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In my view

作者: 創谷 著

私の地域では毎年、八月七日に七夕行事をします。夜の八時に地区の子供を集めて、笹林を持つ家が善意で提供した笹竹に願い事を書いた短冊を吊るす。地区集会所の前にそれを括り天へ向けた後、近くの河原へ行き、花火が配られる。各々自由に火花と火薬の臭いを楽しんだら、このイベントは終了です。

月日とは無情なものですね。昔は単純に楽しむだけでよかったのに、いつしか私は準備に奔る側になっていました。即ち私もそんな歳だということです。受け入れ難い事実は隠蔽するのが常道なのですが、こればかりはどうしようもありません。

溜息も自然と漏れるというものでしょう。なんだか憂鬱です。

「さっきからため息ばっかりで、大丈夫かい?」

地方自治団体の何会だったか忘れましたけどその会長さんが作業の手を止めて心配気な顔を向けてきます。なんとか会の会長さんは言いにくいので近所のおじさんという認識でもいいでしょう。それほどその会に権力も財力もありませんしね。

「旦那に嫌気でも差し始めたんじゃないのぉ?」

とかデリカシーに欠ける発言をしたおじさんの奥さん――これもおばさんでいいでしょう――が間延びした声で言います。まっさきにそんな疑惑に至るのは、自身がそう思っている証拠ですよ、おばさん。私と同じことを考えたのか、おじさんは冷や汗をかき始めましたけど、ぎこちない笑顔のままです。ぶっちゃけ元から汗だらけですので判別は付いていませんが。おじさんが会長だろうと社長だろうと、尻に敷かれていることに違いはありません。

「いやはは……、私ももう歳だなぁって思っただけですよ」

「なぁに言ってるの!まだ二十歳じゃない」ばしばしと私の背中を叩きます。暑いのでやめてもらえませんかね?汗で服がへばり付きますし。

あと、二十歳とか言っていますが、どうやら残りの五年はなかったことになっているみたいです。おばさんの中から存在を消された五年分の私、ご愁傷様です。

私は不快な気持ちを押し隠して愛想笑いでやり過ごしました。実に近頃の若者らしい反抗のなさです。反抗にエネルギーを使ったって、得られるものはありませんしねぇ。

せめてこのおばさんの様にはなるまいと誓いながら作業を進めます。竹に付ける飾りの作成です。折り紙をひたすら加工します。輪っかを連ねたり星型に切り抜いたり薔薇を折ったり。いえ、薔薇を折れるのはおばさんだけです。これだけは尊敬できます。どうせ役目を終えれば燃やしてすべて灰燼ですけど。それを思うと徒労感ばかりが募ります。

子供の頃は花火と一緒にもらえるお菓子のことばかり気にかけていましたけど、裏ではこんな辛い作業があったのです。過去の無邪気な馬鹿さが恥ずかしいです。あ、汗が目に入って涙が出てきました。

七夕準備をしている集会所は古くてぼろぼろ、冷房はついていません。扇風機とはべつに、所々から隙間風が通るので、とてもありがたく感じてしまいます。立て直してエアコンをつければいいのにそれができない地方の貧乏さが滲みでます。日本経済、いつ立て直るの?

座布団と身体の接触面が熱くなってきました。しかし、座布団を除けると安くて固い畳。私の軟肌は耐えられないのです。この訴えでおじさんが眩しいものでも見るような顔をしてから、座布団を出してくれたのですが、なんだったのでしょう?原因は脂肪の座布団を持つおばさんでしょうか。

私もいつかああなるのでしょうか。嫌だなぁ……。世の中面倒なことばかりです。こう思うと、暑いのも脂肪がついて太るのも、身体さえなければ問題ない気がしてきます。暑くも寒くもない、スタイルに頭を痛める必要もない、なんてステキなことなんでしょうかー。幽霊がうらやましいのです。ふわふわで壁を抜けられて、移動のく労もない上に起床のくるしみないなんてー××××。あれ?

