偽りの薔薇にすべてを奪われた氷の令嬢は、隣国の至高たる太陽に溺愛される
その部屋は、いつも冬の匂いがしていた。
「エレナ、お前との婚約を破棄する。国境の修道院へ赴き、一生を罪の償いに捧げるがいい」
第一王子の冷徹な声が、凍りついた空気のなかで響く。
彼の隣には、私の実家である公爵家の人間たち、そして、私のすべてを奪ってきた義妹のミーナが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っていた。
「お前がミーナを嫉妬し、呪いの魔術をかけたことはすべて分かっている。ミーナのような可憐な薔薇を傷つけるなど、血の通わない『氷の人形』のお前らしい陰湿さだ」
呪いなど、かけていない。
ミーナの身体が弱いのは、彼女が私の「魔力の糸」を盗もうとして、器に合わない力を無理に引き込もうとした反動に過ぎない。
私はこの5年間、誰に省みられることもなく、指先から血を流しながらこの国の結界を紡ぎ続けてきた。私のドレスがいつも擦り切れていたのは、魔力を糸に変えるための触媒として、私自身の衣服の繊維さえも代償にしていたからだ。
けれど、実父も、元婚約者も、私のそんな「献身」には目もくれず、ただ美しく着飾るミーナだけを『我が家の宝』と呼んで溺愛した。
「分かりました」
私はそっと、自分の指先を見つめた。
そこには、この国を包んでいた目に見えない「魔力の糸」が、まだかすかに繋がっている。
「私の糸は、すべて手放します。どうぞ、お幸せに」
パチン、と。
頭の中で、何かが切れる音がした。
私は彼らに一瞥もくれず、ただ静かに、最初で最後の微笑みを残して、雪の降る国境へと歩き出した。
それから、季節がひとつ巡った。
隣国の帝都は、黄金色の陽光が降り注ぐ、息をのむほど美しい都だった。
雪の国境で凍えかけていた私を拾い上げてくれたのは、この国の若き皇帝、ルカだった。
「エレナ、今日のドレスもよく似合っている。だが、君のその美しい髪には、このサファイアの方が映えるな」
ルカは、私のためにあつらえられた深い青のシルクドレスを見つめ、優しく私の髪を梳いた。
彼の指先は、驚くほど温かい。
私が紡ぐ「魔力の糸」は、この国では『大地の綻びを縫い合わせる奇跡の業』として称えられた。ルカは私に義務を強いることはせず、ただ「君がそこにいてくれるだけでいい」と、溢れるほどの愛を注いでくれた。
私の心を満たすのは、かつての冬の冷たさではなく、彼という名の暖かな太陽の光だった。
そんなある日、帝都の謁見の間に、泥にまみれた見窄らしい一団が這いつくばっていた。
我が祖国の元婚約者と、私の実家、そしてミーナだった。
私の「糸」を失った祖国は、またたく間に結界が崩壊し、魔獣の群れに蹂躙されて財政破綻したのだという。ミーナの身体は魔力の逆流で見る影もなく衰え、かつての輝きはどこにもなかった。
「エレナ……! 頼む、戻ってきてくれ!」
第一王子が、床に額を擦り付けながら叫ぶ。
「結界が消えて、我が国はもう終わりなんだ! お前が戻って、また糸を紡げばすべて元通りになる! 公爵家の地位も、王妃の座も、お前に返してやるから!」
実父も、ミーナも、涙を流して私に手を伸ばそうとする。
その姿は、あまりにも惨めで、醜かった。
ルカが私の隣で、不快そうに目を細める。彼が一言命じれば、この無礼者たちはすぐにでも処刑されるだろう。
けれど、私はルカの手をそっと制し、彼らの前に歩み出た。
第一王子たちが、救いを求めるように顔を上げる。
だが、私の瞳に映ったのは。
怒りでも、恨みでも、復讐の歓喜でもなかった。
それは、道端を通り過ぎる「塵」を見るような、完全なる無関心。
「……ルカ様、あの方々は、どこのどなたでしょう? 私の知る方に、あのような泥まみれの方はいらっしゃいませんが」
私の口から出たのは、驚くほど澄んだ、冷たい声だった。
彼らの存在そのものが、私の世界から完全に消去されている。その事実が、どんな罵詈雑言よりも深く、彼らの胸を抉った。
「エレナ! 嘘だろ、僕を、僕たちを忘れたのか……!?」
絶望に顔を歪める彼らを置き去りにして、私はルカに向き直り、甘やかに微笑んだ。
「さあ、行きましょう、ルカ様。お茶が冷めてしまいますわ」
「ああ、我が愛しい人。君の時間を、あのような有象無象に割く必要はない」
ルカは私の腰を抱き寄せ、光の満ちる奥の間へと歩き出す。
背後で彼らが絶望の悲鳴を上げるのが聞こえたけれど、私にはもう、風の音ほどにも聞こえなかった。
私の紡ぐ糸は、私を愛してくれる人のためだけに、いま、新しく美しい未来を織り成している。
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