妥協の結婚
ヤンデレからは逃げられないのでこういうタイトルにしたのですが、妥協の本来の意味を調べたら思っていた意味とは少し違っていました。がまあいっかと思ったので投稿します。受容の結婚とかの方が想定していた意味合いは近かったかもしれません。
これは妥協の結婚である。
——世の中に完璧な人間なんていない。
フロレンティーナは自分には過ぎた婚約者を見ていつもそう思う。
「やあ、フロレンティーナ」
「ごきげんよう、キール様」
光り輝く銀髪、琥珀色の瞳、怜悧な美貌。背はフロレンティーナの頭一つ分は優に高く、座ると持て余すくらいに長い脚、適度に鍛えられた筋肉を持ち、それでいて頭も良く、機転も効いて、ユーモラスさえ持ち合わせている。
他者に対しても基本的に誠実で真摯、貴族にありがちな肥大した傲慢さもなく、貴賤の感覚はあれど人を身分で見下すこともない。
植物や動物を愛し、空が美しいことを神に感謝するような心を持っている。
完璧な王子様のような婚約者。
——それがフロレンティーナの婚約者、キール・ヴァレンティノという男である。
が、それはキールという人間の一側面である、ということは、ほんの僅かな人間しか知らないことだった。
フロレンティーナの生家、アルブレヒト邸の応接間にて、じっとりした視線でフロレンティーナを見遣るのは、きらきらしさとは正反対の陰々滅々とした表情のキール。
「さ、今日はどんな一日を過ごしたんだい?」
「特に何も。普通の一日でした」
「違うよね、フロレンティーナ。君が何時何分に誰とどこでどんな会話をしたか、その時の君の気持ちと感情とをきちんとすべからく教えてくれといつも言ってるじゃないか。僕の知らない君がどんな一日を過ごしたのか全部知っておかなければ不安で不安でたまらないんだ」
——はぁ。
これがキールの唯一と言っていいほどの欠点だと、フロレンティーナは思う。
この男は婚約者への気持ちが重すぎる故にフロレンティーナの全てを把握したいとこのような問答を毎日繰り返す。
「キール様、毎回申し上げていますが、毎日毎日何時何分に誰とどこでどんな会話をしたか全ては覚えておりません。キール様のような完全記憶を私は持ち合わせておりませんので」
「どうしてだい、僕は君とこれまでに会話した全てを覚えているって言うのに、君は僕のこと愛してないのか?」
「キール様、愛は万能な願望器ではなく、能力を向上させる効能もありません。人間の感情のひとつにすぎません」
「そんなことない。僕は君のためなら空をも飛べる!」
「だとしましたら、それは愛の成せる技ではなく、キール様の特異な能力に他なりません。比類なき才能をお持ちの貴方だから出来ることを至って平々凡々な私へお求めにならないでください」
キールは、容姿、能力、才能、どれをとっても完璧と謳われる人間だった。
この人が完璧でないなら完璧な人間なんていないとまで言われるほどだった。
けれども。ただただ。フロレンティーナに関することに対してだけは。どんな言葉で取り繕ったとしても。
狂ってるとしか言いようがなかった。
彼らの出会いは幼少期に遡る。フロレンティーナはカーテシーも上手くできないようなそんな年頃で、しかし早々にも婚約を交わすため顔を合わせることになる。
アルブレヒト邸にて内々の茶会が開かれたのは、赤い大輪の薔薇が咲く季節だった。
幼いながらにキールの容姿は圧倒的だった。銀糸の髪、宝石のように煌めく大きな瞳、愛らしさの中に将来への片鱗を覗かせた美貌にフロレンティーナは圧倒された。
とても同じ生き物には思えなかった。眼を見開き不躾にもまじまじと観察してしまう。
それはどうやら向こうも同じだったようで、子どもながらに隙のない美貌がぽかんと口を開いてこちらを見ているものだから、フロレンティーナは一足先に正気へ戻った。
「初めまして。わたくし、フロレンティーナ・アルブレヒトと申しますわ」
「あ、ああと、キール、キール・ヴァレンティノ。君にはキールと呼んで欲しい」
「はい、キール様、これから仲良くしてくださいませ」
「うん、もちろん、絶対。永遠に約束するよ」
いつの間にかぎゅっと握られていた両手は少し痛いくらいに強く、フロレンティーナは幼くもなにかの予感を感じていた。