熱中症ですね。ばたんきゅー。



倒れたおかげで私の分の仕事は全部丸投げすることができました。計画通りですよ、計画通り。運でどうにかなったなんてことは誰にもわかりっこないのですから、自分の手柄にしてしまえばいいんです。

翌日、熱帯夜にもかかわらず子供達が蛍光灯に群がる羽虫のように集まりました。どちらかと言うと砂糖に群がる

蟻の方が適当かもしれません。誰だってお菓子欲しいですし。欲望のままに行動できるってすばらしいですね。この無邪気な子供が大人ぶった子供になって、世間体ばかり気にして何もできなくなります。月日の流れを速めたい。でも歳は取りたくない。悲しいジレンマです。

子供達の未来がどれほど暗いものになるか妄想して時間を潰しているうちに、着々とイベントは消化されていきました。

一応、大人も短冊に願い事を書き込みます。子供達に手本となるような、実現不可能永遠の理想そして矛盾が塗りたくられた願い事です。世界平和だとか戦争の根絶だとか家内の若返りだとか人類皆が平等で幸せな世界だとか。ひとつだけ叶ってもいいようなものが混ざっていましたけど……。まぁ、数枚の短冊が嘘を微塵にして水に溶かして網で掬うという過程で製紙されようとされまいと、子供達は自分の夢だけを追い求めていました。プロ野球リーガーや宇宙飛行士などなど、無理に決まっているじゃないですか。短冊に書きこむ時点でもう叶わないと言っているようなものです。

ちなみに、『不老』の二文字と『全人類の頭がぽわぽわになればいい』というものが気に入りました。前者はわたしが書きました。老けない私を見て嫉妬を集めるとともに、美容を維持できる不老。すばらしい。不死はなんだかんだ悲惨な扱いをよく受けますから、そこまでは望みますまい。後者は、誰が書いたんでしょうね?大人のものより気に入りましたけど。

昨日のこともあってか、おじさんが私のことを気遣ってくれました。身体を大切にしなくちゃいけない状態なのは重々承知しているのですが、いかんせんいい加減な性分でして。

「あつい……」

場所が河原で時間が夜だというのに。地球の気候はほんとう、どうなってしまうんでしょう。無責任にそう思います。エコも省エネも実践していない人間なのです。私個人が憂いても何も変わりませんので。

ところでエコエコとまるで外来語のように言っていますけれど、とっくにエコは日本語になっていまして、語原のエコノミックは経済的という意味です。省エネだと電気代油代が浮いてエコノミック!が転じて環境によいという言葉になったそうです。勝手な勘違いでも広域でなされれば本当になってしまういい事例ですね。

あとはもう子供達が思い思いに火遊びをするだけですので、監視は親御さんに任せて私は一人堤防をぶらつきます。家に帰っても、構造上空気の籠もるものでして、まだ昼間の熱が残っているんじゃないでしょうか。クーラーはどうにも苦手です。どうしてかすぐに喉が乾いちゃう。

ここの川はささやかさとは無縁の急流なのですけど、水音に紛れて違う音が聞こえました。その時にはもう攫われていたんですけどね。

「ふえぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

小型トラックとも言うべきなんでしょうか。輸送トラックを一回り縮めて機動力を確保した造りの黒い車です。ちなみに無灯火。といっても、こんなところを通る車どころか人なんて滅多にいないんですけど。

瞬く間に狭い車内で首をホールドされ、足も絡め取られてしまいました。唇も抓まれて声を出すこともできません。

「動くな。喋るな。暴れるな」なんて言われましてもねー!

「んー!んー!×××××ー!」痛いですー!いったい何が起きているんですか!?

「お静かに」運転席から腕が伸びて来ました。ナイフが月光で煌めいていました。効果覿面でした。

いつこんなことになるフラグを立ててしまったのでしょう……。私は理不尽な運命を呪い、そして回避できない無力感に打ちひしがれました。決して目に見える暴力に屈したわけではないのです。本当ですよ?

ようやく唇を離されました「仲間の数と配置、武器の数と種類を言え。潜伏先もだ」

まっしろな頭で必死に考えます。無回答だと殺されてしまう「わわ、わ私は、ぼっちなのです。武器、武器は、強いていいえばこのみ、見た目が武器です?」後頭部で誘拐犯の怒りを感じ取ります。やっちゃっいました!

