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愛に伴う補償

作者: 伊庭 当

『結局のところ、付き合ってるのにさ、見返りのために尽くすっていう、それがもうおかしいんだと思うよ』


 友人からそう言われ、違う、と反論したのはいつだったか、もう細かくは思い出せない。

 そもそも、違う、と返したが、何を違う、と思ったのだろうか。私は見返りのために尽くしている、と言うことだろうか。それとも、見返りのために尽くすのが間違っている、という考え方に反論しようとしたのだろうか。それすらもわからなくなる程度には前だった、ということはわかる。


 彼の遺品を整理しながら、私の胸に浮かんだのは、そんなことだった。

 彼と私が付き合いはじめたのは、大学時代からだった。サークルのリーダーとして周りを引っ張っていく彼の快活さに牽かれ、告白をした。告白は受け入れられた。

 卒業と同時に同棲をはじめ、彼を支えることにした。少しわがままなところのある男だったけど、そのわがままに応え、あるいは先回りして彼の願望を満たすことがただ、無邪気に嬉しかったし、彼の好みに従って自分を変えていくのにも、充実した悦びを感じていた。


 つう、と、ペアのマグカップに指を這わせる。緑とピンクだ。別に、デザインも、色も、私の好みという訳ではなかった。ただ、彼が好きだったから、これにしたのに過ぎない。


 彼は仕事の辛さを家で発散するタイプだった。帰ればまず、口を突いて出るのは上司や取引先への恨み、辛み。やがて、自分がいかに頑張っているのかを強調し、だからお前は幸せな女なんだ、お前のために頑張っているんだから、としきりに同意を求めてくる。それを確認することによって、自らの優位を確認しなければ気がすまない、とでも言うかのように。


 その表現に思いいたって、私は笑ってしまった。そういえば、彼をそう表現したのも友人だった。彼女は、昔、よく家に遊びに来ていたのだ。彼女ははじめから彼のことを嫌っていたし、私とは不釣り合いな男だと思っていた。


 確かに、私が彼にいくら尽くしても、彼が私を労うことはなかったし、それどころかますますそれを当然のものとして増長していった。

 目に見えて衝突が増えていった。些細な違いをきっかけに憎まれ口を叩く彼。私はただ相手を責めはせずに嘆くだけだったが、それが彼の神経を逆撫でし、ますます収拾がつかなくなる。私は恩着せがましい、とも彼はよく言っていた。


『あんたらのそれってさ、愛でも何でもないよね。単に、お互いを支配したい、相手より自分が上に立ちたい、っていうのを延々ずっとやってるだけ』


 また友人の言葉が蘇る。これにも、ただ違う、としか返せなかった。


『ひょっとしたらさ、あんたたちね、本当は互いに、今の状況を変えたくないんじゃないかな。相手の失敗をお互い待ち望んで、それを責めるか、流すかして優越感感じてる。でなきゃ、こんなになってまだ別れないなんて信じられないよ』

 そこまで言われて、私は他人から見て今の二人がそこまで悪化しているのだと気付いたのだった。ううん、これは嘘。本当は、ただの難癖だと思って流していたのだ。きっと、真面目に聞いても結末は変わらなかっただろう。


 そして、彼が病気になった。末期の難病で、余命も長くないという。


 私は、それをはじめて聞いたとき、はっきりと嬉しさを感じていたのを覚えている。

 これで彼も少しは殊勝になるかもしれない。いや、病で無力になる彼への献身で、もっと深い優越感を得られることへの期待だったのかもしれない。事実、私は最後まで彼を支えることを誓ったし、彼も涙を流し、心を入れ換えると言った。


 勝った、と思った。


 だが、もちろんそんなドラマみたいな劇的な改心が起こるはずがない。病により身心の余裕をなくした彼はますますきつく当たり散らすようになり、それを病人として当然のものだと思っていた。


 しかし、もう私はそれに心煩わされることもなくなっていた。彼のその惨めな姿を見下し、優越感を得ることを、その時の私ははっきり自覚していた。


 彼が死に、彼の親族から支え続けたことに感謝の言葉をもらった時、私ははっきり心で彼らを嘲笑っていたと思う。


──でも、まだ足りない。彼は死ぬには早すぎた。いや、あるいは遅すぎたといってもいい。私があの暗い悦びを自覚してそれほどなく死んだし、私が今から人生をやり直すのは、出遅れた感がある。


 マグカップの割れた音が部屋に響き渡る。それと共に、何か快活なものが空間に発散されていくようだ。私は彼の遺品を壊していった。彼とペアで使っていたもの。彼のお気に入りだったもの、彼が大事にしていたもの。全て、全て、全て壊していく。


 全てを壊し尽くした時、私の心には後ろめたさも罪悪感もなく、やってやった、という達成感があった。

 私の今後のために、これは必要なことなのだ。そう思いながら、ああ、私は彼に、ずっとこうしてやりたかったのだな、と思った。

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