キールのきらきらしい容姿は、まるで棘を持つ薔薇のように思えたのだった。
自分にはキールの婚約者など荷が重すぎる。そう直感し両親にもそう告げた。両親は良縁だったこともあり残念そうではあったが、可愛い娘が望まないならとそれを受け入れ先方にも断りの言葉を伝えた……はずだった。
しかし二人の婚約は、結ばれることになる。もちろんヴァレンティノ家、ひいてはキールのごり押しの結果である。
キール本人からの「フロレンティーナでなければ、絶対に、誰とも、結婚などしない!」という子どもとは思えぬほどの迫力でされた宣言のせいだった。
そのためキールの両親から縋りつく勢いで頼みこまれてしまえば、フロレンティーナの両親はアルブレヒト家としても断るに断れず了承することとなったのだ。
申し訳なさそうに謝る自分の両親を見てフロレンティーナは、なんとなく己の先行きを悟った。きっと今後キールから逃げることなど出来ないのだろうと。そういう妙に冴えた直感、もしくはある種の危機察知能力がフロレンティーナにはあったようだ。
さて、幼少期のはじまりからして重たい出会いだった二人の相性は、フロレンティーナが杞憂していたほどには悪くなかった。
内向的で読書が好きなフロレンティーナとフロレンティーナをどこにも誰にも見せたくなかったキールとは利害が、まあ一応一致しており、二人で本を読んだり、ボードゲームをしたり、屋敷内でかくれんぼをしたりしてよく遊んだ。
そうして一緒の時間を過ごすうちにフロレンティーナはだんだんとキールに打ち解けていった。
二人が十二歳になる頃、ひとつの変化が訪れる。
それは貴族学院と呼ばれる、王都に住む貴族子息たちが集まるパブリックスクールに通うようになってからだった。
それまで二人きりの閉じた世界だった関係は、一気に変わっていく。当然ながら貴族である二人には、社交というものが望まれ大人になるためのステップを踏む必要がある。当たり前だが二人きりでは成立しないものだ。
キールはもちろん理解していたが、理解していることと現実は常に一致するものではない。
というのもキール自身の想定上に、フロレンティーナがキール以外の他者と触れ合うことが物凄く、ものすごーーーく、苦痛だったのだ。
フロレンティーナはそれなりの美貌と器用さがあった。察しもよく空気も読める。それは(フロレンティーナの関することに対してのみ)気難しく嫉妬深いキールのそばにいた故の観察眼だった。
これまでの人間関係は家族とキールしか無かった彼女の元に、急に現れた第三者たちとの関わりをフロレンティーナは想像以上に上手くこなしたのだ。
そしてキールはそのことがまったく快く思えなかった。
フロレンティーナが人の輪から爪弾きにされることなんて言語道断だが、こうなってしまうとむしろそうなってしまった方が自分が独り占めに出来たのに、などという後暗いことまで考えてしまう。
だがこれからのことを考えれば、こうやってプレ社交界でコミュニケーション方法を学び大人になっていかなければならない。自分も、フロレンティーナも。
「愛しているよ、フロレンティーナ」
「はい、承知しておりますキール様」
「そこは君も愛してると伝えてくれよ」
「……まだ、恥ずかしいのでいやです」
だからキールは渋々、本当に渋々、彼女を誰の目にも映らないように、映さないように、閉じ込めてしまうのではなく。彼女に一日を報告させるだけに留めることにしたのだ。
さて、キールの寵愛は留まることを知らず、いやむしろ歳を重ねるごとに増していくような、そんな気がしているのに気付かないふりをしているフロレンティーナの前に、ひとつの小石が転がってきたのは十六歳になろうかという春のことだった。
「キール・ヴァレンティノ様に相応しいのはこの私です!」
あらあら、まあまあ。フロレンティーナはあっけらかんと、いっそ能天気にその宣戦布告を受け止めた。なんて勇気のある方だろう、こんな喧嘩を売るような真似をするなんて。
昼食を終え午後の授業に向かうフロレンティーナの前に現れた少女は、豊かな金糸の髪を高く二つに結い上げて、ひらひらと鞭のようにしならせながら、あまり上品とは言えない音量で宣言している。