首を締め上げられます。ぐぎゃー。ちょっ、ちょっ、死にたくないです。しかし抵抗のしようがありません。私はまず、冷凍庫に隠してあるハーゲンダッツを想いました。こんなことならさっさと食べておくべきでした……。次

に旦那さんのことを思いました。なんだか何も言えません。今生の別れを念じます。おさらば。

隣から救いの囁き「やめなさい、トマト」ナイフを突き出した本人が何いけしゃあしゃあと今更好感度上げるようなことを言っているんですか「この人は一般人らしい」

「へ?」ずるりと拘束が解かれます。

気付けばナイフもとっくに仕舞われていました。止められていた呼吸を再開し、ようやく状況を掴む余裕が生まれました。ちょっと愕然としました。すごいスピードでこの車走っています。200キロくらい。しかも身にかかるGで後ろへ押され、さらに驚愕しました。私の首を絞めやがってくださった人は女の人だったのです。しかもうらやましいことに、とても大きいです。やっぱり運命というものは理不尽でした。

意味をなさない女の人の声をBGMに「こちらの勘違いでこのような無礼を働き、申し訳ない」道路交通法違反運転手は顔すら向けずに謝罪します。運転中とはいえ、やっぱり誠意を感じられません。憤慨ものです。

それならさっさと降ろして欲しいという旨を伝えたいのですが、生来の人見知りと口下手さがそれを阻害します。何か反応しなくては。しかし身体は応えてくれません。

「ああ、無理に喋らなくても結構ですよ。ナイフで脅され殺されそうになった直後に、びっくりカメラの看板を出されようと、自分だって茫然とする。落ち着くまで呼吸に集中なさい」

勝手に勘違いをしてくれたので、ありがたくのっかります。この歳で他人の膝の上でくつろぐなんてことがあるとは。いやはや、人生よめませんね。おかあさんを思い出します。

「自分はニラ、そちらはトマトと言います」どうやらサイヤ人のようです「改めて、危害を加えてしまい、申し訳ない。ほら、トマトも」

「すみませんでした」後頭部に息がかかってこそばゆいですね……。

「……謝意を示すのはもういいですから、早く降ろしてもらえませんか?」できれば家まで送ってもらいたい。

しかし答えは希望に反して否でした「我々は今、殺人者に追われている。奴を撒くまでこの車は止められない。それでも降りたいというのなら、どうぞ」喋り方の印象通り、ニラさんは非情でした。

「殺人者……ですか」後半のセリフも驚きでしたけどね。死ねってですか。

反芻しても現実味をまったく帯びません。確かにニラさんは一端のボディガードだとか殺し屋だとかの風格はあります。けれど私の椅子と化しているトマトさんはそぐわない。実はただの仲良し夫婦で、通りすがりの私をからかっているのでは?

どれほど手の込んだイタズラなのか、訊いてみましょうか。

いかにも不承不請といった感を装い「……わかりました。逃げ切るまで、付き合います」緊張で噛みそうです「ですから、それまで暇つぶしに、追われている理由、お話ししてくれます?」

ニラさんはこれ見よがしに溜息を吐きました。一度私をチラ見して、次にバックミラーに視線を向けます。そういえば追跡車は?私も見ました。静音性の高い燃料電池自動車が確かに走っていました。同速度、まっくろ、無灯火。

ちょっと冷や汗が出ました。

「……いいでしょう。我々も悪の組織というわけでもない。正当性と革新性をご自分で確認なさい。また、革新には保守が敵対するのも道理だと」

革新?

ニラさんがアクセルを踏み、さらにスピードを上げます。今、どのへんにいるのでしょうか。いつになったら帰れるの?運転に専念したニラさんは無言でトマトさんにバトンタッチを強います。

「……人文研究グループ、アドバンシス。これが依頼主で、あたしたちは、まぁ、運び屋と言ったところ」殺し屋ではなくて、ですか「疑問があるなら、インターネットで調べれば。ちゃんとサイトあるから」ちゃんと帰れたらね。

