ったのだろう、早足で歩くルーナに駆け足で近寄り、肩を掴む。
「なぁ、もう出るのか?」
「ふっ、その前にやることがあるだろ?」
ガーツの手をパシリと払い、ルーナは口元だけ笑みを浮かべて言う。
フードを取らないルーナの表情があまり読み取れないせいかもしれないが、ガーツは訝しげに眉根を寄せて彼を見る。
ルーナは気にも留めずに腰に差した細身の剣をシュっと抜き、ガーツへと向けた。
たじろぐガーツ。
「やること?」
「力試しだ、ガーツ」
ふふっと不敵に笑ったかと思うと、ルーナが地面を蹴った。
たなびくマントに鋭い眼光。魅入られた。金色の光り輝く瞳は、ガーツを捉えて離さない。
ガーツの頬を痛みが走る。
「――っ!」
「今度は、本気で行くぞ? 武器を出せ、ガーツ!」
頬を掠めた痛みに、固まっていた身体がようやっと動き出す。後ろから聞こえる声に、ガーツは振り向いて、構えなおした。
「武器はいらないっていうことか?」
「ばーか、わざわざ手の内見せるような真似はしないっつぅんだよ。ルー!」
不満そうな声に、ガーツは笑いながら人差し指をくいくいっと動かしてルーナを挑発する。
更に不満そうに歯軋りをして、ルーナは再び地面を蹴った。
先程同様鋭い視線が射る。
けれど、ガーツは今度は固まらなかった。腰に添えてあった武器に手をかけ、踊るように襲い掛かってくる相手へと手を翻す。
ヒュン!
風を切る音がルーナの耳に届く。と、同時に手に持っていた剣の重みが消えた。
驚いて、ルーナはガーツの目の前で止まる。
「……鞭か」
一歩下がり、何がどうなったのかを確認すると、ルーナはぽつりと呟いた。
目の前の相手に握られたいる長く細い紐状のもの、鞭と言われる武器にルーナの獲物は絡め取られている。
「ただの鞭じゃないぜ? 特殊な素材でできてるからこんなことも、できる」
ふっと息を吐くと、ガーツが手を動かしてもいないのに、鞭は巻きついていた剣を離し、ルーナの方へと放り投げた。
ルーナは目を細めて鞭を確認する。
「やはり、七星秘宝。人の意を汲み取り、変化自在に動く。と言われる七星秘宝の一つか」
「やはり?」
嬉しそうに口だけ笑むルーナに、ガーツは違和感を覚えた。
まるで、ガーツがそれを持っているのを知っていた。とでも言うように、ルーナはせせら笑うのだ。
ガーツの背筋に悪寒が走る。
「あぁ、探していた。星のお告げのなすがままに」
「……お前、何者だ?」
まだ仕舞っていない鞭が、ガーツの警戒に反応するように動いた。ルーナの目の前を鞭が飛んだだけなのに、大きな風が彼を襲う。
突如野ことに驚いて、ルーナはその場で動きを失う。
彼の、青年のフードがずり落ちた。
風に舞うように後ろへパサリと落ちたのだ。
太陽に照らせて、光り輝く金色が顔を覗かせる。
ガーツは、目と同様のその色に、またもや目を奪われてしまった。
短くざっくばらんに切られた、髪が風で舞う。
「……お前……」
「――っ」
フードから現れた煌びやかな髪と、白い肌。細い首を見て、ガーツは彼を指差したまま固まる。
「なんだ、バレてしまったか。おいおい話そうと思っていたんだが」
残念そうに、しかしどこか楽しげな様子で、ルーナは掲げていた手を下へと降ろす。
「ルーナ王女!」
フードで薄っすらとしか見えなかった顔が、太陽の光によって鮮明に浮かびあがる。すっとしたシャープな顎と頬に、凛とした強い眉。何よりも特徴的なのが大きな金色の瞳だった。
金髪で金目と言えば、たった一人しかいない。ルーナと呼ばれる、もうすぐ王女になるはずだった少女。
もちろんガーツもそれを知っていた。だから、驚いて彼女の本来の呼び名を呼んだのだ。
「そうだ。だが、私はもう王女ではない。ドラゴンを倒すまではただの旅人でしかないのだ」
フードを被りなおし、彼女は淡々と言う。
どうして良いかわからずに、ガーツは指差していた手を降ろした。
「ガーツ、私は英雄になりたいのだ。七星秘宝を集め、ドラゴンを退治するのに付き合ってくれるな? いや、星のお告げだ、絶対付き合ってもらうぞ」
少女と言うにはあまりにも相応しくない、含みのある笑い方を目の前の旅人はする。
逃さない。そう言うようにルーナはガーツを見た。金色に光る、鋭い眼光で。
「そうだ。まずは、七星秘宝にまつわる、昔話をしようじゃないか」
それが、全ての始まり。