二話 『バグ』
「『バグ』が発生したんだ」
「……は?」
王都東部にある、とある酒場。
バーテンダーの一言に、トキオが顔をしかめた途端に店内が騒がしくなった。
大勢の客の歓声だった。店員たちは悲鳴をあげ、右往左往するように、次々と料理を運んできた。オムライス、熱々のグラタン、その他この『仮想』世界独自の料理が、セーラー服を着た少女の口の中へ放り込まれていく。
十分間。指定の料理を平らげることができれば、料金無料のイベントだった……が、その少女はイベントの想定した以上の量を平らげるモンスターだった。次々と店員が力つきていく様をみた、店長がついに脱力してその場に崩れ落ちた。
同時に、青い瞳をした男が暴食を進める少女の手を抑えた。
「お前は、どれだけ食う気だ。店をつぶしたいのか。」
「だって、ここまでくるまでなにも食べられなかったんだもん」
「限度を知れ。オレ達も野宿になるかもしれないぞ、さっきみたいになってもいいのか?」
「うぅ、わかったよ……ある程度食べたし」
少女と男が席を立ち上がると、盛大な拍手が沸き起こる。人でできたアーチをくぐりながら、二人は店を去った。
扉がゆっくりと閉まる。
店内は、祭りが終わった後のような余韻を残していた。
……あの女、オレと対して歳が変わらないくせにどんだけ食べたんだ。
トキオは、ため息を混じらせながら、カウンター越しにいる、バーテンダーに改めて視線を戻した。バーテンダーは軽く咳払いすると、さっきと同じ台詞を吐いた。
「バグが発生したんだ」
「どういうことだ?」
訪ね返すと。バーテンダーにいくつかの写真を差し出された。受け取った瞬間、アイテムはデータ化され、画像ファイルの中に保存される。
戦う、魔法、装備、などの選択、決定、実行ができる『コマンド』画面を引き出して。『アルバム』の項目を選択する。
こうすることで、他人に盗み視られることなく、画像を閲覧できる。
なにもなかったはずの、アルバムの中には数十人の顔写真が添付されていた。その中の一人の男には見覚えがあった。
というよりも、現在進行形で探している人物だった。
ミヤシタ。
二つ先輩で、小学生からの腐れ縁だった。だけど、彼が大学受験生ののときに、暴力事件を起こして、更正施設に入った。
しばらく疎遠になっていたが。
三年経った今、彼は施設でITの技術を身につけて、ゲーム会社のプログラマーとして働いていることを知り、彼を訪ねようとしていたところだった。
それなのに心臓が締め付けられるように苦しくなる。
だけど、バーテンダーは容赦なかった。
「これが、数日前、何者かに殺害された、このゲーム開発者のリストだ。全員刺殺だそうだ。それにも関わらず、凶器が割り出せないでいる」
ところが、だ。とバーテンダーは、もう一枚の画像を、トキオの『アルバム』コマンドの中へ送信した。
コマンドを使って、画像を拡大する。
そこにあったのは、このゲームに登場する武器だった。剣の両端が鋸のようにギザギザしている独特なデザインをしている。
「私も、さすがにまさかって思ったさ。でも、解析してみたんだよ……仮に、この武器が現実で再現されたとしたら、どうなるか?」
「その傷口が、合致した。とでもいいたいのか?」
「それだけじゃない。開発者達は、この世界にダイブ後に殺害されている」
「この世界で殺されたっていいたいのか? ゲームの中だぞ? 警察には連絡したのか?」
「懸賞金はやらないって、鼻で笑われたよ」
「なら、まずこのゲームを停止させればいいだろ?」
「そうしたいのはヤマヤマだが、上の連中がなかなか頷こうとしないのさ。我々運営の独断で、ゲームを停めようにも、この世界にはには四六時中プレイヤーがいる。下手に強制切断すれば、プレイヤーに障害を残すかもしれない……頼みの綱は、ミヤシタが残したプログラムだ」
バーテンダーは、テーブルが手を翳した瞬間。拳銃が形成された。
「これは?」
「ある『バグ』を駆除するプログラムが入っている。同時に、このプログラムの中にはあるメッセージ込められていた」