そこで話は終わりました。

「まだ追われている理由を聞いていませんよ?」サイト云々で誤魔化せたとでも思ったんでしょうか……。

「荷物、話していいの?」不安そうにニラさんに確認を取ります。

「……そうだな。お前の口下手を治すのに丁度いいだろう」

「ぐ……」微笑ましいですね。絶賛、逃走中「運ぶ荷物は、アドバンシスの要人四二名とそのボディガード五八名、

計百人。それを、敵対グループから守りながら用意されたシェルターまで」

「百人も乗ってるんですか!?」大きさからして無理です。半数ほどぺったんこにして折りたたみでもしないと、この車に百人は不可能「そんな話、信じられません」

「乗っているのは、人間じゃない」

「本人たちが聞いたら契約を切られる」すぐさまニラさんがトマトさんを嗜めました「自分も、あれを人間と称していいのか否か、保留しているが」

クエスチョンマークが頭を占めます。トマトさんのたどたどしい話を我慢して聞きます。

「アドバンシスは未来、人間がどう発展するか研究するグループ」「地球に住み続けるべきなのか、宇宙へ旅立つべきなのか。長寿化すべきなのか、本来の寿命にもどすべきなのか。機械化を促すべきなのか、手作業に拘るべきなのか」「最近、ある研究が完成して、グループの総意も定まった」「肉体を捨てるべきか、否か。グループの意見はべき」「それを聞きつけた敵対グループの地母会が、これを危険思想とし排除しようと」「現在」この状況というわけですか。

ということは、荷台に収まるはずのない百人は、肉体を持ちて候はじ……?失敬、混乱して口語が乱れました。

「……もういい?」

「ああ。……もうしばらくお待ちください。仲間が後続車を破壊しました」直後、爆発音と爆風がああぁぁぁ!……怖かったです。ガラスは割れますし車は跳ねますし……「直ちに、貴宅に送り届けましょう」

乗っていた人は大丈夫なんでしょうか。やっぱりこの人たちは殺し屋です!早く帰りたい。

追跡車はもういないはずなのに、高速を維持したまま帰途につきます。ニラさん曰く、どこで見られているかわからない、だそうです。

ほどなく、私の家の前で停車しました。名乗ってすらいないのに住所が割れています!恐ろしい!

愛想なく別れたお野菜コンビともう縁がないよう祈ります。塩もまきます。織姫と彦星にも願います。ついでに南無阿弥陀仏と唱えて十字も切りました。節操なし。

私の緊急事態にも気付かずにいた旦那に、精神衛生のため一通り甘えてから寝ました。とても戸惑っていましたけど。近頃はいつも眠たいので、旦那成分のおかげと相乗して、寝付けないということはありませんでした。

しかし、天からの罰ってのは本当にあるんですかねぇ?



翌日、旦那を見送ってから不安になりました。一人が怖いのです。さすがに車とすれ違いざまに攫われることはな

いでしょうけど。

落ち着かないまま洗い物を済ませます。早く終わらせて、ご近所へお菓子を持っていきましょう。そのまま一日お喋りに興じてしまいましょう。早急に!

無情にもインターホンが鳴りました。出たくありません。これはもう居留守です。私はいるけどいないんです!

女性の声が聞こえました「いるのはわかっています。開けてください」私は震えが止まらなくなりました。

きっとお野菜コンビの仲間が、関係者を、目撃者を消しに来たのです!出たら殺されてしまう……。うう。今のうちにハーゲンダッツを食べてしまいましょう。

冷凍庫に鎮座するそれは後光を発しているように見えました。冷気を浴びるだけでこれから味わうものに期待が高まりました。スプーンを出して、甘い魅惑のお菓子を口に含みます。広がる甘み、ひんやりした感触。口内が一気に唾液で満たされます。溶け切るまで舌で弄んで、ようやく次の一口へ。今度は噛んでみます。独特の食感が新鮮です。滅多に味わうことのできない、歯が0℃へ近付く感覚。涙目でスプーンを次々と運びます。にっこりと笑いかけられました、窓の外から。頬を伝ったのは涙なのか溶けたアイスクリームなのか。

「至福の時を誰にも邪魔されずに過ごしたいご気持ちはわかりますよ」と来訪者は居留守を許してくれました。

一見、武器を隠し持っている風には見えません。私は自称ひ弱で病弱な深窓の令嬢ですから、同じ女性相手だろうと負けること請負です。首を絞められたらどうしようかしら。

「わたくしはこういう者です」と名刺を頂きました「地母会の講師として、会に属しております」と中浦ジュリアンさん。偽名ですね。ご本人は十字教弾圧の憂き目に遭い、逆さ吊りの刑で亡くなったそうですが、貴女も是非そうなりやがれてください。