確かひとつ下の学年にやってきた編入生だっただろうか。愛らしい顔立ちと滅多にない編入生ということでちらほら話題になっていた気がする。
彼女の生い立ちは少々複雑で、駆け落ちした男爵家の嫡男とそのメイドを親に持ち、他の後継者に恵まれなかったその男爵家が嫡男の行方を掴んだ時にはその駆け落ちした二人共に亡くなっていて、残された遺児である彼女を跡取りとして引き取ったのだとか。
血筋は半分平民、育ちは市井。貴族としてはハンディキャップのある彼女がどうしてこう、生粋の貴族で伯爵家の姫であるフロレンティーナへ指差しあまつさえ喧嘩を売っているのだろうか。
いや、これは喧嘩を売っているのか? フロレンティーナは自分の思い至った結論に首を傾げる。これは、手の込んだ自殺ではないのか? と。
カツカツカツ、という規則正しいがどこか焦りも感じるような聞き知った足音がして、フロレンティーナはちいさくため息をついた。
おそらく問題は解決した。更なる問題が重なったとも言う。
「やあ、僕の薔薇。ご機嫌いかがかな?」
「ご機嫌よう、キール様。いつもと変わりありませんよ」
「それは素晴らしい。世界は君のために存在しているのだからね。そうでなくては」
「おおげさですよ、キール様。ところでどうしてこちらに?」
颯爽と現れたキールはちら、とフロレンティーナの向かいに視線をやりすぐにフロレンティーナへと戻す。
「ああ、どうやら僕の薔薇に小蝿が集っていると教えてくれたものがいてね」
「あら、そうでしたの。それはご足労おかけいたしまして」
「君のためなら苦労なんてひとつもないよ……もしかしてだけど、アレかい? 君を煩わせた小蝿は」
二人が喋っているさなかも、キールの名を呼び、キールの相手に相応しいのは自分だと叫んでいた誰とも知らぬ少女をアレ呼ばわりしたキールに内心苦笑しながらフロレンティーナは首を振る。
「煩わすというほどでも……」
フロレンティーナは平和主義だ。自分に関することに過敏な反応をする婚約者を持つとこうなると言わんばかりに争い事をさけたがる。それがなおのこと婚約者を煽っていることはわかっていない。キールはフロレンティーナ自身以上にフロレンティーナのことに過敏なのだ。
「キール様!! いい加減こっちを見てください!!!」
かんしゃく玉のように跳ねた声色でキャンキャン鳴く少女はこれから自分がどうなるのかきっと全然わかっていないのだろう。フロレンティーナは哀れにすら思えない。相手をよくよく知らずに行動を起こすからこうなるのだ。
「おまえ、さっきからなんの分際で僕の名前を呼んでいる?」
「キール様! やっとこっち見てくれましたね! わたし、フラワーです、覚えていませんか?」
相手と面識があるか定かでもないのに名前を呼んでいたのか、フロレンティーナはあまりの常識のなさに目を白黒させた。フロレンティーナには少女がもはや人ではなく何かの珍獣に見えてきた。
「おまえなど知らん。僕の名を呼ぶ許可を出した覚えもない」
「そんな、わたしのこと忘れちゃったんですか?!」
フロレンティーナは思った。私と話したことすべてを記憶しているキールなら一瞬すれ違った人でさえきっと覚えている。だから、本当に見知ったことがないか覚える価値もないと記憶から消したかの二択しかない。
「ああ、だがおまえの噂なら知っている。編入してきてすぐに王子や高位貴族の令息たちに取り入ろうとしたアバズレだろう? 顔は初めて見たが、そんな恥知らずが何人もいてはこの学院の沽券に関わるからな」
「あ、アバズレ……!?」
「しかも婚約者のいる男ばかりを狙うものだから国外からのスパイかと一時疑われていたな。あまりの馬鹿さと無能さでこれがスパイだとしたら我が国は相当舐められているとなって今ではただの非常識な女だと言う結論に至ったが」
「な、な……!」
キールのあまりにも容赦のない言葉に少女……フラワーは顔を青くしたり赤くしたりと忙しい。
「ひどい! どうしてそんなひどいことを言うのですか。私はキール様の運命の恋人なのに!」