「メッセージ?」
「トキオ、『バグ』を撃て。サカエを倒したときのように」
何もいうことができなかった。そのメッセージは間違いなく、ミヤシタだ。だから、躊躇することなく、バーテンダーから差し出された銃を受け取った。
『指紋認証しました、アイテムリストに登録します』
頭の仲で声がしたかと思うと、受け取った銃が青白い光を放ち、元に戻った。
「大学受験で忙しい中、どうしてキミをゲームの世界へ招いたか、わかってもらえたかな?」
「この銃を扱える奴がオレしかいないってことだな」
銃を握りしめる。
エアガンを握りしめたことはあるが、今まで扱ったそれらよりも手に馴染んだ。
「……オレは何をすればいい?」
「『バグ』の正体を突き止め、その銃で駆除しろ。我々が支援できることなら何でもする」
ほら、とバーテンダーがメロンソーダの入ったグラスをを差し出した。王都と呼ばれる中世的な街並みに合わない代物だが、ありがたく頂戴することにした。
そういえば、サカエと倒す前も、ミヤシタとこうしてメロンソーダを飲んでいた覚えがある。
サカエ。
それは、ミヤシタとの間にある暗号のようなものだった。小学生のとき、ユキという女の子がいた。当時通っていた塾が同じということもあり、ミヤシタと彼女と三人で、遊ぶ仲になった。
しかし、彼女は気の弱い女の子でサカエという上級生にどこかに強引に奴の家に連れ込まれた事があった。彼女を助けるために、サカエとそのグループに戦いを挑んだ。
トキオにとって、恐怖に震えながら立ち向かった初めてのケンカだった。
サカエという言葉はミヤシタと、トキオにとって、恐怖と勇気の象徴だった。
☆
店を出ると、星雲まで見えるほどの、夜空が広がっていた。街なみは中世的で、現実世界で例えるならスイスのベルン旧市街や、クロアチアのドブロヴニク旧市街ににている。煉瓦づくりの建物や、漆喰で創られた建物を、現代の特に多数を湿る日本人に馴染むように、アレンジされている。
その街並みを眺めながら、仮想世界での家路をいく。街のいたるところに、淡い光の街頭やショップが設置されており、賑わっていた。
この仮想世界は、フィクションでたびたび題材にされる。MMORPGの進化系、VRMMORPGを実現化したものだ。
ゲームの世界を現実世界と同じように体感できることが売りになっている。もう一つの売りはリアリティを追求するために、NPCにも人工知能が搭載されているということ。彼らは、この世界の世界観に併せて思考し、行動する。
これによって、複数のプレイヤー(PC)に混ざれないソロプレイヤーも、孤立しづらくなった。中にはNPCに友人や、恋人を作るような物好きも現れるようになり、現実世界で社会問題になりつつあるゲームだ。
その対策なのか、登録者数に制限をかけており、毎年数万というユーザー登録申請者の中から、抽選で数百名だけが選抜され、登録する権利を得ることができる。
そんな自由度の高いかつ人気ゲーム故に、仮想世界でもたびたびトラブるが発生する。
「泥棒!? 誰か、捕まえてえええ!」
女性の悲鳴がした方へ向き直ると、黒いターバンを巻いた人間がこちらへ走ってきた。背後には中世ヨーロッパ的な布の服を纏う女性が、鬼のような形相で、追いかけていた。
黒ターバンの手には、ジャリジャリと音のする袋が握られている。
財布だ。
……店を出ればさっそくこれだ。
ため息を混じらせながら、店でもらった銃を握りしめる。
頭の中に、銃のマニュアルがインプットされた。
どうやら、この銃はバグの修正プログラムとしてだけではなく、普通の武器としても使うことができるらしい。
「どれ、少し試してみるか」
黒ターバンが、わき道に入ったところを確認したところで、追いかけた。
この世界の時間の夜は、ほとんどの住民がにぎやかさに引かれて、街へ集まるため、脇道にはほとんど人はいない。このわき道なら、思う存分戦うことができる。
握りしめる銃を黒ターバンの背中に向けて放った。