「そのぅ、今日はどういったご用件で……」愛想笑いを浮かべます。

「昨日、誘拐まがいのナンパで無理矢理ドライブをされた、と伺ったものでして」あれがナンパですか、とても傑作です「目立った事件はこれなのですが、他にも何らかの不運な境遇に遭っていらっしゃらないですか?」今現在ですね「それら不幸はすべて母からの加護が失われているからなのです」

とってもアヤシイ講義が始まりました。

「我々は母なる大地、地球によって生かされているのです。衣類、食物、家屋はもちろんのこと、経済活動の場も大地ですし、今吸って吐いている酸素だって地球の引力なくしてはこの濃度で存在できない」「我々人類が生きていられる環境まで整えたのも地球なのです。溶岩の海に灰覆う空では、凍てついた大地では、毒の塵が漂っていては、とても生きていられない」「産業革命が起きたのだって、それを可能にするほどの資源が用意されていたからです」「そんな奇跡的とも言える我々の先歴史は、すべて母の温かな見守りがあったからこそ」「奇跡的と申しましたが、これはもう奇跡としか」「未だ人間は弱く、母なくして生きられない」「貴女の不運は、母の加護が薄れているからです」「つながりが薄れてしまった、それが原因で」「土仕事などいかがでしょう?もっと母とつながりたいと思うのであれば、例としては山籠もりや孤島旅行など」「会の方ではそのお手伝いなどさせていただいており」「なにかございましたら、こちらにご連絡ください」「長々と話してしまい」云々。

途中から意識が薄れてしまって、ありがたくも空々しい講義の内容が飛び飛び。時と場所を選びませんね、睡魔って。さすが悪魔。

まぁ、ほとんど当たり前のことを言っていただけのようですし。後半はただの宗教勧誘でしたし。入るわけないでしょ。

私の無関心を悟ったのか、話題が変わりました「もしかして、今までの地球の積み重ねを、無に帰すような考えに、賛同していらっしゃるのですか?」どうやらアバンドンなんとか??昨日のなんとかグループに帰依したと思われたようです。

「いえ、別に、まぁ……」答えを断ずることができませんでした。頷くと目の前の人に、横に振ると昨日の方に、やられる。殺られてしまう……!

「いけません!それは生物史および現生態系に至るまでの、無数の命に対する侮辱です!いったいどれだけの犠牲を払って、一歩一歩進化してきたと思うのですか。我々が生物の完成形なのです。地球を、全生物を、先導しなければならない、責任があるのですよ。それをすべて放り出して、自分だけの世界に生きるなど、言語道断。あってはならない所業です」

「はぁ……」曖昧に相槌を打っておきます。

と、中浦さんは急に声を潜めました。

「ここだけの話なのですが」やめてください、機密情報は口封じに直結するんです、私は生きたい「アドバンシスの新技術は、危険です。苦しむだけ苦しんだあと脳を焼き切ってしまう、おぞましいものですよ」

そういえば、要人と護衛が肉体を捨てたとか言っていましたけど、いったいどういう方法なのかしら?知っていそうな人物が目の前で熱弁をふるっているので訊いてみましょう。

「その技術って、詳しくはどういったものなのでしょう?」言ってから口封じという言葉を思い出しました。相変わらず、物覚えの悪い私。馬鹿、私。

「貴女もこれを聞けば彼らの非倫理の程がわかるでしょう」今更止めらません。この人の口の軽いこと軽いこと、感嘆ものです「脳に電極を刺して一時間の反応テスト、その後スキャンします。反応テストでは状況判断能力や感情の動きを記録し、スキャンによって思考回路と人格をコピーする。それをスーパーコンピュータで運用するのです。そしてあたかも同一人物のようなレスポンスをするアプリケーションが完成します。反応テストは激痛が伴いますし、スキャンの際には脳が焼け切れて、本人は死にます」

本人が死にます、という部分だけ嫌に耳に残りました。何とも言えなくなり、引いたような表情を作りました。沖浦さんはそんな私を見て、満足そうに頷きます。人を疑うことを知らないようでした。表情もころころ変わりますし。あなた、講師に向いていませんよ?

