初めての雪 ~1~
ユウリと暮らし始めて、一週間が過ぎようとしていた。その日は三月にしては肌寒く、灰色の空からはちらほらと雪が落ちてきていた。
ちょっと生意気な初期設定のユウリは、それでもハルトが教えることは素直に聞く。なので、たった一週間で一日の生活に関しては問題なく過ごせるようになっていた。それはもちろん家の中だけのことではあったけれど、とりあえずは順調だった。
そして今、ユウリはハルトが朝食の後片付けをしているカウンターキッチンの向こう側で、大きな窓にはりついて、生まれて初めて見る雪をじーっと眺めている。
「なぁ、ハルト。……あれって、食べられるん?」
雪はいつのまにか牡丹雪に変わっていて、窓の外の風景はふんわりとやわらかなグレーに染まりはじめていた。
「おまえ、モノ、食べれるんか?」
今まで一度も食事に興味をしめしたことのないユウリの言葉は、ハルトにとっては意外で、問いかけに問いで返す。
「食わんでも平気やけど、食べても大丈夫やぁ、言われとるよ」
「へぇ~」
「食べてみたかったら食べてみなさいって。何事も経験やからって」
変わった機械だと、ハルトはつくづく思う。
一週間暮らしてみた感想は、なんていうのか、余計な機能ばかり付いているような気がする。父がユウリを商品として開発したのだとしたら、「いったい何の目的で?」と、ハルトは首をひねってしまう。
たとえば、
「な、ハルト。あれ、食べてみてもいい?」
ふっと立ち上がって、懐っこそうな笑顔を振りまきながら駈けてくるユウリからは、何ともいえない花のような香りがする。思わず見入ってしまう露に濡れたような瞳だとか、いつも淡く色づいているやわらかそうな唇だとか、舌っ足らずな甘い声音だとか、無意味に可愛らしく出来ている。
「……食べたいん?」
「だって、なんか、甘そぉ」
―― 味も、わかるんか?
聞こうとしたのに、好奇心旺盛な子供はこっちが返事をする前に、くるんと踵を返して窓際にもどっていってしまう。
「いっぱい、いっぱい、……落ちてくる……」
冷たい窓硝子にぺとんと頬をつけて、じーっと空を見上げている。
「ハルト。俺、屋上に行ってみて良い?」
くるんと振り向いて小首を傾げて問う姿も愛らしく、ハルトの鼓動が「とくん」とひとつ鳴る。
それはまるで、泡沫のような鼓動だった。
深い水底から浮き上がってくる水泡の中には、なんだかどうしようもなくなってしまうハルトがいる。まんまるな泡のなかで気持ちよく眠っていたハルトは、水面に押し出されて、パチンと弾けて目覚める。
機械相手に心拍数が上がるとか頬が熱くなるとか……、そんなことはおかしなことだと知っている。なのにユウリは、あまりにも無邪気に笑ったり怒ったりするから、ハルトはいつの間にか、ユウリが機械であることを忘れてしまうことが多くなっていた。だから、
「かまわんよ。やけど、雪、食べたらあかんよ」
「なんでぇ?」
「腹、こわすから」
「そうなん?」
「そう。やから食べたらあかん」
「腹こわしたら、きっとパパさんに怒られるなぁ。怒られるんは、嫌やなぁ」
人間の子供にする注意を何の気なしに言えば、ユウリも本当の子供みたいな受け答えをする。
「わかった。食べるんは諦める。やけど、触るだけやったらどうやろ? それもあかんのかなぁ?」
「それやったら、平気やろ。やけど、あんまり長くおったらあかんで。風邪ひいてまうからな」
「うん」
そうして、にっこりと笑ったユウリは、パタパタと部屋の外へと出て行った。
ユウリが「風邪」なんて言葉を知っているのは、二日前に来ていたトオルがマスクをかけて来ていたからだった。トオルは「防寒対策だ」なんて言っていたのだけれど、その時に「風邪」という言葉もついでに教えていた。
でも、ユウリが風邪なんかひくわけがないことをお互いが知っているのに、ふたりともそのことには触れない。あくまでも人間らしく生きようとするヒューマノイドは、一日、一日と、人間らしく成長していく。
―― もう、そろそろ、屋上につくころやな……
最初にエレベーターに乗った時、「バチッ」とひどい静電気にあってから、ユウリは怖がってエレベーターを使わない。三十階建のマンションの十二階から屋上まで、えっちらおっちら階段を昇っていく。
―― どんな顔しとんのやろ?
誰にも踏み荒らされていない一面の銀世界を前に、ユウリがどんな表情をみせるのかちょっと気になる。でも、思い浮かぶ笑顔はそのどれもが小さな子供がはしゃぐ姿で、ハルトはちょっとだけ笑ってしまう。
なんとなく幸せな気分のまま、ハルトは買い物に出かける。人通りの少ない淡い雪化粧に彩られた街は、シンとした静けさに包まれていた。