音や、反動ほとんどなかった。ただ静かに、黒ターバンの足を打ち抜いた。
悲痛な声が路地裏に響いた。
足下に転がった、袋を広いあげる。
前を向き直ったときには、黒ターバンの姿がなかった。地面に引きずったような赤い染みが残っているだけだった。
……まさか、逃げる気力が残っていたとはな。
握りしめた銃を構えながら、血の痕跡をたどろうと一歩踏み出した。
そのとき、
「待ってくださああああい」
背後から女性の声が聞こえ、腰のホルダーに銃を納める。
向き直ると、そこにはさっきの女性の姿があった。透き通るような白い肌を、中世の女性衣装に包み、瑞々しさを持った、長い赤毛を背中に流した美人だった。
息を飲まずにはいられない。
「それ、私のお財布なんです」
「そうか、どうぞ」
「ありがとうございます」
袋を、女性は両手を合わせてウフフと笑った。
「とても大事なものが入っているので、助かりました」
「それじゃぁ、オレはあの犯人を追いかけるからら!」
「だめです、そっちは危険です!」
制止する女性を振り切って、人気のない、路地裏を走った。メインストリートから離れるほどに、視界が暗くなる。
そして水路に出た。
小さな川や、草むらに最低限度の街頭、ベンチ。まるで、小さな公園のようだった。
……こんな場所あったけ?
疑問を過ぎらせながらも、血の痕跡をたどって橋をわたり、足が止まった。
視線の先にあったのは、血の池に浮かぶ。黒ターバンの姿だった。追いつくまでのほんの少しの間に何があったのかはわからない。
黒ターバンは足の銃創意外だけじゃなく体ズタズタに切り裂かれていた。銃殺冊するつもりだったのにも関わらず、足が勝手に動きだして、黒ターバンの状態を確認していた。死んでいる。ゲームのマニュアルによれば、殺された場合は、安全確保のため光の粒子になってゲーム世界の肉体は一次的にログアウトされることになっている。この光の粒子になるという演出は、魔物やNPCにも適用される。それなのに、この黒ターバンは死んでいるにも関わらず、光の粒子に変換されなかった。
……その前にまず、こいつはPCか、NPCなのか?
コマンドを開いて、『確認』する。
PC。プレイヤーだ。
異常事態。
脳裏に浮かんだ言葉に反応するように、銃を握り締める。ゲームの中なのにも関わらず、身の危険を感じずにはいられない。そんな予感は的中した。ピクリとも動かなかった、黒ターバンが突然、起きあがったのである。
「……コ、ゴグ、ギ」
奴が奇声をあげながら、クフフと笑みをこぼし、徐々に表情に落ちつきが戻り――
飛びかかられて、押し倒された。
「何しやがるこの野郎!」
無理矢理足で押しのけて、体を起こす。
すると、男はニコニコ笑いながら、こちらに視線を向けて話しかけた。
「言い気分だ。コイツはいい」
「は?」
「お前も味わってみたいと思わないか? この感覚を」
「何言ってやがる気持ち悪い」
とっさに銃を構えて、黒ターバンの胸部に打ち込んだ。その威力に、一瞬、男の体は仰け反るが……効果はほとんどなかったらしい。
胸部に打ち込んだ、傷が一瞬にして、再生した。それだけじゃない。足を引きずった痕跡があるのに。
今は平然としている。
唖然としている間に、黒ターバンに距離を詰められ、ボディを撃ちこまれた。体軋む音同時に腹部に激痛。それは、ゲームとしての痛みを遥かに超えた痛みだった。
現実世界の肉体にダイレクトに、痛みが届いている。
……そんなバカな、現実の体にこんなにダイレクトにダメージが入るのか。
考えている間にも、顔面を殴られ、蹴り飛ばされ、その勢いで、ベンチに腰かけさせられた。全身は焼けるような痛みで動くことすらできなかった。一体どうして、こんな現象が起こっているかもさっぱりわからない。心当たりがあるとすれば『バグ』だ。それによって、黒ターバンが無敵状態になっているということだ。
銃のモードを切り替えた。酒場で初めて手にした時と同じように、青白い光を放つ。これが、この銃のバグ修正プログラムとしての力だ。