気まずい雰囲気になりました。

「長く時間を割かせてしまい申し訳ありません。そろそろ失礼させて頂きます」

「……こちらこそ、ろくなおもてなしもできなくてすみません」

「いえ、構いませんよ。わたくしも、ご気分を害するようなお話をしてしまって。本日はありがとうございました」

ようやく沖浦ジュリアンは撤退しました。緊張で胃に穴が空きそうです。その穴をまたハーゲンダッツで埋めます。

人間の電子化。そういえば、一昨日も身体がなかったらと考えていました。それがひっそり実現していたのです。信じられません。

もし、私にも、身体を捨てるか保つか選択肢を与えられたら、どうするんでしょう?

答えが出ない内に、またインターホンが鳴りました。泣きたくなります。

もう居留守を使う気力もなく、しぶしぶ玄関へ向かいました。ニラさんがいました。明るい場所で見るニラさんは清潔感のある渋めのいい男でした。

「お茶会にお呼びがかかっているのだが、いっしょに行きますか?」ナンパされちゃいました。



今回のドライブは安全運転で安心して後部座席に腰を落ち着けます。無言の車内で窓の外を眺めていました。どこか喫茶店にでも行くのかと思ったら、市街地を抜けて山の方面へ。田園風景を眺めていると、ある屋敷の前で止まりました。稲作で一財産築いた山代邸です。山代さんのお宅で?ニラさんの実家でしょうか?

ないない。

敷地が塀で囲まれた純日本建築のお屋敷から、どこか異様な空気が流れていました。なんというか、電磁波的なものが。

「山代進はアドバンシスのパトロンの一人で、自宅にも研究所を造ったらしい」とニラさんが説明してくれました。車を降りて、無断で敷地へ「こちらです」茶室がありました。どこまで和風に拘っているのかしら。憧れますけど。

にじり口をニラさんが開けてくれました。レディファーストがなっていて感激しました。その様のできていることと言ったら。昨日今日の仲で、誘拐犯と被害者なのに、惚れてしまいそうです。私、既婚者なのに。

「お連れしました」とニラさんは中にいる男性三人?に言いました「自分の仕事はここまでですので、失礼」行ってしまった……。いえ、がっかりなんてしていませんよ?

「初めまして。こちらは山代進様」と若々しいオーラを発する好青年が上座に座る壮年の男性を紹介してくれます「私は人文研究グループ、アドバンシスの樋井です」次にコンピュータのデスクトップを指します「こちらは同、木村です」

「急に呼び立てて、すまない。どうしても、あなたの意見が聞きたくて、この茶会を開かせてもらった」

『僕もこのような格好での参加、恐れ入ります』

丁寧に挨拶されて私も慌てながら挨拶し返しました。どこか不自然なところがなかったか心配になります。

山代さんの奥さん(たぶん)が音もなく現れて、抹茶を入れてくれます。茶をたてるしゃわしゃわという音が茶室を満たしました。蝉の鳴き声みたい。その間、庭の景色を楽しむものなのでしょうけれど、作法を知らない私はぼんやりと奥さんの手先を見つめていました。

お茶菓子といっしょに頂いて、口を潤します。こういうことなら、ちゃんと作法を学んでおくべきでした。山代さんの茶を飲む一挙手はとても美しく、男性の力強さを感じさせ、けれど乱暴さは欠片も見当たらない、一種の芸術のような動きでした。樋井さんは私とどっこいどっこいでしたけど、画面の向こうの木村さんは機械的な動きで茶をすすっていました。

「うーん、やっぱりアバターの動きに人間味が足りないなぁ……」『僕からの命令は抹茶を飲め、だからね。いちいち細かなことを命令していては意味がない。君だって、別に筋繊維一本一本に命令を送っているわけではあるまい?』「次は回線数を増やしてみるか」『むしろ回線なんて取っ払えばいいだろう。電子世界での肉体はこのアバターなのだから』「直結しろと?しかし、それだとまた肉体に縛られることになるのでは?」『当面の処置だよ。第一段階としては、生命活動の必要がなくなっただけでも成果だよ』樋井さんと木村さんは研究に余念がない様子。会話を聞く限り、木村さんってもしかしたら。