「は? 寝言は寝て言え。おまえ王子たちにも同じことを言っただろう。おまえの運命はどうなっている? それが本当ならばやっぱりおまえはアバズレじゃないか。自分で証明するなど手間が省けていいな」
ああ言えばこう言う、とでもいうのだろうか。まったく手を緩めることなくフラワーを糾弾していくキールが、見えない剣をブンブンと振り回して的確に相手を切り刻んでいくようにフロレンティーナには思えた。
あんまりにも容赦がないのでフロレンティーナは助け舟を出そうとして声をかける。
「キール様、あの……」
フラワー自体には特に擁護する点がなく、一応人情として声を出してみたものの上手く言葉にならない。この少女が現れてから学院はトラブル続きで大変だったのを知っている。
今まではそれを対岸の火事と見ていただけのフロレンティーナだったが、自分が巻き込まれるとなるとは。
キールはたしかに見目好いし、王子にも引けを取らない優秀な婚約者だ。けれどだからこそこの男のどうにもならない厄介な面をフロレンティーナはよくわかっている。そんな相手に手を出そうとするなんて、やはり自殺行為にしか見えない。
「どうしたんだい、フロレンティーナ」
おずおずと自分の袖を摘んだ愛おしい婚約者へ信じられないほど甘ったるい声と表情を向けるキール。フラワーはその変貌ぶりに目をかっぴらいている。
五秒前まで眼光鋭く睨みつけられていたのだから、その変わりように驚きもするだろう。
フロレンティーナは注意深くキールを観察してかける言葉を考えた。
フラワーに対する脅しを辞めさせる? それとも自分の方を見るように伝える?
「そろそろ帰りませんか?」
フロレンティーナはこの場からの撤退を選んだ。フラワー少女はたぶんそのうちにいなくなるだろう。それはキールの手か、王子や学院側の差配かはわからないけど。
ならばもう貴重なキールの時間を割くこともあるまい。となれば帰宅あるのみ。
「ああ、そうだね。一刻も早く我が家に帰ろう」
まだ婚約状態だというのにキールの家に囲われ……否住まわされているフロレンティーナはそっと頷くとキールの腕に手をかけ馴染んだエスコートに身を任せた。
後日、フラワー少女は案の定、学院を退学処分され家からも籍を抜かれたらしい。その行方は修道院と言われているが真偽は不明。小石は所詮小石にすぎなかったようだ。
「キール様、本当にあの方とは面識がなかったのですか」
「いや、一度遭遇したことがあるよ。王都に行った時目の前で走る馬車の前に飛び出した女がいて、それがあのアバズレだった。あまりにも意図的な飛び出しに見えて一瞬そのまま放置しようかと思ったが相手の御者が哀れでな。しょうがないから女の腕を掴んで引きずり戻したことがある。おそらくそれで僕と縁づこうとしたんだろう」
「あら、まあ……」
フロレンティーナはやはり、と思いながらその手口の杜撰さにドン引きしていた。命懸けで挑戦するにしても随分勝算のない賭け過ぎる。それほど自分に自信があったのだろうか。
「覚えてるなんて言ったらどんな揚げ足を取られるかわかったものじゃないなからな、忘れたふりをした……気に触ったかい?」
「いいえ、それで良かったと思いますよ」
「良かった。君に嘘をつくつもりはなかったんだ。でもあの時はああしないと……」
「もちろんわかってますよ。だから今こうして教えてくれたのでしょう?」
「ああ、そうだよ。ありがとう。フロレンティーナは本当に優しくて聡明だね」
ぎゅっとキールに抱き込まれ、フロレンティーナはそっとその胸に顔を預けた。伝わってくる心音を聞いていると、こればかりはキールも普通の人間と変わらないのだなとフロレンティーナは思った。
あの幼きに日に悟った思いは今もそのまま胸の内に残っている。フロレンティーナは死ぬまでキールに執着されるのだろう。……いや、死をもってしても手放されないかもしれない。
どう頑張っても逃げられはしないし、キールはキールでこうして可愛いところもある。仕方がないのでこの命はキールに捧げてあげようか、なんて。
フロレンティーナは思う。この結婚は、これ以上も、これ以下もない、妥協の結婚なのだと。
だんだん書きたいことが迷子になったのでここらへんで切り上げました。
お読みくださりありがとうございました。