だかど、全身の痛みで、銃の照準が男に合わない。
「そんなに手が震えているようじゃ、今のオレには勝てねぇぞ?」
黒ターバンがこちらに手を翳し、魔法陣を形成した。瞬間、その魔法陣から炎の弾が放たれた。
その炎の弾には、本来熱の感覚が弱く設定されているはずなのに、炎が迫るたびに現実と変わらない炎の熱さを感じさせられる。
だめだ、回避できない
観念して、目を伏せようとしたそのときだった。
「やめなさい!」
女性の声が聞こえて、水路の水が、蛇のようにうねり、炎の弾を打ち消したのだ。声がした方に向き直ると、そこにはさっきの赤毛の女性が、魔法陣を形成して水路の水を操っていた。彼女は、こちらに視線を向けると、胸をなでおろして、駆け寄ってきた。
「立てますか?」
「え? あぁ、なんとかな。肩を貸してくれ」
彼女は無言で肩を差し出した。その肩に体重を預けながらゆっくりと立ち上がる。
「今の内に、ここから脱出しましょう。ここは危険です」
「で、でも……奴はどうするつもりだ?」
「どっちみち今は無理です」
彼女に半ば引きずられながら、来た道を引き返そうとした……が、ダメだった。橋を渡ろうとした瞬間、道を炎に塞がれたからだ。
女性がとっさに、水の魔法で炎を消すがすぐに炎が道を塞いで先へいけない。
振り向くと、黒ターバンが、短剣の先端をこちらに突きつけていた。
「このまま逃げられると思うなよ? 初めての獲物なんだ。お前ら、全員殺してやる」
黒ターバンが、姿勢を低くしながら弾丸のような早さで距離を詰めてきた。
そんな奴をうまく阻止できたのは、女性がとっさに水の圧力でほんの一瞬、黒ターバンを止めてくれたおかげだった。
これはチャンスだと思い、握り締めた銃を男に向ける。
女性に支えられたおかげで、今度こそ照準があった。
「……お前こそ、逃げられると思うなよ? 初めての獲物なんだからな」
黒ターバンに言い残した後、トリガーを引いた。銃の光が、放った弾丸に凝縮され、男の体を貫いた。
瞬間、黒ターバンの体が青白く輝き。体が光の粒子となって分解されていく。
「はは、な、なんだよこれ……話しと前々違うじゃねぇかよ。なんだよ、なんだよこれはあああああああ!」
嘆きの声をあげて、光に分解されていく黒ターバンを見て笑っている自分に気付いた。
どうしてだろう。こうして、戦っていると楽しい気分になる。
昔からそうだった。ケンカを始めたり、すると急に体がざわめきだして、とまらなくなってしまう。
負けたくないという気持ちが、勝手に体を動かしてしまう。
落ちつかない気持ちを抑えるために、トキオは銃を引き金に戻すと、道を塞いでいた炎が鎮火した。身の危険が遠ざかったことに安堵の息を漏らす。
肩を貸してくれた女性も放心したように、その場に固まっていた。
「ねぇ……今の、何ですか?」
「オレにもさっぱり分からない。あの黒ターバンが何者だったのか」
「そうじゃなくて! あなたのその武器です!」
「え?」
「そんな武器、このゲームの世界には存在しないはずです。それに、『奴ら』をいとも容易く消滅させられるなんて……」
「え、何? アンタもしかして、PCなのか?」
思わず、マジマジと、女性を見つめた。基本的に、PCのグラフィックは、本人の容姿を土台にしている。そこに、髪型や、メイク。服装を装備することで、容姿を作るようにできている。
だからこそ、驚いた。NPCの創られた人間のように整った顔立ちの女性が現実に存在するなんて思わなかったから。
「私はメリッサ。このゲームの開発スタッフの一人です」
「お、おう……」
美人過ぎて、まともな返事をすることができなかった。
ともあれ、彼女は何かを重要な情報を持っているようだ。
そんなことを考えていたとき、周囲の闇が、モゾモゾと動き出すことに気付いた。
「とりあえず、ここは危険です。私のアジトへ案内します。こっちです」
そういって、メリッサに力強くひっぱられながら、来た道を引き返すことになった。