私のお茶菓子がなくなったところで、山代さんが本題に入りました。

「この度は、お招きに応じて頂き、感謝します」

「いえ、おいしいお茶も頂きましたし、礼を言うのはこちらの方です」

「お口にあってよかった。自分も家内の腕に惚れましてな」のろけられました「えー、先ほども言ったように、あなたの意見を聞きたいと思う」山代さんの眼光が鋭くなりました「自分はアドバンシス後援会の一員で、肉体を捨てるという今計画には賛同している。しかし、前代未聞のことで他に例がない。賛同していると言っても、踏ん切りがつかずにいる。そこで第三者の意見を、ということだ」

「……いくつか伺ってもよろしいでしょうか?」話すのはどうにも苦手で、言葉の構築に時間がかかります「まず、どうして私なのでしょうか?あと、身体を捨てることの利点ってあるんですか?」まだ聞きたいことはありましたが、うまく言葉にできず、この二つでいいかと諦めました。

「何故あなたなのかと言えば、この計画は秘密裏に進められていまして、そもそも知っている人は極小数。そのほとんどがアドバンシス関係者もしくは敵対チームで、客観性のある意見を持つ第三者は、現状あなた一人だからです。身体を捨てることのメリットですが、まず挙げられるものは死の概念の変化です。肉体を持つ限り、魂とも言うべき存在を記録するデバイスは脳となる。脳は有機物で、いずれは必ず死滅する。しかし、それを物理メモリに乗り換えれば、まず死ぬことはない。メモリ自体が劣化してもまた別のメモリに移ればいいだけです。当然、病気による死亡はまずあり得ない。次に生命活動の放棄。肉体がないのだから物を食べる必要も睡眠を摂る必要もなく、生殖する必要もないものですから雑念といったものがなくなります。またそれに時間を割く必要もない。これによって食糧問題、土地問題などが解決できる。ヒトから生物的、野性的な構成を除外するのだから、文明人として飛躍した進歩となり得ます」云々。

素晴らしい講釈です。地母会の講師より断然論理的でした。

生徒気分で質問「死んでしまうと主張する人もいるようですがー」学生時代を思い出します。

別の人がこれに答えました『もっと研究が進めば脳を破壊せずに移住することはできるんだが。あー、昔読んだ小説なんだけどね、これと同じような実験をして、どうなるかっていうシーンがあってね。完全にコピーして、マイク越しに対話して、両者自分がオリジナルだと主張して、しかし論争では肉体がないコピー体が圧倒的に不利。言いくるめられる内に発狂して崩壊する。というお話。どうにも、完全同一人物は二人と存在してはいけないようだ。この辺りは、クローン技術の倫理問題と共通するかな』

鳥肌が立ってしまいました。よくそんなことを考えるものだと、作家に恐怖を無理矢理転嫁して、吐き気を呑み込みます。

「どうかね?あなたならどうする?」

どうするんでしょうか。正直言うと、どうでもいいのですが。今、身体を捨てる気はさらさらありませんし。かと言って、地母会のような極端な思想があるわけでもないですし。身体を捨てて、三大欲求がなくなって、移動の必要もなくなりますよね。農家飲食店宿屋風俗運輸が破綻します。そもそも私達が日々働くのは生きる糧を得るためですから、勤労する意義が半減してしまう。また手近な娯楽としての食事惰眠異性交遊がなくなり、ストレスが溜まるのではないでしょうか。でも、悩み自体もなくなってしまう?娯楽は演劇小説絵画音楽などの芸術方面がありますか。感覚も信号を与えれば、別においしいものを食べた気やぐっすり眠った気にもなれますか。身体がなくなれば個性もなくなるのではとも思いましたが、木村さんを見る限り新たに与えられる身体があるのでしょう。天災でメモリ等が壊れた場合はどうするのか。シェルター内に安置するかしら。クラッキングされた場合は?グローバルネットワークに繋げなければいいだけです。電子界中での安全は保障されている。退屈に苦しむこともなさそう。しかし、ほとんどの人が乗り換えてしまえば、いったい誰が働こうとするのかしら。他にも答えの出ない疑問は残りました。

そう悩んだ末に導き出した回答を格言のように述べようと思います。

人生にセーブポイントはない~選択は一度きり~

格好良さの欠片もありませんね。

「ひどくつまらないお答えになるのですが……」

「構わんよ」と山代さん。樋井さん木村さんも無言で私を促します。

「現状、私は乗り換え――移住ですか?そうしようとは思えません。挙げきれないほどの疑問がありますから。私が思い至らないものもあるでしょう。移住すれば現実の私は死んでしまう。もう戻れない。例え、勝率がイーブンだろうと、片や永遠の繁栄、片や取り返しのつかない死。そんな勝負には、怯えて乗らないのが文明人ですよ。負ける可能性を潰して、潰して、勝率九九%になって初めて勝負は成立するんです。……むしろそのために、人間はここまで発達したんじゃないでしょうか?」最後のは思いつきですけど。

知らない人にべらべらと喋り過ぎて背中がべとべとでした。こんなこと言ってよかったのかしら……。一応、言質は取ってあるのですが。

「現状、ということは、いつかは移住してもいいと?」

「ええ。みんながやっているなら」

所詮私も現代人。突拍子もない新風潮は弾圧して、けれど馴染んでしまえば流される。そんなものですよ、世論なんて。

木村さんは笑いました『確かに、そうかもねぇ』画面の向こうでわざとらしくうんうん頷きました『ということは、僕たちは流行に目聡い知識人というわけだ』

「ちゃんと流行ればね」とこちらは苦笑気味の樋井さん。

悩ましげに唸る山代さんは、しばらくして思考を放棄したのか長い溜息を吐きました「参考にします。ありがとうございました」

そしてその場はお開きとなります。山代さんが懐から携帯電話を出して、どなたかに連絡を入れました。

「終わったので、ご客人を家まで送り届けてください」どうやらお相手はニラさんのご様子。

直後、にじり戸が開いてニラさんが顔を出します「車の準備はできている。すぐに出せますが」手際がよい。

さっさとマイホームに帰りたいのでそそくさとにじり戸にすり寄ります。と、ここでひとつ物申して置こうかと。決めゼリフのように決めたいと思います。

「移住しない理由、もうひとつあるんですよ」怪訝そうな顔をする皆さんに言ってやりました「私、妊娠したてなの」これを自覚するとどうしてもにやけてしまいますね。

山代さんはしまったという顔、樋井さんはおめでたいという顔、木村さんは笑顔でなるほどと呟き、ニラさんはこの世の終わりという顔で絶句していました。アドバンシスの方々はどうにも、倫理面に欠如があるようで。だから身体を捨てようなんて発想ができるんでしょうけど。

「では、ごきげんよう」最後は格好よく決められました。

固まっているニラさんに声をかけて乗ってきた車に乗り込みます。

移動中、ニラさんがばつが悪そうに口を開きました。

「申し訳ありません。身重の方を、違法速度の車で連れまわしたり、不安を与えたりしてしまって……」

「いえ、別に何かあったわけではないですし、まだ二ヶ月ですし」軽くつわりも出て来ているんですけれど、そこは隠しておきましょう。

あ、そうだ。

「悪く思っているんでしたら、ひとつお願いしてもいいですか?」

償えるチャンスで平静を取り戻したのか無表情に戻りました「大それたことでなければ」

「メアドと電話番号教えてくれません?」今度は戸惑いの色を浮かべたニラさんがとてもおもしろいです「またお茶にでも誘ってください」

「どうして自分が?」

「それはね」格好よくて気遣いできて仕事に真摯でスーツが似合って仲間以外には非情でそしてなにより「赤ちゃんのことを心配してくれたから。新しい命を大切にしようって考えは、人間がどうのとか身体がどうのとか、難しい考えより、賛同できますし」そこのところ、旦那とほとんどいっしょだったりします。

ニラさんは返事をしませんでした。来た時と同じように、無言のまま。家の前に停車してようやくニラさんは「こちらを」とメモ用紙に書き殴った番号とメールアドレスをくれました。でたらめではないか確認もせず、私は車を降りて、別れを告げました。きっと、嘘じゃないと信じて。

静かに走り出す車を見送って、まだ膨らんでいないお腹に手をあてて話しかけます。

「お父さん、ふたりにしよっか?」冗談です。


地の文が敬体なのは人退の影響受けたからです。

あまり作り込んでないので、上げてしまっていいのか不安になりながらも、推敲加筆する時間と気力がなく、投稿。

会話が主体じゃないのは疲れます。

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